「意味のある人生」



私は
「全ての物事を最短の手順で効率良く、無駄の無い様に行ないたい。」

そう言うと
「そんなこと言ってないで常に一生懸命がんばれ!さぼるんじゃない!」
というヤカラが多い。

バカじゃないか?
無駄なことを一生懸命やっても意味がないじゃないか。
非効率な方法で時間と金と労力を無駄に浪費したほうが偉いだと?
がんばるから偉いんじゃない、意味のある行動を積み重ねることが重要なのだ。
実のない努力はどんなに数を数えても、それはいつまでたってもゼロなのだ。

しかし、私が大学を卒業して大手の企業に入社して解った。
世の中はまったく私の理想とはうらはらだったのだ。

仕事の出来ない社員がいる。
まったく出来ないわけではないが
出来る人に比べて非常に仕事の効率が悪く、無駄な時間の浪費が多い人だ。
こういう人のフォローは出来る人がやらなくてはならない。
しかし、会社というものは時間で給与が支払われるので
出来る人も出来ない人も給料としては同じだ。
もしかしたら、仕事が遅い分出来ない人の方が残業代とかを多く貰っているのかもしれない。

はじめはこのシステムに憤りを感じたが
しばらくして、仕方の無いことだとわかった。

全てのシステムをキチンと仕事の出来る人間ばかりがいるとして組み立ててしまうと、一人でも間抜けな人間が入ってきてしまったとき、とたんに全てが狂い破綻してしまう。
つまり、このような大きな会社になればなるほど、人数は必要だが、それだけの数優秀な人間が入るとは限らないし、それぞれの仕事に合わない人間もいるだろう。
しかし、そんなことで崩れてしまうような会社ではダメなのだ。
ある程度ダメな人間がいても、その機能を損なわない様になっている。
ある意味現在の会社のシステムというのはよく出来ていると言っていいだろう。

しかし、私は直ぐに会社を辞めた。

人生を効率良く、無駄の無い様に生きるには
他人の尻拭いで時間を奪われるのは得策ではないと思ったからだ。

だけども、それでは無職だし、生活のお金はどうするの?
そう君は言うだろう。
ヒントはその会社の無駄な人間にあった。
会社は無駄な人間が居てもその機能が衰えることはない。
つまり会社というものは無駄な人間に給料を払える余裕があるってことだ。
無駄な人間というのは、仕事の出来ない人間のこと。
この点を突き詰めてゆけばいい、
簡単なことだ
結論として
「働いていない人間にも給料は支払われる」
と言うことだ。

働いていない人間?
それっていないのと同じじゃないの?

そう!その通り
私は架空の人間を作り会社のデータベースの中にだけ存在する社員となったのだ。

一ヶ月経っても
二ヶ月経っても
半年が過ぎても
2年が過ぎても
誰も気が付かなかった。
そして毎月給料は滞り無く振り込まれてくる
さすがに出世はしなかったが
夏と冬にはボーナスまで転がり込んできた。

私は人生を有意義に過ごした
自分のやりたかったことに没頭した
今まで時間がなくてやれなかったことを
ゆっくりと時間をかけて楽しんだ。
ふと、空の色がこんなにも毎日違うのだということを思い出し愕然ともした。
あのころ空はいつも同じ色だったのに。
意外とお金のかかる遊びはしなかった。
時間をかける遊びをするようになったからだ。

そして私の架空の人間はその数を増やしていった。
大きな会社ほどその存在に気付かない
その人物はほとんど平社員で一人一人の給料はそれほどではないが
さすがにこの人数になると凄いことになってきた。

私はその金を使って募金を始めた。
人生を楽しむのにそれほど金はいらないとわかったからだ。
たとえば100円の募金で5人のワクチン予防接種が出来る
100円で5人が救えるのだ。
私は一人分、20万円くらいの給料を毎月その募金に振り込んでいる。
私は毎月1万人の命を救っているのだ。
あはははははは、これだ。
無駄な人間に払った、無駄な金が最短の手順で有効に使われた。

えっと、それでだ。
君がもし会社で仕事の出来ないクセに給料を貰っている人間だとしたら?
それは毎月1万人の人間の命を奪っているのと同等なのだ。
なので、いなくてもいいんじゃない?
かわりに私が募金しておいてあげますよ。



そしてあれから数十年が経っただろうか?
私の架空の人間の一人が定年退職を迎えた。
そうすると面白いことが起こったのだ。
彼はもちろん立派な会社員なので健康保険、労働災害保険、各種保険料金もしっかり自分の給料から天引きされ「支払っていた」
もちろん国民年金もだ。

一生懸命がんばったご褒美に、年金は滞りなく支払われ続けた。



わーむほーる