王将戦第4局 前夜 羽生先手番に望むこと

MashudaBBS2003.02.11-12


羽生の初手26歩 郷田の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月12日(水)00時44分02秒

ここまできたらもったいないが郷田も出さなくてなるまい。1994年7月9日から始まったあの王位戦7番勝負である。伝説の郷田五段登場である。第1局の三重は熱狂した。いままで紹介した棋譜中で最も興味深いのがこの郷田戦である。羽生は28飛戦法で来た。郷田はかわいい顔でナニ考えてるかワケわかんないのでまずは腰を落としてということである。そして郷田84飛型から相腰掛け銀。対米長戦での反省もふまえ羽生は先に銀冠完成を目指す。なぜ羽生は二日目に33角成を決行したか。米長のトラウマがあったのである。79玉に嫌な思い出があったということである。おかげで危ない目にあった。


羽生の初手26歩 米長の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月12日(水)00時20分59秒

お隣さんでは俺の番はまだかと言うのでついにここまで来てしまった。1993年3月12日全日プロでの対米長戦である。相掛り腰掛け銀となった。米長は好戦的である。イケイケ路線であった。何を言われたか大体想像がつく。そのような棋譜である。羽生が信じられないような手を指してボロ負けであった。


羽生の初手26歩 神崎の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月12日(水)00時12分34秒

羽生は竜王に復位した。谷川は褒め殺しにあい自家製の梅酒に酔いしれたのである。
1993年2月26日王位戦での神崎五段戦。ここで羽生は生まれて初めてあの中原囲いを試してみたのである。なぜ神崎相手にそれを試す気になったのか。それを諸君等は彼の掲示板で聞かねばならない。神崎は善戦した。しかし羽生の初物に花を添えた。


羽生の初手26歩 ロンドンの谷川の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月12日(水)00時03分21秒

1992年10月21日竜王戦第1局ロンドン決戦。羽生棋王は振り駒で先手となった。谷川竜王に挑戦である。 飛車先交換型腰掛け銀となった。この1局は忘れろと言っても忘れられないであろう。全国のファンが衛星中継で見ていた。そして驚愕した。谷川と言えばあの手。そう。102手めの57桂打。しかしこの手を絶賛しすぎたのが谷川の為によくなかった。羽生は既に先に紹介した82竜からの終盤を考えているのである。あの時、あの57桂打は当たり前の手だと谷川に言ってやれる者が一人いれば良かったのである。


羽生の初手26歩 康光の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)23時52分59秒

1992年9月8日竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第1局。明日の相手、康光六段である。
中身は島研そのものである。終盤までコースは決まっている。因縁試合となった。


羽生の初手26歩 青野の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)23時45分22秒

1992年6月17日王座戦。今度はあの青野八段。青野相手に作戦勝ちするのは困難である。案の定、新急戦法も見破られ青野に丸め込まれる。そして青野得意の張り手。攻めさせられた所に36角打ちである。王将戦でこの前羽生が見せた36角打ちは小林裕の新手だと言うが、この筋の元祖は青野である。似たような狙い筋となる。青野と谷川がペアーを組めば羽生は敵わないであろう。終盤で青野はズッコケた。


羽生の初手26歩 谷川の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)23時24分34秒

羽生は初手26歩で竜王になった。そして翌年1990年3月16日の全日プロ(現朝日オープン)。相手は名人谷川である。凄まじい応酬。ヘビー級の殴りあいであった。形勢不利の局面で羽生はじっと竜の活用をするために91から82竜とする。なんでもない開き直りの手である。これで負けたら仕方ないという手である。既に香損である。しかも谷川には次に香打がある。それが羽生の誘いであった。谷川は攻め込み、その反動で羽生は竜を活用し大逆転する。なにせ相手は名人谷川である。これに味をしめて羽生終盤術は82竜のような故意の緩手から連鎖作用を発揮するのである。


羽生の初手26歩 竜王戦7番勝負の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)23時04分11秒

1989年12月27日竜王戦7番勝負第8局。相手はご存じ初代竜王の島である。島は飛車をじっと引く。二日制の最後の大一番である。まあこのような大一番で天王戦のような切った張ったが出現することは滅多にない。ところが羽生と康光の場合はそれが有り得る。康光が踏み込むからである。そしてそれを羽生が受けるからである。明日はその逆になる。羽生が踏み込む番である。


羽生の初手26歩 日浦の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)22時55分24秒

1989年1月30日の天王戦で先手羽生の相掛りに対して日浦はやはりトミーのように85飛で対抗した。日浦は鈍感である。井上の研ぎ澄まされた霊気や富岡のパワーのかわりに、鈍い石ころが頭に詰まっている。羽生の誘いに乗らないのである。ホイホイ羽生に指させてホイホイ子供の手だけで勝ってしまった。武者小路実篤の馬鹿一のごとき愚鈍さが、羽生には理解できなかった時期である。


羽生の初手26歩 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)22時46分26秒

あの頃は四五段時代の羽生は好んで初手26歩をやっていた。NHK杯での有吉戦もそうであった。わけても1988年5月24日の竜王戦4組の決勝が印象深い。先手羽生に相手は六段の富岡である。富岡はやたらと強かった。これで富岡が先手番だったら彼の人生は変わっていたかもしれないというぐらい強かった。今ごろ羽生に勝っても遅いのである。相掛りからなんと後手の富岡は85飛戦法を披露した。羽生玉は裸となり隙をわざと見せる銀あがりから角に手順に紐をつける77角という罠で富岡をハメて入玉で勝った。頑固一徹の富岡にはあの誘いが許し難かったのであろう。普通に受けておけばなんのことはないのに羽生はわざと隙をみせる。そしてハメる。


王将戦第4局 羽生先手番に望むこと 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)22時26分55秒

大詰めを迎えた。康光には後がない。しかも羽生が先手である。羽生は先手なら主導権を握るべきである。主導権を握る気があるのならば初手は26歩。ところが羽生は先手では76歩しか指さない大馬鹿ものである。卑怯者と言っても良い。羽生はこんな子ではなかった。
思い出すのは1987年6月12日の天王戦である。将棋会館で当時四段の羽生と五段の井上慶太が相掛りを見せた。羽生は先手で初手26歩から塚田スペシャルを見せたのであった。井上の華麗な展開に壮絶な戦いとなった。すでに勝負がついた後の羽生の決め方が気持ちよい。角をわざと捨て、その角で生じる慶太からの王手飛車を防ぐために王手のG効果で桂馬を捨てるというトリックを披露した。先手番ならば形勢不明のあたりからこのぐらいのものを披露してもらいたい。昨年王将戦最終局の康光の角打ちに匹敵するものを見たい。