八つの単純であること
MashudaBBS2003.02.25
相手に金を払う恋愛を想定恋愛と呼ぶ。日本のキャバクラが典型である。欧米ではボッタクリとしか呼ばない。想定恋愛が可能な国はアジアだけである。キャバクラでさえ想定恋愛と呼べるのであるから、離婚の慰謝料も恋愛のプロセスに含めるべきである。それが婚姻時にできないのは離婚が相転換であると思われているからである。
人間は車にひき殺されないように想定しながら道を歩く。想定思考という。想定しなかった所から車が飛び出してきた場合人間は死ぬ。これを相転換と呼ぶ。
社会人は誰もが自分はこのようなモノだと想定している。想定人間と呼ぶ。想定人間は、他の人間も想定しないと気が済まない。
将棋は30手以上、時には60手以上まったく既存の将棋と同じ進行がある。双方にテーマが決まっている場合は、想定局面から指してもよい。それを研究将棋と呼ぶが、棋戦の場合には想定将棋と呼ぶ。現在そのような棋戦は商業将棋にはない。
手順を踏んだ恋愛相手は生涯の伴侶となる。世間が浮気や不倫と呼ぶものは「簡略恋愛」と呼ぶようにすればよい。
世界を理解するには思考回路をどこかで手抜きしなければならない。簡略思考と言う。
人間は複雑なことを覚えると再び簡略を好む。食事が典型である。様々な食事を覚えるが、最後はご飯と味噌さえあればよいと悟る。味噌が梅干しでもよい。納豆でもよい。まあ料理とはいえないものである。
サッカーは単純なゲームである。ルールを全く知らなくても楽しめる。だから6歳未満の幼稚園児には無数のサッカーチームがある。ただボールを蹴ってゴールに入れるだけであるからルール説明はいらない。だから幼稚園児によるサッカー大会もさかんにやっている。将棋を幼稚園児に覚えてもらいたければ、囲碁の九路盤のように簡略化した将棋を作ることである。