生命の星(第5回)
〜学校〜

 

鈴原さやかは高校2年生。今日もただ学校に行って、とりあえず勉強のようなものをして、友達とたわいもない会話をかわす。将来の話しや悩みなどは話しているようで実のところ自分の本心は絶対に話さない。でもそれで別にいいと思っている。そんなもんだ。
世の中の悪いこともテレビで流れている間、人々は怒ってはいるが、別に何をするわけでもなくテレビの前にいる。だから何も変わらない。だけど人々はまた怒る、永遠に。
最近はみんな怒ることが好きなんじゃないかと思える。怒ることでストレスを解消している人が増えた。楽しいことしてストレス解消できる人が減った。この人は楽しみの人かな?と思っても勘違いなときが多い。本人は笑っているのにまわりの人の笑顔からピリピリした感覚が漂っていたりする。 なんだろう、この世界は・・・。私もこんなことを考えてるだけで何もしなければ彼らと同じだ。信じられないことだが私も年をとる。そして確実に大人になる。
「ねぇ!さやか、さやか!聞いているの!」
「えっ?何?何か言った?則子。」
一時間目の授業が終わった10分の休み時間。親友というかまあ友達の高原則子が話しかけてきた。
「もう、さやかは夢見る少女なんだから。」
夢見てるわけじゃないんだけどな。則子は他の子と比べるとわりとストレートな喋りかたをするので好きだ。
「それでなんの話しなの?」
「そうそうチケット手に入ったのよ!ルーシーの、行くでしょ?さやか。」
「うそ!ルーシー・テラ・ナティー?もう売り切れたんじゃないの。どうしたのよ則子。」
「ふふ〜ん。ちょっとしたコネがあってね。」
高原則子は自慢げに答えた。そういえば彼女の姉がたしか芸能関係の仕事をしていたんだと思う。一度あったことがあるが則子とは違って落ち着いた感じの人で知的な雰囲気を漂わしていた。こんなこと言うと則子には怒られるな。則子には則子のいいとこがあるんだけどね。
「へーでもすごいじゃない。私行くよ、絶対。」

ルーシー・テラ・ナティー。彼の曲は映像と重なるとさらにすごくなる。ライブはすごいらしい。
私はすごく興味がある。彼の曲はすばらしく心地よい。
私は趣味でシンセサイザーで曲を作るのだけど。おどろいた。彼の曲は譜面の音符ならびまでもが美しいのだ幾何学模様のように整然と数学的にならんでいる。繰り返し繰り返し一定の組み合わせが別の組み合わせとかさなり、大きなうねりとなってさらに大きな流れを作り出していく。耳が音を拾うたびに私の体はその流れにひきずりこまれていく。
彼の曲を聞くとき私は目をつむる。そうすると感覚のすべてが彼の歌に、音にひきこまれていく。イメージに世界が広がる。私が今、部屋にいて、椅子に座りCDを聞いているという現実が希薄になっていく。そんな彼のライブだ。すごくないわけがない。

噂は大量に流れている。
ツアーが進むごとに観客の中に失神する数が増えているらしい。
ライブを経験した人は奇妙な感覚を体験しているらしい。
意識が飛んでいく感覚。ルーシーにつつまれる感覚。心の安息。おだやかな気持ち。満たされる心と体。
しかし、それは音が消えるとともにルーシーの声が消えるとともに元に戻る。不自由な体、わずらわしい人間関係。
そして人々は彼の歌の代わりになるものを探し出そうとする。
人間がこの世に生まれてからずっと感じている孤独のようなものを取り除く方法を。

第6回に続く
むにに〜んももも〜ん