7つのコラージュ効果

MashudaBBS2003.03.01


コラージュ効果7「豊穣の思想」と「貧しい生活」投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 1日(土)06時47分01秒

羽生の場合はグランサタンを将棋に持ち込んだ。マスコミがそれを正当化し得たのは、勝てば全てという「貧しい思想」であった。「貧しい思想」に金をつぎ込んだのが読売新聞である。これもコラージュ効果と呼ぶ。「貧しい思想」に「豊かな生活」が竜王や巨人軍を最強としたがる読売グループの基本である。これは米国の太鼓持ちという構図になる。「貧しい思想」に「豊かな生活」は米国式そのものである。
一方「豊かな思想」に「貧しい生活」の典型は、米国式世界観において「逝ったヒト」と呼ばれる。逝きかかっているのが名人戦を主宰する毎日新聞である。名人戦は「豊穣の思想」と「貧しい生活」がコラージュされた世界でも稀に見る日本稀有の文化である。米国式の羽生はそれになじめなかった。羽生がコラージュに成功したのはグランサタンの同一化現象のみである。


コラージュ効果6「天才」の正体 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 1日(土)06時26分16秒

将棋の棋理とは異質の要素を勝負に取り入れて成功した棋士がいる。加藤一二三と羽生善治である。ふたりに共通なのは、社会的には中学生の頃から天才と評価されてきたことである。精神的に彼らに共通するのは、異質なモノをコラージュする手法が手段であるということをはっきり自覚していることである。それを周囲が許せる環境が将棋界における「天才」の正体である。なぜ周囲が許せるかというと、コラージュ効果の最終地点で棋理に回帰するという信頼が彼らにはあるからである。


コラージュ効果5 融合と混合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 1日(土)06時15分05秒

将棋の定跡をバカにするすべての種類の人間に唯一共通すること=定跡を真似するところから始まっている。うまく真似できる場合もある。途中で面倒になる場合もある。
定跡同士をうまく融合させて新しい効果を生んだ場合、コラージュ効果は能動的である。ところが将棋以外の要素を取り入れたコラージュ効果がある。棋士ならば盤外戦術が典型である。記者ならば棋士ネタが典型である。これらは将棋という棋理以外の要素をコラージュする。これは大概混合されたものなので本来はコラージュ効果とは言わない。ところが観戦記者はそれをコラージュ効果とした為に将棋は著しく発展を削がれた。これを一律に正当化した言葉がある。「棋士は勝負師」であるという興業主の都合である。興行側の言うことをハイハイ聞く棋士が優等生となる。興行側の言うことを聞かないと廃業となる国が日本である。


コラージュ効果4 面倒臭がりや 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 1日(土)05時53分26秒

将棋の定跡をバカにする人間には創造型と批判型以外の人間が居る。ただの面倒臭がりやである。このような人々は様々な言葉で呼ばれている。
「知ったかぶり」=米長邦雄が典型。
解題/裏の裏までお見通しと権威だけ見せつける輩(1昨日付の米長日記)
「ゴーマン人間」=西條耕一が典型。
解題/雇用主の顔で社員を脅かす為に将棋を利用する(1昨日付の神崎掲示板への西條の書き込み。おかげで神崎は雇用主に泥のついた靴をなめさせられて掲示板を昨日閉鎖した)
「泥棒人間」=ネット将棋で新研究が盗めると思っているプロ棋士。
解題/自分で指せずに眺めている七段。


コラージュ効果3 創造型と批判型 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 1日(土)05時27分54秒

将棋の定跡をバカにする人間はまず大きくふたつに分けられる。
創造型と批判型である。
創造型=新しいモノを求めるために古いモノをバカにする。
批判型=新しいモノを求めさせるために古いモノをバカにする。


コラージュ効果2 古くはパロディー投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 1日(土)05時24分45秒

将棋には定跡というものがある。すでにある形をそのまま真似するところから始まる。
音楽の世界では旋律の模倣を古くはパロディーと呼んでいた。現在はパロディーという言葉に諧謔の意味が強くなった為に我々はコラージュ効果と呼ぶ。


コラージュ効果 人間の存在がチンポに見える投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 1日(土)05時13分37秒

羽生はテレビ東京の将棋連盟のCMで「人間の存在がチッポケに見える」と言う。
これを毎週一年間も聞いているとこのように聞こえる。「人間の存在がチンポに見える」
このような頭の構造をコラージュ効果という。