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●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.282〜P.287)

第四十四話(一九九三年十月九日 第二サティアンビル)

 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死を避けることはいかなる魂でもできません。しかし、死を超えることを目的とし、この人間の生をそれにすべて費やしてる魂が存在します。その魂をインドやチベットでは「聖者」と呼んでいるのです。では、これらの聖者の教えおよび実践と、それからオウム真理教が説き明かす真理との関係について、これから皆さんにわかりやすく説明をしていきたいと思います。
 もともと死を超越する道、これは三つ存在します。その第一段階は、完全なる隔離・隔絶、そして、すべての煩悩を止め、それによってこの愛欲の世界の意識から離脱し、アストラル世界やあるいはコーザル世界へと至る実践を行なう修行です。この修行はヒナヤーナの修行と呼ばれています。この修行の恩恵を受けるためには、その実践を行なう場合、必ず出家し、そして、極厳修行やあるいはリトリート、つまり、隔絶した状況のもとでの修行を行なう必要があります。
 この教えと同じ結果、あるいは、それ以上の結果を得る実践が存在します。それはマハーヤーナの教えです。マハーヤーナの実践とは何かといいますと、この世の中のすべての現象をただ単に現われである、つまり、そこには愛著する要素が何一つ存在しないという理念のもとにすべてを変容する実践、つまりこれは、現実の生活を営みながら覚者への境地へ至る実践。その実践を行なうことにより、先程と同じように、この世の中に身体を有しながらアストラル世界・コーザル世界と完全につながる道、これがマハーヤーナの実践です。
 もう一つ最高の実践が存在します。それはタントラ・ヴァジラヤーナの実践です。このタントラ・ヴァジラヤーナの実践は、この世の現われはすべてが仏陀、つまり、覚者の最高の意識の現われであると考えます。そして、そのように見ることによりこの欲望世界のすべての事象をニルヴァーナと化す修行です。この修行により、先程と同じように、この現象の世界に身を置きながら、この欲望の世界に身を置きながら、アストラル世界、あるいはコーザル世界へと完全につながることができます。
 これらの三つのヤーナ、つまり三つの乗の実践の結果として、わたしたちは生死を超越することができるのです。ではなぜ、それは生死を超越する、と言うことができるのでしょうか。これについては、例えば、チベットに伝わる「チベット死者の書」というものが存在します。この『チベット死者の書』の内容は、わたしたちが死んだのち、まずコーザルの光が現われ、そして、コーザルからアストラルへ至る光線の光が現われ、そして、上位アストラルの形状の経験が現われ、そして、下位アストラルの、欲望の世界の投影の経験が現われる、とその経典では述べています。
 ではなぜ、それらの経典が正しいといえるのでしょうか。これは例えば、ある魂が死ぬ。そうすると当然その魂のカルマによって、この六つの欲の世界、つまり地獄から始まり欲望の天の世界へと輪廻するわけですが、その輪廻する世界に死後没入した魂と、先程述べた三つのヤーナ、つまり、ヒナヤーナ・マハーヤーナ・タントラ・ヴァジラヤーナの成就者は会い、話すことができるのです。
 じゃなぜ、会い話すことができると証明できるのだろうかという問題について考えなければなりません。これは例えば、生前その魂しか知らなかったことを確実にその魂とアストラルで会い、そして、体験的に言い当てる等の実践を具体的に行うことができるとするならば、当然、ヒナヤーナ、マハーヤーナ・タントラ・ヴァジラヤーナの成就者は、少なくとも死んだ魂と同じ世界に行き来することができるという一つの証明になるのではないでしようか。
 実はこのような例があります。わたしの担当する信徒の方で、ある人がガンで亡くなりました。そのときわたしは、ポワの儀式を行ない、そして彼を意識堕落天、つまりこの人間の世界より一つ上の世界へとポワしたのです。その対象は、住む世界としては白銀色の衣を着る、人間より高い科学文明を有する世界、これが意識堕落天なわけですが、その世界へ転生した証明として、それからしばらく経った後、その奥さんがご主人のそのような姿を見、そして、実際に迎えにそのご主人が来、大きな交通事故に遭ったという実例があります。このような実例は実際わたしの見たものとそれからそこの生存する魂の本質というものが関連性があるということを証明しているのではないでしょうか。
 とこで、先程述べたこの三つのヤーナの成就者たちの説明によると、この世界というものは、まず欲望世界、その裏側にある低位アストラル世界、その奥にある低位コーザル世界という最も低い心・言葉、そして行動の世界というものが存在してると呼ばれています。その上に存在するのが欲望・行動のない上位アストラル世界、および中位コーザル世界、そして、その上には上位コーザル世界が存在してると。この世界にわたしたちが生まれ変わるためには、それぞれその世界の特徴を記憶修習したり、−−「記憶修習」とは、何度も何度も言葉・心・行動で表わし、繰り返し繰り返しそれを実践したり、あるいは、特別な方法により意識だけを高い世界へ抜き出し、そしてその意識によって身体・言葉を逆に作り出すという特殊な技法を行なったり、あるいは、高い世界の身体を意図的に作り出し、そして、そこで必要なエネルギーの状態・意識の状態・言葉の状態を作るといった三つの技法が存在します。
 したがってもし、あなたが道徳的観念の持ち主であるとするならば、この蓄積の道、つまり、善行と徳の修行をひたすら行なうことによって行ける実践、この実践を行なうことにより、あなたは確実にこの人間界以上の世界へと生まれ変わることができるのです。
 今あなたがここで、この善の実践、あるいは徳の実践を記憶修習するならば、仮にですよ、仮に来世がないとしても、つまりインドやヒマラヤやあるいはチベットの聖者が嘘をついていたとしても、それはただ単に保険の掛け捨てにすぎないわけですから。しかしもし、来世があるとするならば、それは本当に恐ろしい、地獄や動物や低級霊域という低い世界に行かなければならないわけですから、そこを確信を持ち、しっかりと記憶修習をすることにより、身体・言葉・心を浄化し、高い生まれ変わりをしていただきたいものです。
 しかしこの場合、蓄積には当然時間が必要です。あなたが若者であるとするならば、この蓄積によってあなたは確実に救われるでしょう。しかしあなたがもし、若者でないとするならば、どうしたらいいでしょうか?
 つまりあなたは七十歳である、あるいはあなたは八十歳である、そしてもうすでに死の兆候が見えていると。そしてそれだけではなく、実際、例えば、もうボケが始まってると。つまり動物界へ転生する要素が表われ出してると。あるいは体中に痛みが始まってると。痛みが生起してると。つまり、来世激苦地獄へ生まれ変わる要素が表われ出してると。あるいは、ガン・糖尿病等のマニプーラ・チァクラ、つまりヘソのセンターに関係する貪りのカルマが現象化してると。そして、来世は低級霊域の苦しみを味わわきゃならないような前兆が表われ出してると。さあ、これは大変です。この場合、結論からいうならば、あなたは蓄積の道によって救済されることはほとんど不可能ということができるでしょう。
 ではあなたは、どのようなかたちで救済されるのか。それはポワしか存在しません。では、どのようなかたちでポワが可能になるのかと。それは、あなたがしっかりとオウム真理教に帰依し、そして秘密の教え、つまりタントラの教えを実践する。そこであなたなりにしっかりと、あなたの意識を、つまり煩悩の塊である意識をこの身体から抜け出させる訓練をする。そして高い世界の意識へと移し変える、この訓練をするしかないのです。もしあなたがこのポワの実践、例えばオウム真理教ではグルヨーガ・マイトレーヤ・イニシェーション等の特殊な瞑想がありますが、これらを実践するならば、あなたの死後、あなたの死んだ瞬間、そして死後、わたしやあるいはわたしの高弟たちがあなたの死に立ち合い、そしてあなたの意識を高い世界へ移し変える技法を行なうとき、中間状態に入っている、つまり、まだ来世が決定していない状態に入っているあなたの意識と連動し、必ずや人間世界以上の世界へ意識を移し変えることができるはずです。したがって、徳のない魂、悪業多き魂は密教によってしか救われないということを自覚しましょう。
 まだ、あなたは中年である。そして、エネルギーはまだある程度、集中力その他を含めて持ち合わせてる。この場合、どのように救済されるのか。蓄積の道に進むにし、蓄積の道を実践するにしては時間がちょっとかかりすぎる。つまり、今生悪業をなしてきた。しかしまだ、その兆候はあまり現われていない。さあ、あなたはこのときどのような救済をされたら救われるのでしょうか。これは、「生成の道」と呼ばれる実践と、「完成の道」と呼ばれるタントラヤーナの密儀体系の実践を行うことにより、高い世界へ至ることは百パーセント可能となります。つまり、あなたの今の苦しみ多き五つの構成要素、身体・感覚・イメージ、そして、経験の構成・識別ではなく、別の、つまり神々の身体を表象に焼きつけ、作り上げることにより、その神々の身体に息を吹き込むことにより、あなたは確実に高い世界へと転生することができるのです。例えばオウム真理教の実践においては、これは小乗のツァンダリー、あるいはグルヨーガ、大乗のツァンダリー等の基本的なタントラヤーナの教えがその道を示します。したがって、あなたが今どういう状況に置かれているかによって、あなたが救済される道というものは、三つ存在するんだということを認識すべきです。
 では。あなたがもし、もうすでに死の床に就いている。そして、まさに死の恐怖にさいなまれてる状態のとき、あなたの親族が「お母さん、あるいはお父さん、あなたはオウム真理教によってしか救われないのよ」と、こういう話を聞いたら、さあ、そのときあなたはどうしたらよろしいでしょうか?
 このとき、あなたは、できるだけの煩悩を超越するための布施を行ない、そして偉大な成就者のバルドの案内、つまりバルドを経験している者のバルドの案内の教えをしっかりと聴く実践を行なうべきです。つまり、あなたの心と成就者の心が一体化し、そしてあなたをできるだけ低い世界から守り、そして人間界以上の高い世界へ至らせる、至らせるための最後の手段、これが「バルドの教え」なのです。オウム真理教においては、体験的にも、そして経典の翻訳においても、あらゆる角度でバルドについては研究し尽くしています。したがってあなたが、オウム真理教に死の間際に帰依したとしても、救済され得る可能性というものは残ってるんだということを、しっかりと確信を持ちましょう。
 さあ、もう一度整理しましょう。
 インド・ヒマラヤ、チベットには多くの聖者が存在する。この聖者は、見えている世界だけではなく、見えない世界のすべてを経験した。そして、それらの教えがヒナヤーナ、マハーヤーナ、タントラ・ヴァジラヤーナという三つの体系に投影されている。この三つの体系の投影は、あなたを死の世界から救出するあらゆる方法をわたしたちに提示してくれている。その具体的な実践は、もしあなたが若く、まだ悪業少ない魂であるならば、「蓄積の道」という最もソフトな道を選択するだけであなたは救済されるでしょうと。あなたが、もし、今まで多くの悪業を積み、そして実際来世の兆候が現われているとするならば、あなたの救済される道は「ポワ」しかありませんよと。あなたは今生多くの悪業を積んだが、しかしまだその兆候が現われていないとするならば、あなたは「生成の道」「完成の道」というタントラ・ヴァジラヤーナの崇高な教えを実践することにより、来世高い世界へ至ることができますよと。死ぬ間際まであなたがオウム真理教を知らず、そして救済され得ない可能性が非常に高い場合、あなたが最後の三宝に対する信を振り絞ってオウム真理教に帰依することができるならば、あなたには「バルドの教え」が適用されますよと。
 さあ「あなたは、これだけ広大な、そして深遠な仏救の体系・ヨーガの体系を聞いたことがありますすか? 知っていますか? これがオウム真理教の実態なのです。
 さあこれから、しっかりとオウム真理教に帰依し、そして死を克服し、高い世界へ至ろうでせありませんか。



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