強さのこと1-3 愛と形の記憶1-3 3つのイチゴ白書

MashudaBBS 2003.01.25-28


イチゴ白書 康光の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月28日(火)04時54分51秒

恐らく康光は王将戦第2局以前に、あの島羽生戦のハブサディズムを知っていたであろう。だから局後に、羽生の34飛の横歩取りに対して「怒らせたかも」とコメントしたのではないかと思う。羽生の方は終始、あの横歩取りに疑念を抱いており、それは我々の見解とも一致する。ところが終盤力であそこまで島がいたぶられた将棋を知っていれば、羽生が怒ると何するかわかんないという恐れは皆もっているわけである。
早指し選手権でかつて羽生は先手の谷川相手に大ポカをかましたことがある。解説の森下も早々に匙をなげていた。二手すきで谷川楽勝といった将棋であった。ところが羽生が露骨に怒りまくり、先受けの手筋から手抜きの勝負手の連発であっと言う間に一手違いの将棋としてしまった。最後は谷川が寄せを過ったら許しませんよという恫喝である。森下もさすがに圧倒されていた。
我々はこういう暴走族をヤンキーと呼んでいたが、最近ではヨッシーと呼ぶことにした。


イチゴ白書 島朗の場合 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月28日(火)04時32分50秒

一昨日のテレビ東京早指し選手権の島VS羽生の録画を見て、唖然とした。
島は先手がゴキゲン中飛車を目指す場合よくやる3手めに14歩と突く、まあ何というか森がよくやるような鈍臭い端歩をテレビでみせたわけである。羽生はかなりムッとしたことと思う。余りに指し口というか感覚が古すぎる。島が案の定中飛車にしたので羽生は端歩はこの時は無難に受けた。これが島に対する礼儀かと思っていたが、その後の展開で唖然とするわけである。羽生は44手めにじっと95歩と突きだした。
この手渡しが後手に有利になるというわけであった。これで先手に一手指させるというハブディレイ。この将棋はもちろん王将戦第2局以前に同日放映のNHK杯戦と同時収録されたはずである。そこで先週の王将戦では、あの95歩を思い出しながらハブは手数を逆算していたということになる。
この島戦は、やはりハブはムッとしていたようだ。殺し方が尋常ではない。ほとんどイジメ殺しに近かった。ハブのイジメ殺しはかつてコバケンもズタズタにされたことがあった。A級から下りろということである。


逆立ちしたイチゴ白書 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月28日(火)03時43分57秒

現在羽生善治竜王の挑戦を受けて王将戦を戦っている佐藤康光王将は、その第1局において変わった趣向を見せた。イチゴをたくさん食べたのである。これでは彼が15地点になにか新工夫があるとあると思われても当然であろう。ところが第1局では、横歩取り35同飛型という最も激しい戦形となり、この15地点に駒が進むことはなかった。これを「佐藤康光のイチゴ白書」と言う。
そして今回の第2局。佐藤王将は急戦中飛車の様相から8手目に94歩を突くという将棋史上始まって以来の奇手をみせる。そしてこの歩が10手めに95地点に来た時、彼のイチゴ白書の全貌が明かとなったのである。盤を反転させれば95地点は15地点となる。かくして佐藤康光の「イチゴ白書をもう一度」は実現したのであった。
まあ、このように書けば諸君は冗談かと思うであろう。実は我々はずっとこのことを真剣に考えていた。
あの94歩は決してその場の思いつきやジョークで指せる手ではない。我々がまず想起したのは、以下のみっつ。
http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/020305ohsho05.html
http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/0326asahi1.html
http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/020118.html
昨年の王将戦第五局の相掛り15歩戦法が常識的に考えて最も近い。ハブが康光に見せた趣向である。あの時、康光は端を受けずにハブにイチゴを許したのであった。そしていろいろ調べてみるとこの手は中原誠の発想に一番近いものであると気がついた。ハブもまた中原誠の何かを掴みとろうとしたのであろう。
これは恐らく康光は無意識のうちに考えたことではないだろうか。そこであの94歩を我々は「逆立ちしたイチゴ白書」と呼んでいる。この端歩の感覚は、穴熊攻略を目指す藤井システムとは違う。むろん杉本のようなハッタリでもない。序盤におけるこの遠大な端歩の構想は中原的である。ハブが大長考しても当然であった。


外務省のこと 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月27日(月)23時35分23秒

外務省という役職は世界中どこの国も鼻持ちならないものである。日本の外務省役人はまだあれでも質素で謙虚な方であろう。
なぜ鼻持ちならないかというと、有事の時でないと彼らの真価は問われないからである。それならば自衛隊と同じではないかと諸君は思うかもしれない。駐屯地はタコ部屋だが、大使館は客室ということである。
一昨年からの外務省の恥さらしは諸君も知っていることであろう。田中真紀子が伝家の宝刀をふるって、それが出刃包丁だったと知るや彼女も更迭された。
日本大使館のイメージを悪くしているのは、あのうんざりするパーティーであろう。もう少しなんとか演出できないものかと思う。ハイソが胸くそである。成り上がりの奥様と子女たちが群がり、そこに訳知り顔の商社マンがひっついてワルツなど始まった時間帯など悪夢であろう。今までワインの話に沸いていた奥様は隅にひっこみ、ダンナは舞台にかり出される。ステップを知らないならば、泡踊りでもやっていただきたい。それならば来賓にも大受けであろう。


警察のこと 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月27日(月)19時38分53秒

よみくまと呼ばれる西條耕一という読売新聞の記者がいる。先週土曜日に森下とポリスマン二人に出会って少しは気がやすまったであろうか。残念ながら彼らは何も知らない。森下は崇高な理念を職業として生かせる。ポリスマンには理念はない。その職種にあるのは義務である。記者はどうであろう?
警察は2ちゃんねるを救わなかった。昨年夏のK区の脅迫事件は筆跡鑑定ができる手紙という証拠まで残しておきながら警察は放置した。昨年は都下の脅迫事件が二件。一件は一両日で解決。日本の警察は本腰入れると実に優秀である。朝方まで電話ボックス周辺に張り込んだ精鋭部隊の活躍は見事であった。曖昧な事件で終了させたら尻尾を切られるのは部下であろう。ところがあの事件はトップが知っている。そこに国益に関わる正義があるかという判断が動いた。そして責任者は正しい判断を最終的に下した。そしてそこにまったく利害関係がないということも知った。2ちゃんねるをターゲットにした脅迫事件の場合は違っていた。2ちゃんねるは利害がからむ訴訟にまきこまれていた。露骨な利害がからむと警察は気分屋となる。彼らはK区ではすっとぼけたのである。


日本人のこだわり 棋士篇 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月27日(月)13時13分50秒

諸君にはわかったであろう。工業界の最先端技術といえども商品化するときには、故意に手抜きをするのである。全ての分野においてどこまでも気の済むまで技術は追及できる。自分が納得行くまで仕事をしたいという工業界の硬骨漢は、それができる棋士という職業をうらやむことであろう。


日本人のこだわり カメラ篇 最後の35ミリコンパクトカメラ TC-1 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月27日(月)12時51分31秒

さて賢い諸君はもうおわかりであろう。何が残って何が淘汰されてきたのか、その日本人の性格を。
将棋も技術を追及すればカメラのようになっているのである。チノンのような棋士もいる。キャノンのような棋士もいる。そしてミノルタ。
今回はミノルタの最高傑作TC-1について話そう。このコンパクトカメラを悪く言うカメラ評論家は一人として存在しない。辛口批評家もおしゃれと言ってくれている。そこをあえて酷評するのがマシュダ一家である。
なぜこれがミノルタの社運をかけた最高傑作なのか、まず確認しよう。これは世界最小最軽量の最後の35ミリフィルムカメラである。これ以後はフィルムのフォーマットがAPSに移行してきた。APSフィルムは小さいのでキャノンのIXIみたいなお子様ランチまで出来てしまったが、これはクズである。一回しかない人生をこんなクズに捧げてはいけない。APSフィルムは35ミリフィルムより格段と画質が落ちる。ブスの顔を撮るにはいいが、かわいい我が子をこのようなクズフィルムで撮る親達はバカか人非人であろう。
従ってミノルタの最高傑作は、こうしたバカ親を救済できるTC-1だと言うことになる。
これほど長期間に渡り店頭に神のごとく鎮座してきたカメラはかつてなかった。高価だが売れる。値段も下がらない。オークション市場でも値段が下がらない。コンパクトカメラ最後の華は今でも美しいのである。
このカメラの欠点はスティーヴのジョークとは違っていた。レンズについてはミノルタが自画自賛している通りなのでそちらを参照のこと。ここでは我々はグランドデザインを見る。PowerBookG4をさらに上回る硬質チタンで全身を覆い、シャッターをなんとただのピンホールにしたという発想も大ボケぶりを発揮している。デザインも正面は素晴らしい。ところがなんとスイッチボタンに手抜きをしたのである。ここだけチタンを装いチタンの粉を吹いただけであった。だから使う度にそこだけ黒くなってしまう。スティーヴなら絶対にそんなことはさせなかったであろう。ここまで贅沢をしたのになぜミノルタのデザインエンジニアはこんな最も基本的なことを忘れてしまったのであろう。デザイン的にTC-1の唯一の対抗馬だったCONTAX Tixは多結晶サファイアでボタンを造ったというのに。しかもこのTixはAPSのクソカメラで比較するのも恥ずかしい。
ところが業界でこれを指摘した者は一人としていなかった。一年使ってみなければこの欠陥はわからないからである。それでもTC-1はコンパクトカメラの王子としてショーウウィンドーの玉座を5年間支配した。
我々は重箱の隅をつついているのではない。戦後狂人のようにモノにこだわったエンジニアは、決してこのようなミスは犯さなかったのである。その集大成であるべきTC-1にこのような欠点は許されないはずであった。あのわずかな黒い汚点は、ではどのように考えれば良いのであろうか?
我々はこう考えた。あの黒い汚点は持ち主の使用頻度のバロメーターであると。こう考えることによって、あの手抜きはスティーヴのボルト抜きに匹敵するミノルタの愛情であると認知できるのであった。


日本人のこだわり カメラ篇 Pocket-8 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月27日(月)12時02分12秒

木村や升田がどうのこうの言う前に、諸君等はその凄まじい時代背景をもっと知るべきである。
今日はカメラの話をしよう。
若い諸君は戦後のカメラ業界がいかにモノにこだわったか、その壮絶な死闘劇を知らないであろう。完成度をとことん追及しようとした技術者は狂人さながらである。
若いヒゲのカメラマン氏はライカにこだわっている。だがあのような超絶技巧品がなぜ出来たかを知らないであろう。ドイツは狂人集団が至る所にいた。戦後処理は無残であった。ドイツの名門集団は東西にズタズタにされ、すべてを奪われたのである。敗戦国で漁夫の利を得たのは日本。日本はドイツのように分断はされなかった為に全国民が一丸となれたのである。ゼロ戦を造った情熱そのままを日本人はカメラにも注げた。最初はモノマネである。一眼レフの市販一号機Asahiflexの完成度は立派。その質感のセクシー度は今の商品など比較にならないほど重厚である。ところが日本人は徐々に性能と簡易性のみを求めるようになった。デザインというものがおろそかになってきた。最初からそのイメージがなかったからである。これは車業界をみてもわかるであろう。形状の美への感覚は西洋デザイナーに太刀打ちできなかった。ところが携帯カメラでは次々に傑作が誕生する。これは形を小さくするという必然性が、偶然美しいフォルムを誕生させたためである。そしてこの手法が今日まで引き継がれているのである。世界に認知された日本人の工業美学とは、いかにコンパクトに集約したかに尽きる。その金字塔が70年代後半に出現したチノンのPocket-8である。性能とデザインが奇跡的に一致した商品であった。こんなことを言っているのはマシュダ一家ぐらいであろう。試しにネットでいろいろ調べてごらん。8ミリフィルムのことなど忘れ去られてしまい誰も思い出す暇などないのであろう。しかしこれは当時の全世界の通人には驚嘆の的であった。そのコンパクト度はMINOXのデザイン優秀性に匹敵し、縮小度はMINOXを超えていた。これほど衝撃的なカメラは、IXI Digitalが一昨年登場するまでなかった。8ミリ動画カメラのことなど知らない諸君にはこう比較すればよいであろう。現在世界最小ビデオカメラと呼ばれる手のひらサイズとほぼ同等の大きさの8ミリ動画カメラが70年代後半にはチノンが製造していたのである。その動画映像の神秘度は今でもDVを超えている。そしてその神秘を覆う必然的に凝縮された美しいデザイン。これを傑作と我々は呼ぶのである。ところがチノンは弾圧を受けた。業界のこの手法は諸君等も知っているであろう。優秀なものが残るとは限らないのである。むしろ逆であった。8ミリは80年代に徐々に下火となりビデオカメラへと移行する。そこからは日本談合株式会社の独壇場であろう。余りに技術の進歩が速い。実は談合してそのようにみせかけているのである。シナリオ通りに次々と性能が増す。消費者をだまそうが何しようがビデオ業界の癒着は通産省の保護のもと、ついにあのおぞましいBeta vs VHS戦争を迎えた。Betaが全てにおいて優秀性を誇示しながら、エロビデオレンタル路線に圧倒されSONYの惨敗であった。Walkmanでおいしい思いをしたであろうと嫉妬されたのである。その後のSONYの8ミリ路線はカメラで勝利しデッキで惨敗であった。かくして消費者は完全にコケにされたのである。8ミリで撮影するビデオカメラが主流で再生はVHSとなったクソ路線。これも業界を護るための談合の産物であった。SONYの怨念は凄まじいものであったが、まあ協調路線を学んだということであろう。デジタル8はしかしクソまみれにされ、さすがに切れかかっていたのが一昨年あたりである。
今でも続くこうしたビデオフォーマット戦争を尻目に相変わらず古い土俵で突っ張っているのは、銀鉛フィルムを命とするエンジニアである。この超アナログ世界では消費者へのゴマカシが効かない。だからこそ大馬鹿でも何とか生き残れた。そして世界はこの大馬鹿どもを絶賛したのである。




日本にもドンキホーテはいた 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月27日(月)09時47分05秒

一般には知られていないが、業務機ではPowerBookG4に匹敵するデザインを誇る携帯パソコンがかつてあった。
それが東洋エレクトロのドンキホーテ的作品「Rocky Discovery」モデルタイプRD586ACである。デザインの完成度はPowerBookG4と全く違う方向である。PowerBookG4はもろさの極致だが、RockyDiscoveryRD586ACは強靭さの極致であった。アルミ&マグネシウム合金に全身包まれ、ゴムパッキンを使用し完全防水である。嵐の屋外や船上のデッキでも使用できた。なんと水中でも大丈夫。四方八方完璧さだけを贅沢に追及した大馬鹿者である。これは実勢販売価格70万円ほどであったので、コレクターは買ったことであろう。ところがターゲットであった業界に冷淡にされた。豪雨の中で仕事させるような会社は、もともと金がないのである。売れずに製造中止となってしまった。


日本人は側面に弱い 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月27日(月)09時26分29秒

かつてSONYのバイオ505シリーズは全世界に軽いショックを与えた。それに対抗し、505シリーズを100倍も凌ぐノートパソコン史上の最高傑作PowerBookG4をこの世に生み出したのがご存じアップルのドンキホーテ、スティーヴ・ジョブズ。我々は戦後このような大馬鹿に出会えたことが嬉しい。全身チタンで覆うという超贅沢は隅から隅まで徹底し、欠点はひとつしかない。ボルトが左隅に一本だけ足りない箇所が有った。これがスティーヴのジョークである。これを指摘するのはマシュダ一家が世界で最初であろう。一昨年全世界を驚嘆させたPowerBookG4は今も尚ノートパソコン史上の最高傑作で有り続ける。SONYのバイオ505シリーズは最近V505Rで対抗馬を出したが、比較するのもアホらしい。SONYは成長をやめてしまった。いかにスティーヴは大馬鹿であったかという証しである。あのような贅沢な商品を作ってしまったら会社は傾くものなのである。
V505Rのどこが最悪か。それは側面である。PowerBookG4と側面を比較してごらん。日本人はいかにこのような部分にズサンであるか一目瞭然であろう。


通算勝率でプロ棋士を評価するバカども 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月27日(月)08時53分54秒

通算勝率とは小学生の通信簿である。これを見て子供たちを評価するのはバカ親である。


ライ病患者 最良の演出の小道具 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月27日(月)01時10分33秒

ハンセン氏病と世間では呼んでいるが、我々はレプラとしか呼ばない。まあライ病のことである。
ライ病は差別用語になってしまったので、患者に気を使ってハンセン氏病と呼ぶようになったのであった。
ライ病患者の隔離政策の悲惨さは日本史の汚点であると識者は言うであろう。松本清張の「砂の器」はそれをお涙ちょうだいの題材にした小説であった。島田陽子がおっぱいみせた映画としても知られている。
世界史レベルで言うとライ病患者の隔離政策などかわいいものである。ペスト患者など生きたまま焼き殺された。内藤國雄が映画「ベンハー」に影響されて詰め将棋の大作を発表しているが、あの映画にもライ病患者の隔離場がでてくる。ベンハーは小説を読んだ方がはるかに面白い。そして映画に使われるライ病患者の隔離場とは、必ずお涙ちょうだいの音楽付き「悲惨の快楽」なのである。実は聖書そのものが、この同情を煽る効果をねらって執拗なまでにライ病で演出しているのであった。誇張ではない。聖書の言葉は学者が集団で計算し記述したものである。ライ病とは昔から最良の演出の小道具であった。
例のコンコルドを売った金は、隔離政策で悲惨な思いをしたライ病患者の為に日本財団が一時預かると言う。ますます胡散臭い。開運は間違いないであろう。


税金と巨泉の話 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月27日(月)00時12分37秒

諸君らは東京12チャンネル「なんでも鑑定団」係へすでに葉書を送ったであろうか?
米長出品のコンコルドの時計が50万で買えるそうである。鑑定額は30万円だったそうである。かなりのいわく付きの品なのでこれを家宝とできる者は相当な通人か変態であろう。開運にはもってこいの品であることは間違いない。これほどクソ運にまみれると、あとは幸運しか残っていないのがモノに宿った魔性である。
この時計は米長が中原から名人奪取した時に、大橋巨泉が賭けに負けて100万円代わりに米長に贈ったものである。100万円代わりだから税務署には一時所得として申告しなくてはならない。それをしたかどうかは定かではない。仮に修正申告が必要だったとしても、すでに時効となっているため税務署は摘発さえできない。巨泉も落ち目になったので大っぴらにバカにできるということである。なぜコンコルドかと言うと、マシュダ語録に詳しい諸君ならピンとくるであろう。巨泉は「自爆テロ」で民主党議員を辞めたのであった。


女流名人戦第2局 能面の魔女 碓井涼子 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月26日(日)23時09分09秒

今日の柏原町は猪も裸足で逃げ出すほど碓井涼子は燃えていた。これを衛星中継したならば、「東洋の魔女」以来の全国民熱狂が期待できたであろう。「能面の魔女」碓井涼子気合いの指し回しであった。
80手目から116手目の中井投了まで実に36手に及ぶ息もつかせぬ迫真の猛攻である。中井は飛車をかわいがりビビリまくって必死の遁走。最後は延随蹴りで失神しダウンしたところで尻まで蹴られた。おそらく最後はチビッてしまったであろう。この棋譜は何度みても痛快である。藤井木村の「温泉電車」などより気分爽快になれる。あれは木村が飛車をかわいがってから逆転に継ぐ逆転であったが、こちらは問答無用の乙女の狂気一直線である。大姉御が作戦負けで気落ちしハッタリにつぐハッタリでビビリまくった。色っぽい。
なぜこのようになってしまったのか。ここは柏原町だったからである。

http://www.hochi.co.jp/html/shougi/kifu/29meijin_2.htm


愛と形の記憶 番外 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月26日(日)19時44分39秒

この話は涙なくしては語れない。諸君もハンカチを用意しておくように。
今年に持ち越された竜王戦最終局の舞台裏である。阿部は火事場の底力を発揮し、ハブをなんとカド番に追い詰めてしまった。読売本社はマッサオであったろう。阿部が関西に竜王位を持ち逃げするのではないかとハラハラドキドキしていたことであろう。阿部ならやりかねない。そして最終局は、阿部必勝体勢となりさすがにヨッシーも観念したことであろう。
このとき対局会場にひそかに訪れていた女性がいた。誰も知らなかった阿部のフィアンセである。
大盤解説場で阿部大優勢の解説を聞き、鼓動を早めていたことであろう。自分の夫になる人が間もなく「最強棋士」と呼ばれる瞬間。晴れやかな婚礼衣装などどうでもよい。最強の戦死に全てを捧げることができる女の誇り。これこそが最大の価値である。フィアンセが人生最高の瞬間を迎えようとした時であった。
阿部は大逆転を喫した。この様子は2時間に渡ってすべて衛星中継で全世界に発信された。阿部が無念の投了をした瞬間、羽生はわななく。水を飲もうとしても体が動かない。まさかあそこまで不利な将棋を勝てるとは思わなかったであろう。
会場で彼女はそれでも誇りを失うことはなかった。貴方こそ私にとって最強戦士であったと。


愛と形の記憶3 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月26日(日)19時19分52秒

ハブがテレビで公言したように、今日の将棋の序盤を彼らハル研の連中は全員知っている。ではなにが違うかと言うと展開部における主題の崩し方が違うわけである。この崩し方には様式というものがあり、それが個性ともなる。今日は森内の37歩という相停滞手がハル研の愛の様式に添ってなかった為にヨッシーは不機嫌となった。島に至っては兄貴分としてさかんにブーイングし、純情な森内はこうしたヤンキーに煽られて大ポカをかましてくれた。彼も昨年名人奪取後ようやく妻帯者になったのであるが、ヤンキー族の猛妻たちには押し切られてしまうのである。


愛と形の記憶2 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月26日(日)19時18分44秒

よく考えてみれば諸君は独身者ばかりであった。愛の形状記憶などと言ってもピンと来なかったかもしれない。そこで諸君にもっと身近な事例で例えてみよう。将棋の形というものはアナログなのである。それを単にビデオテープに写すと劣化する。そこで劣化した部分を人間は愛情で補うのである。
ところが困ったことに最初からコピーガードがかかっている将棋の形がある。ペペロンチーノはご丁寧に木村塚田戦の棋譜を切り取って棋戦最中に張り付けるのであるが、なぜか視点がぼけてしまうのはそのためである。このようなものはコピーガードがかかっている為にそのまま取り込むと再生したときにノイズだらけとなってしまう。


愛と形の記憶1 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月26日(日)15時05分42秒

ペペロンチーノがとんでもないことを書いている。阿部のつぶやきが書かれてしまっている。だから関西はタコ扱いされてしまうのである。王将戦第2局初日の32金でなぜ阿部は康光が負けると思ったか諸君にはわかるであろうか?これはある情報が彼にインプットされているためである。
それは飛車交換すれば先手不利であろうという今日のNHK杯戦解説におけるハブのある情報源と同質のものであった。
それが愛と形の記憶なのである。そこで若い諸君はこのような得体の知れない記憶を決して取り込もうとしてはいけない。このような愛と形の記憶はそのまま取り込むと形骸化するのである。このような形骸は諸君をズボラ人間にするだけであり、諸手で同感してはいけない。だからこのようなものは形状記憶型のYシャツと思うようにしなさい。アイロンをかけなくてもすぐに着れるYシャツなのだと。便利ではあるが、愛妻の心のこもったアイロンにはかなわないのである。


強さのこと 番外 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月26日(日)12時27分44秒

お決まりの番外である。今日は、先ほど放映されたNHK杯戦をネタにしよう。森内VS島の相掛りにハブの解説というNHK思惑通りの演出となった。彼らが旧島研究会のメンバーであると思ってはいけない。今でも彼らはつるんで研究会を楽しんでいる。だから読み筋が三人とも一致するのは当然となる。同じ塾に三人とも通っているために明日の数学の授業では、教科書に書いてある問題はすべて解けるのであった。不良は米長であろう。彼は予習をしないで対局したため、一週間前に中原になぶり殺しの目にあった。中原は森内が真似したように飛車交換しても指せると考え28歩と打ったのである。思えば、最近自陣に打つこの28歩が多い。ハブ佐藤は王将戦で双方28歩を指し、今日は森内である。中原を学んでいると言うことである。島のヤンキー戦法のおかげでかなり薄っぺらな将棋となってしまったが、森内のポカで島は勝ってしまう。37歩を打ったからには金は当然逃げるべきであった。なぜ殴り合ったかというと、島がそうしてくれと合図を送ったためである。さて、この37歩はハブには打てない歩である。天馬効果を封印する有効打なのであるが、ハブの頭にはこのような手がインプットされていない。だから彼はこのような手を「渋い」と言ってゴマカスのである。自分の好みにあわないものは大概「渋い」の一言で済ますのが彼らの処世術だと覚えておきなさい。
さて感想戦である。諸君たちは気がついたであろうか?これが島研の様子なのかと胸をときめかせる者は、明日から転職ガイドを見るように。彼らにはたったひとつの共通点があるだけなのである。そしてそれだけが今も変わらずに引き継がれ、彼らの強さの根源となっている。答えはここに書かない。諸君等がなんどもこの録画を見て自分達で答えをみつけなさい。なんだ、こんなことだったのかと思うであろう。


強さのこと3 何を観るか 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月26日(日)02時15分01秒


若い諸君たちは時間と金をつくりまず外国を旅行しなさい。外から日本を逆に観るという経験は必ず諸君に多大な影響を与えることであろう。
タイトル戦で海外で対戦するまでなどと決して考えてはいけない。若いうちにその目で観なくてはならない。どこに行くかはその時の運命が決める。ガイドブックなどいらない。ただ漠然と観て帰ってくればよい。
森下はパリに行ってもルーブル美術館には興味がないと言う。それでよい。間違ってもルーブルのモナリザを観るために並ばないように。あれは贋作である。高階秀爾ならばそんなことは一行も書かない。しかしマシュダ一家は断言できる。あれは贋作だからこそガラス張りにしたのだと。絵は生で鑑賞しなければならない。特にルネッサンスの作品は質感を感じなければ理解できない。ダヴィンチほど質感にこだわった芸術家は空前絶後なのである。そしてこの質感を理解する目を養うためにはルーブル美術館だけでは到底不可能である。だから時間に追われた若い諸君がこのような作品群を理解しようとして時間をつぶしてはいけない。もしパリで絵をみたいならば、諸君等は迷わずピカソ美術館へ行くべきである。質感を理解する目がなくともピカソは理解できるからである。そして独りの人間がかくも変貌できるものなのかと感動することであろう。そこでは彼の生涯を通じていかにスタイルが変わったを一望できる。そしてここが重要なのだが、何が変わっていないかをそこで発見することである。これがピカソの強さというものであるのだから。
諸君らは子供がいかに純粋な絵を描くか知っていることだろう。ところが日本の小学生は漫画のキャラクターを真似して誰でも同じような絵を描く傾向がある。成長するにつれてそのモノマネが絵を醜悪にしている。ピカソにも醜悪な時代があった。マニタス・デ・プラタを描いた時である。自分より天心爛漫な才能に嫉妬したとき彼は醜くなったのであった。
ハブは天真爛漫である。そしてハブは嫉妬したときに弱点を見せる。ハブの強さを理解するためには、彼の何が変わっていないかを見抜くことである。


強さのこと2  何を反省するか 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月25日(土)23時08分30秒

ハブは昨日の王将戦第2局の感想戦でまっさきに「横歩を取った34飛がズーズーしかったか」と述べた。我々が「野獣の咆哮」と実況で述べた手のことである。それほど次に指された康光の33角という封じ手が素晴らしかった。この二手を研究対象とできる諸君は幸せである。この素材はすべて康光が提供したものであった。それが8手目94歩という得体の知れない獣である。ハブはこの珍獣を生で食べようとしたのが「ズーズーしかったか」と言っているわけである。やはり人間としてうしめたいものをハブたんは感じてくれたのかと我々は素直に嬉しい。ワケわかんないモノはまずは焼いて食べようというのが常識である。ナマで食ったらいきなりO157が伝染するかもしれない。日本人は刺身が好きな民族である。刺身で食うのがオサカナに対する礼儀であろう。しかし得体の知れない深海魚はまず鍋に入れて食うものなのである。
そこでこの反省を踏まえ、次回この珍獣にでくわした時、誰がナマで食えるか。やはり焼いて食うのが一番美味いのか、そこを諸君等は人々に示さなくてはならない。


強さのこと 将棋の神様 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月25日(土)22時21分58秒

諸君はハブが勝つと「ハブは強い」とすぐに言うプロ棋士はバカだと思いなさい。このような者は宝石店でダイヤの指輪はやっぱり高いと言うオバサンと同じである。我々の学科にとっては相停滞が欠如した単細胞なので俎上にさえできない。せいぜいが「日本人は5シラブルが好き」と言った音韻学上の興味しかない常套句である。音韻学上では「ハブは強い」と「ハブさんお強い」は1シラブルの違いがあるからである。こうしたことを学びたい者は別な学科へ行くと良い。
そこで諸君らは常にこう考えなくてはならない。「なぜハブは勝ったのか」
それがわからないから「ハブさんお強い」と君も言うのであろうか?
ムーちゃんと泉君はその不精ヒゲを剃ってから入室しなおしなさい。ウジが沸いている。
では始めよう。
ハブはダイヤモンドで先崎は石炭である。先崎は石炭の方が世の役に立つと主張する。一方ハブはダイヤを売れば石炭が買えると主張する。このようなトンマな議論を将棋村では行ってきた。情況を腑分けできないからトンマなのである。ハブは角落ちのハンデ付きなら将棋の神様と下手として互角に戦えると思っている。トンマな証拠である。ハブは将棋の神様には角落ちどころか、飛車落ちでも絶対に勝てない。その両方の大駒がない「二枚落ち」でも将棋の神様に勝てないであろう。なぜならば、将棋の神様の念力でハブは間違いなく悪手を指すからである。それが将棋の神様というものである。だからハブはこのように言うべきだった。コンピューター相手なら自分が角落ちで互角に戦えると。


関西棋界は 投稿者:凡夫  投稿日: 1月25日(土)17時55分14秒

殊更に煽る積りはないが、関西棋界はなんとかせねば。
若い有望な棋士、亡くなった村山や久保が強い相手を求めて関東へ移った。
地盤沈下は関空と同様である。
本部を二つ置く意義は?
この根本を改めて考える要有り。
谷川さん、あなたは今第一人者でなければならない人です。着狙いみたいな棋士生活で関西の代表を気取ってはいけません。


関西の若い諸君へ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月25日(土)17時10分34秒

囲碁関西棋院はもうだめであろう。結城の今日の生放送での発言はテレビ的に死を意味する。結城は二度とゲスト出演はできないが、関西棋院もまた沈没する。関西棋院が沈没すれば結城はまた出演できる。
囲碁界はしっちゃかめっちゃか。こんな実態が将棋と一緒にされては困るのでNHKはずっと武宮を起用していたが、マシュダの一言で武宮もゲスト常連は辞めた。そのかわり翌年タイトル挑戦者になれた。しかし今日の結城発言はあまりにひどい。酒場の愚痴が生テレビにでるようになってはオシマイだろう。関西の将棋界はいかに内藤、谷川、そして阿部の顔で持っているか自覚しているのであろうか。それを西條のような記者が阿部が負けたら有頂天になって阿部の顔に泥を塗るネタをまき散らす。果ては畠山の酒場の愚痴までネタにして谷川をチクル。このような東京ヤクザに媚びを振らねば生きていけない関西の棋士が余りに哀れである。結城はよく言った。しかし将棋界では間違ってもそこまで言うバカはいない。それもこれも関西の先輩棋士のおかげである。従って諸君等はマシュダ一家のように利害が全くないサイトの過激発言のマネをしてはいけない。諸君たちは命そのものである。神崎がペペロンチーノであったり神吉が腰を低くしているのは、棋士の礼儀なのである。東京は成り上がりのバカが多くて困る。読売に便乗してつけあがるだけのバカどものマネはくれぐれもしないように。彼らは飼い犬と思いなさい。阿部は凄まじかった。エースどころか関西の英雄として称えなさい。藤井以後ガチンコとなった竜王戦であったが一昨年は既に裏取引があった。そしてそれをマシュダに暴かれ竜王戦は閉鎖的になったことは諸君等が目の当たりにした通りである。阿部はその八百長竜王戦によくもあそこまで噛み付いた。阿部、そして戦士が次々に壇上にあがる様に涙を禁じ得ない。


石橋幸緒女流三段は最高の解説者 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月25日(土)13時12分17秒

本日の囲碁将棋ジャーナルはマシュダ一家が楽しみにしてた女流名人戦第1局碓井VS中井。
解説は石橋幸緒であった。林芳美を見るために我々はこの番組にチャンネルを合わせるが今日に限って石橋に釘付けであった。これほど完成度の高い解説は加藤一二三以来である。頭の中に完璧に棋譜とその全ての最重要変化が入っている。一字一句計算された言葉でよどみなく棋譜を読み説く。石橋は大変な努力をしている。この番組でもここまでできるのである。今までのだらけた男性棋士陣の物見遊山の解説は怠慢の一言であろう。特に森。コイツは永久にNHKの囲碁将棋ジャーナルから追放してもらいたい。
それにしても石橋の解説はかゆい所に手がとどく。碓井が55同歩と取った場合の変化だが、我々はここで中井はあの手を指すか非常に興味があった。自陣への桂打ちでまず桂損をしてから銀鋏で銀桂交換を狙う手筋である。石橋はわざわざ中井にそれを尋ね即答で自陣桂を打つとの回答。中井が最強女流棋士のはずである。このような手は谷川がやるような手である。そこまで中井のレベルでは読んでいる。それをすべてさらけ出す石橋の読み。石橋はその洗練されたユーモアを含め、間違いなく最高の解説者のひとりである。中村より素晴らしい。できれば次週の王将戦第2局の解説もお願いしたい。


谷川研究会のタコ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 1月25日(土)08時33分09秒

畠山鎮のバカが西條に「プロ棋士は人マネしちゃだめ」と語っているが、貴様のようなヤツは谷川研究会にもったいない。タニー研にはコイツを追い出して阿部を入れてもらいたい。阿部にその気がないのなら、井上と山崎が強制的に連行すべきである。畠山は双子棋士でレースのアナウンサーをやってもらいたい。畠山鎮にはそもそもなぜ谷川が芸人を演じなければならないかわかっていない。流行の戦形で大受けを狙うのが谷川の使命である。貴様のようにせこい手筋は大物には指せない。だから谷川に遠慮して自首しなさい。井上の柔軟性、山崎の攻撃性、谷川のスター性、そこに阿部のドスコイが来れば鬼に金棒のはずであった。それを貴様のような愚痴タレ小僧が邪魔しているのがわからないのか?真面目に勉強してるって?当たり前のこと言うバカはとっとと失せろ。貴様は週に三日連盟に通わなきゃ遅れを取るなどと愚痴をこぼす泉と同レベルだ。