将棋が純粋芸術になる時

MashudaBBS2002.02.14-15


第52期王将戦は四部作構成 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月15日(土)03時34分39秒

今年の王将戦は実に充実した内容であった。康光は先手では居飛車、後手では振り飛車とし、すべて異なる戦形を駆使している。それらは四部作構成になっている。
1=横歩取り。羽生の全棋譜上最も鮮やかなV2固め
2=康光流中飛車。無限変化を垣間見せた康光の角筋
3=角換り腰掛け銀-新定跡への模索。腰掛け銀の四辺形から派生した鏡の世界
4=シジフォスの三間飛車。宇宙は千日手か。羽生の角引きから生じた相停滞の無限世界
諸君はどの巻が好きであろうか?
我々はそれらの世界をわずかに垣間見ただけである。

http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/030214oshoAll.html


商業将棋の解説は添削から 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月14日(金)18時57分38秒

棋士がいかに間違ったか、その愚かさを逐一指摘するのが商業将棋解説の必須条件である。
なぜ間違ったのかはどうでもよい。いかに間違えたかを暴くことが商業将棋の第一使命である。
読者には、いかに棋士が間違ったかを言葉で確認させ、優越感に浸らせることが商業将棋の戦略となる。


将棋の社会的分類 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月14日(金)14時32分25秒

将棋の社会的分類は以下の四種類である。
芸術将棋
賭博将棋
商業将棋
教育将棋


チェスと将棋の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月14日(金)12時17分26秒

生チェスはブレーンスポーツの位置づけが定着した。純チェスはしかし音楽に比肩する芸術と呼べるほどのものではない。純将棋は音楽に比肩する芸術足り得る。理由は、音符が減らないということと同じである。


将棋が純粋芸術になる時 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月14日(金)12時04分14秒

それは人間が敵わないほどの機械同士が対戦した時に出現する可能性がある。今の人間同士の戦いはそれを示唆するが、残念ながら世間が評価するほど観賞法が成熟していない。その原因は棋譜の目に余る不完全さによる。その不完全さをアピールするしかない為に大衆芸能となる。今の人間同士の戦いは「生将棋」とでも呼ぶべきである。詰め将棋は純粋芸術の断面である。そして純粋芸術をめざす将棋は「純将棋」として詰め将棋の一形態とはならない。「純将棋」は詰まないのである。我々が考える理想的な棋譜とは、そのようなものである。


教育に将棋は役立つか? 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月14日(金)09時37分16秒

将棋自体は極めて健全なゲームである。しかし現在の勝ち負けを鑑賞の売り物にする商業将棋は教育現場にはマイナスである。


最良の棋士とは 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月14日(金)09時32分37秒

嘘を美しい形にできる人間である。


康光の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月14日(金)09時31分37秒

嘘がまったく下手な人間である。


羽生の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月14日(金)09時30分12秒

目前に証拠を突きつけられても最後まで嘘が貫き通せる人間である。


棋士のサガ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月14日(金)09時26分14秒

棋士とは目前に証拠を突きつけられるまで嘘を貫き通す職種である。


投手の 投稿者:凡夫  投稿日: 2月13日(木)21時21分54秒

 ベストピッチは様々である。古くは村山のフォークボール。これは三振を取りに行く球だった。天覧試合で長嶋はこれをホームランしたが、高めに来た落ちないフォークであった。投げ損なってはベストピッチも意味を失う。江川は高校時代の決め球は高目のボールの快速球であった。高校生はこれを面白いように空振りしたが、プロになってからは球の軽さを気にしたか外角低めのストライクの速球であった。これを三球揃えても打たれなかった。よほど自信があったのだろう。康光はこの江川タイプの勝負をする棋士と思われる。相手が待っていると分っても速球でグイグイ押して行く。いい時はそれで勝てたし、力もあった。しかしながら、いかにも球種が少なく、速球の威力の寿命はさして永くなかった。一方、羽生は江夏タイプと言えるかも知れない。速球も早いし、カーブ、スライダーもほうる。何より投球術に長けている。場合によっては自分からワザとスリーボールにして相手の打ち気をそぎ、フルカウントに持ち込んだ後ボールになる球で三振を取ったりしていた。鈍感な打者はバットを叩きつけるが、優れた打者ならひどく屈辱を覚えたことだろう。心理を見透かされて、いいようにあしらわれたからだ。次に一体何をほうってくるのか、打者は常に疑心暗鬼となり術中にはまる。見事な勝負術という他ない。羽生の将棋を論ずる棋力を持たないが、どの戦法もひとかどのものであり、ボール球を巧く使って相手を揺さぶり、心理戦で優位に立っていく印象を受ける。どこで学んだか知らないが天才の名に値する技術と思う。大人にはこういう勝負が見応えがある。鈴木啓司という投手は若い頃快速球で鳴らしたが、30歳を過ぎて速球を見せ球にしてスライダーを上手く使い20勝投手に復活した。康光にも参考になるかもしれない。