A級順位戦2002.2.7 相矢倉戦
加藤一二三VS羽生善治
一大曼陀羅都市-ペガサス殉死
矢倉24手組
摩修陀談2002.2.14. UP2002.2.15.17:00
「加藤羽生戦です」
「加藤羽生戦では一局とて醜い局面がない。終盤の混戦になってもね」
「なぜでしょう?」
「加藤一二三のおかげ。羽生は相手次第でひどく醜い将棋を指す時もあった。一二三相手だとぎりぎり踏み込む」
「やはり加藤先生相手では緩手が通用しないと?」
「緩手の途端に逆転される。一二三は常に最強手しか指さんからね」
「加藤先生の怖さはA級で指してみないとわからないと羽生さんも言っているようですが」
「それはお世辞ではない。心底恐怖感を抱いておるはず」
「最初の対戦はあの奇跡的なNHK杯戦でした」
「あの時は羽生が五段と思って血が固まったんじゃね。二ヶ月後の対局では一二三は羽生を短手数でねじ伏せた。その次も一二三は大逆転勝ち。羽生を育てた天敵がまだA級にいるというだけで感慨深い。この二人の対局があと何局見られることか。羽生がA級にしばらく居る意味があったとすればこの加藤との対戦。実に貴重」
「では棋譜を見て行きます」
「おお!矢倉24手組!」
「理想型ですか?」
「将棋という肉体を最も酷使する。穏健派には懐かしいと映る」
「矢倉は急戦もありますが」
「24手とは双方12手の対応。一手一手に相手が反応してその間の変化は無数。それをひとつひとつ試す演繹法では懐古趣味にしか映らんと言うこと」
「文学に例えると?」
「ロマンではなくポエム。しかし比較にはならんね。矢倉が純文学という比喩は骨董屋のセリフ。比較するならまだしも音楽と科学」
「この24手めまでが完成された形ならそこから将棋を始めたらいかがでしょう?」
「そう。その問題に誰も答えられなかった。純文学と比較したノンベンダラリ派が主流ではね。先手の利を確実に維持するための駒組みがこの矢倉24手組。中原米長は直感的に悟っておるよ。自分達が何をしたか全貌を把握しとらんだけ」
「飛車先を突かないのが棋界の主流となったのは?」
「森下システムの影響。あの研究の鬼が新たな可能性を掘り起こし実践で証明。居飛車党の標的にされた挙げ句、後手の雀刺しにアキレス腱の弱点を切られた。記念碑として残ったのが飛車先不突き」
「島先生のなぜ飛車先を突くのかという問いに対して、加藤先生はなぜ突かないのか不思議との返答ですが」
「7手めに加藤一二三はなぜ飛車先を突くのか知りたい?」
「教えてください」
「後手が二手めに飛車先を突いて5手めに77銀で角道を止めたから」
「もっとわかりやすく」
「7手めの26歩が小細工のない先手の最強手と言うこと。加藤一二三の飛車は決して眠らない。だからヒフミンと呼ぶ」
「飛不眠?」
「この7手め26歩によって後手は16手めに52金と指す。もし飛車先不突きなら別の手が後手に生じる」
「それで24手組ですね。先後全く同型です」
「恐らく将棋で最も美しい形。ここまで二人で壮大な交響詩を演奏した。しかもこの形は巨大なアポジャトゥーラ。主題そのものの露骨な提示ではなく、主題を誘引する音塊。魂さえ誘惑する神のため息。霊峰に登頂直前の前夜」
「いくつもの違うルートがありながら同じ頂上に着くと考えるのは?」
「24手組は同じルートを辿る。このルートを知悉した者同士なら、二人のピアニストが半音階練習を行っているのと同じ」
「12鍵盤で指慣らしですか?」
「どの世界のプロでもアマでも誰でも行うのがカラダ慣らし。バレエならバーレッスン。そこに全ての基本と展開する世界の縮図がある。加藤が強靭なのは基本を常に練習するから」
「24の平均律曲集と考えるのは?」
「そりゃ旧約新約聖書との比較と同じで懐古趣味。もっとシンプルにそこに全ての音の変化が封じ込まれていると考える」
「そこへ24手めの局面が過去の大伽藍を背負って出現するわけですね。指ならしが交響詩主題の演奏も兼ねていたと?」
「いや。指ならしの間に全ての可能性が音として暗黒世界に響いていたということ。もしルートを外れると別な次元に入り込む。世界は10次元以上あるからね」
「盤面がそれを反映しているのですね。しかし別の次元に迷い込んではいけないのですか?」
「霊峰に向かう憧憬は人間が感じる美的直感の問題として以外、現在は処理し尽くせん。この美は生きている人間が感じる美。そしてそこには他次元に連鎖する見えない響きが巣くう」
「その直感を棋士が信じて今日まで指し継がれてきたと?」
「ひとつの確立された局面は美しい。一方の雄が角換り腰掛け銀の先後同型。それは血にまみれた。まだ強靭な美を誇るのはこの矢倉24手組。この局面は芸術以上かもしれんね」
「極論では?」
「この24手組の局面を見る度にそう感じる」
「美と科学の融合ですか?」
「無数のサウンドデザイナーが結集して描いた一大曼陀羅都市の予感。その予感に震えるのが人間の魂」
摩修陀 談2002.2.14. UP2002.2.15.17:00