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●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.307〜P.312)

第四十八話(一九九四年三月十三日 大阪支部)

 一九八九年九月、月の終わりに東京の杉並のある場所で瞑想をしているとき、いきなり頭頂が開き、そしてそこからどんよりとしたエネルギーと同時に、わたしに「キリストになれ」という示唆が降りた。
 みなさんはキリストというと“聖なるもの”、そして“偉大な救世主”という認識があるかもしれない。しかし、その当時のわたしにとって、キリストとは“ユダヤにおける一宗教的指導者”であり、彼の人生はただ単に苦難に満ちた人生、まさに“ほふられた小羊”、つまり“犠牲になった小羊”であるという印象しかなかった。したがって、いったいこの意味は何を意昧しているのか、これからわたしがどのような運命を歩かなければならないのか、それについてしばらく悩んだものである。
 この「悩んだもの」というのは、例えば一般的にいうならば、苦しみとかあるいは憂いとかを含むわけだが、最終解脱をすると、そこに心の動きそのものが存在しない。では何が存在するのかというと、熟考と吟味が存在すると。
 そして、案の定、神々の悪戯、啓示であったことを表わすかのように、八九年から強烈なオウムバッシングが続いた。これは彼らが、つまり世界を統一しようとしているあるグループがアメリカを使い、そしてアメリカの配下としてのJCIA、内閣調査室を使い、あるいは公安を使い、オウム真理教の完全弾圧に踏み出したことを表わすサインだった、ということをわたしは近ごろ初めて知ったのである。
 近ごろ初めて知ったというのはどういうことかというと、例えば、この弾圧が日本の宗教団体、まあ例えば今これは有名な話だが、フリーメーソンの手先として頑張っている池田大作氏の率いる創価学会や、あるいは新生党の裏の実力者といわれている小沢一郎氏等々というラインまでの読みについては簡単に理解することができたわけだが、そうではなくその背景に、より大きな力が働いているということを知ったのが近ごろであるという意味である。
 わたしのこの左頬の上にある、まあこめかみといってもいいのかもしれないが−−水疱は、これはイペリットガス、あるいはマスタードガスといえばいいのかもしれないが、要するに、びらんガス、皮膚をただれさせるガスの症状の未期の段階を表わす一つの兆候である。末期の段階を表わす一つの兆候とは、このマスタードガスは四期に分かれ、そして最終的には皮膚湿疹と胸の締めつけ、出血、そして心臓の苦しみ等によってこの世を去らなければならない、そのような毒ガスなのである。
 この毒ガスは中国において若干使われ、またドイツが大量に研究開発したことが世界史上知られている。そしてその大量の毒ガスによってわたし自体がほふられなければならないとは、まだ八九年の段階でわたしは知ることができなかった。
 昨日、わたしはこの大阪支部の説法において、天の法則の中の「天羅地網」とそれから「綾急の法則」について説いた。昨日この道場に来ていらっしゃらない方が若干名いるということだから、もう一度簡単に説明すると、「天羅地網」とは、あらゆる空間に人を配置し、そしてそれを網の目のように配置することによって、敵対する勢力のエネルギーを完全に摩擦によって摩滅していく方法である。この方法は、例えばいかに運動エネルギーがあったとしても、その物体に対して働き続けるαという加速度よりもμという抵抗、これが大きい場合、その物体の運動は静止に向かう。これと同じように、その組織の持つ、まあ例えばわたしの持つエネルギー、あるいは組織全体の持つエネルギーより、抵抗μを大きくすることによってその活動を停止させてしまう、という法則なのである。
 もう一つは緩急の法則である。この緩の法則と急の法則とは、「緩」とは要するにじわじわと攻め、見えないかたちで滅ぼしてしまう方法であり、「急」の法則とは、逆に例えばそれはちょうど去年の四月だったと思われるが、アメリカで起きた宗教団体つぶし、FBIの宗教団体つぶしのように武力を行使したり、あるいは政治的な圧力によって、あるいは司法における圧力によって完全に対象をつぶしてしまう方式である。
 この緩急の法則とそして天羅地網の二つが力を発揮するようになったのが、皆さんもよく知っている例えば坂本事件である。これらの例えばデッチ上げ・ねつ造等によって、堂々と国家はマスコミを使い、そして警察を使い、例えば信徒の宅訪、あるいは信徒、入会した信徒、もう坂本事件が終わって何年も経っているのに、その新しい信徒の親族等を回り、そしてその信徒が活動しづらい状況を作っていくと。この天羅地網の法則に対して破る手だてというのは、与えられる抵抗μよりも加速度αの方が強ければ徐々に徐々に組織は拡大し、そしてその網を破ることとなる。
 オウム真理教自体の活動は、先程述べた天羅地網のこの網にもかかわらず、少しずつ少しずつ大きくなってきている。もともとオウム真理教の持つ、その加速度を確信していた彼らは、先程述べた、わたしたちを秘密裏に抹殺する毒ガス作戦に出たのである。これは仙台での説法でも述べたが、彼らの取った手は非常に巧妙である。例えば、もしわたしたちが毒ガスだということで毒ガスマスクを着けたとするならば、彼らは教団に押し入いり、そして、「こいつらは毒ガスを製作している」と、「そのための防御として毒ガスマスクをしているんだ」というふうにアピールし、そして強引な司法の権力によってわたしたちをつぶしにかかったはずである。
 ではだ。わたしたちがなぜこのようなほふられた運命、つまりいけにえとしての運命を歩かなければならないのか、について説かなければならない。もともとキリスト教の特徴とは何かというと、これは“罪をあがなう宗教”という意味が存在する。つまり、例えばキリストを信じたならば、そのときからその人の罪は解放されると。これはちょうど、わたしがあなた方のザンゲを受けるとあなた方の罪がわたしに来、そしてあなた方のカルマが解放され、そこから救済されることを意味している。これと同じように、例えばその集団が、例えばわたしや高弟たちがあなた方の罪を背負うとするならば、当然それはほふられる運命にあるのである。
 したがって、今このような状況にあることそのものが、キリストとそしてキリストの弟子たちの集団であることの証明といっても、それは正しいということができる。なぜならば、もともとエネルギーは絶対的に一定であり、とするならば、例えばあなた方の悪業がどこかで消滅しなければならない。それはあなた方が帰依する対象であるわたしや、あるいはわたしの弟子たちがそれを背負い、そしてそれによってあなた方の罪が解放されなければならないからである。
 しかし、とはいえだ。聖書では今生キリストは長生きをすることになっている。きっと今から二千年前に現われたキリストの教訓にふまえ、よりいっそう強固な智慧とそれから強固な肉体を作るためのいろいろな秘法を用いて、一九○○年代の終わりに現われるキリストは、それに対抗すべく運命を歩かなければならなかったということができるであろう。
 キリストを十字架に架けたユダヤの運命については、皆さんもよく知っているはずである。その後、ローマに追われ、そして流浪の民として一九○○年代の半ばまで彼らは放浪を続けなければならなかったと。つまり、自国を持つことができなかったのである。それほど一人の型者を冒涜したり、あるいは誇ったりすると、経典に書かれているように、激苦地獄への運命を歩かなければならないのである。キリストの弟子たちは、聖書を見てもわかるとおり、非常に未熟であったと。あの未熟な弟子たち−−もちろんキリストは聖者であったということだから−−あの未熱な弟子たちを謗ったとしても、あるいは殺したとしてもそれほど多くの、つまり国家が影響を受けなければならないほどの罪には至らなかったはずである。だとするならば、キリスト一人をユダヤ人が十字架に架けたことによって、彼らの悲運は始まったといわなければならない。
 オウム真理教の場合はどうかというと、偉大な成就者たちが存在している。その成就者たちが例えば血を吐き、あるいは鼻から出血し、あるいは湿疹ができ、あるいは心臓に痛みが走り、あるいは目が見えなくなるといったような今回の毒ガス反応は、この日本にとって現世果報を現わすはずである。現世果報とは何かというと、その悪業が満ち、そしてそれが現象界に現われることを表わしている。今の日本を見てもわかるとおり、例えばスーパー三○一条がそうだし、あるいは多くの会社の倒産がそうだし、あるいは初めて岩手で起きた信用金庫つまり銀行の倒産がそうだし、まあ、まもなく拓銀が倒産するという噂もあるけどね。このような多くの一般的な現象が生じ出していると。しかしこれはまだまだ序の口である。なぜならば、先程述べたとおり、彼らは世界でただ一つの光、これをつぶそうとしているからである。
 皆さんは大変恵まれた人生を歩いているということもできるし、また皆さんは大変な人生を歩いているということもできる。恵まれた人生とは何かというと、このカーリー・ユガの時代に真理の法則を実践できる、そして自分がその気になるならば、偉大な覚醒を達成できる人生を歩いているのだということである。もともと逆境の中での修行とそれから順風満帆での修行は全くその到達する結果が違うといわれている。なぜならば、先程述べた抵抗の多い状態で到達するということは、そこへ到達させるための加速度αも大きいということだからである。したがって、この逆境の中で皆さんが偉大な達成をする、その発願を行なう実践をしているということを皆さんは誇りに思うべきである。
 しかし、皆さんはもう一つ悲しむべき運命にあるということもできる。それは、カーリー・ユガの時代ということは、例えば親子関係や、あるいは兄弟の関係や、あるいは友人の関係等がすべて逆縁によって形成されているということである。もともとこの闇の時代の特徴というのは、それぞれが嫉妬によって憎み合うということなのである。つまり、四無量心における称賛の瞑想ができない環境で皆さんは生活をしなければならないと。したがって皆さんが到連しうるはずの最高の解脱、あるいは悟りに対して本来最も喜び、恩恵を受けなければならないはずの皆さんの肉親や、あるいは知人・友人が逆に手や足を引っ張る現象が起きるはずであるということである。もしそうでないとするならば、その魂は大変恵まれた魂ということになる。
 この一九○○年代の終わりから二○○○年代にかけて、皆さんが行なわなければならない実践は聖・科・武の三つである。この「聖」とはオウム真理教の教えをしっかりと実践し、そして聖者へと至る道である。
 「科」とは現象に対して正確に熱考と吟味を重ね、それを理解する、あるいは必要な知識については経験をしっかりと根づかせながら、その対象を理解する訓練を行なうということである。
 「武」とは長の気・短の気を練るということである。長の気とは例えば易筋経等がそうであるが、身体のナーディーに対してプラーナを十分に循環させる、ゆっくりと循環させる技法であり、短の気とはそのプラーナを放出する、瞬間的に放出する、若干攻撃性を含んだ気の働きということになる。これらは皆さんが例えばアパンクリヤやヴァヤヴィヤ・クンバカやあるいはツァンダリーの瞑想、あるいは先程述べたウィンド・トレーニング等を行なうことにより、皆さんは確実に長の気・短の気を練り、そして例えば原爆が落ちようと、あるいは毒ガスの攻撃を受けようと、他の人と違い、延命できるはずである。
 これらの三つの実践、聖・科・武の実践、これを達成するために皆さんには三つの選択肢があるということができる。三つの選択肢とは何か。まず第一に在家で頑張りたいと考えている人は、早く長くパーフェクト・サーヴェーションを受け、そして解脱へ至る道である。今ここにつけているこの帽子は、これはパーフェクト・サーヴェーションの電極である。なぜわたしがこのような電極をつけているかというと、これは毒ガスから身体を回復させる上において非常に大きな力があるからである。このパーフェクト・サーヴェーションによって皆さんが悟りを開くとするならば、在家出家関係なく、皆さんの幸福な転生というものは約束される。したがって、在家で皆さんが生活する場合、必ずパーフェクト・サーヴェーションを受け、そして高い解脱へと到達するべきである。
 第二のパターンは出家の道である。これは皆さんが今生人間として生まれ、そして実際に高い解脱・悟りを目的として生きる場合、最高の道ということができる。もちろん、今出家した場合、いろいろ開発されたパーフェクト・サーヴェーション、その他の瞑想修行をまず加行として達成させ、ある段階の悟りに到達させることは間違いない。
 第三のパターン、これはマハーポーシャの道である。このマハーポーシャは、皆さんが現世にいながら、例えば会社に勤めているがゆえに瞑想実践ができないとか、例えば環境が悪くて真理の実践ができないという人のための空間および生活を保障する、現世的な生活を保障する職場と考えていただいたらよろしい。したがって皆さんが在家で達成する、あるいは出家し解脱する、あるいはその中間位をとる、この三つの実践を行なうならば、皆さんの聖・科・武は確実なかたちで完成の域へと達していくはずである。
 しっかりと頑張ろうね。いいね。

 コペルニクスやガリレオ・ガリレイは、邪宗である中世キリスト教に対して、「それでもこの地球は太陽の周りを回っているんだ」と考えたはずである。わたしも皆さんに言いたい。「けがれた魂がわたしを殺そうとしても、それでも真理はただ一つの道なんだ」とね。


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