TOPヴァジラヤーナコース教学システム>内容

●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.220〜P.226)

第三十三話(一九九三年三月二十八日 名古屋芸術創造センター)

 キリスト教においては、イエス・キリストは贖罪として、つまり、わたしたちのカルマを浄化するために、いけにえとして、小羊として、神のみもとに召されたということになっている。しかしこれは、イエス・キリストそのものの言葉にはどこにも出てこない内容である。つまり、後世のバカな弟子どもが、カルマの法則を知らず、手前勝手な意見によってこのような法則を打ち立てたといわざるを得ない。
 もともと、弟子には二つのタイプが存在する。その一つは、いつも自分を見つめ、そして自分自身を律し、ザンゲ・供養の瞑想を絶えず行ない、そして帰依の詞章を唱え、高いステージへ絶えず至ろうとするタイプの弟子。この弟子は、いずれかの生において、グルの完全なる化身として、すべての衆生を救済する一役を担うこととなる。
 もう一つは、偉大なる聖者のもとにかしずき、そこで偉大なる聖者の名声、あるいはその威徳を利用し、自分たちの生活の糧にする弟子である。
 この二つのタイプの弟子は、当然、輪廻転生が違うことはいうまでもない。そして残念ながら、イエス・キリストの弟子はすべて、この後者の弟子たちであったといわざるを得ない。なぜならば、グルであるキリストの死を前にして、すべて恐怖し、逃げ出すような、愚かな、しかも三界を見渡すことのできない弟子たちの集合体であったからである。
 もともと贖罪というのは、わたしたちが、わたしたちの罪を償うために物品の布施を行ない、それによって罪を許してもらうことから来ている。したがって、本来この罪に対して、いかに偉大な聖者であったとしても、その罪をあがなうことは難しいのである。
 それをただ一つ可能にしているもの、それは何かというと「イニシエーション」である。このイニシエーションは、例えば今日のわたしの顔の様子を見て、あなた方はこう感じるかもしれない。「いつもと麻原の顔が違う」と。「非常に黒い」と。これはすでに、イニシエーションを始め、そして、一週間以上経ち、多くの弟子たちのカルマをしょったために起きている現象である。そして、これはまさに、あなた方の金品の布施に対する、キリストの、あなた方に対するカルマの浄化といわざるを得ない。そしてこの方法以外、あなた方が浄化される道はない。
 近ごろわたしは、原則に対してはっきりとしたものの言い方をしている。それはいよいよ、わたしの予言の解読も終わりに近づいているからである。例えば、五十三番に重要な詩が存在している。これはどういう詩かというと、日本でもよく持ち出される、「太陽の法則と金星の法則が相争う」と。
「そして、お互いに頑固にそれを受け入れない」と。
「お互いに予言を研究する」と。
「太陽の法則はメシアによって保持される」という予言詩である。この予言詩の内容は、「太陽の法則」、つまり絶対の真理と、「金星の法則」、つまりこの世の中を享楽的に−−例えば金を儲けたり、現世ご利益といったようなもの、これが完全にぶつかり合う時代が来るんだということを予言している。
 そしてこれは、金星の勝利として一見終わるかのように現象は動いている。それはここにいる、真理と縁の深い信徒であるあなた方も、欲望に翻弄され、そして金銭に翻弄されている現状を見れば、その内容についてはよくわかるはずである。そして「頑固に受け入れない」というのは、この金星の法則に対して、しっかりとした教え、カルマの法則というものが残ることを予言している。
 もともと四行詩の四行目は、未来の出来事を予言している。この五十三というのは一九五三年、つまりわたしの生まれる二年前であるから、この予言詩の四行目に「メシアがその太陽の法を保持する」という言葉があったとしても不思議ではない。
 そしてもう一つ重要なことは、太陽の法にしろ金星の法にしろ、予言を解読し、それぞれがその予言の実行を行なおうとするという内容である。
 この金星の法の遂行者は、フリーメーソンの中で、俗にいわれている「黒いフリーメーソン」と呼ばれる一群である。しかし、もともと彼らは、もともとは真面目なキリスト教徒であったということができる。しかし、イエス・キリストが千年経っても現われず、千二百年経っても現われず、千五百年経っても現われない現状を見て、彼らはこう考えた。「救世主は存在しない。そしてカルマの法則は存在しない。この世をいかに楽しく、そしてうれしく過ごせばいいんだ」と。「そのためにはカネである」と。「そのためにはセックスである」と。
 そして、その彼らの中に優れた、神秘的な力を持つ者が存在し、彼らは、ラジオを発明させ、テレビを発明させ、そしてわたしたちを、今のような状況に追い込んでいる。
 この彼らの状況は、別に悪いことではない。それは「もし、カルマの法則というものが存在しないなら」という前提つきである。しかし、わたしたちはこう考えなければならない。「カルマの法則とは、未来における内容である」と。今、そのカルマの法則が存在するかしないかわからない」と。
 しかし、あなた方は、よき時代に生まれた魂であるということができる。それはなぜか。例えば、あなた方が最も心に引っかかっているハルマゲドン、これは九七年に起きると予言されている。つまり、「一九九七年から二○○○年にかけて激しいハルマゲドンが起きる」と言っているのである。そして九八年、このサヤエンドウの国、日本は蹂躙されるといっている。この九八年には、この日本の国はものすごい大量の血を流し、そして、それだけではなく、「完全なる食糧危機と、それから水のない存在が生じる」とノストラダムスは言ったのである。これは、四の九十八の内容である。
 このように、わたしがポンポンとあなた方に予言を明かし出したということは、もう時間はないんだよと。あなた方がなさなければならないのは、罪のザンゲと、そして大いに徳を積み、バルドの体験を行ない、そして高い世界の経験をするしか、あなた方は救われないんだよということである。
 わたしは今まで多くの予言をなしてきた。そしてあなた方も知ってのとおり、まだ成就してない予言は、たったの一つになってしまった。それは、一ドル一○○円である。しかしこの、一ドル一○○円も間もなく成就するであろう。そして、最も身近、最近予言した内容の中においては、この二月三月ぐらいから株価は上昇すると。しかしこれは見せかけであるという話をしているが、予定どおり三月に株価は上昇し出していると。
 じゃあ日本経済はどうかと。倒産が相次ぎ、人員削減が相次いでいる中、なせ株価だけが上昇するのかと。これは、それをコントロールしている魂が存在しているからである。そして、貪りの強い者はその株価の高騰に引っ張られ、投資し、そして一気に株価はダウンし、それによって大きな損失を被る。これが九三年の株の流れである。
 まさに、この日本は希望のない時代であるということができる。ではなぜ、希望のない時代に、最も真理との縁のあるあなた方が生まれなければならなかったのか。これは、次のような比喩によって、あなた方はよく理解することができるであろう。
 ここに、結婚相手がいたとしよう。その結婚相手は非常に苦しみを経験させる結婚相手であるか、あるいは大変喜びを経験させる結婚相手であるか、まあ、いずれにしろ、そのどちらかが存在したとしよう。一般的に徳のある魂はこのように考える。「わたしは徳があるのだから、安らぎを与えてくれるとっても素敵なお嬢さんや、あるいはとっても素敵な旦那さんが生じるはずである」と。
 しかし、カルマの法則をよく考えてみよう。
 もともとわたしたちが、輪廻から完壁に脱却するためには、形状・容姿の引っかかりや、あるいは喜びというものは、わたしたちにとっての最大の障礙であることを理解しなければならない。つまり、別の言い方をするならば、このようになる。もし、その段階で安らぎを得たり、その段階で心を動かすような意識状態で結婚をしたり、あるいは恋愛をしたりするならば、その魂は紛れもなくこの三界に縛られ、そして流転を繰り返さなければならないのである。したがって、逆に結婚においての苦しみを与えてくれる、例えば、よく心が動き、絶えず相手の行動や相手の言葉に気を使わなきゃならないような状態、この段階で「人生とは苦である」と、「結婚とは昔である」と認識させる相手の方が、真理の実践者にとっては、本当は幸福なのである。
 しかしこの深遠な教えに到達し、その内容がスパッと理解できる魂は、おそらく、この会場の中でわたしだけではないかと考えている。一般的に、自分の喜びに対してとらわれ、そして、心が動き、流転する−−これが魂の本質だからである。つまり、逆の言い方をするならば、例えばグルヨーガ等のエンパワーメントにより肉体が痛む、あるいはナーディーが詰まるといったような現象は、わたしにとっては最高の真理の実践ということになる。なぜならば、衆生の抱えているカルマというものは、このようにナーディーを詰まらせ、そしてこのように苦しみの集積によって輪廻転生しているということがわかるからである。同じように結婚生活においても、あるいは一般の生活においても、苦しみこそ理解して、初めてわたしたちは「喜び」、つまり味著、そして「苦しみ」、つまり過患、これを経験し、出離することができるのである。
 ここに最終解脱の秘密が含まれているといっても過言ではない。つまり、最終解脱をする場合、人間の意識の偏り、喜びに対する偏りが、いかに中位の状態、喜び・苦しみを両極を完全に知り尽くした状態で安定するかということがポイントになるのである。しかし、なかなか、この味著だけではなく、過患に心を傾け、そして自分自身をその状態で安定させることのできる魂というものは少ない。そして、それができるようになって、初めて真の修行者ということになる。
 これは、次のような内容を理解すればよりわかりやすくなる。わたしたちは、日々生活をしている上において、身・口・意という三つの悪業を積んでいる。この三つの悪業の集積が、わたしたちの肉体・感覚・イメージ、そして経験の構成・識別であると。しかしわたしたちは、この五つの構成要素に対して目をつむり、喜びだけを追求している。そして「死」を迎えるのである。
 もしここに偉大なる救世主が存在し、その救世主がその五つの構成要素を解放する力があったらどうであろうか。例えば例を挙げるならば、低位で安定したエネルギーを上昇させ、ナーディーの詰まりに対して強烈なエネルギーを上げることによって、熱を出させたり、あるいは痛みを出させるようなエンパワーメントがあったらどうであろうかと。
 一般の魂はこう考える。「わたしは大いなる布施をしたんだと。そして、わたしは、真理の実践といわれるものを実践してきたと。であるにかかわらずなぜ痛みが生じるんだと。であるにかかわらずなぜ熱が生じるんだ」と考えるだろう。しかし、魂が進化する上においては、タントラの教えにもあるとおり、そのナーディーを浄化し、そして強い、まず熱エネルギー、そして次に風のエネルギーを上昇させなければならないのである。そしてこのプロセスがあって初めて、人間がこの粗雑な肉体から微細な身体である神の身体へと移行することができるのである。
 しかし一般の人はそうは考えない。「そこで布施をし、真理の実践を行なうことにより、瞬間的に安らぎが得られるはずである」と。もちろん、この熱・痛み、そして冷たいエネルギーの上昇の後、大変心地いい−−それは、何にも代え難い心地いい−−状態が経験される。そしてこれが第一の静慮、遠離と離貪から来る第一の静慮という形で表現されているのである。つまり、必ず初めに浄化し、そしてクリアな状態になった後に次のステップに入ると。これこそが修行の道筋であるといわざるを得ない。
 そして、予言においては、千年王国ができることになっている。この千年王国を通過する前に、わたしたちも神の裁きを受けなければならない。この裁きというものは、先程述べたとおり、管・風・心滴の関係からいくならば、ナーディーを通過するときの熱・痛みとも非常に似ているということができるだろう。そして、その浄化が終わった魂のみが神の世界へと至ることができるのである。
 もちろん、ハルマゲドンが来ようが、ハルマゲドンが来まいが、わたしたちは死ぬ。そしてそれだけではなく、ハルマゲドンが来ようが来まいが、わたしたちがしっかり功徳を積み、善行をなし、法則を実践し、そして寂静の修行を行なうことにより、わたしたちは神々に至ることができる。今ここに、オウム真理教に、その法則は存在するのである。
 そして、ハルマゲドンが来ようが来まいが、わたしたちは死ぬわけだから、それに対して準備をなし、しっかりと、死後何が起きるのか、そしてそのときに何が最も必要なのかを理解すべきである。もちろん、大いなる真理の実践を行なうことにより、その大いなる結果はこの現世において得られ、そして、それによって大いなる至福・大いなる安楽が経験されることはいうまでもない。しかしそれは、本当に全力で修行しない限り、なかなか得られないものである。
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。そして、特に今の日本の自衛隊のように、全く力のない軍事力を有している国は、相手から攻められたとき、まず悲惨な状態になるであろう。そして、第二次世界大戦の二の舞と。わたしは、今の自衛隊に対して一言言いたい。それはもし、軍隊として世界へ出ようとするならば、核兵器、あるいは細菌兵器、あるいは化学兵器を持つべきであると。そうではなく、もし「平和」というスローガンのもとに戦わないとするならば、自衛隊は廃棄すべきであると。この中間状態は、最も武術でいわれるところの危険性のある領域である。
 しかし、今の世の中の流れからいくと、この中間の状態において、どうやらわたしたちは洗礼を受けなければならない状態に陥っているように思われる。したがって、オウム真理教の信徒はいかにしたらいいのか。それは、早く神の身体を完成させるべきである。つまり、善行をなし、徳を積み、そして寂静の修行、法則を徹底的に自分の内側に染み着かせ、根づかせるべきである。これは、いかなる現世的な仕事・生活よりも優先する第一の内容であるとわたしは言いたい。
 もともと、「ノアの方舟」のとき、ノアは衆生に対してこのように言った。「間もなく神の裁きがありますよ。さあ、あなた方もこの神の裁きに対して準備をしなさい」。しかしそれに対して、だれも耳を傾けなかった。そしてその結果、多くの者が大洪水で亡くなったと。
 しかし今回は、大洪水だけではない。洪水、疫病、飢種、そして戦禍である。これらが連続で起きるこの二十世紀の最終段階、それはちょうど第二次世界大戦前までは、あのような多くの被害が世界に現われないと信じていた人たちが、その期待を裏切られ、そして、大きな災いと何千万という人口が亡くなったあの様子を思い出せば、理解できるはずである。
 そして今回の、この二十世紀の最後に来るハルマゲドンは、そのようなレベルではない。スケールが一けたも二けたも大きなスケールで展開される内容であるということを知ることができるならば、あなた方が何をどのように準備しなければならないかよく理解できるはずである。したがって、しっかりと修行してほしいと思う。いいね。


ヴァジラヤーナ教学TOPに戻る

TOPに戻る