UT効果 2002.01.07.19:30
「UT効果ってなんですか?」
「あえて日本語にすれば広義で標題効果。狭義には字幕効果。額縁効果の範疇で使用される最も代表的なエフェクト。字幕効果は前世紀無声映画で行なわれた手法として顕著。国立劇場の歌舞伎まで字幕表示をするようになった。話し言葉を文字言葉で目で確認すると、より理解しやすい」
「将棋でいうと?」
「ナントカ流というのがそれ。その一言で棋風を表す」
「ナントカ流とつかない人はかわいそうですね」
「逆。UT効果に身を浸した者は茨の冠をかぶるのがUT効果論の結末。生涯そのナントカ流に悩まされる。光速流が最大の被害者。この名前さえなければ、谷川浩司は羽生善治にかくも負け越すことはなかった。時には先月の対井上戦でみせたような鈍速の寄せで名人位も保てたはず」
「中原大名人はあまりナントカ流と呼ばれませんね」
「自然流という名前で余り呼ばれなかったのは、修羅場の深淵を棋界で最も良く知っていた棋士こそが中原誠だからだ」
「羽生善治にナントカ流とつかないのもそういう理由でしたか」
「そう。羽生マジック程度で命拾いした」
「泥沼流は?」
「それは中原誠が米長邦雄に付けた名前。米長の本質をえぐり出す名前だった。泥沼とはサンスクリットが語源でスラムのこと。それは死臭漂う退廃美をも意味する。修羅の底まで見た中原でなければこういう名前は思い浮かばなかっただろう」
「淡路九段は羽生さんに勝ち越していたと思いますが」
「唯一の例外は不倒流という不定詞がつく名前」
「自在流は?」
「内藤國雄はその名のごとく芸術家に撤する。耽美主義ながら勝負事が嫌いと弁明するのが茨となる」
「UT効果は最近ですか?」
「有史以来。狭義でいうなら言葉のUT効果は聖書が顕著。視覚的なUT効果は中世以前の絵画にもある。マンガの風船文字と同じことをイコン画でずっとやってきた。今ではテレビでも多用される。 UT効果は文字を視覚化することでさらに言葉を脳に浸透させる」
「表意文字のせいもありますか?」
「英語のニュースでも字幕をつける番組がある。文字の種類を問わず、書き言葉には意味を想起させるパレルゴンが付着しているから、 UT効果がいっそうひきたつということ」
「パレルゴン?」
「本質に付随するものというギリシャ語。認識学ではお前の肉体は、パレルゴンとしてしか認知しえない。その言葉を聞くとき、俺が話した言葉がUT効果として認知されているのはそういうこと」
「具体的に」
「例の犯人は狂人とレッテルが張られる。これがUT効果の最もシンプルな形。殺された子供にはレナちゃんとかの名前があった。これもUT効果。これらは、不確定の対象に共通のイメージを呼び起こす名前、すなわちティトロスをつけられることによって、輪郭をあたえられる」
「ティトロス?」
「ギリシャ語で標題という意味。一言で説明できる言葉に集約しようとする運動方向を持っている」
「ファイルに標題をつけて管理するようなもんですね。UT効果で死生観が養われますか?」
「子供を殺した者は通り魔と名付けられる。子供を殺された親は、被害者の親と名付けられる。そこまでは現行のテレビでもやる。ところが被害者の親の気持ちは字幕で強調されても、その悲しみを一言で表現すると、形容詞になってしまうのは、なぜだ?悲しむ親の横に字幕で、嘆きの親とティトロスで表示しないんだよ」
「だって悲しんでいるのは映像で一目瞭然でしょ」
「そこだ。テレビはそこでその本質が大衆芸能でしかありえないことを露呈する。テレビ人は自分が絶対に批判されない立場に身を置いて、大衆が抱くサスペンス心理を煽る。親はこんなにショックを受けて嘆き悲しんでいますって、その姿をみせつける」
「ご丁寧に音楽までつけてとことんショーにしてますよね」
「そしてしばらく経つと、週刊誌の広告には、でかでかと、嘆きの親とティトロスがつく。ナマの嘆きが減少したんで、あの時の嘆きを再現するために言葉に集約する行為を標題効果という」
「そこで標題効果ですね」
「さてもしも、殺人当日に嘆きの親というテロップをテレビ画面につけたらどうなる?」
「それって血も涙もない者がやることでしょ」
「そう。それは神様達がやってること」
「なるほど。血も涙もないでしょうね」
「神様達は地上で起こる出来事が多すぎるから、いちいちテレビを見てる暇はない。そこで嘆きの親と一言文字ニュースで見る。その一言で嘆く親の顔も見ずにすむ。これが標題効果。敷延してUT効果となる」
「テレビでなんでいちいち殺人者の顔うつすのでしょう?しかも実名つきで。神様はそんなものいちいち覚えてくれないでしょうに」
「テレビを見ない自由は誰にでもある」
「みんな見てるものを見なくてはこの国では疎外されるんでしょ?」
「そういうものを見なくてはいけない国をどう思う?」
「それを楽しんじゃえば?」
「それしかない。あれは実況付きの殺人ショーだったということだね」
「それって、心の底でだれもが思ってるんですか?」
「現実は怖いが、その恐怖を仮想で楽しむ自由は保証されている。だが神様たちは現実の恐怖さえ楽しんでる。だから平然と一言で済ます」
「嘆きの親って一言で?」
「明日は我が身と言うが、人は誰でも死ぬ。人は悲しんでいる暇さえないはずだった」
「生きてるうちに楽しまないと?」
「それを主義にすると喜歌劇になる。殺人者にも独房で眠る権利はあるね?」
「寝なきゃ死んじゃいます」
「食べる権利もあるね?」
「食事くらいあたえられるでしょ」
「考える権利もある」
「それは誰も阻止できません」
「それは生きる権利があるということだ。それでは世の人々が困るから死刑にする」
「恨みもあるんでしょうね」
「彼は死刑に値する犯罪者というティトロスが与えられる。ところがよく見ると、刑も犯罪も解釈可能な人間の言葉だ。死だけが解釈不能だ。死というのは絶対ということを意味しているね?」
「人は誰でも死ぬ=絶対ですかね」
「そこで最後に墓場。ここで法名がつく」
「僕はどうなりますか?」
「お前は産まれついて法名を背負った。俺たちは死んで法名がつく。順番が逆だろ?」
「なぜでしょう?」
「生まれてから教会税を毎年納めるか、死んだとき一括して寺に法名料を納めるかという違い」
「地獄の沙汰も金次第?」
「誰でも経済学の棺桶で間引きされる。葬式も墓場も同じフォーマット」
「生命のフォーマット化は随分変わってしまったんですよね?」
「ライフスタイルが相転化しただけ」
「セックスのやり方は?」
「UT効果は、生命がどういうものか把握するために必要な言葉だった。誰も使用していないが」
「セックスに関係あるんですか?」
「大アリ」