ディエロン

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キィィ。
扉の開く音。
「ここは?」
小泉愛子は尋ねた。キルラは答える。
「そうだねここは病院かな?まあ正確には元病院だったというべきか。」

そこはキルラの家から少し離れたところにあるレンガ造りの小さな家だった。部屋の中は少しホコリかぶっていたが様々な書物やたぶん医療機具だと思われる、そんなものが整然とあった。
「これが何か私と関係あることなの?なんだかあなたたちの部屋とはかなり違う雰囲気だけど。」

「んーそうだね。ここに住んでいたのは愛子と同じようによその土地からやってきた人なんだ。彼は一年ほどここにいてある日突然出て行った。何故出て行くのかは何も言わずにね。」
「ふーんそんな人がいたんだ。」
「うん、彼は沢山の知識をもっていてね。この村には医者はいないからその知識で医者として生活していたんだ。だけど実際には他にいろいろな研究をしていたらしい、その研究でなにか結果がでたからココを出て行ったのかもしれないけど。」
ふと、愛子はその暗がりの中で一枚の肖像画を発見した。油絵のようだ。
「ねえ、あの絵・・・。」
「・・あぁ、そうだよ。あれが彼だ。リー先生。僕らはそう呼んでいた。」
リー先生。愛子のなかで一人の人物が浮かんできた。まさか私の知ってる彼と同一人物なわけはないだろう。そう思うが、どうも引っかかる。
「李・白栄」
そう彼とはもう何年もあっていない。最後にあったのはいつだったろうか。私がまだ学生だったあのころ。そうあの絵のように穏やかな目をしていた。

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数年前、小泉愛子はまだ大学生だった。大学は医療心理学を学んでいたが、まだ一年生ということもあってそれほど専門分野の勉強は始まっておらず。少し退屈な生活が続いていた。

「ん〜終わった終わった。」
今日最終の授業の終わりを告げる鐘の音。
ばらばらと家路に帰り出す学生たち。
その中で彼、李・白栄(リー・ハクエイ)はぼんやりと外の風景を眺めていた。
彼とは実験とかでたまに一緒になるので少しは話すこともあった。が、なんとなく他の学生とかとは違う雰囲気がしていた。大学に入ったのは遊びにきたわけじゃないと言う感じだ。しかしまったくのガリベン君といったわけでもなく遊びもほどなくこなすし友達もそこそこいるようだった。愛子にとってはなんとなく変なヤツといった印象をあたえていた。

「ねぇ、李くん。なにやってんの、帰んないの?」
「ん・・ああ、小泉さんか。今日はちょっとね、大学病院の方に遊びにいくから、それまで時間あるんでね・・外の景色見てたんだよ。」
と、また李は外の景色をぼんやりと眺める。もう日は暮れかかっていて夕日が校舎と校舎の間から見える。
「ふーん、おもしろいの?」
「って何がさ。」
「外の景色。」
「小泉さんは見たりしないの夕日?」
「そりゃたまには見ないこともないけど、そんなにじっくりは見ないなぁ。」
「そりゃあもったいないね。あのね夕日は空気の温度、湿度や密度それとここらじゃスモッグとかで毎日一度として同じ夕日はないんだよ。今見てるこの景色はもう二度と見ることはできない代物なんだぜ。」
と、李はホツホツと話した。
「ふーん、でもやっぱり変だね李くんは。」
「そうか?毎日アスファルト眺めて登校してくるヤツよりはマトモだと思うけどな。」
「やっぱり変。」
「なぬ〜。・・・・っと、もう時間だ。んじゃね、また。」
「じゃ、・・・・ってどこ行くんだっけ。」
「大学病院の精神科だよ、ちょいとそこに知り合いがいてさ。興味深い患者がいるから見にこないかって話。あっそうだ、小泉さんも来る?まぁ興味があればだけど。」
精神科の患者にそんな見ず知らずのものが行ってもいいのかしら、そうは思ったが彼の言葉に愛子はかなり興味をそそられた。退屈な一般科目の授業に退屈してたところだ。いっちょ行ってみますか。
「そんなの私とか行っていいの?ていうかアンタも?」
「いいの、いいの。行ってみりゃわかるよ。んじゃ来るんだね。それじゃ行きましょ御一緒に。」

病院内。小泉愛子と李白栄はマジックミラー越しに一人の患者を見ていた。
色白で線の細い印象を受ける一人の少年がいた。
彼は今でいうところの「ディエロン」タイプの妄想者なのだが、このころはまだ、その妄想は今ほどに広がってはいなく病院内でももの珍しい存在だったのだ。もしかすると彼が始めての発病者かもしれない。

「ディエロンはね。とても楽しい世界なんだ。太陽は暖かだし、景色はきれいで・・・。」
少年は医師相手に自分の見ている世界について淡々と話している。
始めはどこかつかみどころのない、よくある妄想なのだと思って聞いていたが、話聞いているとその「ディエロン」と言う世界を事細かに少年は話していくのだ。その世界の草の種類や、その世界独特の風習までも。

しばらくして李君の知り合いだという医師が出て来て
「いや実際のところよくわかってないんだよ。」
と言って頭をかいていた。彼は李君と少し話をしていたが「もう今日はこれでおしまいだよ。」と言って少年の部屋にもどり少年を彼の病室に連れて言った。

「ねぇ、李君。なんだかわかった?妄想癖なのかなぁ〜。」
李君は少し目を細めジッと何か考えていたようだった。
「・・・・・・・ん?・・ああそうだね。よくわからないね。でも・・・・・人間も夕日のようだね。」
「・・・・・・?」

ニンゲンもユウヒのようだ。あの時、李白栄はそう言ったまま黙ってしまった。
それからしばらく李君は学校に来てたまにしゃべったりするけど、何かに取り組んでいるようだった。

大学に長い夏休みがきた。楽しい時はすぐ過ぎる。夏は終わる。

大学に来て友達から聞いた。李君が学校をやめたらしい。理由は誰も知らなかった。
それ以降、私は彼に会うことはなかった。

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