羽生のハメ手1-4 将棋を食い物にしているバカ者達

MashudaBBS2003.03.11-12


羽生のハメ手 番外 諧謔文化の中で 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月12日(水)06時56分23秒

番外なのでザックバランに話そう。余剰価値という言葉がある。日本では最近ゆとりと呼ばれる。その意味を説明しておこう。人間に経済では余剰価値、心にはゆとりがなぜ必要かわからない者がこのBBSを覗いているからである。彼らが一様に言う言葉がある。
「暇だね」「それってお仕事?」「ヴォケ」
この三大罵声は年中忙しくしていないと気が済まない中産階級のセリフなのである。それを知らない子供はそのようなお隣さんの姿を見て洗脳されたということになる。年中忙しくしていないと気が済まないという所が洗脳された証しである。表層としてはお金を稼ぐだけでその使い方を知らない貧乏根性。それが中産階級主体の日本人の特性である。だから日本の学校で「ゆとり教育」などと言い出すと米長がバカかよと煽ることになる。それに拍手するお母さんが多いことを米長が知っているからである。
資本論で語られた余剰価値には遠大な構想があった。しかし地に墜ちたのである。同様に「ゆとり教育」も例の三大罵声に洗脳された者たちに貶められた。米長はその矛先を避けて三日間のフーテンの寅さんを演じているということである。
将棋などと言うものはゆとりがなければ研ぎ澄まされることはない。それは人間の年齢で言うと親子三代ほどの長い期間で熟成するものである。それに背をむけて中産階級に窒息したのが英国である。英国のような諧謔文化の中に将棋の類まれな芸術性を貶める輩が「将棋を食い物にしているバカ者たち」である。例の三大罵声は彼らとその家族たちがネット上で得意にしている。それをマネしている子供もいるということは諸君らもしょっちゅうその目でみてきたことであろう。


羽生のハメ手4  将棋を食い物にしている人 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月12日(水)06時04分31秒

さて米長掲示板で「将棋を食い物にしている人」というお題が出され、愛すべき将棋一筋35年氏が疑問をもってしまったが「将棋を食い物にしている人」とは羽生と米長である。羽生はまだまだ発展途上であるので試行錯誤が許される。羽生には期待するモノが大きいので生クリが有効である。むしろ生クリは羽生が出現したから有効なのである。断っておくが我々は米長が使用する日本語の意味での評論やら批評を行なったことは一度もない。米長にとって批判とは悪口と同義語であるからである。これらの言葉は米長のような「将棋を食い物にしている人」によって歪められてしまったので我々は将棋には使用しない。その換りに将棋村用にはナマのクリティークを略して生クリと呼ぶことにした。米長はナマのクリトリスと頭の中で変換してくれるであろう。


羽生のハメ手3 ポカにハメ手 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月12日(水)05時35分07秒

羽生が相振り飛車に関心をもった理由は明解である。来期のA級順位戦では純粋振り飛車党が二名となるので相振り飛車が進歩することを見越しているのである。相振り飛車の大傑作は昨年の久保中原戦であった。
http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/020118.html
あのような戦いがA級で見られるとすればこれは凄いことである。しかし中原の場合は世間が認知した相振り飛車とは呼べない。玉が右に行くべきところを左に囲っている。このような傑作がある為に我々は玉の位置が戦形の主軸と1昨日述べたのであった。羽生が一昨日指したモノはこのような高邁な思想に基づくものではない。ただのハメ手なのである。藤井はそれにひっかかったトンマであるが、我々は純文学が好きな友人に君はこのクイズが解けるのかと自慢する子供はみたくない。やはり相手の得意戦法を避けては評価されないのは当然である。相手が十分に準備している所へ戦いを挑むところに将棋の醍醐味があるのである。今年藤井相手にV2固めを逃して24香打で大ポカかましたA級順位戦の仮を返してもらったと言うならば「ポカにハメ手の羽生」というだけの事になってしまう。


羽生のハメ手2 白い星にとりつかれた亡者 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月12日(水)05時07分33秒

諸君等は羽生の序盤をハメ手扱いにされて不愉快であろうか?なぜトップ棋士のことをそこまでコキおろすのか不愉快であろうか?では尋ねるが藤井と羽生の相振り飛車などを諸君等は本当に見たいのであろうか?藤井と久保なら話は別である。しかし羽生ならば堂々と藤井の四間飛車に居飛車で対抗するべきである。
勝たなければ意味がないなどと言うのは野月あたりが言っていればよい。羽生はすでに十分に稼いでいる。それでも稼ぎが悪いなどと言う女房は鬼である。羽生は週に三日対局がないと調子を崩すマニアである。多忙どころかそれを楽しんでいる。マニアならマニアらしく道を極めて貰いたい。稼ぎも十分にあって尚も「勝たなければ意味がない」という言葉を金科玉条とする者は、将棋をただの勝負の手段としかみていないという証しである。勝負というのは恐ろしいもので極めると相手を恨み殺すという所まで行くのである。諸君等がそのように開き直るならそれはそれでよい。我々はこのような怨念を持った者達を叩きのめすだけのことである。彼らはすでに人間ではなく目先の白い星にとりつかれた亡者であるからである。中身を知らずに白星だけ見て喜ぶファンは受験生のママと同じである。ママにされているというのがコアファンの真っ当な意見である。主宰者は棋譜を即時公開すべきであろう。毎日だけは頑な処女であるが、よく見れば財布の紐を握り締めているババアであった。携帯電話で速報厳禁などと言っている間に生々しい棋譜は見過ごされる。次のチャンチキオケサでギャラリーをごまかすようなことを延々とやっている時代ではない。生きている人間にはすでに持ち時間が限られているのである。




羽生のハメ手 背面角のトリプルクロス 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月12日(水)04時25分14秒

一昨日の名人挑戦プレーオフ第1局は、なぜ毎日は中継しないのか欲求不満の人も多かったであろう。http://game.2ch.net/test/read.cgi/bgame/1038995452/l50にユーフォ ◆Bnw4FGxHUk氏が現場で見たことを報告しているが、この棋譜の断片は信用できるので諸君等もその記述を元に考察することができる。
千日手局は羽生の左美濃55角戦法を藤井が封印した。これは羽生が後手番を望んでそのように藤井にさせたと推測することができる。何度も書いてきたように藤井システムは後手番戦法として比類なき力を発揮するからである。そこで藤井に確実に勝つためには羽生は後手番で相振り飛車にするということが藤井研究をはずす為に有効となる。羽生とて藤井研究に追いつくことは困難なのである。名人戦で森下の矢倉を後手で敗れないと悟った羽生が森下を挑発して四間飛車にさせた手法である。先崎が谷川相手に横歩取りもできずに36歩で飛車を振らせるような手法である。一言で言えば相手の努力をコケにしてヤマを張る腰抜けである。将棋を対の芸術にではなく受験参考書にしているのである。彼らは求道者などではなくスケベな受験生なのでそのように見れば腹もたたない。東大入試合格で毎年母と子が抱き合って喜ぶ姿が報道されることに感動する者も多いのである。そのような受験生はゴミの捨て方は知らなくても周囲は許してしまうのが日本である。目先の勝負に勝てばなんとかなるという処世術はまあ米国式でもある。
さて羽生が用意したハメ手は背面角のトリプルクロスであった。その為に玉の囲いを簡略化し1-3筋の位を取ることに専念した。羽生は藤井が3筋の位を必ず奪還しにくる事だけは知っている。案の定藤井は自分から3筋を仕掛けた。そこで13角というトリプルクロス1発で勝負がついてしまった。この仕掛けのデザインは昨年の王将戦最終局で康光が羽生から王将を奪取したトリックと同じである。
http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/020312ohsho06.html
二重にふさがった角筋に角を置く為に相手は見逃してしまう。康光の場合は終盤で発見した攻防の角打ちであった為により鮮烈であった。羽生はこの背面角トリックの表層だけを隠し玉にして作戦勝ちしてしまったのである。当然あらかじめ用意したモノである。だから序盤のハメ手となる。羽生はこの仕掛けに名人挑戦へ望みを繋いだと言える。実戦ではもう二度と出現しない筋であろう。一度でれば簡単に対抗策ができるからである。


校長の自殺 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月11日(火)16時52分51秒

先日、広島県尾道市立高須小学校の校長が校内で自殺した報道はかなりショッキングであった。校長は昨年民間から登用された元銀行マンであった。銀行の副支店長が校長となって卒業式の前に校内で自殺では、「学校の怪談」どころではないであろう。季節外れである。こんなことでは民間校長が世間のリストラの受け皿としか思われない。高須小学校は昨年創立130周年を迎えた伝統を誇る学校である。在校生ばかりか同窓生まで含めたらその影響力は計り知れない。
全国の校長が学校経営やらスキールなどという言葉を使い始めたのは最近のことである。パソコンのおかげでガリ切りが得意な先生は尊敬されなくなった。給食も外注の方が安くて美味しい。しかし経営などと言うからにはその先鋭校が学習塾と対抗しようというのがお決まりパターンである。高須小学校は児童数716名に対して教職員がたった38名しかいない。都立の学校などいまだに児童50名に教職員50名などという所があるのである。そんな状態で学校経営もクソもない。校長が校内で自殺したということはよほど学校で理解されなかったのであろう。凄まじい怨念である。尾道であるところが怖い。教育委員の米長邦雄はこの地で名人を初めて奪取し、その名声によって教育委員になったのであった。コメントが楽しみである。高須小学校の校歌に「至誠の心つらぬきて」という歌詞がある。米長邦雄は「誠の突撃、母の敵」と叫びつつ自分のチンポで千人の女性をつらぬいてきたというのも怖い。