12の戦後の日本男女 付録/ある女流棋士のお茶汲み


戦後の日本男女12 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)05時01分02秒

さて戦前と戦後で男女の関係は変わったのであろうか?オマンコの仕方は変わっていない。避妊の仕方も昔ながらの手法がもっとも堅実である。男が外で働き女が家を守る基本図もさほど変わっていない。携帯電話でより多くのセックスフレンドを女性が求めることができるようになったというのも幻想である。昔から隣町のお兄さんに声をかければ済むことであった。
一番変わったのは言葉である。女性の言葉が変わったのである。言語史上、日本語ほど意図的に女性と男性に区別された言語はない。それが徐々に同一言語になろうとしている。その過渡期に現在いるのである。


戦後の日本男女11 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)04時39分10秒

これだけ性に大らかで女性も表だって大切に扱われ始めた日本という国は戦後の敗戦国のシンボルとなっている。女性が深夜独り歩きしても心配いらない国は日本だけである。テロもない。エロはある。不倫と言えば全主婦連目がない。午後のおやつは不倫話である。キリスト教の倫理観もないのに、不倫と言う。ユニークな国民である。


戦後の日本男女10 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)04時30分18秒

日本はこれだけ性が氾濫しているのに性の知識は後進国である。いかに無知による妊娠中絶が多いことか。中絶天国でもあるために、この無知が病院経営を手助けしているのである。医師会が政治を牛耳っている証拠であろう。閉口避妊薬はもっと早くから導入すべきであった。外国では二千種類以上の薬から本人の体質にあったものが選べる。現在日本で産婦人科が用意している薬には危険なものもある。服用停止後の妊娠が正常でないケースが余りに多い。すべて病院側でもみ消されている。だから女性はもっと性のことを知らないといけない。医者はすぐに信用してはいけない。自分で納得行くまで調べることである。
最も確実な避妊はリングである。これは古代から行なわれている手法だが、なぜそれで妊娠しないのかは謎である。


戦後の日本男女9 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)04時15分57秒

女性の裸がかくも生活空間に氾濫した国は世界でも日本だけである。性をタブー視しない国柄なのである。共同風呂で全裸で入る習慣も日本だけである。外国の共同温泉では水着着用となる。
雑誌や広告で女性ばかりのヌードが晒されて面白くない女性はいるであろうか?それは女性が差別されていることに怒りを感じているのではない。男性により多くの楽しみがあることが許し難いのである。そこで昔、女性専門の男性ヌード写真雑誌を発刊した会社がある。しかしすぐに廃刊となった。女性は単なる視覚上の刺激には無反応なのであった。実利をともなったものにしか興味が沸かないのである。


戦後の日本男女8 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)04時00分46秒

男子は幼児から勃起が始まり小学生高学年から夢精を開始する。中学生から自慰を覚え、高校生で女を最初に抱く。最初の女には誰でも拒否反応を示し勃起活動を停止する。一度プロセスを覚えると次回からは膣に挿入できるようになるはずである。女子の自慰は幼児から始まる。女子の生殖器は外形は生まれながらに成熟している。男子の自慰は精液が生成されるまで待たなくてはならない。本来ならば夢精の日をもって記念日とすべきであるが、それで泣いてくれる母親は残念ながらいない。男子は女子と違ってさほど危険ではないからである。


戦後の日本男女7 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)03時51分00秒

生理が始まると女は霊気を発散させる。だから昔は生理中の女を不吉なものとしてその期間隔離した。迷信ではない。女性が二人いるとその相互作用は顕著である。互いの生理が生活に影響しあうのである。一年も共に住んでいれば二人の生理はやがてシンクロし全く同一周期となる。男性が近くに居た場合は危険である。だから赤飯を炊いた日が父親にとっていかに大事かわかるであろう。この儀式になにも感じない父親は、おそらく自分の娘の心も理解できないであろう。なぜ娘がよそよそしくなったのかも理解できずに叱りつけるだけであろう。


戦後の日本男女6 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)03時50分27秒

女子は初潮を迎えれば成人女子として扱わなくてはならない。初潮からほぼ一年後には妊娠することができるからである。その間に社会的にも女として扱わなくてはならない。初潮を迎えたら赤飯を炊き、その晩のうちに父は最後の別れと思って娘を抱いてあげなさい。花嫁に行くときが別れではない。初潮を迎えた時が別れである。それを知っている父親は赤飯を炊く日には涙が止まらないであろう。


戦後の日本男女5  投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)03時37分08秒

亭主関白とはなんであろう。最近の言葉である。実態は弱い男の空威張りである。会社で奴隷のように働き、せめて家では関白気分でいたいという男のせめてもの自己弁護である。


戦後の日本男女4  投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)03時33分09秒

男尊女卑という言葉があった。今では死語である。この言葉は実は意味が深い。決して男が偉くて女が卑しいという意味ではなかった。男の平均収入が女より高いことに不満を持つ女性は多いことだろう。もしその逆だったらどうなっていたであろう?男たちは女の奴隷になってしまうであろう。女の優位性は古来から顕著であった。もし男がせめてサラリーぐらいで優位に立たなかったらその存在価値さえもなくなってしまうのである。女は子を生みオッパイを赤子に吸わせなくてはならない。母乳をあげないと赤子の抵抗力は激減し強い子に育たないのである。母乳をあげない母は愚かである。そして男はその母子を守ることぐらいしかできない。隣村からの強襲にそなえて戦闘準備し、いざとなれば戦う。それぐらいしか男の仕事などないのである。だから外でサラリーだけもらって家に帰って女を顎でコキ使うような男は、戦場にも行けない腰抜けどもである。


戦後の日本男女3 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)03時21分44秒

吉原でやや人気が落ちると遊女は熱海などへ行く。温泉保養地として熱海は今でも温泉芸者が集まる。ところが同じ温泉でも草津あたりになるともうババアしかいない。なにせ東京から遠い。よくみれば団体客はどれもジジイやババアである。だから紙芝居のようなストリップ小屋しかない。それが日本でも最高峰の名湯なのである。名湯は全てのストレスを発散させてしまうので遊女は出番がないということである。熱海の湯は軽くて浸かった気にならない。


戦後の日本男女2 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)03時08分35秒

赤線地帯と呼ばれた地区は東京で今では吉原として残っている。派出所で地図に赤線がひいてある地区だったので赤線と呼ぶ。今若い者が関西から東京に来て、地図で吉原という地名を探してもない。地図にないのですでに吉原はないものと本気で考えた棋士がいた。定跡書通りに正当な将棋を指すタイプの棋士であった。上野のあたりにあるはずだと思っても、人に尋ねることをはばかったわけである。このような時は、万国共通している定跡がある。タクシーの運転手に聞くことである。仮に地名を忘れたとしても、オマンコと一言発するだけでタクシーの運転手は黙ってそこに連れ行くものである。昔なら人力車である。今でも浅草に行くと人力車がある。雷門前に大量に待機している。値段も安い。関西から初めて上京する棋士諸君は、試しにこれに乗り「オマンコ」と一言言えば、彼らは黙って吉原に連れて行ってくれることであろう。女性の場合は車夫が若い肉付きの良い男であることが気になるであろう。一番カッコいい男を見つけて携帯電話の番号を教えておけばその晩付き合ってくれるはずである。


戦後の日本男女1 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)02時52分11秒

いきなり1である。長くなるかもしれない。
戦後の義務教育政策は男女に平等な教育をほどこした。それでも貧しい家庭の子女は人買いに売られた。女子は遊廓へ売られる。しかし遊女は卑屈ではなかった。たくましく生きたくましく死んで行った。遊女は長生きできる。様々な菌で免疫ができるからである。スピロヘータごときはペニシリン一本で治していた。高価だが遊女なら金が出せるのである。成功した旦那衆は遊女に本気で惚れたが、彼女らが本気で好きになるのは、大概こうした金持ちではなく、丁稚奉公しているような貧しい青年であった。


矢内は連盟でお茶汲みか? 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月11日(火)02時42分27秒

矢内の日記を読んで呆れた。記録係りはまあたまにいいとして、年下にお茶汲みまでやらされている。飯島ー阿久津戦らしい。丸山なら自分で水を用意してくるはずである。こんなガキどものお茶汲みまで23歳にもなってやらされる女流棋士とはなんであろうか?矢内はしかも花形女流棋士である。多大な貢献と努力をしている。それが連盟ではいまだに顎で使われ平然とお茶汲みまでやらされるとは。
お茶ぐらい自分で入れればよい。A級の連中は全員飲み物くらい自分で用意してくる。おやつまで自前で用意してくる。それとも彼らはお茶さえ自前で用意できないほど困窮しているのであろうか?
それでも自分でお茶ぐらいは入れる。家庭で「おいお茶」などと言う亭主がいれば、妻達には亭主が大切にしている最も高い茶碗を投げつけてもらいたい。
さてその後の矢内の日記を読むと直後に風邪をこじらせたらしい。すでに今回の猛インフルエンザの潜伏期間中にあの対局室に一日いたということである。このような病気持ちを棋士のそばに座らせるとは。もしかしたら矢内から丸山にインフルエンザが伝染して、一昨日はそれで丸山は体調不良で羽生に負けたのかもしれない。それが羽生に伝染して明後日の対康光王将戦に影響するかもしれない。これでは健康管理が小学校よりズサンである。躾も伝統も不衛生も、ただ習慣に溺れているだけであろう。修行と習慣は全く別物である。