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●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.26〜P.33)

第三話 (一九八九年四月七日 富士山総本部)

 はい、今日は新月の日であると。で、新月の日には、ザンゲを行なうことになってたね。で、まあ、ザンゲの意味合いについて、少し説明したいと考えるんだけども、もともとザンゲというのは、心を浄化するための、君たちにとっての利益を起こす一つの修行法であると。そして、心がクリアになれば、ものをありのままに見つめることができると。それによって、ものをはっきりと言い切ることができるようになると。それはちょうど、曇ってるガラス、あるいは色のついているガラスでは、ものをありのままに映すことはできないと。しかし、綺麗な透明な鏡だったならば、すべてをありのままに映すと。
 でね、一つ君たちにわたしから言っときたいことがある。それは、心の弱い者は成就もしなければ、涅槃もしなければ、また高い世界へも生まれ変わることができない人だということだ。
 心が弱いとはどういうことだろうかと。はい、みんなに聞こう。例えばここに真理を否定する、正しくない人がいたとしようと。この人に対しては、わたしたちはどのような道があるだろうかね。言ってごらん。まず、こういう道があると。次にこういう道があると。こういう道もあると。はい。
 その人は真理に対して、その真理を否定するだけではなくて障害となると。どうだ。じゃあまず、君たちが答え出さないから、まずわたしからいこう。第一にほっとくと。ほかには。−−ほかには。ほっとくしかないのか?−−注意してあげる。注意っていったい何なのかなあ。注意という意味は、岡本君、どういうことだ。−−シッシヤではない。−−そうです。−−何を教えるんだ。ね、岡本君、相手が聞こうとしていないのに、相手に真理の道を教えることができると思うか。
(岡本)すごくしにくいと思うんですけど、わたしだったらきっとお節介で何か言ってしまうんじやないかと思います。
(尊師)じや、岡本君は、お節介で何かを言うと。
(岡本)はい。
(尊師)はい。はかには。−−これだけの頭があるわけだから、意見ももっと出てもいいと思うんだけどなあ。どうだ。はい。
(サマナ2)先生の書かれた本を読ましてあげるとか。
(尊師)わたしの、書いた本を読ましてあげる。うん。ほかには。はい。
(サマナ3)真理を否定するということは大変な悪業になるということを教えてあげる。
(尊師)うん。どのようなかたちで教えてあげるか。
(サマナ3)その人がどういうことを、どういうふうな真理を否定するかによると思うんですけれど、それが最終的に、その人にとって幸福の道に至らないことを、そこまでを考えて教えてあげることだと思います。
(尊師)うん。はかにはどうだ。はい。
(サマナ4)世の中に科学では計り知れないものがあることを、実体験として体験させてあげる。
(尊師)うん。ほかにはどうだ。
(サマナ5)その人をだまして、知らないうちに功徳を積ませてしまう。
(尊師)その人をだまして知らないうちに功徳を積ませてしまうか。うん。ほかにはどうだ。
 じゃあ少し例を変えよう。これは、仏陀釈迦牟尼の前生の例だね。彼はある生で貿易商であったと。そして、その船は大変大きな船で、だいたい貿易商人が二百人から三百人乗っていたと。そして荷物を積んでの帰り道だ。その中の一人が大変−−その中の一人がだよ−−大変悪い心を持っていて、そして、その部下たち、−−その中に部下も紛れ込んでたわけだけど−−その部下たちと、その、要するに悪い心を持ってる者がすべての貿易商を殺してね、数百人のすべての貿易商を殺して、そして、その貿易商品をすべて自分たちのものにしようとしたと。はい。仏陀釈迦牟尼はどうしたと思うか。
 (サマナ8)−−。
 なぜ殺すんだよ。殺生するじゃないか、それは。では君たちだったらどうするか考えてみよう。まず、楽しいねえ、先程の、じやあ例を当てはめてみるよ。まず、無視すると。次には、説法してあげると。次には、相手が気づかないうちに功徳を積ませると。で、今のわたしが言っているその真理を否定する条件ていうのは、もっと厳しいとしよう。はい、聞こう。貿易商に対して、その悪党に対してどのような処置をするだろうかと。−−じゃあ、大師の意見を聞こうか。じやあ、まずアポロン大師。
(アポロン大師)前者の問題ですよね。
(尊師) いや、後者、後者。そのトレーラー、貿易商に対する、
(アポロン大師)貿易商に対してですか。
(尊師)そうです。
(アポロン大師)結果ですか、手段ですか。
(尊師)手段、および結果。
(アポロン大師)脅す。
(尊師)脅す。よしわかった。じや、アポロン大師は”脅す”と。一つまた新しい答えが出てきたねえ。では次は、そうだね、マハーナーマ大師はどうだ。
(マハーナーマ大師)そうですね、要するに楽しみを求めるために、そういう方向に走るんだから、酒とか眠り薬とか、いろんなもので使って、逆に捕まえてしまうと。
(尊師)捕まえてしまう。うん。−−じゃあ、周りが気づいてないとしたらどうするか。
(マハーナーマ大師)気づいてないとき・・・・・・・・。
(尊師)つまり仏陀釈迦牟尼だけが気づいていたと。つまり君だけが気づいていたと。
(マハーナーマ大師)そうですね、力になる人がいないということですね。
(尊師)そうだ。ほかの人は無智で、ようわからんと。
(マハーナーマ大師)まあ、小乗的な考えだと、自分だけ逃げるとかすることは・・・・・・。
(尊師)自分だけ逃げるか。よーしわかった。じゃあ、広瀬いこうか。
(広瀬)まだあまり考えがまとまっていないんですが、何とかだまして捕らえようとすると思います。
(尊師)捕らえるか。うん。じやあ、鈴木はどうだ。
(鈴木)ボロが出るまでは待ちます。
(尊師)だから殺されるかもしれないぞ、みんな。殺されるまで待つか。「それもカルマだ」と言ってね。前生にこのようなカルマがあったから今殺されるんだと。
(鈴木)周りの人に相談する。
(尊師)周りの人に相談する。よしわかった。じゃ、佐野はどうだ。
(佐野)ポワさせてあげる。
(尊師)ポワさせてあげるか。では、ラクシュミー大師はどうするか。
(ラクシユミー大師)やっばりいろんな方法を使ってだますと思います。
(尊師)だます。ただ、だましてどうするんだ。相手を。
(ラクシュミー大師)できるだけ真理に近づけるような方向を取っていくと。
(尊師)真理に近づけるような方向を取っていく。うん。ケイマ大師はどうだ。
(ケイマ大師)まず、自分が仏陀になったつもりでっていうと、当然相手のカルマを見ると思います。で、そのカルマによって判断するしかないと思うんですけれども。それで、だましていけるようだったらもちろんだまして、真理に近づけられるんだったら真理に近づけて、どうしてもその人のカルマが悪かったらば、ポワさせると思います。
(尊師)バタンジャリ大師はどうだ。
(バタンジャリ大師)もしできるんだったら宝石を全部捨てます。
(尊師)うん。バタンジャリ大師、できないんだったらどうする。だってその理由は、数百人の貿易商が運んできてるわけだから、ものすごい量だよね。それをもし捨てようなんて思おうならば、どうなると思うか。まず捨てようとした人が叩き出されてしまうね。殺されてしまうよね。で、自分が殺されたのちに、悪党はすべての者を殺すよね。だからそこが問題だね、その数百人というのが一つのポイントなんだよ。つまり一人二人の宝石の量だったら、貿易における宝石の量だったら大したことがないと。−−はい。だって、海の真ん中だよ。船が沈んだら、みんな死んじゃうよ。
 ねえ。なぜわたしが今こういう質問を君たちにしてるかというと、要するに人というのは、それぞれ心というものを持っていると。そして心の強さ、あるいは心の弱さがあるんだよということだ。
 これは来月号に書く「恐ろしき魔境」の内容だけども、以前シッシヤにM君という人がいたと。で、彼は信徒からシッシヤになる時に、すでにお金を隠し持ち、二十万円のお金を持っていて、それはミラレパ大師のボディーチェックのときに出てきて、それはバックされたと。そしてそれだけではなくて、彼は出家する以前に柔道整復師というのをやってたわけだけど、そのときに、要するに保険請求を行なって、そして一千万円以上のお金をだまし取っていたと。で、そのお金を隠し持ち、結局三月の段階で、要するに経費を使い込み、そしてその一千万のお金を、要するに執着あるがために、オウムから、要するに去ったと。しかも無断で去ったと。
 で、ポイントはここなんだよ。そのあと結局連絡があって、その内容を聞いたとき、全額を布施してシッシャになるのだったらそれもよかろうと、もしそうでなければ信徒としては認めらんないと。で、その話を…大師がしたところ、じやあ、初めシッシヤになりますという語をしたそうだ、布施をして。で、わたしは彼に、…大師に対してね、「それはたぶん、無理だよ」って。彼は、その一千万のお布施をして、シッシヤになることはできないと。なぜならばそれが彼のカルマだからだと。そして彼は、最も悪いパターンでは地獄と。一歩進んで、いいパターンだとするならば餓鬼の世界へ生まれ変わるだろうと。そしてそれが彼のカルマなんだよと。なぜだかわかるかな、これは。
 その理由というのは、よく考えてみようね。真理を知る前に、例えば不正なことを行なうと。悪いことを行なうと。例えば、その不正なこと悪いことが真理に使われたとするならば、それはタントラの教えにおいて悪業をもって善業に転換するという理論があるから、それはそれでOKであると。
 ところが彼は真理の修行をする以前に悪業をなし、真理を知っても、悪業の、物質に対して執着を持っていたと。だとしたらどうなる、君たち。しかもシッシャになって真理をたくさん学んでると。ところが頭ではそれがわかっていても、実際には理解できていないと。ということは心は真理を否定してることになるかな、肯定してることになるかな。どうだ。否定してることになるよね。
 そうすると、わたしたちが輪廻転生するとき、最も大切なのは身・口・意の働き中の何だ?−−身だね。ん?−−身・口・意の働きの中で身か。意だよね。つまりどういうことかというと、意の働きによって口のカルマが生じるし、意の働きによって、身体の行為の働きが生じるよね。だから意というのは、根本的にわたしたちを動かしてるもんだよね。それはOKかな。ということは、彼がそれだけ執着したということは、そして正しくない道を歩いていたと、歩いているということは、彼の道は一つしかないわけだ。
 で、これが真理だと。そうするとね、今いろんな答えを聞いて感じることは、真理に対しての割り切りがないなと。それから自分の立場に対する傲慢さがあるなって気がするね。例えば、今言ったように、カルマというものは歴然として存在していると。そして、ある者は、ある魂は虫に生まれ、ある魂は地獄に生まれ、ある魂は餓鬼に生まれてると。それはわかるかな。そして例えば仏陀釈迦牟尼ですら、できないものはできないんだよ。それはなぜかというと、機が熟するまではそれを変化させることはできないんだよ。だとすると、わたしたちの答えってのは三つしかないんだ。例えばここに障害物があると。それを一つは無視すると。一つはその障害物に負けると。もう一つは、障害物を取り除くと。いいかな、これは。
 そしで、障害物に負ける、これはだいたいシッシヤになりたてのころの、というよりも、なかなか成就しない人のパターンだね。つまりこれは心が弱い状態であると。本当に心が強ければ、淡々とものを処理する。しかしそれは心の動揺なしに処理する。
 例えば、ここに悪業をなしてる人がいたとしよう。そうするとこの人は生き続けることによって、どうだ善業をなすと思うか、悪業をなすと思うか。そして、この人がもし悪業をなし続けるとしたら、この人の転生はいい転生をすると思うか悪い転生をすると思うか。だとしたらここで、彼の生命をトランスフォームさせてあげること、それによって彼はいったん苦しみの世界に生まれ変わるかもしれないけど、その苦しみの世界が彼にとってはプラスになるかマイナスになるか。プラスになるよね、当然。これがタントラの教えなんだよ。
 ただ、これは深遠で難しい。どうしても心の弱さが出ると、そこまで断定的に判断することはできないと。ただ君たちがだよ、今生で最終解脱を考えているんだったら、最も強い心の働きを持ちなさいと。だまして、教化できる範囲っていうのは決まってるんだね。相手が真理と、それから真理じやない中間状態にある場合は、だまして真理へ連れてくることができると。しかし完璧に悪業をなしていて、もう全く真理との縁がないと。この人はトランスフォームした方がいいんだ、本当は。
 そういうとある人はこう考えるかもしれないと。いや、それは完全に排他的な心の現われじやないかと。でもそうではないんだね。排他的な心の現われではなくて、それは相手に対する愛なんだよ。
 それはちょうどこのようなもんだ。例えばここにある人がいてだよ、いいかな。この人は百万円の借金を持ってるとしようと。いいね。で、この百万円の借金をしょわせたまま生かしていくと。で、それ以上援助しないと。で、この人は百万円を少しずつ返して返済できるかもしれない。これはいいね、利息の問題から。
 ところがこの人は百万円借金をしょっていて、この人はかわいそうだと。もう一千万、あるいは一億貸したとしようと。どうだこの人の働きから考えて、例えばね。月に例えば三十万給料とるとしようね。そうすると年間三百六十万だと。そうすると例えば、一千万借りたとしたら、まあ年に一割として百万であると。あるいは一億貸したとしたら、年利は一割として一千万だよね。当然、一億円、その人がその百万円を挽回するために、極端な言い方をすれば一千万にしようね、スタートを。一千万を挽回するために、一億円借りたとして、その人のカルマの限界が例えば三百万だとしたならば、返せるかな。じやあ、ここで一億円貸したことはこれは、彼を益したことになるか、それとも害したことになるかと。−−ということなんだよ。
 そして、このように考えられる人はタントリスト向きであると。ところがそうではなくて、「あーかわいそうに」と、「一千万、ここに借金してる」と。「じやあもう一億円貸しましょう」と。「もう十億円貸しましょう」と。で、これを悪業の考え方で見るならば、「この人はこの人で生きる権利がある」と、例えば。「この人はこの人で例えば、自己を主張する権限があるんだ」と。で、「すべての魂において生きる権限がある」と。「自己を主張する権限があるんだ」と考えるのが、ヒナヤーナ的な考え方であると。そして、マハーヤーナ的な考え方はケースバイケースであると。そして、ヴァジラヤーナ的な考え方は、そのケースバイケースを解脱者が判断すると。よって、ヴァジラヤーナにはポワという考え方ができたわけだね。
 まあ今日君たちに話したかったことはどういうことかというと、心を君たちが強く持てば持つほど成就は早いよと。君たちの心が弱ければ弱いほど成就は遅いよということだ。よって、単にポーッとしてると。単に、例えば外的にいろいろあって「あーそうだー」と。「わかりましたー」と、そのような心の働きをしていたら、いつまでたっても成就しないよということを君たちに話したかったわけだ。
 それでは、それはなぜだろうかと。いいかな。わたしたちが修行するとき、いろいろ悪魔の邪魔が入る。これはOKだね。そしてその悪魔ってわたしたちの心に住んでるよね。これはどうかな。じやあその悪魔に対しては、毅然とした態度で接すべきだと思うか。それとも悪魔の言うとおり、「右だ」「わかりました。じゃあ右を歩きましょう」と、「左だ」「わかりました。左を歩きましょう」とすべきだと思うか。どうだ。
 ところが、毅然ということはそこでぶつかり合いが生じるか生じないか。ということは、ぶつかり合いを生じさせて、関ってる人の方が成就が早いと思うか。それとも、「右だ」「わかりました」。「左だ」「わかりました」の方が成就するのは早いと思うか。
 そこで闘いが出てくるんだよ。ということは、心における悪魔というのは、わたしたちの例えば煩悩であると。あるいは欲界の主であると。じや、この現象界における悪魔というのは存在すると思うかしないと思うか。−−当然存在するよね。なぜ存在するかというと、例えば、真理に対して圧力を加えてくる者と。で、その圧力を加えてくる者に対しては当然わたしたちは関わなきやならないと。どうかなこれは。それとも、闘わないで、「あー、わかりました。じやあ、真理を捨てましょう」となるか?−−どちらかしかないんだね、これは。
 そして、オウム真理教が大きくなればなるほど、はっきりしたかたちでその状態が現われてくるだろう。あとは君たちが一生懸命修行をお積みになって、そして心を浄化なさって、早く成就なさって、真理を見極めていただくと。そして、そうなれば、わたしの言っている本当の意味合いっていうのが理解おできになるんじゃないかなと、わたしは思っています。


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