一九九二年八月二十四日
ラジオ中波「麻原彰晃のノストラダムスの大予言」吹き込み

(第二サティアン)
テープ起こし:片桐・野田(完) 聞き直し:野田(完)




●「麻原彰晃の ノストラダムスの大予言」 第一週
テーマ音楽:死と転生版チッタ



 今週から、週に一回ずつ、ノストラダムスの大予言について、わたしとわたしの弟子たちの研究成果を、視聴者の諸君に発表したいと、考えています。
 もともと予言には、二(ふた)通りの方法があります。その第一のタイプは、過去の偉大な予言者の遺した予言書をひもとき、そしてその予言の内容を、正確に理解する方法。第二のタイプは、修行し、そしてそれによって、いろいろな超能力、あるいは神秘的な力を得ることによって、未来を知る力を得、そしてそれによって、予言の内容を知る方法の二つです。この第一のタイプの最も有名なもの、それが、ノストラダムスの大予言であり、またこのほかに、「ヨハネの黙示録」、あるいは『旧約聖書』の中に、いくつかの予言の内容を見ることができます。第二については、例えば、わたしは一九八六年ぐらいからいろいろと予言をしてるわけですが、この九三年に日本は再軍備をするという予言を、一九八八年に発表しています。そして、一九九二年、PKO法案の成立、もちろんこれは、外国へ出兵することのできる兵隊を有したということになるわけですから、もうすでに、再軍備は始まっていると見ていいでしょう。そして、第一のノストラダムスの大予言の解釈にしろ、あるいは聖書や、『旧約聖書』の解読にしろ、あるいは仏典の解読にしろ、そこで使われるアルファベット、まあ、視聴者諸君は、アルファベットというと、ABC(エービーシー)を考えるかもしれないけど、まあそれだけではなくて例えば、ドイツ語だと、これがアーベーツェーになるわけだし、あるいは、これが、ギリシャ語になると、これがアルファベータガンマ、と、なるわけなんだよね。
 で、今日はね、実はあのう、わたしの、この予言の解読に、いつも一緒にお手伝いをしてくれていて、そして、まあ特に、わたしの目と、それから手の代わりをしてくれている、二人の弟子を紹介します。
 まずその、弟子の一人目は、マンジュシュリー・ミトラ供養値魂です。

(マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)マンジュシュリー・ミトラです、よろしくお願いします。

 そしてもう一人は、オウム真理教、だけではなく、日本のノストラダムス研究の第一人捨ではないかと、わたしは考えてるわけだが、ヴィマラ君を紹介いたします。

(スワミ・ヴィマラ)ヴィマラです。よろしくお願いします。

 彼ら二人の略歴を簡単に紹介すると、マンジュシュリー供養値魂は、もともと宇宙物理学を専攻し、していて、そして、大阪大学の大学院をまあ卒業してるれっきとしたエリートです。そしてヴィマラ君は、京都大学の理学部を出家のために中退したわたしの弟子です。
 ところでなぜ、わたしがこのアルファベットにこだわるのかというと、実は一つの重要なノストラダムスの予言詩がここにあるのです。これをね、君たちは聞くことにより、わたしがこの、アルファベットにこだわり、そして経典にこだわってる理由が、理解できるようになります。では、その予言詩の、まず、フランス語版を、ヴィマラ君に、読んでいただきたいと思います。

(スワミ・ヴィマラ)――
Dans la maifon du traducteur de Bourc
Seront les lettres trouuees fus la table,
Bourgne, roux, blanc, chanu tiendra de cours,
Qui changera au nouueau conneftable.
《※f=本当は s の変形で f の横棒がない形》

(マンジュシュリー正悟師)はい、ではわたくしたちの検討した訳、を紹介したいと思います。

《九章の一》
彼の岸へ導くキリストの住宅で
アルファベットがテーブルの上で解釈される。
片目、あるいは盲目、赤、透明な輝いている長老が、事態の推移の途中で掌握する。 彼は新しい大元帥と交代させる。

 つまり、この詩では、キリストがどのような魂である彼の予言と、そのキリストの仕事内容について、触れた詩、なわけです。ここで一つ検討しておかなければならないことは、このアルファベットの解読にどのような資料を必要とするのかと、いうことなんだね。で、この詩の具体的な解釈は、来週にゆずるとして、まあ今週は、「ノストラダムスの大予言」のスタートだから、どのような資料を、わたしとそれから弟子たちが、検討しながら、翻訳を進めてるのかについて、少しお話を進めたいと思います。

(尊師)あのう、重要なもの、重要なものというかまあ最も信頼されてるものは、一五五五年版だと思うんだけども、まあそのほかに、何年版があったかな? ヴィマラ君。

(スワミ・ヴィマラ)え、一五五五年版のほかに、一五五七年版、あるいは、一五六八年、あるいは、まあ、偽物であるという疑いが強い一五六六年と、あとそのほかに、えー数限りないほど、本は出ていますね。

(尊師)そうだよね。で、ノストラダムスのそのう、存在というのは十六世紀になるわけだから、当然辞書も、現代のフランス語だけではなく、十六世紀の時代に使われてたフランス語の辞書が必要だよね。で、それは当然、入手して使われてるわけ、だよね。どうだそれはヴィマラ君。

(スワミ・ヴィマラ)はい、そうです。

(尊師)で、そのほかに、ノストラダムスは、マンジュシュリー供養値魂、使ってる言語としては?

(マンジュシュリー正悟師)はい、そうですね。ギリシャ語、それからラテン語、それからえっとヘブライ語、その他あの様々な言語に通じていたようです。

(尊師)ではそれを使ってるわけだよね。で当然、オウム真理教のその翻訳、訳語を出してくるときには、それらの辞書もすべて用意されてる、ていうことになるよね。

(マンジュシュリー正悟師)ええ、もちろんその言語、に基づいた辞書を使っております。

(尊師)そのほかにあのう、フランス語の古語の、辞書も使っているんだよね。

(スワミ・ヴィマラ)はい、そうです、十六世紀以前、に使われていた言葉の辞書ですね。

(尊師)うん。で、まああのう、それだけではなくてスピードを速めるために、今フランス語の、CD−ROM化されたコンピュータ検索も使っているわけだろ?

(マンジュシュリー正悟師)ええ、もちろんコンピュータ化された辞書も使っております。

(尊師)うん。で、だいたい、一個の詩を、あのアルファベットから、その訳語のねん出、そして決定までは、一週間ぐらいかかるんだよね。

(スワミ・ヴィマラ)はい、そうです。

 ま、このような形で、オウム真理教では、ノストラダムスの大予言を解読してるわけです。そしてこのノストラダムスの大予言は、わたしたちにとって、重要な予言詩であることが、判明されてきています。したがってこの「エウアンゲリオン・テース・バシレイアス」、を聞いている視聴者の方々は、少なくともこのノストラダムスの大予言だけは、毎週しっかりと聞いて、そして自分自身の生き方、あるいは身の振り方について、考えていただきたいものです。
 それでは来週は、九章の一、キリストの予言について徹底解説したいと思います。さよなら。




●『ノストラダムス秘密の大予言』 第二週

 さあ、それではノストラダムスの大予言の第二回目。今日も同じように、聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂と、そしてスワミ・ヴィマラをスタジオにお招きしています。

(供養値魂)マンジュシュリー・ミトラです。よろしくお願いします。

(ヴィマラ)ヴィマラです。よろしくお願いします。

 今日はいよいよ、詩の解釈をスタートしたいと思います。まず、問題の九章の一の詩から入りたいと思います。まずフランス語から、ヴィマラ君お願いします。

(ヴィマラ)
 Dans la maifon du traducteur de Bourc
 Seront les lettres trouuees fus la table,
 Bourgne, roux, blanc, chanu tiendra de cours,
 Qui changera au nouueau conneftable.
《※f=本当は s の変形で f の横棒がない形》

(尊師)まず、この一行目だけお願いします。

(ヴィマラ)はい。
(尊師)一行目のフランス語読みからね。

(ヴィマラ)「Dans la maifon du traducteur de Bourc」

(尊師)これには、一行目には何語の単語が入ってますか?

(供養値魂)七語です。

(尊師)七語。そして、この単語の訳は、一語一語訳するとどういう意味合いになりますか、これは。

(供養値魂)一つ目からですか?

(尊師)はい。

(供養値魂)まず、一つ目は“Dans”ですね。

(ヴィマラ)はい。

(尊師)“Dans”はどのように訳語をとりましたか?

(ヴィマラ)一語目“Dans”、これは「――で」という訳にしました。で、二語目“la”、これは定冠詞、次が“maifon”、これは「住宅」、で、次は“du”ですが、これはあの、前置詞の“de”に、あの定冠詞の“le”が加わったものです。で、あの「――の」という訳。で、“traducteur”というのは、これは「彼の岸へ導く人」で、次がまた“de”が出てきまして、これは「――の」ですね。で、最後の単語“Bourc”、これは、「キリスト」としました。

(尊師)うん。

(供養値魂)で、一行目。「彼の岸へ導くキリストの住宅で」となります。

(尊師)うん。この、ポイントとなる言葉「キリスト」というのは、もともとほかにどういう意味があるのかな?

(ヴィマラ)はい。ここは、えー、「私生児」。そのほかに、あー、ま同じ意味ですが「非嫡出児」、あるいは形容詞で「私生の」…。

(尊師)わかった。ということはこれはあの、このキリストというのはまあ、父母との大変縁が薄いとか、あるいはあのう、長男ではないとか、そういう意味があるわけだねこれには。それでいてこれはあの、文頭でないにかかわらず、大文字の単語が使われてるわけだよね。

(ヴィマラ)はい。

(尊師)ということはこれは、ここでそのう、名詞が大文字で表現されるということは、特殊な意味があると。

(ヴィマラ)はい。 考えられるということだね。

(ヴィマラ)はい。

(尊師)うーん。わっかりました。ではあのう、二行目行こうか。

(ヴィマラ)はい。二行目。

 「Seront les lettres trouuees fus la table,」

 一語目が“Seront”、これは、ま、英語のBe動詞にあたるわけですが、で、あのう、ここで、受動態の形を作っていると。で、次が、“les”、これは定冠詞の複数系。で、三語目“lettres”、これは「アルファベット」。で、次、“trouuees”これは、「発見する」という動詞の過去分詞です。で、次が、“fus”、これは「――の上で」。で、次が、“la”は定冠詞。で最後に“table”これは、「テーブル」です。

(尊師)これは、えーと、聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂。訳は?

(供養値魂)はい。

 「アルファベットがテーブルの上で解釈される」。

(尊師)うん。ということはこれ一行目と二行目から見ると、キリストは、どうもあのう、アルファベットを解釈して何かを探ろうとしてるみたいだね。

(供養値魂)そうですね。

(尊師)うん。ではヴィマラ君三行目行こうか。

(ヴィマラ)はい。

 「Bourgne, roux, blanc, chanu tiendra de cours,」

 一語目の“Bourgne”、これは、「盲目の」、あるいは「片目の」。で、二語目“roux”は、黄色っぽい赤色。で、次が“blanc”、これは「透明な」、「輝いている」。で、“chanu”これは「長老」。で、“tiendra”これが、「掌握する」。

(尊師)うん。

(ヴィマラ)で、これはあのう、時間を表わしていると。で、最後は“cours”、で、これはあの「事態の推移」と。

(尊師)うん。では、マンジュシュリー供養値魂お願いします。

(供養値魂)はい、三行目です。

 「盲目、あるいは片目で、黄色っぽい赤色の透明な輝いている長老が事態の推移の途中で掌握する。」

(尊師)この詩の意味合いは、これはあの今、少しあのインスピレーションとして気づいたんだけども、大変あの重要な意味合いのある詩、だと思うね。その事態の途中、つまり推移している事態の途中で掌握する。何を掌握するんだろうかといったら、やはりこれは、世の中の流れ、あるいは霊的な流れ、といったようなものを掌握する、と考えるべきだろうし、そしてこの、「長老」というのは、これはあくまでもその仏教的ボーディサットヴァという言葉と、同じ意味ではないかと思うんだけどどうだヴィマラ君。これは?

(ヴィマラ)そうですね、はい。

(尊師)で、聖者マンジュシュリーはこの、赤っぽい黄色についてはどのように理解してるかな?

(供養値魂)はい。やはりその、日本人の皮膚の色、これあのう、色素とそれから血液が透けて見えるっていうので黄色っぽい赤色に見えるんではないかと思うんですけれども

。 (尊師)ということは、日本人の中で盲目、または片目のキリストが現われて、で、その人は輝いていて、しかもボーディサットヴァであると。で、そのう、事態の推移の途中で、なん、何かを掌握する、と解釈すべきだね。どうかな?

(供養値魂)そうですね。

(尊師)うん。さあいよいよ四行目。ま、だいたい詩の四行目というのは、結論にあたると思うんだけど、どのようなことが書かれてるのかな?

(ヴィマラ)はい。

 「Qui changera au nouueau conneftable.」

 この、最初の“Qui”は、これは、関係代名詞で、英語の“Who”ですね、にあたると。二行目、あ、二語目は“changera”これが、「交替させる」。で、次が“au”これは前置詞の“a”に定冠詞の“le”ですが、そう、えー、「――に」とか、まあ変化の向かう方向を指してると。で、次が“nouueau”、これが「新しい」。で、“conneftable”が「大元帥」です。

(尊師)じゃ、聖者マンジュシュリーお願いします。

(供養値魂)はい。

 「彼は、新しい大元帥と交替させる。」

(尊師)さあ、一行目から四行目まで、聖者マンジュシュリー通して読んでもらおうか。

(供養値魂)はい。

 「彼の岸へ導く、キリストの住宅で
  アルファベットがテーブルの上で解釈される
  盲目、あるいは片目で 黄色っぽい赤色の透明な輝いている長老が
  事態の推移の途中で掌握する
  彼は、新しい大元帥と交替させる」

(尊師)さあ、来週は、この、キリスト、そして大元帥の謎について、大いに迫ってみたいと思います。それではまた、来週まで、さよなら。




●『ノストラダムス秘密の大予言』 第三週

 「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」の視聴者の皆さん、今日も、「ノストラダムス秘密の大予言」の時間がやってまいりました。いつもと同じとおり、聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂と、そして、ヴィマラ君に同席を願っています。

(供養値魂)マンジュシュリー・ミトラです。

(ヴィマラ)ヴィマラです。

 それでは早速、先週の続き、まず、このキリストの正体とは、そして、大元帥とは、について、検討を加えましょう。
 まず、聖者マンジュシュリー・ミトラ、意見があるそうだから、あのまず聞きたい。 (供養値魂)はい。この、キリストというのは、いわゆるキリスト教のキリストではないのではないかと思って調べてみました。と、ギリシャ語におけるキリストは、本来固有名詞ではなく、「油注がれた者」を意味するヘブライ語“マーシュヤハ”、つまり“メシア”にあたるギリシャ語、これ正確には“クリストス”である。と書かれており、古来「王」を指していたそうです。

(尊師)そうだね。例えばあのう、ダビデ、なども、やはりあのうユダヤ人にとってはキリストであるわけだから、あのまあそれはあの当然であるといえます。しかし、まあキリスト教の人たちは今から、約まあ二千年前に登場した、イエス・キリストのみをキリストと考えているんだよね?

(供養値魂)は、そうだと思います。

(尊師)ただまあ、仏教的な輪廻転生観からいくと、キリストのような偉大な救世主が、しかも、神に召されて天に帰ったわけだから、高々二千年でこの人間の世界へ降りてくるということは、到底考えらんないし、実際問題として『新約聖書』でもキリストは、今度来るキリストは、自分とは違い、しかも自分以上の実力を持ってるんだと言ってるよね?

(供養値魂)はい、そのとおりです。

(尊師)したがって、今から二千年前のキリストではなく、新しい救世主、メサイアが登場すると。
 ではこの、キリストの特徴についてもう一度検討をしたいわけだが、まず、盲目か片目である。あるいはまあ盲目であった時期、片目である時期の両方が存在するのかもしれないと。まずこれは第一いえると思うんだけど、どうだ? この訳語の選定からいくと。

(ヴィマラ)はい、そうです、そのう、二つの意味をかけているんではないかと思います。

(尊師)うん。そして、第二の特徴としては、まあ大変、成熟した魂であって、しかもあの肌の色が、まあ黄色っぽい赤と。これはまあ日本人の可能性、あるいはアジア人の可能性が大変高いね、どうだ。

(供養値魂)そうですね。ただ南方のアジア人の場合は、日焼けしてかなり褐色に見える場合が多いです。

(尊師)うん。ということは、聖者マンジュシュリーとしては、ま、だいたいどの辺のエリアの人を指すか? この色からいくと。

(供養値魂)日本・中国・韓国辺りじゃないでしょうか。

(尊師)うーん、

(供養値魂)緯度的に見ると。

(尊師)じゃあ、まあ日本・中国・韓国辺りで、片目、または盲目の人、が救世主だろうという、ま、一応目星をつけられると。で、この人は、ま、これアルファベットで書いてあるわけだけど、ま、アルファベットというのはもともと、英語のエー・ビー・シーだけではなく、あらゆるそのう、言語のまあ、源をなしてる音(おん)というか、あのう、表音文字をアルファベットというんだよね。

(供養値魂)はい。

(尊師)ということはまあ、この救世主は、英語・フランス語、あるいは、まあ、えー、サンスクリット語、ティベット語、ギリシャ語等の研究をしながら、何かを探し求めてるみたいだね、どうだ。

(供養値魂)そうですね。ヴィマラさん。

(尊師)ヴィマラ君はどう思うか、これについては。

(ヴィマラ)はい、そう思います。

(尊師)うん。でまあ、次にその、救世主が日本に現われるのか、韓国に現われるのか、それとも中国に現われるのかで、一つあの、面白い、予言詩があったよね。

(供養値魂)ありました。

(尊師)あのう、「血塗られた五つの島」という。あのう、その詩の一つの特徴は、まずあのキリストというのは先程も述べたとおり、王であるわけだけども、この「王」というのは、神々の系譜を持つ王、ま、もっと仏教的言葉を使うならば、神聖世界の王、ということになるわけなんだよ。で、この、神聖世界の王を探していけば、その神聖世界の王がどこへ登場するのか、っていうのがわかると。で、ヴィマラ君、あの五つの島と神聖世界の王とが、両方出てる詩があったよね。

(ヴィマラ)はい。あのう、六章の二十七番ですが。

(尊師)じゃあ、それをちょっと読んでもらえるか。

(ヴィマラ)はい。

 「五つの流れを持つ一つのまとまりの島々で
  偉大な千の王国の天に属する十字架の半神によって
  数々の闘争によって怒りの様子から一つのものに
  六人の免れた者たち、一族の重荷は隠される」

(尊師)まあこの、「六人の免れた者たち」、「一族の重荷は隠される」とはどういうことかというと、六人の最終解脱者が登場し、まああの、そのう、一族の重荷、つまり一族の悪いカルマが、隠されることになっているんだよ。で、「五つの島」というと、ま、皆さんも気づいてのとおり、北海道・本州・四国・九州・沖縄と、ま、これが五つであり、しかもこれは、歴史的に見るならば、それぞれその系統の違う五つの流れの島、ていうことになるよね。まあ、特に、よく知られてるのが、あのう北海道、まあこれは蝦夷(えぞ)、があったわけでしょ? で、アイヌ民族がいたわけだよね。それから、まあ、沖縄は琉球と。で、まあこの沖縄については、まああのう、中国帰属説とまあ、日本帰属説と両方あるわけだけども、―《音切れている》―(沖縄?)に行けばわかるが大変熱い地方で、まあちょっとインド的な雰囲気が、あるよね、あそこは。それから、えーと九州が、熊襲(くまそ)だね。それからもう一つはあのう、四国ではあのう、剣山(つるぎやま)を中心として、またこれもあの別の系譜の魂の集合体、そして本州だよね。だ、そう意味でいったらその五つの違った流れが統一されている国に、しかも、そのう、十字架をしょった神聖世界の王が、登場する、という予言詩だよねこれは? どうかな。

(ヴィマラ)はい、そうです。

(供養値魂)そして、まあ、彼は六人の最終解脱者を出す、ことになってるよね。でこの、六人の最終解脱者、というと、これあのキリストと共通すると。つまり、キリストの家では、彼岸に至るための修行をしてたんだよね、彼の岸へ至るための。それが、えー前回までの詩の中にあったと思うけどどうだったかな?

(供養値魂)はい、一行目。「彼の岸へ導くキリストの住宅で」となっております。

(尊師)だよね。だ、まあこの、二つの詩を総合すると、救世主は韓国に登場するわけでもなく、中国に登場するわけでもなく、やはり日本に登場すると。

 で、ここで一つ問題。じゃあ、なぜ日本に登場するのかと、いう検討しなければならないわけだけど。まあこれは、わたしが世界を歩き回って、経験した内容からいくと、最も物質文明の進んでいる国、最も機械文明により合理化された国、これが日本だと思うわけだけど、まあ、マンジュシュリー・ミトラは、わたしとずいぶん外国を一緒に回ってるわけだけど、どうだ、それについての印象は?

(供養値魂)そうですね、この地球ではやはり、日本が最も、進んでいると思います。

(尊師)でまあ、その物質文明の進んだ日本にキリストが現われ、その物質文明を超えるような、やはり宗教、精神文明、霊的文明を打ち立てない限り、今の地球人類というものは、今のその物質的段階に執着している魂、のステージから、飛躍しないんではないかと思うけど、これについては、聖者マンジュシュリーあるいはヴィマラ、どう考えますか?

(供養値魂)同感です。

(尊師)うん。そこで、まあ日本に登場し、そして、まあ物質文明よりより高い精神文明、霊的な文明を打ち立てる、ま、これがどうやら、キリストの役割のようだね、どうかな?

(ヴィマラ)はい、そう思います。

(尊師)で、まあ現に、そのキリストの再臨と同時に、キリストの弟子たちがこの日本に生まれ変わっている、という予言詩が、もう一つあったよね。

(ヴィマラ)はい。二章の七十八番にあります。

(尊師)どういう詩かな? マンジュシュリー・ミトラ。

(供養値魂)はい。

 「海の底の 偉大なネプチューン
  罰せられる状態にある人々と 神の黄金の法の血統が混ぜられる
  野蛮で無知(or無智)な者のために島々は血の中に
  島々は悪い隠された神秘的なものよりも彼を妨げる」

(尊師)まあこの、「ネプチューン」については、まだ要検討で、今実際に、あのうはっきりとこうだ、という断言ができない状態にあるわけだが、この全体的な詩の内容そのものは、血塗られた島々、これは明らかに、まあ歴史をいろいろ調べていくと日本以外に考えらんないと。つまり第二次世界大戦で、最も多くの人が死んだ島、それはどこかというと日本だよね。
 で、その、日本の中にその前後、黄金の法の系譜の魂が混ぜられると。ところでこの黄金の法とは何かというと、これは、デーヴァ、つまり愛欲世界以上の世界へ輪廻転生することが約束されている魂が混ぜられるという、内容だよねこれは。となると、日本の救世主、まあ、彼は盲目、あるいは片目で、しかも解脱を説き、そして、これからの人類を高い精神文明・霊的文明へと導く。
 さあこれから、わたしは、この視聴者の方々と一緒に、その魂を探したいと思いますが、聖者マンジュシュリーにしろ、ヴィマラにしろ、一緒に探しましょう。

(供養値魂)わかりました。

(ヴィマラ)はい。

(尊師)ねえ。
 では今日の、要約、ポイントをまずマンジュシュリー・ミトラに整理してもらって、今日の番組の終わりとしたいと思います。

(供養値魂)はい。今日はキリストについて、徹底研究いたしました。キリストは、あの正確には神聖世界の王、を意味し、救世主としてこの日本に登場する。彼の特徴は、盲目、あるいは片目で、肌の色は黄色っぽい赤色、そして精神は成熟しており、人々を解脱へ導く、そのような新しい精神文明を興す。彼はあらゆる言語に通じており、その解釈をしている。彼の登場するのは、五つの流れを持つ島々、そして、その島々は血塗られた歴史がある。

(尊師)さあ、日本は、このキリストを大切にしなければならない。それは、日本の大いなる悪業を、キリストの登場、そして六人の最終解脱者の登場によって、いったん覆い隠す。つまりその時代に住む日本人は、そのキリストによって平安になると予言されている。




※オウム真理教では、ノストラダムスの大予言の研究者を募集しています。ぜひとも、ノストラダムスの予言詩を解読したい、あるいは、もっと早くノストラダムスの予言詩の全貌を知りたい、日本で公開されていない、秘蔵の予言詩を自分でも見たい、このような方は、郵便番号、409−37 山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺 1153−2 オウム真理教内「ノストラダムス研究会」 担当 聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂 までお便りをお寄せください。お待ちしています。




●『ノストラダムス 秘密の大予言』 第四週

(尊師)皆さんこんばんわ。今日も「ノストラダムス秘密の大予言」の時間がやってまいりました。今回もいつもと同じように、聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂と、そしてヴィマラ君をスタジオにお招きしております。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)マンジュシュリー・ミトラです。

(スワミ・ヴィマラ)ヴィマラです。

(尊師)二十世紀最大の日本の予言者といわれている大本教、大本教団の教祖である出口王仁三郎が、二十世紀末、つまり一九九〇年代、あるいは八〇年代の終わりに、救世主が登場すると予言しています。この救世主は「みろく」と呼ばれると。つまりマイトレーヤであると予言しているのです。
 もちろん皆さんもご存じのとおり、かくいうわたしはマイトレーヤの化身であり、そしてこれから数十億年後、この地上へ登場し、真理を解きあかす魂であることは言うまでもありません。したがって、このマイトレーヤが、ノストラダムスのいう救世主と同一であるかどうかの検討をこれからしばらく続け、まあこれは五回から十回くらいになるかもしれませんが、その後にいったい、今世紀末一九九〇年代の後半、つまり九七年、九八年、九九年あるいは二〇〇〇年代のぜんぱん(前半のこと?)つまり、二〇〇〇年、二〇〇一年、二〇〇二年等に、どのような大破局が起き、そしてそれは何を意味するのか、そしてどのようにすればすべての魂は救済されるのかについて徹底研究したいと思います。  まずノストラダムスの重要な予言詩の一つ。ヴィマラ君、何章の何だ?

(スワミ・ヴィマラ)六章の二十七番です。

(尊師)では原詩を読んでいただこうか。

(スワミ・ヴィマラ)はい。

 ――原文朗読

(尊師)聖者マンジュシュリー。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)はい。

(尊師)これはどういう意味かな?

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)それでは一行目、五つの流れを持つ一つのまとまりの島々で。二行目、偉大な天の千の王国に属する十字架の半神。三行目、数々の闘争によって狂気の様子から一つのものに。四行目、解脱した、あるいは煩悩から解放された六人、一族の重荷は隠される。

(尊師)この予言詩は、この日本にとって最も大切な予言詩の一つである。ではこの予言詩は、どのような意味合いをなしているのだろうか。まず一行目、もう一度原詩を読んでいただけるかな。

(スワミ・ヴィマラ)――原詩朗読。

(尊師)これは、もう一度訳を言ってくれるかな。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)五つの流れを持つ一つのまとまりの島々で。

(尊師)まさにこれはマンジュシュリー。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)はい。

(尊師)まとまりの島々といったら島国ということができるんじゃないか、どうだ?

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)そうですね。一つの国として複数の島を所有している。

(尊師)そして、日本を取り囲んでいる潮流、つまり日本に接している…(聞き取り不能)…は五つあったよね。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)はい。日本近海の潮流としては、五つですね。名前を挙げましょうか。

(尊師)お願いします。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)まず、黒潮、対馬暖流、津軽暖流、宗谷暖流、この四つの暖流と、親潮という一つの寒流、あわせて五つです。

(尊師)これは、どの辺を流れているか、簡単に説明してくれるか。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)え、それぞれですか。

(尊師)はい。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)はい。まず、黒潮は沖縄からと、日本の太平洋岸ですね。九州、四国、そして関東までを日本に沿って流れています。対馬暖流は裏日本側、対馬を経て山陰地方から新潟の方に流れています。そして北海道の宗谷岬を回り込む宗谷暖流。津軽海峡を流れる津軽暖流。親潮は、そうですね千島列島の方から三陸海岸を三陸海岸に向けて流れ込んでいます。

(尊師)わかりました。ところでわたしは、この五つの流れに加えて、この日本の系譜、これが五つあると考えているんだ。まあ例えば例を挙げるならば、大和の流れ、あるいは熊襲(くまそ)の流れ等だけども、これについてはまだ検討がなされていないからここでは発表しないとして、この二つがかけられているんだと思うんだね。しかも、五つの島、本州、四国、九州、北海道、沖縄という五つの島。まあこれに小さな島々が絡んで、日本は形成されているわけだけど、まさに一行目の詩の意味合いは、この現状にぴったりと思われるわけだけど、ヴィマラ君どう思うか。

(スワミ・ヴィマラ)ええ、そうですね、はい。

(尊師)で、これは、要するに、二行目の魂が登場する場所を表わしているわけだよね。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)そう思います。

(尊師)では、二行目に、あのちょっといってみようか。

(スワミ・ヴィマラ)はい。――原詩朗読。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)偉大な天の千の王国に属する十字架の半神によって。

(尊師)これはあの大変意味深長な詩だとわたしは考えているんだ。というのは、まず、この天という言葉は、スペルは?

(スワミ・ヴィマラ)selinです。

(尊師)これは普通、あの、天はcから始まるわけだけど、この時代はsとcは入れ替えられたんだよね、たしか。

(スワミ・ヴィマラ)そうですね。多くの単語でcとsが、まあ発音が同じということで、まあ入れ替わっていたと。

(尊師)しかも、それだけではなく、これを分解すると、天だけではなく、おもしろい意味合いが出てくるんだったよね。

(スワミ・ヴィマラ)ええ、seleで、あのう聖母マリアの胎内と、で、inまあ接尾語で、〜から出た、出身の、で二つ合わせると聖母マリアの胎内から出た、あるいは聖母マリアの胎内から出た人……ということになります。

(尊師)そうだね。これは明らかにキリストを表わしているよね。

(スワミ・ヴィマラ)はい。

(尊師)で、次の……

(スワミ・ヴィマラ)千の王国です。

(尊師)この千の王国も大変おもしろい分解ができるよね。千の王国の他に……。

(スワミ・ヴィマラ)はい、あの、し、綴りはchyrenなんですが、この最初のchy、これをキーと発音すると、これはギリシャ語のキーなんですが、あのxと書く。で、これは、キリストの頭文字であって、で、このキリストを象徴していると。で、次のrenですが、これもギリシャ語でレーンというのがあって、これは小羊を表わしていると。

(尊師)ということは、どうやら小羊であるキリストとか、キリストと小羊とか、まあ複数に考えることができるが、しかし、その前の聖母マリアの胎内というところを考えると、小羊であるところのキリストと訳するのが一番よく、しかもそれは千の王国と同義語であると……言えると思うわけだけど、どうだそれは?

(スワミ・ヴィマラ)はい、そう思います。

(尊師)聖者マンジュシュリー、よく仏典でも神聖世界、神聖世界つまり千の王国からサキャ神賢やあるいはヤソーダラー等の偉大な魂が人間の世界に宿るという話はあるよね。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)はい。よく見受けられます。

(尊師)これはそのことを意味しているのではないだろうか。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)妥当な解釈だと思います。

(尊師)ということは、この日本に神聖世界から降りてきた魂が登場すると。しかも、その魂は、次の言葉ではっきりとその要素がわかるよね。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)十字架の半神と書かれていますね。

(尊師)その十字架の半神というのは、フランス語では?

(スワミ・ヴィマラ)はい、これは、コワッソン。三日月、通常の意味は三日月なんですが、これを分解して考えて……

(尊師)うん、分解して考えた場合、十字架と半神が出てくるんだね。

(スワミ・ヴィマラ)はい、そうです。はい。

(尊師)これはあの十字架の半神とは、別の言い方をすれば、十字架をしょった半神、これもまたキリストを表わしていると考えられると思うんだが、どうだそれは。あるいは、すべての魂の煩悩をしょっている、苦悩をしょっている半神、半分の神、と考えることができると思うわけだけど、どうだ。

(スワミ・ヴィマラ)はい、そう思います。

(尊師)つまり聖母マリアの胎内、そして小羊であるところのキリスト、そしてもう一つ、十字架をしょった半神。この三つの単語が羅列した以上、やはりこれの品詞分解、および意味合いについて、誰も否定できないと思うわけだけど、聖者マンジュシュリーは、どう考えますか。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)はい、かなり確度は高いと思います。

(尊師)うん。ここであの、半神という意味合いだけども、わたしはこれは在家に身を置きながら、つまり要するに妻帯をしているとか、現実的な現世的な生活を営んでいるとかいう意味が絡んでいると思うわけだけど、これについては聖者マンジュシュリー、あるいはヴィマラはどうだ。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)その半分というのは、俗を現わしているわけですか。

(尊師)生殖能力を表わしていると。つまり、あのここはすごく重要なところだけれども、聖者には、まあ救済のその段階に応じて二つのタイプが存在するわけだが、まず第一のタイプは俗にいうところの、あのまさに性的なものを完全に捨断している聖者、神。第二の段階は、それをわざわざ残しているという神の二段階に分かれるわけだね。
 で、半神、半分神と言っている場合、その性的な機能を残している、生殖機能は残していると、とらえるべきだと思うわけだけど、どうだそれについては。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)そこまでは気がつきませんでした。

(尊師)これは実際、仏典の中で例えば、まあ阿修羅、意識堕落天だとか、あるいはナーガ、龍の世界だとか、あるいはガンダッパ、あのうそうだね音楽を司っている神々の世界だとかいうのは、半神に属するんだね例えば。まあ、ところが例えば、神聖世界、完全なる神聖世界に入ると、その神聖世界の偉大なる王になると、もう半神ではなく完全なる神なんだね。
 で、まあキリスト教的な検討をなすならば、これを天使と一般的に言われているわけだけど、単純に半神イコール天使と言えないところがあるんだよ。それは救済をどのような形で行なうかによって、救済者は降りてくるフォームが違うわけだから、そこは大変その、そこらへんは大変人間の、まあ煩悩的見解からは、とらえづらい内容ではないかと思うわけだ。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)なるほど。じゃあ、半神のフォームをとって降りてきている魂と、いう形(?)になりますか。

(尊師)そうだね。そのとおりだね。ヴィマラどうだ、これについては。

(スワミ・ヴィマラ)ええ、この千の世界から(じゅう?)降りてきた半神と、いうことでしょうか。

(尊師)そうだね。ここであのすごく問題なのは、なぜそうなのかというと、まあ救済には段階があるわけで、今の時代もし完全なる聖者が降りてきた場合、逆に救済はできないんだね。

(スワミ・ヴィマラ)それは、思います。

(尊師)だからまあ、それゆえのフォームであると考えるべきであると。では、三行目行こうか。

(スワミ・ヴィマラ)はい。――原詩朗読。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)数々の闘争によって狂気の様子から一つのものに。

(尊師)これはまさにオウム真理教の、まあ社会的レッテルが、例えば波野村騒動だとか、あるいは選挙のあの闘争だとか、まあいろいろあるわけだけど、その闘争の形をとりながら、一つのもの、本当はそういうことは、その単なる表現の一形式であって、その背景にあるものは、偉大なる神聖世界の絶対の真理であるということが徐々に世の中に知らしめだしているよね。しかも一般の社会が使っていた狂気の宗教、これがまさにこのノストラダムスの予言詩の中に載っているということは、何ともノストラダムスの予言の能力というものは素晴らしいと言わざるを得ないわけだけど、どうだ。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)やはり驚きです。

(尊師)そして、最後の四行目だね。

(スワミ・ヴィマラ)はい。――原文朗読。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)解脱した、あるいは煩悩から解放された六人、一族の重荷は隠される。

(尊師)これは日本にとって、大変重要な詩であるといえる。つまり六人の最終解脱者が登場するということだね、これは。それによって一族の重荷、つまり日本の大いなる悪業が隠されると言っているわけだ。ところで、この一族の重荷とは何かというと、日本の場合いろいろなまあ第三国に対して、あるいは貧しい国々に対して、まあ経済援助と称して逆に経済侵略を行なったり、あるいは先進国間での経済摩擦等が存在しているわけだが、どうもその六人の解脱者がそれを緩和し、そして日本自体には天変地異やあるいは戦争の被害がないということを予言している詩だと思われるわけだけど、これについてはどうかな。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)やはり、意味的にはそう取るのが正しいのではないかと思います。

(尊師)ところで第三国の評価、例えばラオス、あるいはブータン、あるいはスリランカ等のまあオウム真理教の経済援助、教えの援助、あるいはロシアに対するまあ宗教的教えの援助等、これを検討すると確かに日本の評価は、もし世界最高の宗教を有するとするならば、高まって当然だよね、どうかな。

(スワミ・ヴィマラ?)そう、思います。

(尊師)そして、それによって日本は災難から免れるという予言ではないかと、わたしはとっているんだよ。

 さあ、いよいよキリストの実態が明らかになった。このキリストはいったいどのような活躍をなすのか。そして、どのような教えを示し、すべての衆生にどのような利益を与えるのか。その内容について、また来週検討しましょう。今日はどうも、聖者マンジュシュリー、ヴィマラ、ありがとうございました。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂)ありがとうございました。

(スワミ・ヴィマラ)どうもありがとうございました。





●『ノストラダムス 秘密の大予言』 第五週

 「ノストラダムス 秘密の大予言」の時間がやってまいりました。今日もいつもと同じようにスタジオに、聖者マンジュシュリー供養値魂と、スワミ・ヴィマラをお呼びしています。

(マンジュシュリー正悟師)マンジュシュリー・ミトラです。

(スワミ・ヴィマラ)ヴィマラです。

 前回の放送の中で、五つの流れ、というのがあったよね。そしてそれは、海流について、が一つあり、もう一つは日本の系譜についてもそうじゃないかという話があったわけだけど、その後の調査でどうなったかな、それについては。

(スワミ・ヴィマラ)はい。あのう、日本人の人種系統で、なされている、ま推測なんですが、一つに「日本縄文時代人」ていうのがありまして、次、「南中国人」、南中国の系統の人。あと、三番目に「朝鮮人」、で、四番目「アイヌ」、で、五番目に「南方人」ですね、南方系の人々と。で、この五つがあると。

(マンジュシュリー正悟師)それから神話的な歴史の伝統といたしましては、「倭(or大和)」「出雲」「隼人」「熊襲」そして「東国(あずまぐに)」、この五つが挙げられます。まあ蝦夷も、この東国の中に含まれるのではないかと、思います。

(尊師)まあこれだけの要素から検討すると、間違いなく、日本がこの五つの流れの島々、ということは間違いないよね。

(マンジュシュリー正悟師)間違いないと思います。

(尊師)そこへ、まあ天から、転生した救世主が存在すると。ではこの救世主に対する別の詩にちょっと入ってみようか。

 まずヴィマラ君、あのう、ネプチューンの出る、例の詩を読んでくれるかな。

(スワミ・ヴィマラ)はい。

「Le grand Neptune du profond de la mer
 De gend Punique & fang Gauloys mefle,
 Les Ifles a fang, pour le tardif ramer:
 Plus luy nuira que l'ocuult mal cele.」
《※f=本当は s の変形で f の横棒がない形。外字で、ない文字があるので正確にはヴィマラさんからデータをもらってください》

(マンジュシュリー正悟師) 「二章の七十八。海の底の偉大なネプチュー ン 罰せられる状態にある人々と、神の黄金の法の血統が混ぜられる
野蛮で無知(or無智)な者のために島々は血の中に
島々は悪い隠された神秘的なものよりも彼を妨げる」

(尊師)さあ、ではあのう、一行ずつ検討していこうか。まず、一行目の原文をもう一度読んでくれ。

(スワミ・ヴィマラ)「Le grand Neptune du profond de la mer」

(尊師)訳は?

(マンジュシュリー正悟師)「海の底の 偉大なネプチューン」

(尊師)うん。このネプチューンという意味は、ま、要するに海神、海の神ととらえることができるね、また水の神ととらえることもできると。しかしこれは別のとらえ方を、わたしたちは行なったんだよね。それについて少し、ヴィマラ君の方から説明していただけるかな?

(スワミ・ヴィマラ)はい。え、まず、三叉戟を常に持っている姿がえがかれていまして、これはあのう、まあインド神話におけるシヴァ大神との共通性があると。で、あるいは川の神であるということで、これもまたこのシヴァ大神がこのう、ま、頭にこのガンジス川(or河)を受け止めてそれを地上に下ろしたと。で、その部分での共通性、あるいはこの、馬の神であるというところから、えー、これもまたインドの神話のカルキとの共通性があると。それからあと大地の神、あるいはこの大地の下を、車を駆ると。そういう記述がありまして、で、この、部分から、シャンバラですか、が出てくると。以上ですが。

(尊師)ネプチューンについては、マンジュシュリー・ミトラ正悟師はどうかな?

(マンジュシュリー正悟師)え、これはあのう、ギリシャ神話におけるポセイドンと、あのう、よく共通的に用いられるわけですけども、その果たしてノストラダムス自身がポセイドンという語を調べてるかどうか、まあ全部の詩をサーチしたところ、一つもなかったということで、このポセイドンを意味してこのネプチューンを使っていると考えてもおかしくはないと、こう思います。それで彼は今そのポセイドンの属性についてね、説明してくれたわけです。

(尊師)二行目はどうなってるかな?

(スワミ・ヴィマラ)「De gend Punique & fang Gauloys mefle,」

(マンジュシュリー正悟師)「罰せられる状態にある人々と 神の黄金の法の血統が混ぜられる」

(尊師)この「黄金の法の血統」については、ま、いろいろ異説があるわけだけども、ま、おそらく、愛欲神の世界から降りてくると、仏教的にとってもかまわないと思うんだけどどうだ、それについては。
 で、なぜ、これが、神聖世界でなくて愛欲神なのかというと、「黄金の法」ということが一つのキーワードなんだね。形状界入る場合例えば、神聖世界を含めて入る場合は、この黄金だけじゃダメでやはり、白銀のエネルギーがミックスされて、初めて、形状界へのパスポートを得たことになるんだよ。

(マンジュシュリー正悟師)わかりました。じゃあこの「血統が混ぜられる」ということは、そういう集団の中に、生を受けるという形で考えていいでしょうか。

(尊師)そうです。それでいいと思います。三行目は?

(スワミ・ヴィマラ)「Les Ifles a fang, pour le tardif ramer:」

(マンジュシュリー正悟師)「野蛮で無知(or無智)な者のために島々は血の中に」

(尊師)これは、まさに第二次世界大戦を勃発させた、日本の中の無智の者たちを批判した詩ではないかと思うけど、どうだ。

(スワミ・ヴィマラ)ええ、そのように考えられると思います。

(マンジュシュリー正悟師)このう、歴史を調べてみたのですが、その島国で、まあ大変な虐殺、あるいはそのう、大量死ですね、これのなされているのがやはりそのう、第二次大戦の日本、ていう形になりました。

(尊師)では次、四行目いってみようか。

(スワミ・ヴィマラ)「Plus luy nuira que l'ocuult mal cele.」

(マンジュシュリー正悟師)「島々は悪い隠された神秘的なものよりも彼を妨げる」

(尊師)これはオウム真理教にとって大変、重要な部分だと思うわけだけど、まず黄金の法の系統とそれから日本人が混ぜられると。で、その混ぜられる状況と同時に、日本の状況を表わしてると。つまり第二次世界大戦後の荒廃、そして、ま、復興とあるわけだけど、この予言詩では、まだ荒廃を見ているばかりで、復興を見てないように思われるわけだけど、どうだ、それについては。マンジュシュリー。

(マンジュシュリー正悟師)はい、そうですね、戦後の混乱状態、

(尊師)マンジュシュリー、君は、四行目の詩の意味合いをどう考えるか?

(マンジュシュリー正悟師)やはりそこに、その島々における、そのう、邪宗といいますか、誤った宗教が存在すると、いうことが一つと。それから、まあそれが、そのう、救世主に対して当然肯定的ではないわけですけれども、それよりもさらに、何ていうか社会的な、その島々の政治機構といいますか、それがその救世主に対して迫害をなすと、いう具合に思いました。

(尊師)いや、そうだね、まさにそれは。で、この詩はもう少し深く検討する必要があるから、次回に、深く検討したいと思うわけだけども。ま、とにかく、この日本そのものが、その救世主を叩く、あるいは救世主を阻害する、と予言されてるわけだね。

(マンジュシュリー正悟師)そうですね。

(尊師)さあ、これからこの詩の展開どうなるか。そしてまた、来週新しい詩をね、検討しよう。

(マンジュシュリー正悟師)よろしくお願いいたします。




●『ノストラダムスの大予言』 第六週

 さあ、いよいよ皆さん待望の、「ノストラダムス 秘密の大予言」の時間がやってまいりました。今日もいつもと同じように、聖者マンジュリュリー・ミトラ供養値魂と、そして、ヴィマラ君を、このスタジオに呼んでいます。

(マンジュシュリー正悟師)マンジュシュリー・ミトラです。

(スワミ・ヴィマラ)ヴィマラです。

 今日は前週に続いて、まず、問題の予言詩、これを徹底解明し、そしてそののちに新しい予言詩を皆さんに、提供したいと思います。ではまず、前回の予言詩のフランス語、および翻訳を一行ずついきましょう。そしてわたしの解説をつけることにしましょう。

(スワミ・ヴィマラ) 「Le grand Neptune du profond de la mer」

(マンジュシュリー正悟師) 「海の底の 偉大なネプチューン」

(尊師)この「海の底の偉大なネプチューン」という「海の底」というのは、この海の底には、意識堕落天、あるいは龍の世界、あるいはガンダッパの世界が存在しているわけですが、この世界の偉大なネプチューン、偉大な海の神、という一行目の詩、がまず存在します。この、偉大な神、海の神ネプチューンは、前週でも検討したとおり、ポセイドンと同義語である、っていうことがわかりました。ところでここでいう「海」とは何か、という問題があります。これは、例えば、アジア大陸や、アフリカ大陸というような大陸に対する海、ではなくて、この宇宙空間を表わす、と考えるべきです。つまり、地球、あるいは月、あるいは太陽といった、陸に対する海、つまり空間を表わすのです。そしてそこの支配者、つまり宇宙の支配者は、もちろんポセイドン、つまりシヴァ大神のことである、ということが前週でわかったわけです。そしてここでいう「偉大な」というのは、このネプチューン、シヴァ大神こそは、救世主の中の救世主であり、また、主の中の主であり、王の中の王であり、そしてすべてを超越した魂である、ということが経典にうたわれてるからなのです。
 ところでこの偉大なネプチューン、ポセイドンであるシヴァ大神は、第二行目に、どのような展開をするのでしょうか。

(スワミ・ヴィマラ) 「De gend Punique & fang Gauloys mefle,」

(マンジュシュリー正悟師) 「罰せられる状態にある人々と 神の黄金の法の血統が混ぜられる」

(尊師)罰せられる状態にある人々。これは正に日本だけではなく、世界、今の世界全体を表わしているのです。今の人類は大変残酷です。例えば、自分の子供を経済的理由や、あるいはプライド、名誉等によって平気で殺生したり、あるいは利益の為に他を害し、あるいは殺し会うといったようなことを平気で行なっています。このような罰せられるべき魂、もちろん個々分析するならば、それは当然十の戒め、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見、というこの十の戒めを守っていないことはいうまでもありません。これに対して、神の黄金の法の血統が混ぜられる、と言っているのです。血統、ということは一人かもしれないし、あるいは複数かもしれないし、まあ混ぜられるといわれるわけですから、これは複数、しかも人類に対してですから、ある程度の数のセレクトされた神に祝福された魂が混ぜられる、と見るべきです。
 ところで、一般的には意識堕落天の色を赤で表わし、また愛欲神天の色を黄金色で表わし、神聖世界の神々の色を白銀の色で表わします。この色の分析から考えるならば、黄金の法の血統、ということは、愛欲神の世界の魂が多数存在する、ということになるでしょう。
 ところでこの愛欲神の世界とは何を意味しているかというと、ナーガつまり竜、ガンダッパ、つまり音楽の神々等を含む第一天界や、あるいはそれを支配する有能神のインドラ、そして第三天界の夜摩神、第四天界の都史多神、そして第五天界がスニンミタ、そして第六天界がバサバッテイ、という具合いに六つの天界、ま、この六つの天界 には、六つだけではなくいろんな衆生が存在しているわけですが、その神々、この神々が、黄金の法則、神の黄金の法則なのです。そしてその系統ということは、そこから転生、生まれ変わった魂ということができるでしょう。
 ところで、この第一天界から第六天界を、もう少し機能的に分類するならば、まず第一天界は、例えば天候、あるいは音楽、あるいは医学、あるいは国家間の政治等を担当しています。そして第二天界は、徳について担当しています。そして第三天界は、裁きについて担当しています。そして第四天界は、愛、慈愛について担当しているのです。そして第五天界は、個人的な神秘的な力、神通について担当し、第六天界はそれを集合的に、つまり神通の集合的な形での担当を行なっている、ということができるでしょう。これらの天界の神々がこの地上に降りて来る、と予言しています。しかも、どうやらこの偉大なネプチューンと大変関係があるようです。
 では、この偉大なネプチューン、および神の黄金の法の系統の魂はどこへ降りて来るのか。それは、三行目にはっきりとうたわれています。

(スワミ・ヴィマラ) 「Les Ifles a fang, pour le tardif ramer:」

(マンジュシュリー正悟師) 「野蛮で無知(or無智)な者のために島々は血の中に」

(尊師)これは正に、太平洋戦争、あるいはその前の中国侵略戦争、そして第二次世界大戦という流れ、この流れが表わすように、もともと負けるとわかっている戦争を引き起こし、そして惨敗した日本の状態が示されています。これは前週、聖者マンジュシュリー・ミトラ供養地魂が皆さんに説明したとおり、そのときの死者の数は当然島国ではナンバーワン、しかもその死に様は大変悲惨なものであったということがいえるでしょう。
 ところで、この血塗られた島に、偉大なネプチューンは登場することになっているのです。では、四行目いきましょう。

(スワミ・ヴィマラ) 「Plus luy nuira que l'ocuult mal cele.」
《※f=本当は s の変形で f の横棒がない形。外字で、ない文字があるので正確にはヴィマラさんからデータをもらってください》

(マンジュシュリー正悟師) 「島々は悪い隠された神秘的なものよりも彼を妨げる」

(尊師)この悪い神秘的なもの、というのは、前週マンジュシュリー・ミトラが皆さんに説明したとおり、邪宗、あるいは拝み宗教、あるいは、念力宗教といったようなものを表わすことは間違いありません。なぜかというとそれは、悪いエネルギー、低級のエネルギーを使い、それによって一時的に願望を満たし、その後に不幸へと魂を至らせるからです。そして、それらを実践した魂は、動物界より一つ上の低級霊域か、あるいは動物界、あるいは地獄へと転生すると仏典にはうたわれています。
 ところで、これらのものより島そのものが、このネプチューン、救世主を阻害するとこの予言詩では説いています。それは、すでにこの救世主が大きくなったとき、その国全体の意図が一つの方向に走り、それによって救世主の動きを封じ込めるということを、この詩では述べているのでしょう。
 ところで皆さん、今週はもう一つ、大変大切な予言詩を紹介しようと思いましたが、時間がありません。よって、時間がある限りまず詩を読んでみたいと思います。ヴィマラ君、一行目。

(スワミ・ヴィマラ) 「La barbe cr□pe & noire par engin」

(マンジュシュリー正悟師) 「縮れて黒い髭の者が智慧によって。あ、尊師、お時間です。」

(尊師)大変残念です。それではまた来週。






『麻原彰晃のノストラダムスの秘密の大予言』 第7回
テープ起こし:広末

(尊師)「ノストラダムス秘密の大予言」の時間がやってまいりました。今夜もいつもと同じように、マンジュシュリー・ミトラ供養値魂、そしてヴィマラ君をこのスタジオにお招きしています。

(聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂:以下M)マンジュシュリー・ミトラです。

(スワミ・ヴィマラ:以下V)ヴィマラです。

(尊師)今日は皆さんに、ノストラダムス研究家のだれも解明できなかった「CHYREN」の謎、そして新しい詩を一つ紹介したいと思います。ヴィマラ君、今日の新しい詩は何章の何かな。

(V)はい。二章の七十九番です。

(尊師)よし。じゃまずそれをフランス語、あの原文から行こう。

(V)はい。――原文朗読。

(尊師)マンジュシュリー・ミトラ供養値魂、この詩の意味は。

(M)はい。
ちぢれて黒い髭の者が、智慧によって、
残酷で高慢な人々を征服する。
永遠の千の王国の意外な者は解放する。
すべての捕虜たちを天の命令によって。

(尊師)この「征服する」という物騒な言葉が出てきたが、この征服するというのは、例えば転輪聖王がすべての国々を征服するときの征服、これは全く武力を使わないわけだが、これと同じ意味であるとわたしは考えているわけだが、これについてはどうだ。マンジュシュリー。

(M)はい。やはり、徳によって自然に人々が従うようになるという状態も「征服する」でいいと思いますが。

(尊師)うん。ではあのうヴィマラ君。

(V)はい。

(尊師)あのう、この一行目から詳しく単語の分析をしたいと思うが、どうだ。

(V)はい。

(尊師)まず一行目、読んでください。

(V)――原文朗読。で、一語目。「ラ」ですが、これは定冠詞。で、「バフル」、これが「髭」です。で、「クェスプ」、これが「ちぢれた」。で、次が「エ」、これは遠い接続詞で、まあ英語の and に当たります。次が「ヌァーフ」、これが「黒い」。で「パーフ」、これが「手段」を表わして「〜によって」。で、「アンジャン」、これが「智慧」としました。

(尊師)うん。ということは、ちぢれていて、しかも黒い髭のどうやら男が現われるようだね。

(V)はい。

(尊師)で、そのちぢれて黒い髭の者が智慧によって征服するということだね。

(V)はい、そうです。

(尊師)うーん。マンジュシュリー供養値魂はこの詩について、どう思います。この一行目については。

(M)あっ、これはあの明快だと思いますが。

(尊師)うーん。

(M)ちぢれて黒い髭を持ち、しかもあの大いなる智慧を持っている、そういう者が現われるということですよね。

(尊師)うんうん。そうだね。

(M)しかも、この黒い髭、この色からしてまあ金髪ではないと。だから少なくとも西洋人ではなさそうな感じがしますねえ。あと、「ちぢれて黒い髭の者が」ということで、そのものを表現するということから見て、まず第一にその髭が目につくと。で、しかもそのときの周り大衆はそれほど同じような髭を持っている人はいない。ちょうど、尊師が雑誌で叩かれたときに「髭もじゃの男」と形容されたような、そういう感じじゃないでしょうか。

(尊師)うん。それは確かに正しいだろうね。じゃ、ヴィマラ君、二行目行こうか。

(V)――原文朗読。

(尊師)意味はどういう意味だ、マンジュシュリー供養値魂。

(M)はい。「残酷で高慢な人々を征服する。」

(尊師)うーん。じゃあ、この髭もじゃの男が残酷で高慢な人を征服すると予言されているんだね。

(M)はい、「人々を」です。

(尊師)「人々」をね。

(M)はい。

(尊師)うーん。三行目は。

(V)はい。――原文朗読。

(M)「永遠の千の王国の偉大な者は解放する。」

(尊師)この「千の王国」という言葉が「CHYREN」だな、ヴィマラ。

(V)はい、そうです。

(尊師)この「CHYREN」はいろいろとノストラダムス研究家の研究の対象となっているわけだが、これはそれほど難しい意味はないよね。

(V)はい。

(尊師)千の王国については、別に「小羊であるキリスト」という意味があるよね。

(V)はい。

(尊師)これについては少しあのう、言語的な説明をしてくれるかな。

(V)はい、わかりました。最初の「CHY」を、これをキーと発音できるわけですが、これはギリシャ語のキーに当たると。で、これはキリスト、で、ギリシャ語のクリストスの頭文字であって、で、このキリストを象徴する文字であると、このシンボルの辞典には書かれていました。

(尊師)うーん。

(V)で、次の「REN」ですが、ギリシャ語で「レーン」という小羊という単語があります。で、その二つが重なっていると。

(尊師)うーん。ということは、小羊であるキリストは黒髭の持ち主であり、かつちぢれた毛を有していると考えるべきだね。

(V)はい。

(尊師)しかもこのキリストは千の王国の使命を受けてきたということだね。

(V)はい、そうです。

(M)この千の王国というのは?

(尊師)これは、あの神聖世界の意味で、もともと創造主、ブラフマン、あるいはこの宇宙を維持するヴィシュヌ、あるいはこの宇宙を破壊するシヴァという、まあヒンドゥーの三神の考え方があるわけだが、まこの創造主の世界、神聖世界を千の世界と仏典でも表現されている。まその、その意味で言ったら、間違いなく神聖世界の特命を受けて小羊であるキリストが黒い、しかもちぢれた髭を有してこの地上に生まれ変わったとみるべきではないかと思うけど、どうかな。

(M)よくわかります。

(尊師)ところでヴィマラ君。

(V)はい。

(尊師)この「CHYREN」は一般的にはどのように解釈されているのかな。

(V)はい。えー、この綴りを並べ変えると、「アンリ、レッシー」となるんですが、この「シー」というのはフランス語のサンク?で五ですから、あのアンリ五世というふうに……

(尊師)ところでこの並べ変えるという作業だけども、

(V)はい。

(尊師)わたしは大変あのう、このスペルを並べ変えることに疑問を持っているんだね。というのは、スペルを並べ変えたら、かなりの多くの単語ができあがると思うんだけど、どうだそれは。

(V)はい、そう思います。

(尊師)やはり、それはあのう、「こうありたい」、「こうあってほしい」と願う心が作り出した過ちではないかと思うんだけど、これはマンジュシュリー供養値魂、どう思いますか。

(M)そうですね。特に予言を残す側の立場からすると、自分の詩の単語を勝手に並べ変えられて意味を勝手につけられたのでは、これは予言にならないと思うんですが。

(尊師)うーん。その通りだね。では、四行目行こうか。

(V)はい。――原文朗読。

(M)すべての捕虜たちよ、天の命令によって。

(尊師)ここでいう「捕虜」というのは、他にどういう意味があるのかな。

(V)えーと、自由を奪った者の力、権力に落ちたというか……。

(尊師)ん、マンジュシュリー供養値魂どうかな。

(M)この「捕虜たち」という言葉ですが、その必ずしもその、えー戦争で捕まったりとか、えとそういう形ではないようですねえ、どうも。あのー例えば束縛された、あるいは虜になった、偏見にとらわれているとか、激情の虜になっているとか、そういった形でも使えられております。

(尊師)うーん。ということは、どうやらこの意味合いは、千の王国の小羊であるキリストが全世界に多くの法則を説き明かし、それによって煩悩に、つまり悪魔に支配されている魂を済度するということをこの詩は言っているんじゃないだろうか。

(V)はい。そう思います。

(尊師)つまり、これは二行目の詩と四行目の詩は、同じ現象を違った形で説いてると見るべきだと思うけど、どうだろうか。

(M)おっしゃるとおりだと思います。

(尊師)では、最後にもう一度二行目と四行目の詩の意味合いを言ってくれるかな。まず、二行目。

(M)残酷で、高慢な人々を征服する。

(尊師)四行目は。

(M)すべての捕虜たちを天の命令によって。

(尊師)ということは、この残酷で高慢な人たちを真理の法則によって偏見から解放する、あるいは悪魔から解放する、しかもそれは天の命令によってととらえるのがこの詩の正当な考え方であると思われるわけだけど、どうかな。ヴィマラ君。

(V)はい、そう思います。

(尊師)また逆に、これは一行目と三行目も、あのうダブってるよね。

(M)同じ意味を表わしていると思います。

(尊師)一行目は。

(M)ちぢれて黒い髭の者が智慧によって。

(尊師)三行目は。

(M)永遠の千の王国の偉大な者は解放する。

(尊師)うーん。要するにこれは、ちぢれて黒い髭の者イコール永遠の千の王国、これはこの千の王国というのが小羊であるキリストだよね。

(V)はい。

(尊師)が、解放すると。

(V)はい。

(尊師)つまり智慧によって解放するというとらえ方ができるよね。

(M)はい、そのとおりですね。

(尊師)では、この一行目から四行目までの詩をマンジュシュリー供養値魂、まとめてくれるかな。どういう詩の内容であると。

(M)はい。まず神聖世界、偉大な千の王国から救世主が、まあこの世界に降りてくると。それは小羊であるキリストなどとも表現されておりますが、その特徴は、ちぢれて、まあ黒い髭を持っており、大いなる智慧を有していると。で、その方がその智慧によって、人々を解放する。その人々というのは、残酷で高慢な人々と表現されておりますが、まあそれによって結局、悪魔にとらわれた捕虜という形をしていると。その方は天の命令によって智慧を用いて法則を説き、その人々をまあ済度するという形になると思います。

(尊師)そうだね。ところで、ここで小羊について少し説明をしておきたい。小羊とは、羊飼いの言うがままに目的地へ送られる羊、しかも、それはイダー、ピンガラが通っていると。それを二本の角で表わし、そして白い衣は功徳に満ちたことを表わしている。性格は従順で、決して羊飼いから離れることなく、そして大きくなったら多くの人に羊の毛を与えることによって功徳を積む。そして、自分の肉すら人間のために食として供養する。こういう複雑な意味合いがあるんだね。

(M)そこまでちょっと考えたことはなかったですね。

(尊師)したがって、この小羊であるキリストとは多くの人のカルマをしょい、そして多くの真理の法則を説き明かし、この地上をシャンバラと化す魂であると考えるべきだと思う。それではまた来週、さよなら。






『麻原彰晃のノストラダムス秘密の大予言』 第8回
テープ起こし:広末

(尊師)『ノストラダムス秘密の大予言』の時間がやってまいりました。この「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」を聴いてらっしゃる皆さん、毎週楽しみに、この『ノストラダムス秘密の大予言』の時間を聴いていますか。今夜もいつもと同じように、わたしの高弟である聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂、そしてヴィマラ君を呼んでいます。

(M)マンジュシュリー・ミトラです。

(V)ヴィマラです。

(尊師)今夜は「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」の聴取者の皆さんに、また一つ新しい詩をご紹介しましょう。では、ヴィマラ君、お願いします。

(V)はい。六章の五十六。――原文朗読。

(尊師)この詩には、重要語があります。それは「ナルボン」あるいは「ダルボン」といわれる言葉です。この言葉は「アルボン」の変形であるというのが今、わたしたちの見解ですが、これについて少し聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂とヴィマラ君の意見を聞いてみましょう。

(M)はい、あのまずノストラダムスのあらゆる版、そしてあらゆる詩が今コンピュータにデータベース化されておるわけなんですけど、その中でえっと使われているこの「アルボン」というのをサーチしました。それによって「アルボン」「ダルボン」「ナルボン」という要素が出てきたわけですね。で、そのうちの二つ、「ダルボン」と「ナルボン」がこの詩では使われていると。

(V)はい、で、この語の意味を探るために分解してみたんですが、まずこの「アルボン」の「アル」、「AR」これに「相続人」という意味があります。そして「ボン」、「BON」これに「聖なる」という意味がありまして、二つ合わせて「聖なる相続人」と、で……

(M)一般的には、こうどこかの地名に対応づけようというのがね多いんですけど……

(尊師)あのうノストラダムスの言葉というのは、ひっかけの言葉があるというか、例えば地名にありそうでないとか、あるいはその三つの言葉のうちの一つは地名にあるんだけども、二つが解明できないということがあると思うわけが、この「アルボン」「ナルボン」「ダルボン」についてはどうなのかな。三つとも地名に対応するのかな、これは。

(V)え、あ「ナルボン」については「ナルボンヌ」というフランスの地名があるんですが、これは「ナルボン」にさらに「NE」と後ろについて「ナルボンヌ」という地名があります。

(尊師)つまり、「アルボン」も「ダルボン」も「ナルボン」も、ないわけだよね。地名として正確には。

(V)はい、そうです。はい。

(M)正確に同じ綴りの地名はないですね。

(尊師)うん、しかしどうしても人間というのは観念が強いから、地名に当てはめたがると。ところで、これはあのうわたしの見解というよりも、そうだね、普通言語学者の見解と言った方がいいのかもしれないが、言葉というのは必ず語幹があり、接頭語があり、接尾語があると見るべきだよね、一般的には。そのような形で例えばノストラダムスが後世のわたしたちに一つの単語を分解し、語幹、あるいは接頭語、あるいは接尾語といったような形で一つのワードを提供したとしても、これは少しも不自然ではないと思われるわけだが、それについてはどうかな。

(V)はい、そう思います。

(M)で、それこそ「アルファベットを解く」という言葉に対応する行為だと思います。

(尊師)そうだね。では、この詩の意味について、これから検討してみよう。

(V)はい。では一行目。最初が「ラ」これは定冠詞。で「カントゥ」、これが形容詞で「恐れられる」。で、「アフメ」、これが「軍隊」。次が前置詞の「ドゥ」、これは「〜によって」という意味。で、次が定冠詞の「ル」。次が「エヌミ」、これが「悪魔」。そして「ナルボン」、「ナルボン」ですが、これは「アルボン」の前にNが、否定の意味でついて、で、「聖なる相続人ではない」。

(M)はい、それをまとめますと、一行目。「聖なる相続人ではない悪魔によって恐れられる軍隊は」となります。

(尊師)これは、ということは、聖なる相続人ではない悪魔がもうすでに登場していることを表わしているね。

(M)そうですね。

(尊師)つまりこれは聖なる相続人ではない、つまり悪魔に対して軍隊が存在するということを意味しているわけだね。

(M)そのとおりです。

(尊師)では、二行目行ってみよう。

(V)はい。「エフエイファ」、これが動詞の未来形で「恐怖させる」。次が「シ」、これが強調の副詞で、次がまた「フォーフ」という強調の副詞が来ます。そして、定冠詞複数形の「レ」。次が「エスペフィーク」、これが「西に属する人々」。

(M)はい。これをまとめますと、二行目は、「西に属する人々をひどく恐怖させる」となります

(尊師)これは、一行目、二行目を検討すると、「西に属する人々」イコール「悪魔」、あるいは「聖なる相続人でない」というふうに解すべきだね、これは。

(M)一行目と二行目は、同じ現象を別の面から表現しているだけだと思います。

(尊師)ということは、今は東側、特にアジアはひどい状態であるわけだけど、このアジアの状態から何かが立ち現われると見るべきかもしれないね、これについては。また、もう一つここで検討しなきゃならないことは「悪魔」という意味だ。この「悪魔」という意味は、これはキリスト教においてもそうだし、仏教に置いてもそうだけれども、要するに死を司り、死によってまあコントロールする、死の恐怖によってコントロールする、あるいはこの生というものを与えることによって、つまり生存というものを与えることによって、その生存の中で喜びを与え、それによって縛りつけるという意味があるわけだね。
 したがって、その意味においては、この物質文明はまさに悪魔の現出した文明であると見ることができるわけだ。したがって、この現代文明と呼ばれる文明は、明らかに悪魔の勝利宣言した文明と見るべきなんだよ。

(M)そうしますと、この死によってひどく恐怖させると。恐怖という言葉が出てくるんですけども、これ以前にはその恐怖というのは、ほとんど存在しないと考えていいんでしょうか、西側に。

(尊師)そのとおりだ。つまり、あのうそのう聖なる相続人でない人たちには、全く恐怖する対象がなかったわけだけども、どうやらその恐怖させる対象の軍隊が登場することを予言してるね、ここでは。では、三行目行ってみようか。

(V)はい。一語目が「パフピニアン」、これは「ペフピニアン」という都市名があるんですが、その最初のAとEが変わっているんですが、これを、が「松本を姓とする」。で、次が「ヴュイール」、これが「大乗の悟りである空に到達した者」。「パーフ」、これが前置詞で状態・様態を表わすと。次が「ル」、これが定冠詞で、「アヴァールグレ」、これが「盲目の」。そして「ダフボン」、これが「光輝く聖なる相続人」。

(尊師)この詩はすごいねえ。えっ、松本?

(M)これは尊師のことですねえ。

(尊師)これはわたしの姓ではないか、まさに。しかも盲目とくれば……。これはまさに今のわたしの状態を表わしているねえ、これは。

(M)さらに「大乗の悟りである空に到達する」これは尊師の最終解脱の状態ということができるんじゃないでしょうか。

(尊師)全く同じだね、これは。で、その松本を姓とし、大乗の空に到達した、大乗の最終解脱に到達した魂が、聖なる相続人であると言っているわけだね。

(M)しかも「光り輝く」となっておりますが、これは清らかな目で見ると、尊師が光り輝いているのがわたしたちの弟子の間でもよく見られます。

(尊師)これについてはあのう、例えばチベット仏教のカール・リンポチェ、カムトゥール・リンポチェ、あるいはテーラヴァーダのアーナンダ・マイトリー僧も、わたしが光り輝いていると言ってらっしゃるから、間違いないだろう。

(M)そうですね。世界の聖者と言われる方の中でステージの高い方たちには尊師の光輝いている様子が明らかなようですね。

(尊師)そうだねえ。ということは、「聖なる相続人」イコールわたしなのか、ちょっと重荷のようだけど。

(M)三行目まとめて訳しますと、「盲目の光輝く聖なる相続人である松本を姓とする大乗の悟りである空に到達した者」となります。

(尊師)うーん。では四行目行ってみようか。

(V)はい。「ローフ」、これが「そのとき」。で、「バクセロン」、これが「秘密の船から来た人」。「パーフ」、これが通ってきた場所を表わす前置詞です。で、次が「メーフ」、「海」です。で、「ドンハ」、これは「与える」という動詞の未来形です。そして定冠詞の複数形で、そして最後が「ピーク」、これが「患難」。

(M)はい。四行目、「そのとき海から来た秘密の船から来た人が患難を与える」となります。

(尊師)まずあのここで、二つのあのポイントがあると思われるわけだが、一つはこの「海」から――というのは、前回あの解いた詩の中の「ネプチューン」、まあ「ポセイドン」とわたしたちはあの同義だと考えているわけだが、これと同じだね、この「海」というのは。

(M)はい、やはり同じ存在のことを表わしていると思いますね。

(尊師)しかも「秘密の船」というのは、これはあのう同じ訳語をサンスクリット語に当てはめた場合、タントラヤーナとなるんだね。つまり、タントラヤーナの船から来た魂ということにねるよね、これは。尊師の説かれている教義、ヒナヤーナ、マハーヤーナ、タントラヤーナ、ヴァジラヤーナ、テーラヴァーダとありますが、特にタントラヤーナも重要な意味を持っておりますよね、オウム真理教において。

(尊師)まあ、特に速く解脱・悟りへ到達するための最高の方法であるという定義があるよね。

(M)はい。

(尊師)で、タントラヤーナをこれは成就していることを表わしているよね。

(M)はい。

(尊師)つまり、タントラヤーナの船から来た魂。しかも、この「海」というのは、わたしたちの定義では宇宙だから。ということは、その魂が「患難を与える」、これはだれに患難を与えるんだろうか。

(M)やはり、世界中の救われるべき人々に対してではないでしょうか。

(尊師)そういう見方と同時に、もう一つは悪魔に支配されてる西側の人と見るべきだと思うが、どうだろう。つまり、二行目を四行目は補足していると。そしてこの聖なる相続人でない、つまり悪魔の支配下にある人々をも結局患難を与えることによって救済するというふうにこの予言詩はとるべきだと思うんだよ。

(M)ああ、そうしますと、この「患難を与える」というのは、やはり大いなるカルマ落としを表しているんでしょうか。

(尊師)そうだね。あのうカルマ落しと同時に、今まで自分たちが実践してきた教えと全く違う高次元の教えを与えられることによって、その人たちが自分の生き方を変え、生き方を変えることによって、まあ多くの一時的にカルマ落しがあるわけだが、それによって患難が与えられると見るべきだろうね、これは。

(M)わかりました。ところで、この「松本を姓とする」なんですけど、

(尊師)うん。

(M)日本でも予言者がいまして、出口王仁三郎という方なんですが、「松の世」という表現をしているんですねえ。

(尊師)ああ、そうなんだ。出口王仁三郎はわたしもよく知っているんだが、大本教の二大教祖、出口ナオの婿養子として入られた人だね。そしてまあ、かなりあのういろいろな予言、あるいは大事業を展開なさり、国家の弾圧を受けたということをわたしは聞いてるわけだけども、その出口王仁三郎がどのような予言をしているのかな。

(M)はい。「いよいよ弥勒出現の暁となり、弥勒の神下生して三界の大改正を成就し、松の世を顕現するためここにしんちゅうを立て」云々と続いております。

(尊師)ほうほうほうほう。

(M)つまり、「松の世」、これがあの彼のいうところの理想的な社会のような感じがするんですけども、それを作り上げるのが「弥勒」であるという形で説いているんですね。

(尊師)ところでわたしは、一九九一年の『朝まで生テレビ』で、「わたしはマイトレーヤである」という発言をしたわけだが、このマイトレーヤと弥勒とは全く同じ意味合いだよね。つまり、マイトレーヤを漢訳して弥勒となったわけだね。

(M)そうです。

(尊師)しかし、まあその麻原が、つまり松本が弥勒であるという証明がいくつか必要となるわけだが、それについては聖者マンジュシュリー・ミトラ供養値魂、どうかな。

(M)ええ、まずこれはわたしたちも驚いたんですが、尊師が『マハーヤーナ・スートラ』という本を出された後、チベットに行かれまして、でそこでチベットの聖者と話されたときのことですけども、「マイトレーヤが降誕し『マハーヤーナ・スートラ』を著わす」と、そういう具合に彼らはあの認識していたんですね。

(尊師)そうだね。うーん。

(M)これはまさにあのう、尊師のことをマイトレーヤであると、何の予備知識もなしに彼らが表明したということになったと、わたしたちも非常にあの感銘深かった事件です。

(尊師)ふんふんふん、んん。それからマイトレーヤは、あのもともと中東でミトラと呼ばれていたよね。

(M)はい。

(尊師)で、このミトラはアフラに属し、アフラとはインド宗教に至り、そこで阿修羅という発言(発音の間違い?)に変わったわけだけど、もともとは非天、つまり愛欲天でないという意味があったわけだね。つまり「ア」は否定であり、「スラ」、「スラ」とは天界、天であると。つまり天ではないと。で、「天ではない」イコール「天より下である」と説いたわけだが、実際はそうではなく、愛欲神より上であると見るべきだね、これは。

(M)はい。

(尊師)なぜならば、ゾロアスター教においてデーヴァより高い神としてアフラが規定されているよね。

(M)そのとおりです。このアフラの世界というのは、そうしますとわたしたちの神聖世界のさらに上にある光音天を表わしているわけですよね。

(尊師)ところでこの光音天というのは、仏教的に見て大変重要な役割があるんだね。つまり、この宇宙が、一千世界がまあ創造されると、そして維持され破壊されると。破壊された段階で徳のある魂は光音天界に入り、そして徳のない魂は地獄へ至るとなっているんだ。

(M)完全に二分化されるわけですか。

(尊師)そのとおりだ。したがって、このアフライコール光音天と見るならば、この光音天は大変重要な意味合いがあるわけだね。つまり、すべての魂が救済されるということは、まず第一の条件として、この光音天界へ入る要素を蓄積させる、形成させるということが狙いになるわけなんだよ。そうなると、このミトラがアフラに属する、つまり光音天に属するということは大変重要な意味があると。というのは、例えばキリスト教の救済にしろ、ユダヤ教の救済にしろ、この世界へ導き戻すということなんだね。しかもここでは今のわたしたちの粗雑な身体がなく、微細な身体しかなく、しかも喜びそのものが食事であり、わたしたちは空中を飛び、そして自由にお互いに疑うことなく喜びわかちあうことができると経典には載っているんだよ。

(M)そうしますと、少し高い世界へ転生するというようなレベルではなく、やっぱり完全な救済を意味しているわけですね。

(尊師)そのとおりだ。例えば今のキリスト教徒にしろ仏教徒にしろ、五戒も守れないような状態では、あるいは教えの何たるかを理解できないような状態では、だれも救済されない。ちょうどそれはキリスト教学校、あるいは仏教徒学校に入り、何の勉強もしない状態で存在するのと同じで、結局救済されない魂だということになるわけだね。

(M)でも、世界のほとんどすべての人々が、その定義からいくと救済されない魂に入るんではないでしょうか。

(尊師)よって、そこで救世主が登場するんだよ。そして、法則をいろいろな形を使って、例えばマスメディア等を使って、あるいはミニメディアを使って広め、それによって、まず徳のある魂に気づかせ、そして徳のある魂の実践により、この世界を光輝く世界にし、徳のない魂に自分たちのなしていることがどのような結果を招くのかを理解させる。そして、徳のない魂をも救おうとするのが、この救済計画の大いなる意味合いなんだよ。
 ところで、マンジュシュリー供養値魂は、わたしの前生をかなり知っていると思うわけだけども……

(M)ええ、やはり一番印象に深いのは、阿修羅界の王であったとき、このときはまあわたくしもいたわけなんですけども、阿修羅の世界を法によって統一し、そして戦いのない崇高な世界に作り変えたのが尊師でしたよね。

(尊師)そうだね。今生もわたしたちはいっさい武力を使わず、真理の法則により、その法輪を回すことにより救済をしたいと考えているわけだが、まさにこの非天に属するマイトレーヤイコール麻原という公式は、客観的に見てそれほど飛躍したものであるとは思えないと思うわけだけど、どうかな。

(V)はい、そう思われます。

(M)その阿修羅が一般的には海に住んでいるといわれていることからも、それが重ねて証明されますね。

(尊師)そうだね。ところで、儒教的なものの考え方をするならば、このように「わたしは〜である」と言い切るのは、大変傲慢に聞こえるかもしれません。しかしね、仏教には「獅子吼」という言葉があります。これは、わたしは例えば「偉大な聖者である」、「わたしは覚者である」、「わたしは王である」、これを大いに周りの人に吠えなさいと。しかし、それと同時に、その確証を見せる必要がある。そして確証のある場合、それを見せ、吠えることこそが救済であると説いているんだね。したがってわたしもその例にもれず、今日は少し獅子吼をしたわけだけど、皆さんがこの「ノストラダムス秘密の大予言」によって真理に気付いてくれたら大変うれしいなと思います。
 それではまた来週会いましょう。




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