最短の道 美の形式と経済の形式

MashudaBBS2003.03.09-10


>最短の道 投稿者:凡夫  投稿日: 3月10日(月)09時53分54秒

 いいお話です。
 出直し総選挙というと品がなくなりますが、身を捨ててこそという訳ですね。谷川の不振の原因は小生などには窺い知れませんが、やり直しですか。応援したいですね。谷川本人にとっても成果が期待できましょうが、将棋界の空気も一新してくれることでしょう。これは以前にも申し上げましたか。
 小生の実感では男の人生のピークは40代で、その時期に20代、30代の経験が形を取り始めていくような気がします。それが50代までずれ込む人もいるでしょう。将棋は当てはまらないかもしれませんが、米長の例もあります。更に強くなるという前例を作って欲しいものです。
 


最短の道 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)03時11分12秒

谷川が序盤から全て洗い直すと言う決意をファンに示すということがどれほどのものか想像がつくであろうか?今まで学んで身についたことを一旦捨てて最初からやり直すということは大変な苦痛である。
ロストローポヴィチが最後にバッハのチェロ組曲を録音した時は今までの運指をすべて捨てた。慣れ親しんだ運指を捨てるということは大変な決意である。しかしそうすることによってしか新しい演奏ができないと悟ってそのように努力したのであった。当然失敗もある。しかしそこには新しい表現が聴ける。だから我々も聴くのである。将棋は勝負だけで棋士を評価してしまう土壌がある。わずかなミスだけで勝敗という結果で評価されてしまう。羽生でもそのような土壌にはウンザリであろう。勝負だけを考えたらこのような挑戦は実際はできないはずである。昔の運指で同じ演奏を死ぬまで続けた方が客も喜ぶし楽である。いい将棋を指してもらうには負けてもそれを温かく見守るしかない。ある日、その基本構造が同じであることを体得するはずである。すると過去の努力までもがどこかで必ず結びつく。従って一から始めるということは最短の道であったことに最後は気がつくはずである。


最強の軍隊 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)02時47分56秒

読売はオマヌケ集団なので最強が大好きである。最強の軍隊も欲しい。すると徴兵制で息子も1年軍隊暮らしである。ところが最強の者に限って息子がいないのである。この結末は相転換と呼べる。


美の力学 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)02時40分20秒

日本が最強国家を求めるとEUのように徴兵制となり税金は高くなり、やがて相転換する。それを求めるのは政治家ではなく世論である。政治家と財界が世論を操作する場合、理論武装が必要になる。相停滞を繰り込んだTISC理論以外には正当化できないはずである。それが危険なので我々はTISC理論を将棋に応用している。すると不思議なことに最強という意味が換るのである。そこには最強国家が軍隊ではなく、美の力学だということがパラレルとして存在し得たということである。


全く 投稿者:凡夫  投稿日: 3月10日(月)02時15分07秒

  こんな情けない連中を増殖させた最大の理由は、ブーイングができない国民だからである。戦後自民党に政治を任せ切りにして国家を骨組みから腐敗させた。バブル経済を誘導し、進行させたのは自民党、官僚だろう。橋竜は大蔵大臣だった。奴らがどんな責任を取ったというのだ。やってる尻拭いといえば、企業をつぶし、失業者を増やし、自殺に追い込んでいるだけである。それでもまだ理屈を付けては臆面もなく税金を食い物にしようとしている。赤字など構わんから道路を造れだ。特殊法人にうるさかった民主党の石井が殺されたのは見せしめとも言われている。ここまで騙されたら国民も、もう目を覚ましていいだろう。どの政党が政権取ろうと、もうこの国は落ちるところまで落ちる他ない。
 但し、自民党の一党支配だけは終らせた方がよい。コイツらは沈没寸前の船の中で依然として金品を漁るのである。欲しけりゃ呉れてやろう。それを抱えて沈んで行け。悪政に対してはっきりノーと意思表示する程度には成長していないと、政治家はいつまで経ってもアホしか出てこん。
 読売にしたって、けしからぬ振る舞いをしたらドームを空にせねばいかん。これがブーイングである。その時はナベツネも行いを改めるかって?否。慌てて球団経営から手を引くのである。


相転嫁 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)02時03分08秒

サダムがダメならジョンイルがアルサというのが実は米国のマスコミが散々やってきたイメージ戦略である。これを相転嫁と呼ぶ。相転化と音韻は同じだが意味が違う。相転嫁は単発的な戦略なので用語としては我々は体系的に使用しない。


バッシング 投稿者:凡夫  投稿日: 3月10日(月)01時48分03秒

 とブーイングは違う。バッシングは野蛮なる集団いじめであり、ブーイングは個人としての抗議の意思表示である。バッシングは石以て打つのであり、ブーイングは腐ったトマトである。バッシングは排斥であり、ブーイングは参加である。バッシングはヒステリーであり、ブーイングは昂揚である。バッシングは執拗であり、ブーイングは一瞬である。バッシングは拳であり、ブーイングは口笛である。バッシングは弱者に向けられ、ブーイングは強者に向けられる。
 およそこの国の国民ほどブーイングはせず、バッシングに走る国民も少なかろう。個人の意識がある程度成熟して来ないとブーイングは出ない。未だアメリカの属国の地位というウマい汁を吸い続けている三流国民に成熟はお門違いであるが、昨今のイラクを巡る日本の動きは実にウンザリである。政治家の発言に、一国の政治と国民の生命を預かる責任のかけらも感じられない。この国は独立国家として、又アジアにおける大国として、中東諸国とどのような関係を営もうとするのか。アメリカが何と言おうとそっちが先だろう。更に言えば、この国にとって先ず武力行使すべき国は、イラクではなく北朝鮮じゃないのか。アメリカにお追従言ってる場合か。イラクが非協力なら北朝鮮は隠蔽である。イラクが凶器準備集合罪とすれば、北朝鮮は誘拐致死である。どっちが重罪だ。遠いイラクは高見の見物で近い北朝鮮ではおっかなびっくりか。卑怯者。見下げた奴等だ。この国の政治家は戦争になったら真っ先に逃げ出すタイプである。
 


美しい言葉 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)01時44分23秒

将棋が最短手順で寄せるのが最も美しいと感じるように、言葉も短い方が美しい。
我々のサイトでは意識的にそのような言葉を使い分けている。米長は「一石二鳥」という言葉を将棋の解説で好む。だからそれが鳥類愛護団体から非難されて放送禁止用語のブラックリストに載ってしまうことに怒り心頭である。我々は将棋用語として「これは一石二鳥の手です」という表現を使わない。単に「双頭手」と呼ぶ。「一石二鳥」が5シラブルであるのに対して「双頭手」は3シラブルで済むからである。用語は短いほど合理的で美しいと考える。
言葉の美はシラブル数が基本であるが、日本語の場合他の要素がある。字面である。
ゴキゲン中飛車をご機嫌中飛車と表記するのは醜い。このような表記をするバカは大抵「竜王」は「龍王」と表記すべきだなどと言う者達である。


投了という行為への誤解 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)01時31分12秒

「投了の美学」などという言葉を諸君等は何度も聞いてウンザリするであろうか?
日浦のように最後まで指す方がイチイチ詰み手順など解説せずに済むのではないかと思った諸君もいるであろう。これだけ大衆に普及したのであるから「投了の美学」などという江戸時代の棋士の感覚は形骸だと思う人もいるかもしれない。
我々は「投了の美学」と言う言葉は好まない。投了に美学もクソもないからである。しかしこのように考えている。
将棋は最短手順で寄せるのが最も美しい。先週の棋王戦第4局で諸君等は気がついたであろうか?実は丸山があのように迂回したことが最短手順であったのである。それも人間に投了という行為があるためなのであった。機械が正確に最短手順を行なうともっと手数が伸びるのである。従って投了を促すことが最短の寄せである。投了という行為は最も合理的な収束である。プロ棋士ならばそれが一目でわかるために機械より速く投了できるはずである。


全自動洗濯機 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)01時11分26秒

簡単な説明ですむことであった。我々には終盤などどうでもよかった。そんなものは機械があとは自動的に終わらせるからである。羽生は非常に優秀な全自動洗濯機であった。デザイナーの森下は営業マンから追われてA級から陥落したということである。あとに残ったモノはその図面をみて全自動洗濯機を製造し販売するのである。


「芸術的なモノ」 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)01時02分51秒

我々は将棋を芸術として鑑賞しようとしている。ところが現場の者達は相変わらず勝負師として棋士を扱う。そこでその商人根性を我々が批判すると諸君等は気分を害するのである。今まで騙されてきたことに気がつけば自分に腹が立つのは当然であろう。諸君等はそのように楽しんできたのであるから、その楽しみ方を根底から覆されるのは不愉快であろう。しかし羽生を見ればよい。彼は自分の将棋を芸術などと呼んだことは一度もない。諸君等が第一人者と崇めている本人が、将棋などは芸術ではないと思っているのである。だからそのことを聞かれたときに彼は「芸術的なモノ」というファジーな返事しかできないのである。
我々はそうは思っていないということである。


第一人者とは 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)00時52分59秒

プロ棋士までもが羽生は第一人者と何度も言う。或いは言わせられている。勝ち負けで将棋の価値を決めてきたという風習による。スポーツ選手と変わりない扱いである。だからスポーツ選手のように名声と金を求めることが許される。こう言うのが業界の掟である。
この程度の掟が羽生を堕落させた。我々ならもっと正確に言う。羽生は終盤の第一人者である。だからいずれまっさきにコケル。序盤は盗人である。中盤は懐古趣味者である。将来的な羽生像を一言で言えばノスタルジックヒーロー。これがおかしいと思うならば現在の棋士像が根本からおかしいのである。我々はまったく違うモノサシで人間を見る。それはテンション。それが棋譜に力を与えている。それは美への執着から発するモノである。谷川が負けても絶大な人気を誇る理由である。


選手とパトロン 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)00時29分44秒

松井は巨人の選手であった。パトロンはナベツネである。せこいパトロンであった。松井は野球道を極めようと思って大リーグに行ったのではない。自分の価値を高める為に巨人とサヨナラしたのである。価値とは名声と金である。羽生も自分の価値をもっと高める場所さえあればどこでも行くであろう。読売の竜王位とはそのようなモノである。羽生は徹底している。まずは賞金金額が多いタイトルから取りに行くのである。羽生の最初のタイトルも竜王であった。そのうちIBMとも契約するかもしれない。竜王10期分の金額であろう。その際は読売などの許可は必要ないのである。竜王の賞金など棋聖よりはるかに低い。読売が竜王という名前を報道に使うなと行っても無駄である。その程度しか選手に支払っていなかったというだけの話である。芸能界はこうした選手と違ってコネだけで芸人が作られるので所属タレントは身も心も縛られている。


穴熊は経済の形式 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月10日(月)00時07分40秒

穴熊は怠惰な響きがある。阿部は昨日の終盤解説で何度も速度計算と言っていたが、基本は守りを読まずに攻めに集中できるということである。攻防ではなく攻め重視の終盤なので楽であるという響きである。ところが谷川ほどの終盤力をもった棋士にはそのような甘えが通用しにくい。昨日は先崎に絶好の攻防手となった角打ちがなければ谷川の見事なうっちゃり勝ちが見られたであろう。あの将棋は後手から仕掛けた谷川の方が美の形式を作る側である。穴熊の場合は駒が片寄るために経済の形式なのである。美と経済とは芸術家とパトロンという構図となる。


美の形式 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 9日(日)23時54分30秒

我々は何度も形式美という言葉を使用している。プロ棋士の場合は「それが形」「それは形ではない」という表現をする。ところが我々が考える形とは彼らの考えている形と違う。
彼らは目先の駒の働きでそれを判断する。我々は駒の働きよりも全体の構図を形式美と呼ぶのである。


角換り腰掛け銀のこと 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 9日(日)23時45分42秒

シーザーは丸山が先に打った22歩が感触が良いという。感触とはファジーなセリフである。まあ羽生の後出しジャンケンよりマシとでも言いたいのであろう。村山相手だとこのような歩は無視するのが羽生であった。しかしあのころは序盤が発展途上である。島の角換り腰掛け銀や羽生の頭脳7などすでに古すぎて丸山には通用しない。
我々は歩の価値を頂点に序盤を構築する。ファジーなセリフで言うならば、これは江戸時代の感覚である。彼らは美の形式にこだわった。だから将棋というモノの価値が存続したのである。角換り腰掛け銀は1歩の価値が勝敗を左右する程までに繰り返し研究されてきた。先後同型は終盤まで結論がでたなどと10年前に言っていた棋士も最初からやり直している。これは何を意味するかと言うと、変化を何ページも並べるその場凌ぎの把握法ではダメだったということである。これほど指された戦形でさえ基本がまるで確立されていなかったと考えるべきである。


明日は羽生VS藤井 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 9日(日)23時28分55秒

藤井の場合は先後が余り気にならない。明日は後手番で四間飛車であるが、三間も向かい飛車も考えられる。羽生は最近先祖返りしているので急戦であろう。それも藤井の望むところである。阿部が昨日の解説でアマは振り飛車党が7割いるのではないかと述べていた。明日は藤井を応援する者が7割いるであろうか?
これは名人挑戦がかかった一戦である。藤井の方が名人戦が盛り上がる。羽生の将棋ばかりでは飽きてしまう。羽生の場合は羽生の顔しか思い浮かばないが、藤井の場合は四間飛車という戦法に関心が集まるからである。


いささか 投稿者:凡夫  投稿日: 3月 9日(日)20時49分42秒

 旧聞に属するが、などと書くとまるで河口俊彦だが、松井のメジャー行き選択をオーナーの渡辺恒雄が裏切り行為と非難したという話があった。本当であろうか。本当だとしたら、例の放言、では済まされないだろう。ドラフト廃止の読売の主張の根拠は、球団を自由に選択する選手の権利が保証さるべきだという点だからである。一方で選手獲得のために球団選択の自由を主張し、他方で自由な球団選択を妨害する。ことが選手の個人としての権利を侵害するものだけに看過できない。説得と妨害、或いは脅迫は無論違う。ここいらをキチンと検証して厳しく難ずるメディアが出て来ない。折角のメジャー行きにケチが付く、とでも考えるのだろうか。松井はゴタゴタは勘弁だろうが、訴えたら良かったのにと思う。定食屋でソースのシミかなんか付いたの以外普段読売を読むことはないが、それでもスポーツがらみで読売の行ってきた悪業はいくつも例を挙げられる。
 1.江川を無法なる手段で手に入れた。この時はコミッショナー、阪神もグル。犠牲者は小林繁、正義の裁定を期待したファン、江川本人。
 2.1回目の監督時代の長嶋を解任した。解任が問題ではなく、人の道に外れたやり方。この時の犠牲者は長嶋の尊厳。
 3.桑田を無法なる手段で手に入れた。早稲田がグル。桑田は立派な首謀者であろう。この時の犠牲者は清原の人を信ずる心。
 4.清原をFAで取った。長嶋の無神経なやり方。この時の犠牲者は落合の元大打者としての誇り。
 5.高橋由伸をなんか知らんけど取った。何があったか忘れた。もはや犠牲者もおらずみんなで喜んだ。
 6.サッカーではヴェルディの本拠地を強引に川崎から東京へ移した。集客増を狙ったわけだが、ヴェルディほど地元に愛されたチームもあるまいに。東京へ移って成績が振るわないのは川崎時代のファンは歯がゆかろう。
 たかがスポーツである。しっかし、こう並べてみると読売のやり口は将に汚いの一言。犯罪まがいの手法も混じっている。共通点は人の気持ちを踏みにじって自分だけおいしい思いをしたがること。メディアといっても所詮お抱え球団の稼ぎ頼みのゴロツキ瓦版屋。何の遠慮もいらない、こんな組織、社会秩序維持のために叩き潰した方が良さそうなもんだが、他のメディアは及び腰だ。似たもの同士なんだろうか。スポーツを通じて子供や若者がこんなやり方を学んでいくと考えるとゾッとする。