老子批判 無為自然の正体 2002.2.19UP


「激化する生存競争から自己を救い出す道はふたつ。ひとつは生存競争をとことん追い詰めること」

「周囲の欲望に従っているお子様?」

「そうじゃない。愛する対象を競争の中で獲得する運動そのもののこと。ところがそのすべては平均化の社会に吸収される仕組みの中で運動している。そこでそれに気がついたとき、自己を救い出す道は、ひとつしかなかったということを自分自身が知ることになる。一人の王を除いて、真に自己を救い出すにはふたつめの道を選択する以外にない。それがもうひとつの道」

「生存競争から逃げること?」

「それは自己救済にならない」

「正解をどうぞ」

「平均社会からの例外者となること。それが老子の教え」

「解釈を」

「例外者は愛する対象をたったひとつと定める。そして愛する対象には競争が成立しないことが条件。俗世間では女房を立てるやりかたに象徴される」

「競争が成立しないことが条件?競争がなければ運動しないでしょうに」

「競争する運動は差別化を促すが、実は平均化を理想とする。名人は独りだが、周辺には様々な花が咲く。この花園にまく水は平均化される」

「でも競争で貧富の差ができるんじゃありませんか?」

「そう。だからその差を縮めるために金持ちからは税金を沢山取って、貧しいものからは税金を取らない」

「それは経済的な均衡だけでしょう?」

「いいや、競争は心の均衡もおのずと引き起こす。金持ちは資産を守るために心を費やし、貧しいものは軒先の花を見て心を費やす」

「軒先の花を見て?」

「どちらも心の均衡を計ろうとして工夫をしている。モナコに豪華クルーザーで乗りつけて、いかに趣味のよい金持ちかを競う人々も、軒先の花を見て安煙草を吸う人も、心はひとつしかない。その心が平均化を求める。全ての人が心の平均化を実現できた国では、政治家は存在感がない。そこには役所しかない。老子はこれを無為の治世と呼んだ。最も優れた君主の元では、国民は君主の存在さえ忘れる。それが自然ということ」

「現在の日本にあてはめると支持率が低ければ低いほど優れた君主ということですかね」

「支持率がゼロというのが最高の君主。支持率が10パーセントなら、最低の君主。国民はその君主に侮蔑の念を抱くだけ。それが老子の教え」

「支持率がゼロという君主が存在しえますか?」

「最高の君主は支持率を必要としない」

「天皇?」

「アラヒトガミはかつて好戦的な荒御霊を顕在化する試金石となった」

「天皇の支持率は調査されませんしね」

「いいや、天皇の支持率は調査されている。天皇関連の番組の視聴率がそれだ。ワイドショーで天皇を扱うと、視聴率は常にダントツでトップ」

「天皇にも支持率があるんですね」

「天皇を認めない人も1%以上はいる」

「とすると支持率を必要としない最高の君主とは誰ですか?」

「それは心にひそむ王だ」

「そんなこと言っていいんですか?」

「なぜだい」

「鳥取の女工さんたちはそんな言葉に納得できませんよ」

「いきなり鳥取に俺を飛ばすのか」

「花の女学生も終えたばかりの15歳で工場勤務、二人の子供を育てながら20年間も仕事をしてきた因幡さんが今職場を追われようとしているんですよ」

「過渡期だからね。モダンタイムスみたいなベルトコンベアー式に半べそかいてこだわっていたから、中国に抜かれてしまった。今後は屋台方式で一人が自分の責任で一個の商品をイニシャライズして生産するCANONの取手方式が主流になる。それをしないと在庫が残り、人が切られる」

「自然にそうなるということですね」

「自然にそうなる。低賃金の中国と同じ生産方式では同業種が生き延びて行けないのは当然」

「因幡さん、かわいそうですね」

「大国さんがキリタンポを背中にぬってくれるよ」

「大国さんって?」

「心にひそむ彼女の王」

「そんなもの因幡さんは信用しませんよ」

「ならば自分の分身を王にするしかない。実は戦後の女たちは、最近まで自分の分身を王にして自己を救いながら閉塞した社会を生き延びてきた」

「女の分身?自分の旦那だけを愛したということに救いを見いだしたんですか?」

「旦那をとことん愛するということは、旦那を自分の分身にしてそこに最大の信頼をおくということ。 ところが旦那は先に死ぬか浮気する。そこでヘソクリためながら、女は次の分身を最初から用意する」

「子供ですか?」

「子供も自立して母元を離れる」

「果ては学者か大臣かという母親の欲望も絶ち切られるんですね」

「そこで最後の分身が復活する」

「最後の愛すべき対象ですね」

「秘めた球根」

「意味は?」

「また花を咲かす」

「隠し球で毎年花を咲かせるんですか?」

「それが生きるための自然の知恵。最高の善は水のごとし。これも老子の教え。水のように男から男へと流れて行く女は善そのもの。ところが水は本来なら自己主張しない」

「球根は条件をだすんですね?」

「花咲かすのに水くれって言っただけ。しかし水の量が多いと球根は腐る。やがて金なら腐らないことに気づく」

「どうしてああなっちゃたんですかね」

足るを知れば辱められず、止まるを知れば危うからず

「解説お願いします」

「満足していれば、人に辱めをうけることはない。その先を望まなければ、バチがあたることもない。これが老子の言葉だ。こんな処世術がとても宇宙哲学とは思えん」

「いよいよ老子批判ですね」

大道廃れて仁義あり

「それも老子?」

「そう。仁義が必要なのは道が荒廃しているからだ。理想社会には仁義も道徳もない」

「村は理想社会ですかね」

「大道あって仁義なしを地で行けばね。だがそれは村だけで通用する論理。その大道は、一歩外に出ると不道徳のレッテルを張られる。だから村での最高の金言は、井の仲の蛙たれとなってしまった」

「口が固くて尻が軽い女が好きと?」

「阿呆に限って、老子を引用する。真の知者は知をひけらかさないとね。ところが老子はこのような批判をも期待して、自分は暗愚だと言った。自分だけが人々から離れ、自己主張を放棄して、母なる自然に帰ると言った」

「その真意はなんでしょう?」

功遂げて身退くは天の道なり

「仕事終えたらさっさと引退しろ?」

「ところが天の仕事には終わりがない。ひとつを極めたら、もうひとつ。俺ならこう言いたい。天の道には功を遂げ得ることは有り得ない

「じゃあ、功遂げて身退くは天の道なりって嘘?」

「天の道とは宇宙観。 老子はこの宇宙観を見極められなくなってチョンボしただけ。自分は暗愚だと言ったのはその通りとしか思えない。時代の制約。ところがこの天を、人間社会と解釈すれば今も通用する。世間では天下りなどせず隠居しろと読み替えている。従ってこの老子の言葉は処世術でしか残らなかった」

「それじゃいけませんか?」

「そんな処世術は容認しがたい。世の中で功遂げて一線を退いた者たちをみてごらん。功遂げれば遂げるほど居すわりつづけようとし、例え隠居しても過去の栄光を枕にして発言権を得ようとする。実際は人々は彼の枕しか見ていない。それで枕が古いですねと批判を受けても、私は暗愚だと老子の振りをすれば済む精神構造」

「ではどうすれば良いのですか?処世術はそれでも必要でしょうに」

「処世術で言うならば、 全く逆に、功遂げる前に身退くは人の道なりと言うべきだ。そうでないと人は傲慢になり、それを浄化するために弁解するはめとなる。与党総裁がその典型。自浄努力などというはめになる。老子にもそれがわかっていたが、彼はそれをわかるのが遅すぎた。だから真実であるべき言葉が自虐になってしまった」

「真実であるべき言葉?」

「老子は真実の輪郭を語ったはず。対立しながら運動する道の法則は、有という万物流転に存在するが、その有の根源は無為自然、無知に至るはずと。ところが、その無為自然の正体がわからなかった。だから処世術となる。消極を守れば、運動する道の法則は、おのずと積極になるという言葉、これを分析するべきだった」

「どのようにとらえるべきだったのですか?」

「音が無限に広がる構造を彼は示唆した。だがそれ以上の分析が出来なかったために、そこから派生した言葉は、万物流転の処世術としての響きしか持たなかった。与党総裁が男らしくないという批判を受けているのはそういうこと」

「でも細く長く生きるのが自然ってことでいいじゃないですか」

「そういう人生観が処世術。ところがそれは実際は不自然。そういう宇宙観はダイナミックな意識を疎外する」

「でも無為自然の正体ってなんですか?」

「宇宙が膨張を開始する以前の状態」

「そんなことわかるんですか?」

「誰にもそれは球根として残っている」


閑話休題

「時間ですよ。午後の国会中継が始まりますけど」

「今坊やがクレヨンしんちゃん見てる」

「国会中継はクレヨンしんちゃんより大切ではないんですか?」

「大人より子供の頭脳が大切に決まってる」

「国会中継を妖怪大決戦とか言って見せたらどうですかね」

「それでもクレヨンしんちゃんの方が大切に決まってる」

「クレヨンしんちゃんの家燃えたそうですね」

「しんちゃんパパが家のローンがあと30年もあるのにって嘆いていた。今は借家暮らし」

「誰が火をつけたんですか?」

「しんちゃんが台所でガスが充満しているのを知らずにライターつけたら燃えた」

「よく知ってますね」

「知らない方がおかしい」

「しんちゃんママの責任ですかね」

「女のせいにするな。彼女も国会中継に夢中になっていた。アニメが世相を反映しただけ」

「サザエさんの家は燃えませんでしたものね」

「そりゃそうだ。真相究明すると雑誌も放映も三回で終了する時代だった」