「古典部」の既刊情報&感想
著者 米澤穂信 レーベル 角川書店/東京創元社

表紙画像のリンク先はbk1です。

氷菓 タイトル 氷菓
初版 2001/11/1
ISBN 4-04-427101-1
感想 この作品は単純に謎を解くことがテーマの作品ではないような気がしますね。 ミステリーにおける謎というのは大抵解かれる前提にあるものですけれども、 探偵役の奉太郎にとっての最大の謎とは、 解かれる保証のない「事件の推理を通して古典部へと参加して行く自分自身」じゃないかな、と。
探偵というのは観察者ですから、事件を客観的に見なければいけない訳で、 となると純粋な探偵は事件から影響を受けてはならない存在だ、と私は思うのですが、 奉太郎は全然そんなことがありません。 事件そのものからも影響を受けていますし、また古典部による謎解きという行為にも影響を受けています。 ミステリーを大して読んでない私が言っても説得力もなにもないのですが、 普通のミステリーが見失っているかも知れない人間らしさがこの作品にはあるんじゃないでしょうか。
もう何冊か読んでみないとはっきりしたことは言えませんが、 米澤穂信さんが描こうとしているのは、ライトノベルによくいる成長しないキャラでも ミステリーによくいる(らしい)成長しない探偵でもなく、「成長し、変化する人間」のように思えます。(2006/5/31)
愚者のエンドロール タイトル 愚者のエンドロール
初版 2002/8/1
ISBN 4-04-427102-X
感想 これは!事件自体がマルチエンドだということですか?
本作は「事件=作中の映画」にして、さらにそれを未完成の状態で登場させることで 「本来の事件の結末」と「古典部が関わったことによる結末」を別々のものにすることに成功しています。 素晴らしいアイデアです。
この「古典部が関わることで事件の結末が変わる」というのが古典部シリーズのミソですよね。 探偵が事件に影響を与え、事件が探偵に影響を与えてしまいます。 それによって「本来の結末」は失われて、挫折感と喪失感を受ける訳ですが、 これは「事件に関わったことによる新たな結末」を作り出した達成感と表裏一体でもあるのです。
この作品構造は、ミステリーと成長物語を両立させるのにうってつけだと思います。 捜せば前例があるかも知れませんが、米澤穂信さんの技術が高いことも確かでしょう。 これを売ることができなかったとは……角川スニーカー・ミステリ倶楽部は何をやっていたのでしょう。
あ、あと何故劇場の中央が吹き抜けになっているのでしょうか。 あそこからホールに登り下りすることは不可能なのでしょうか。わたし、とても気になります。(2006/6/6)
クドリャフカの順番 「十文字」事件 タイトル クドリャフカの順番 「十文字」事件
初版 2005/6/30
ISBN 4-04-873618-3
感想 スニーカー文庫でなくなってしまった3作目が一番スニーカー文庫らしく楽しいんですが。(笑)
構成はかなり凝っています。 小さな事件一つ一つが面白いですし、そこで蒔かれた伏線が一つの大きな事件へと収束していくところも見事です。 トランプのマークを使った視点の切り替えも良く出来ています。 この視点において、奉太郎はやっぱり他の3人とは役割が違っていますね。 他の3人はキャラクター、奉太郎だけはプレイヤーという感じ。 それもトリックスターとか探偵と言った観察者ではなく、 あくまで自分もシナリオに参加し、シナリオを変えていき、自分も変わっていくプレイヤーです。 脚本家と言った方が良いかな? 例えば料理バトルで、他の3人が苦戦する流れを変えるのは小麦粉を投げ込む奉太郎です。 そして「十文字事件」で摩耶花が辿り着けなかったシナリオに到達し、最後にそれを改変してしまうのも奉太郎です。 自作自演は反則だって?そう、探偵としては反則でしょう。でも脚本家としてはOKなのです。 奉太郎は事件を辿る探偵ではなく、自分の事件へと創り変える脚本家なのですよ、きっと。(2006/6/27)
遠まわりする雛 タイトル 遠まわりする雛
初版 2007/10/5
ISBN 978-4-04-873811-8
感想 古典部シリーズの短編集。 一応学園ものではあるのですが、収録されている七篇中、三篇は学園が舞台ではありません。 特に「あきましておめでとう」と表題作「遠まわりする雛」は神社のお祭りを事件と絡ませており、 その点で「犬はどこだ」「さよなら妖精」に近い作品だと言えそうです。 「日常の謎」を書くことが多いとされる米澤穂信さんですが、 地域社会の非日常の象徴ともいえる神社のお祭りに随分興味があるようなのは面白いところです。 ひょっとすると米澤さんの書斎には、神社から盗んできた狛犬がブックエンド代わりに鎮座しているかも知れません(そんな訳あるか)。
また、米澤作品では探偵の挫折がしばしば描かれる訳ですが、 「遠まわりする雛」の奉太郎は「ボトルネック」のリョウように、挫折する前のレベルに居るような気がします。 普通の小説だったら、奉太郎は「内裏」の役だと思うのですよ。 いや「生き雛は全員女性」という設定がある訳ですが、それにしても奉太郎は「雛」である千反田えるの傘持ちの役でしかありません。 えるに先を行かれるとかいう以前に、対等の立場に立てていないのです。 そして探偵としてなんとか追いついたように見えたところでまた突き放される(笑)。 同じことが「手作りチョコレート事件」でも言えそうです。この場合、えるの立場に居るのは姉の供恵でしょう。
む、上の文章だけ読むとなんだか非難めいた感じがしてしまいそうです(汗)。 ですが、私の評価はまったく逆で、これは青春小説の傑作だと思います。 「ボトルネック」では描ききれなかったことが、この短編集ではミステリーと絡めて非常に上手く表現できていて、 そしてその先にもまだ進んでいけるものが確かにある、そう感じさせてくれます。(2007/10/30)

さよなら妖精 タイトル さよなら妖精
初版 2004/2/25
ISBN 4-488-01703-7
感想 青春小説の王道を行くような作品。かなりはっきりと物語と舞台の構造を見出せると思います。 例えば墓地のある山。中盤で登るシーンではあっさり下山してしまうので「あれあれ?」と思ったのですが、 ラストで再び墓地に登ってバレッタを埋めるシーンに納得。 この山=墓地は舞台となる街の「非日常的な外部」として機能しているのでしょう。 「バレッタ=マーヤの象徴」が最後に山に行き着くのも、マーヤが外の人間だからです。
その一方で、舞台となる日常たる都市が架空の場所で、外部たる旧ユーゴの方が実在する場所であるという奇妙なねじれもこの作品にはあります。 マーヤの出身地を推理するために実在の地名を出すことになったのでしょうか。 別に論理的推理が成り立つならば架空の地名でも構わないはずなので、実在の地名を出した理由が他にある (そこに元々本作が含まれるはずだった「古典部シリーズ」との関係が隠されているような)気がしますが、 ともかくも主人公たちが住む架空の都市よりも、旧ユーゴの方がリアルで確固とした世界のような印象を受けました。 そこは主人公たちにとって、手を伸ばしても届かない、踏み込もうとしても弾かれてしまう強固な世界です。 無論、それはあくまでフィクションの上での話に過ぎないものでもあるのですが。(2006/9/30)

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