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●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.349〜P.352)

第五十四話(一九九四年四月二十七日 南青山東京総本部)

 君たちは、解脱という状態について、あまり理解できないかもしれない。しかし、わかりやすい例でここで一つ説明をしよう。君たちも知ってのとおり、八八年以来、続いてきている毒ガス攻撃によって、特に近ごろは頻繁に例えばわたしの行く先々でヘリコプター、飛行機等からの噴霧が行なわれるわけだが、この状況の中で普通の人はどう考えるかというと、その肉体の苦痛、あるいは肉体の痛み等に心が動かされ、そしてそれによって例えば寝込み、じっとその痛みに耐えるといったような状態を考えているかもしれない。
 しかし、実際わたしは三月の終わりから、今までの間、だいたい二日に一回は今の第六サティアンに帰るというかたちを取っているわけだが、まあだいたい平均すると、一日五百キロの行程を車で移動している。この車で移動している目的は何かというと、これは前回の名古屋での説法でも述べたとおり、いつ死んでも悔いのないように、つまり、君たちにしっかりと法則を説き明かさなければならないということが一つあるし、それからもう一つは、肉体の苦痛そのものがわたしの精神には影響を与えないんだということである。
 これは実際、サキャ神賢の最後のニルヴァーナに入られるときのプロセスを考えたら、よくわかる。サキャ神賢は自分自身が、「さあ、肉体を捨てよう」と考えてからどうなさったかというと、わざわざその目的を果たすために、チュンダの−−まあ、二説あるけどね−−一つは茸、もう一つは豚肉という説があるけど、それの供養を受けられたと。そしてその後、下痢をしながらも歩き続けられ、そして最後はニルヴァーナの地(※クシナーラー)で涅槃されたと。つまり、それまではずっと歩き通しであったと。
 で、なぜそれができるんだと。普通は下痢し、そして熱が生じていたら動けないはずである。これが解脱の状態なのである。解脱の状態というものはエレメント、つまり肉体の要素に影響されないのである。したがって、例えばわたしがあなた方と別れるときは瞬間的な別れになるだろう。つまり、今毒ガス攻撃を行なっている者たちがもし成果を得るとするならば、そのときには瞬間的な効果ということになる。つまり、ある日突然、昨日までは元気だったのに、急に逝ってしまうというかたちね。それまではわたしの活動は続くはずである。これが解脱した者と、それから解脱してない者の違いである。それは例えばわたしの体全体が、その毒ガスの影響によって、あるいは病によって冒されたとしても、わたしの活動は続く。したがって君たちはその解脱の素晴らしさ、これを理解する必要がある。
 ではなぜ、素晴らしいといえるのかという問題について、次は考えなければならない。わたしたちはわたしたちが死ぬ直前の状態が次の輪廻の状態であるという教えを知っているよね、君たちは。例えば例を挙げるならば、ある人がいたとして、その人が例えば薬物によって無智の状態、全く記憶もない、眠りのような状態で死んでいった場合は、来世は動物界へ転生すると。でしょ。例えば、「痛い痛い痛い」と苦しみながら死んでいった場合、その魂はその嫌悪、痛みのカルマによつて地獄へ転生する。だよね。例えば、「食べたい食べたい」、「あれが欲しいよ、これが欲しい」という欲求の状態で死んでいつた場合は低級霊域へ転生するよね。どうかな。
 じゃあ、今生救世主であり、来世救世主の魂は、どのような生き方で死ぬと思うか。当然心の中に絶えず救済を意識し、そして活動を続け、そのままの状態で逝ってしまうと。意識はそのままの状態で救済を意識しているから、たとえこの肉体が滅んだとしても、次に肉体が生じる、その肉体はまた救世主の肉体となる。わかるかな。これが救済者、あるいはボーディサットヴァの生き方なんだ。
 ちょうどそれは、例えばサキャ神賢がすべての魂に供養しようといって、布施堂を建てられ、そして多くの布施をなさり、それを嫉妬したマーラが、あるいは有能神が−−ここで「マ−ラが、あるいは有能神が」と言っているのは、経典によってその二つのパタ−ンがあるから、今話をしているわけだけど−−そのサキャ神賢の財物を隠されたときに、サキャ神賢のとられる道というのは、絶えず一つしかないと。それは布施を続けるために、例えば草を刈ったり、あるいは実際に布施を、例えば修行者に対して布施を行なうために、地獄へ落ちる道があったとしても、堂々と布施をなさる。つまり、そこで死んだとしても、その布施をした、「布施をし続けるぞ」という意識は次の身体をまた獲得すると。その次の身体は、またその布施の実践に適した身体となる、ということになる。わかるかな。
 同じように、ボーディサットヴァも同じである。つまり、ボーディサットヴァも死ぬ直前の意識状態、というよりもそれまで培ってきた意識状態の状態で逝かなければならない。だから例えばボーディサットヴァが「ああ、苦しいよ苦しいよ、痛いよ痛いよ、悲しいよ悲しいよ」ということは決してあり得ないのである。
 この肉体もまたマーヤである。「肉体もまたマーヤ」とは何かというと、これもわたしたちの過去世からの経験の構成、あるいは今生培った経験の構成の結果として存在している。これが肉体である。ということはこれもまた無常を根本として、ただ単に蓄積されたものにすぎない。
 したがって、その蓄積されたものに心が動かされるとするならば、それは悟りの最終地点でもないし、解脱の最終地点でもないのである。なぜならば、悟り・解脱の最終地点は全放棄、つまりすべてのものに対して完全に放棄、つまり手放し切る状態を指すと。だとするならば、この病に苦しんでいる肉体に対して放棄できないはずはない。これは口で言うのは簡単である。そして多くの宗教家が口で言ってきたと。しかし、例えば病で倒れ、咳をし、「ゴホン、ゴホン」といいながら、ベッドで何週間も何ヵ月も苦しみながら死んでいくと。これは放棄した状態であるかどうか。放棄した状態ではないということになると。
 つまり、意識がもし救済を意識しているとするならば、そういう状態でもしっかり活動し、そして自分自身が救済しなければならないこと、その救済計画をしっかりと達成しなければならないわけである。これが「成就」とそれから「凡夫」の違いである。
 もちろん、わたしも一日二日、ね、気を失っているときがある。しかし、一日例えば気を失っているとしても、そのときには別に肉体に苦しみがあるわけではなく、肉体からしっかり抜け出し、いろんな経験をするということになる。これはサマディである。
 したがって、あなた方が目標としなければならないのは、グルである。ではグルの何を目標とする必要があるのか。それはグルの生き方を目標とする必要がある。これは在家の道であろうと出家の道であろうと、グルの生き方を目的とする必要がある。そして、死ぬまでには自分自身は少なくとも人間以上の意識をしっかり培い、堂々とこの肉体を捨てられる、肉体から離れられる要素を形成する必要があるのである。そして、わたしはそのためのお手伝いをあなた方が死ぬまでしよう。
 とはいえ、先程も言ったとおり、わたしの方が先に逝く可能性が非常に高い。わたしが「可能性が高い」と言っているのは、グナの干渉、別の言い方をすれば、マーラの干渉、悪魔の干渉がどの程度わたしに対して影響を与えるのかということは未知数なのである。なぜならば、ボーディサットヴァの生き方というのは絶えず TRY TO THE BEST、つまりベストを尽くしていると。ベストを尽くしているということは、絶えず、過負荷の状態で存在していると。過負荷ってわかるよね。わかりますか。この過負荷の状態で存在しているということは、耐えられたから、その次のまた限界点へ至るだろう。これはわたしが四十一歳、つまり九六年であると。それに耐えられたら、もうその後はわたしは四十年、五十年、六十年と生きるかもしれない。だからポイントはこの二年間にかかっていると。
 しかし、そこで来る過負荷というものは、かなり大きなものであることは間違いない。したがって、あなた方にもわたしの死期を以前から予言して、そして、今回第一回目の死期、ここではっきり現われたのがサリン等の毒ガス現象であったということである。次はひょっとしたら原爆かもしれないね。事実、まあわたしの調査によると、この日本の重力異常をアメリカが検査して、−−まあ、この重力異常というものは何に影響を与えるのかというと、ICBM、大陸間弾道弾のね、修正というか、ぴったしとその目的に、目的の場所に当てるために必要な条件になるわけだが、そのための修正、つまり、今ICBMは日本に向けられてセットされているんじゃないかという話もある。したがって、九六年、原爆というのも、ま、原爆じゃない、水爆でもいいけどね、核弾頭というのも非常に、ない話じゃないな、という印象を持っている。
 まあ、いずれにしろ、わたしたちはこの人間の生を一つの場として、つまり自分自身の高い世界へ至るための訓練の場として、しっかり認識し、瞬間瞬間、一時一時を大切に生きようではないか。いいね。そのためには聖・科・武、あるいは四つの育、徳育、智慧育、それから聖育、そして気育というこの四つの育をしっかりと培いなさい。いいね。じゃ、しっかり頑張ろう。



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