8つの貧しい思考

MashudaBBS2003.03.05


棋士の貧しい思考8 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 5日(水)04時53分33秒

中原が今期の女流名人位戦で述べた言葉は興味深い。7番勝負では2番ほどいい将棋を目指し、あとは勝負に撤するという内容である。中原は自分がそのようにして7番勝負を戦ってきたということである。もしすべていい将棋を指そうと思ったら名人位など維持できなかったと自ら告白しているのである。
羽生に七冠を再び独占してもらいたいという幻想がいかに危険かは諸君等にもわかるであろう。諸君等もそろそろ気がついた方がよい。勝負とはお金のかかった戦いである。子供のじゃんけんは遊びである。我々は純粋な遊びを見たいのである。よい棋譜をもっとつくってもらいたいというのが我々の願いである。


棋士の貧しい思考7 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 5日(水)04時27分00秒

美徳とは何か。電車で老人に席をゆずることである。棋士のモラルとはなにか。アマチュア相手にうまく米長のように負けてあげることである。
島などは指導対局でさえ決して手抜きしないことは有名である。ところが米長掲示板をみると、米長のようにわざと負ける方が感謝されている。指導対局ではアマ相手にうまく負け、恩を着せられる棋士には恩を売る。すべてプロ棋士の芸である。将棋には八百長はないなどと棋士は自分で言うべきではない。言えば嘘つきにしか思われない。何も言わなければそれで済む。何か言わねばならないときは、一言「棋譜を見ればよい」と言うべきである。しかしそれでも八百長ではないと言わねばならないのは、そのような疑いをすでにもたれているからである。ならばそのような疑いがでてくる土壌が問題なのである。その土壌とはプロ棋士は勝負師であるという幻想である。プロ棋士が芸術家ならば八百長もクソもない。良い棋譜か悪い棋譜しかそこにはない。米長とその信者は相変わらず、プロ棋士を勝負師として位置づけたいということである。我々はそんなものは幻想だと何度も述べてきている。


棋士の貧しい思考6 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 5日(水)04時07分42秒

全日本プロで深浦が初優勝を飾った相手は米長である。1993年5月であった。3勝2敗である。「終盤のミス」とやらで158手で米長投了であった。では「終盤のミス」とはなんであろう。米長が自分でそのように言った言葉である。それは深海魚に骨が沢山あったのでうまく食べられませんでしたと言っているのと同じである。このようなタコが、偉そうに教育委員として給食のサカナは骨付きでだせとわめいている国とはマンガである。深浦はもっと教わりたいと言った。それは勝たして頂いてありがとうございましたと言っているのと同じである。深浦はまさか勝てるとは思わなかったらしく「びっくりした」と新聞紙上に述べている。だから深浦などそれ以後、米長の顔を見ればペコペコ頭を下げにくるのである。今度はこちらがオサカナの骨を抜いておきますからネということである。


棋士の貧しい思考5 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 5日(水)03時51分28秒

詐欺師の大先生が言うには、米国がイラク攻撃をしなかったら米国はこの先ダメになるというものである。バカであろうか。米国などはすでにダメになっている。新聞を読んだことがないのであろうか?


棋士の貧しい思考4 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 5日(水)03時48分12秒

米長などは典型的な詐欺師である。そこで棋譜で棋士の言っていることが嘘か本当か確認しなければならない。羽生は嘘がつけない棋士である。ただ自負心が強い。しかし他の棋士に比べて言い訳がましいことはほとんど言ったことがない。先崎は棋士が八百長してもシロウトには絶対にわからないと自ら文春で述べている。相撲より八百長がわかりにくということである。米長の家で徒弟奉公した先崎や林葉など誰が見ても詐欺師の典型である。世間はそれを楽しんでいる。それがわからないバカが本当にいることはおめでたい限りである。


棋士の貧しい思考3 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 5日(水)03時39分42秒

米長が言っていることは「私たちは八百長をしていません」ということである。棋士がそう言うのであるから、それを信用してあげたい。しかし米長が言うから全く信用されていないのである。それを信用したい者は、パブロフの犬ばかりとなる。梅干しをみたらご飯が食べたくなるであろう。自己の迷いや欲から解放された者は梅干しは梅干しにしか見えないはずである。ところが棋士は相変わらず梅干しをみたらご飯が食べたくなるのである。それを自然体と米長も思うであろう。ならば苦しそうな顔をしている棋士をみれば同情するのも自然である。口に嫌いなニンジンを押し込められて苦しそうな児童をみれば、水をもってきてあげるのが友情である。


棋士の貧しい思考2 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 5日(水)03時26分59秒

さて嫌いなニンジンを食べさせられた児童が急性盲腸炎になることなどザラである。昔の外科医に聞いてみるがよい。親はタイヘンであろう。一晩中苦しむ我が子がまさか急性盲腸炎などとは思わない。しかも学校給食を無理やり食べさせた担任のせいになど死んでもできない。そのような時代がすぐ前に実際あったのである。米長は自分の子供をどのように育てたか自著でいい所ばかり書いているが、その後どうであったかまったく隠匿している。米長ならば教育委員としてこのように言ってもらいたかった。流行性感冒で学級閉鎖になったとしても、我が子に給食だけは食べに行かせる。給食費がもったいない。そのぐらいのことがなぜ言えないのであろう。このお調子モン。


棋士の貧しい思考 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 5日(水)03時18分04秒

米長は立派な棋士であった。しかし教育委員としてその言葉は痩せたサカナである。
昨日は自身のHPで給食を残す子供は廊下に立たせろと息巻いている。それができない教師をタワケと言う。米長は自分の無知を知るが良い。学校給食はかつてそのようにして食べさせていた。残す者には最後まで教師が監視して口に押し込んだのである。そのために急性盲腸炎となった児童もいる。児童の努力は涙ぐましいものであった。嫌いなニンジンをこっそりパンにはさみ、それを教師に見つからないようにランドセルに隠す。それを目ざとく見つけた担任はそのニンジンを児童に食べさせる。これは実話である。米長。たわけは貴様だ。