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●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.206〜P.212)

第三十一話(一九九三年三月二十五日 松本支部)

 今、わたしたちが考えなければならないこと、それは二つのことである。この一つは、いかに高い世界へ生まれ変わるか。そしてもう一つは、最も現実的な、これからいったい日本はどうなるのか、そしてその動乱の中、世界の動乱の中、自分自身はどのように生きたら天命を全うすることができるのかという二つである。
 わたしは教団の教祖であるという立場上、いろんな人のシークレット・ヨーガ等を受ける。そして、今まで一生懸命活動していた人たちはあまりこの経済不況等の影響を受けていないが、会社を運営し、しかしあまり活動していなかった人たちはそのバブル経済の崩壊により大変なダメージを受けているというのが現状である。
 では、なぜ真理を実践しないと、このバブル経済の影響を受けなければならなかったのかという問題についてまず言及してみたいと思う。
 もともと、このバブル経済の崩壊の裏には、わたしの推定では、三千六百兆円という日本経済の中から千二百兆円を抜き取られ、二千四百兆円しか今この日本の国の中は回っていないという現状−−これに対しての経済的姿勢というものが、まさに今の日本社会において、例えば倒産するかしないか、例えば普通に生きていけるかいけないかのポイントとなっているように思われる。では、どのような人が普通に生きていけ、そしてどのような人が生きていけなかったのかと。
 もともと貪り、つまり物質的、あるいは経済等における貪欲さというものは、自分のためにいかにカネを集めるか、あるいは自分のためにいかに物を集めるかということがポイントとしてこの欲望は生起する。したがって、例えば三億持とうと五億持とうと、もっともっと大きなカネを得たいと考えるがゆえにそれを投資し、そして借り入れを行なうと。ここでのポイントは、この、借り入れを行なったり、あるいは投資したりするときに、「自分はもっと大きなカネを得たいんだ」という欲望が背景にあると。そして当然そういう性質の魂は、より多くの経費を使うこととなる。それは、自己のために使うことになる。
 そして、一見お金が儲かっているように見えるが、その裏側のしっかりした帳尻、例えば、借り入れがどれくらいで、そして実際に自分自身の資産がどれくらいであると。その資産も、例えば不動産のように、即売却できないものも当然あると。これらのものをしっかり計算しないで、どんどんお金を投資する。そして、どんどん借り入れると。
 確かに日本経済に、カネにゆとりがあるときは銀行もどんどん貸すだろうと。しかし、一千二百兆円という大きな金額が抜き取られた以上、当然銀行にもお金がなくなると。この段階で、結果的には返済を余儀なくされ、そしてそこで初めてハッと気づくと。「そうか、自分の会社は、これだけ大きな赤字で、資産を売却したとしてもこれだけの損失が出るんだ」と。
 一方、真理の実践を行なっている魂は、布施等を一生懸命行なうがために、普段の生活を削る傾向にあると。そして自分にどれだけの力かあるかを絶えず見ているがゆえに、しかも、発想としては現金主義なるがゆえに、経済に対しては非常に敏感になると。そして入るものと出るものとを計算し、出るものが多くならないように検討すると。しかも布施によって大いなる功徳を積むと。この差は、よって、物質が少なくなったとき、あるいはお金が少なくなったときに大きな差として現われる現象である。
 ところで、これからの経済に対する対策はどうしたらいいのかと。今、株価は少しずつ上がっている。しかし、これも間もなく、一、二カ月のうちに同じような傾向、つまり、バブル的な崩壊をもう一度行なうはずである。それはなぜかというと、今日本に残されている二千四百兆円のお金を投資させ、そしてこの経済をよりいっそう冷やすために、今大きな力が動いているからである。
 ではなぜ、そうなるのかと。それは、一九二九年の恐慌を見てもらってもわかるとおり、これからいよいよ大きな戦いへと世界は集中するからである。そしてその大きな戦いとは、紛れもなくハルマゲドンのことである。そして、そのハルマゲドンは一九九七年である。
 では、どれくらいの間戦いは続くんだろうかと。ノストラダムスの予言詩を解読すると、三年数カ月とも、あるいは四十年とも五十年ともいわれると。つまり、ものすごく長きにわたり、戦いは続くのである。
 この日本はどうかというと、先程も述べた、もうすでに一九二九年の不況と非常に似たかたちの経済構造になってきているから、間もなく、クーデターが起きる可能性は非常に高いと。現に去年から今年にかけて、自衛隊内部において二度ほどクーデターの計画が持ち上がったという話を聞いている、わたしは。
 では、そのとおりにこの日本は動くのだろうか、あるいは世界は動くのだろうかということについて検討しなければならない。それは「ノー」である。なぜならば、「歴史は繰り返す」といわれるが、実際にそうではない。必ず、以前生じたイデオロギーというものは必ず止滅する傾向にある。そして、この日本経済が本当にパニックになり、その後登場する勢力が−−旧勢力が現われるその前後に、新しい勢力が現われるはずである。これが予言の流れである。これは世界史を検討している者は、必ずこの現象に気づくはずである。
 そして必ず、新しい勢力が勝つことになっている。
 では、オウム真理教の信徒はいったい何を行なえばいいのかと。これは、たとえ第三次世界大戦が起きようと、ハルマゲドンが起きようと、人間は死ぬときは死ぬ。つまりそれは、これから五年後十年後に死ぬのか、あるいは、三十年後に死ぬのかの違いにすぎないと。つまりわたしたちは、永遠の生命というものを神に約束されたわけではない。
 本当に永遠の生命を約束されたのは、供養値魂、つまり、阿羅漢に到達した魂だけである。なぜならばこの現象界は無常を根本としている。したがって、わたしたちが永遠の生命を得るためには、わたしたちの本質的な最高の意識−−これはサンスクリット語では「シヴァ」といっているがね、つまり「シヴァ大神」の本当の意味というのは、「最高の意識」とも、またテーラヴァーダ仏教においては「ニルヴァーナ」とも訳されている−−この意識に到達すること、つまり「シヴァ大神」に到達した魂のみが、不変・永遠の生命を得ることができるのである。そして、ここに気づく魂は非常に少ない。
 もともと『聖書』における教えも、今ヨーロッパやアメリカで行なわれているようなキリスト教ではなく、もともと「出家し、そして、不変の魂の存在へと至れ」という教えが中心である。
 それはこういう教えがある。ある金持ちの息子がイエスに質問した。
「わたしは、隣人に対する愛の実践をしております」と。
「そしてわたしは、戒律を守っております」と。
「しかしわたしはこれ以上のステージへと到達したいのです。」
と。そこでイエスは彼に答えた。
「だとするならば、あなたは、あなたの持っている財産を布施し、そして出家しなさい。」
と。しかし、彼はそれができず、そのうちキリストは弟子たちにこう言ったものだ。
「彼がそれ以上のステージに到達できないのは、財産に対する愛著があるがゆえなんだよ」と。
 ここでわたしはこの話をすることによって、あなた方に出家しなさい、と言っているわけではない。それは勘違いしないように。ここで言っているのは何かというと、『聖書』においても、今言ったとおり、出家を説き、そして戒律と無頓着、不所有を説いたんだということを理解しておきなさいよということだ。そしてそれこそが、世界に共通する聖者の流れである。
 もともと、イエス・キリストというものは、ユダヤ教におけるキリストでないことは確かである。もともとイエス・キリストは、祭司であり、王ではない。しかし、彼が偉大な祭司であったこと、つまり偉大な宗教家であったことは『聖書』のいたるところに記述が述べられているし、また彼が神の子であったことも述べられている。
 では、ユダヤ教が望むキリスト、つまりメサイアとは何であるかということについて検討しなければならない。というのは、このメサイアは、ハルマゲドンにおいて、それから二千年の契約において、この世界を、地球を統治すると予言されているからである。
 例えば、「ヨハネの黙示録」には「ダビデの若枝」という表現がなされている。このダビデの若枝とは何かと。これは祭司と、それから軍事的な王、この両方を兼ね備えた武人潅頂王のことを表わしている。この「武人潅頂王」とは、「転輪獅子乱経」にも述べられているように、「聖なる者に、つまり予言者に祝福された者、頭に油を塗られた者」という意味である。つまりこれは、「予言者にイニシエーションを受けた祭司・宗教家である軍人」ということになる。そしてユダヤは、この救世主がハルマゲドン前後に現われる、と信じているのである。
 では、そのような宗教家が、果たして現われるのだろうかということを検討する必要がある。もともと、例えばマホメットは宗教家であった。そして彼は、自分自身の法則、それを防御するために結局国家と戦い、そして敗北すると。一回目は。その後、聖戦によって国家を取る、という流れを経験している。例えば今のイスラム革命におけるホメイニも同じであると。つまり、イスラムにおいてはそのような要素が非常に強いということになる。
 では、ヒンドゥーにおいてはどうであろうか。それは、ラーマがそうであり、あるいはクリシュナがそうであると。彼らも同じように、王族に生まれたり、あるいは貧しい家に生まれながら、結局神の王国を建設しようとし、そしてこの地上に少なくとも宗教的な国を建設し、そして天界へ帰っていると。
 そして、ユダヤ人の望むものは、このキリスト、つまりメサイア、メシアであることは間違いない。
 しかし、今の世の中はそれを強く禁止していると。つまり、そのような魂が存在しないように一生懸命努力していると。ではなぜ、そのような魂が存在しないように努力するのかということについて検討しなければならない。
 もともとこの世の中を動かしているものは、「石工」と呼ばれるフリーメーソンである。このフリーメーソンには二つのタイプが存在している。それは、予言を信じ、キリストの登場を待つグループと、それからもう一つは、「キリストの存在そのものが実際は幻影ではないかと。つまり、現われてこないんではないかと。だとするならば、この地上は、それぞれカルマの法則が存在しないわけだから、個々が自由に生きるということをポイントに、世の中をつくり変えてしまおう」とするグループである。
 この二派の対決はずっと続いているが、今の段階ではこの後者、つまり、人間を完全に無智化させ、動物化させ、そして国家そのものが成立しないような状態をあちこちにつくり、それを一部の者がコントロールし、そして、この地上が完全に動物的自由、あるいは動物的な平等というものを与えることを目的として動いている。ではその例は何かと。それは、宗教戦争である。
 あなた方も知ってのとおり、世界の、今、あちらこちらで宗教戦争が勃発している。そしてその本質は、キリスト教対イスラム教、あるいはヒンドゥー教対イスラム教といったようなかたちを形成している。そしてスリランカにおいては、仏教対ヒンドゥー教の対決を行なっている。もともと研究をしっかり行なうならば、ヒンドゥーイズムというものは、仏教プラスヨーガが根本となったものであるということがわかる。
 しかし祭司階級、つまり宗教家たちは、自分のセクトの宗教だけにおぼれ、真理を探究するということを怠っている。それなるがゆえに、あちらこちらで宗教の対決が勃発している。そして当然、今世界を牛耳っているキリスト教、彼らは、多くの迫害を他の宗教になしていることは間違いがない。
 ではこのような現象は次に何を生み出すのかと。すべてはカルマの法則である。したがって、迫害したものは迫害されなければならないし、また弾圧したものは弾圧されなければならない。よって、必ずや、この地上における宗教戦争は、最終的には仏教対キリスト教の対決になるであろう。
 ここで一つ論理の飛躍を見るかもしれない。今まで、例えばイスラム教対キリスト教、あるいはヒンドゥー教対イスラム教、あるいはヒンドゥー教対仏教という話は出たが、なぜ最後にキリスト教対仏教なのかと。
 それは、次のノストラダムスの予言詩を検討すればわかる。
 まず、第一のものが、この地上を支配すると。しかしそれは非常に弱い支配であると。これは、フランスを表わしている。
 次にイギリスが、より大きな支配を遂げるということになっている。君たちも知ってのとおり、フランスやイギリスは、このアジアに進入し、そして多くの迫害、宗教的迫害をなし、それによって仏教が衰退したことは理解できているはずである。
 そして、その次に登場するのが、プラエトルの地位にあるものが世界を完全に統治したかのように見えると。この「プラエトルの地位にあるもの」、つまりこれは、もともと宗教的要素のない軍事的大国が支配することを意味している。これはアメリカの支配である。そして国連もアメリカ中心に動いているし、実際問題として、軍事大国としてアメリカ以上の国は存在しないということになっている。
 そしてその後キリストが現われ、キリストはこの世界を統治することになっている。これがノストラダムスの予言詩の、そうだね、概略であると。
 そしてこの、イギリス・アメリカ・フランスが弾圧してきた国、これはまさに、すべて仏教国であることは理解できよう。例えばイギリスのインド支配。あるいは、例えばフランス・アメリカのベトナム戦争ね。あるいは今のカンボジアの状況。このカンボジアの状況にも、同じように西側の国が大きな力を費やし、そして今は、もともと仏教国カンボジアが、完全に仏教のない状態になっていると。
 君たちはあまり、宗教的な話以外は興味がないかもしれない。それはわたしも同じである。しかし、この地上に生きていること、この世の中に生きていることは間違いないんだと。この地上に生きていること、世の中に生きていることが間違いない以上、わたしたちはそこで修行する必要がある。そして、すべての魂の幸福を願う以上、そこに生存する一人一人の魂の幸福を願う以上、これから世の中がどうなるのか、そしてその世の中に対して、自分自身は何をどう考え、どのように行動したらいいのかということになる。結論から言うと、わたしたちは高い悟り・高い解脱を目指すしかない。なぜならば、わたしたちは非力だからである。
 そして、この、あなた方は今日のね、講話によって、「時間がないんだ」と、「とにかくわたしはこれから徹底的に修行するぞ」と、「徹底的に高い世界へ至る道を実践するぞ!」−−そう確信を持ち、実践してくれるならば、今日のわたしの講話の意味をね、達成したこととなる。しっかり努力してほしい。いいね。



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