TOPヴァジラヤーナコース教学システム>内容

●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.196〜P.205)

第三十話(一九九三年三月二十一日 杉並道場)

 今日の講話は、君たちにヒナヤーナの話をすればいいのか、あるいはマハーヤーナの話をすればいいのか、あるいはタントラヤーナの話をすればいいのか、あるいはヴァジラヤーナの話をすればいいのか、非常にわたしの中で迷っています。というのは、ここに集まった人たちの二ーズが、それだけ違うからだ。何を話したらいいか?
(一同)・・・・・・。
 まあこの違いについて説明をするならば、例えばわたしたちは酸素を見ることはできないが、酸化した形でその現象を見ることはできると。例えば鉄さびなんかはそれに当たるわけだけれども。これはまさに、そうだね、目に見える現象、ヒナヤーナということはできるだろう。
 そしてこれを、例えば、空気中に酸素が存在するんだということで、まあいろんな実験によりその機能を徹底的に分析し、それを活用すると。これはマハーヤーナということができるだろう。
 あるいは、この酸素の実際問題として核を取り出し、中性子やあるいは陽子の働きにより、より大きなエネルギーを取り出すと。これはヴァジラヤーナということができるだろう。つまり、一つの現象に対して、見る角度によって法則の説き方は変わってくると。
 同じように、例えば個の幸福という点から考えたならば、それは当然、まずヒナヤーナから入るべきだし、あるいはヒナヤーナがある程度の段階に到達したならば、例えばマハーヤーナから入るべきであると。そして、そのマハーヤーナの意味合いが理解できた段階で、ヴァジラヤーナの教えへと移行すると。
 例えば例を挙げるならば、「個の解脱」について法則を説く、これは明らかにヒナヤーナである。そして例えば、「今の現象に対して、信徒がどのような社会生活を営んだらいいのか」という法則を説く場合は、これはマハーヤーナということになる。あるいは予言の内容について説き明かす場合、それはヴァジラヤーナということになる。どうだ?
(一同)・・・・・・。
 どのような話を聞きたいか? なぜわたしが、今までこういう質問をしないで、今日こういう話をしているかというと、非常に切迫した時期に来ているのは事実であると。そして、どの法則を説いたとしてもあなた方に利益があると。しかし、わたしがあなた方と接する時間は限られている。よって質問をしているんだ。
(信徒)ヴァジラヤーナ。
ヴァジラヤーナの道か、よし。ヴァジラヤーナの話でいいんだな。
(信徒)・・・・・・はい。
 非常に少ないけれども。
 君たちは知ってのとおり、今までわたしが数々予言したことの中で、まだ外している予言というのは、一ドル一○○円。しかしこれももう間もなく、−−今一ドル一一五円か? だから、当然達成されるだろう。そうなった場合、わたしが予言したオウム真理教バッシングを含めてそうだが、すべてが現象化したことになる。もしそうだとする場合、この世界に、この地球に、これだけの予言をなし、的中させた魂がいると思うか?
 つまり、君たちが今、実際問題として、目の前にしている魂というものは、この二十世紀の終わりに最も重要な役割を果たす魂であると考えたらよろしい。そして、偉大なる予言者ノストラダムスは、わたしにその予言の解読を託したと。
 もともと、ノストラダムスの予言というものは、五章までと、それから六章以降との組み合わせ、つまり時代の流れというものはかなり違えている。これはノストラダムスが賢くて、「年代順にすべてをした場合だれでもわかる。しかし、もし前半と後半の年代の並び換えを行なうならば、それは一般の人には”必ず同じ詩の糸統で流れているはずである”という原則によって見誤るだろう」と考えたからである。そしてこの、一章から五章までは間違いなく年代順に並んでいる。特に、この一九九○年代は、一の九○、二の九○、三の九○という形で並び、九一においても同じ、九二においても同じと。そして九三について今確認をしているが、これも間違いないと。とするならば、これから二○○○年までの現象についてはノストラダムスの一の九○から、一の九○から、三の九○から、四の九○から、そして五の九○からを見れば、おおよそのことはわかるということになる。
 そして、ノストラダムスは何を説いたのかと。「九七年ハルマゲドン」であると。この「九七年ハルマゲドン」については、まあ、もうしばらく経ってね、『真理』その他によって君たちに少し解説を入れるかもしれない。入れないかもしれない。−−この「入れるかもしれない、入れないかもしれない」というのは、わたし個人の運命とどのように絡んでいるかという検討をしなければ、君たちに発表できないということだね。
 もともと予言の流れそのものは、オウム真理教とは全く関係がない。これはもともと、わたし個人と関係があることである。したがって、このヴァジラヤーナの流れというものは、オウム真理教の運命とは関係がないと認識してほしい。しかし、ノストラダムスがキリストをわたしとして予言している以上、わたしが世の中の中心に引っ張り出され、そして、そうだね、まあ間もなくして、主役を演じなくてはならない時代が来ることは間違いないだろう。
 ではなぜ、それが起きるのかと。例えば、今の自衛隊を見てみよう。今の自衛隊の兵力は、いや、アジアにおいてはかなりの兵力、あるいはかなりの軍事力を持っているといわれている。しかし、それはあくまでも西側の誤った宣伝、つまり、日本に力を与えないための宣伝である。おそらく戦争になった場合、今の自衛隊はほとんど全滅するだろう。なぜならば核を撃ち込まれ、そして、例えばガス兵器、あるいは生物兵器を撃ち込まれたらもう終わりだからである。
 これはいくら個人的肉体を鍛錬したとしても、あるいはいくら、そうだね、マシンガン、あるいは爆薬の訓練をしたとしても、そんなものは何の役にも立たない。一発光れば終わってしまうと。そういう現象、そういう事態がわかっているにかかわらず、今の自衛隊は、自衛隊という名目のもと、海外まで行かされると。
 そしてわたしの予想では、今年の終わり、あるいは来年の頭ぐらいに次のような現象が起きる。それはカンボジアで自衛隊員が殺されるということだ。それによって日本人の国民感情は高まり、そして軍国化を余儀なくされると。しかし日本が核を持つことは許されないと。つまり何を言いたいかというと、人口減らしのために日本人は死ぬということだ。そして、それに対して知らないあなた方は同じように死ななければならない。では、今の為政者はなぜそれをやらないのかと。それは金丸の隠し財産を見てもわかるとおり、ものすごい多額の金が流れ、そして、それによって彼らは生きる保障を与えられていると。そして一般の魂は死ななければならないと。これは第二次世界大戦を見てもわかるはずだ。もともと戦犯の中心である天皇はどうなったかと。彼は今ぬくぬくと生きていると。しかし、何百万という人は死んだんだと。
 ところで、これらの政治体制というものは今始まったことではないということを認識する必要がある。ではなぜ認識できるのかと。それは例えば江戸時代にもうたわれているとおり、「庶民というものは殺さぬよう、そして生かさぬよう」と。つまり、そこそこの生活をすればいいんだという発想が為政者の中にはあるからである。これが為政者とそして一般の魂の違いである。しかし、もし個々の魂が霊的に進化し、そして智性を向上させたらどうなるだろうかと。その場合のみ、すべての魂が本質的に幸福になる道が現われてくる。
 例えばわたしが昨年の中旬に「マハーポーシャ」をつくったと。このマハーポーシャのもともとの狙いは、これから来るであろう経済不況に対する、信徒に対する一つの対策であったと。
 つまり、九三年の中盤、後半になると、もっともっと経済は悪化します。わたしは八月ぐらいを考えている。この八月ぐらいから徹底した経済悪化が起きるはずである。ではなぜ経済悪化が起きるのかと。それは、日本人は無智であるがゆえに、一回過ちを起こした貪りを、もう一度起こしているからである。
 その典型的な例が株価の高騰である。この株価の上昇は、別に景気が回復したから上昇しているわけではない。これはある、お金を有している者たちがわざと投資をし、株価を上昇させていると。そうするとどうなるかというと、貪りの強い魂はそれに対して、今株価が上がっているから、借金は借金として存在しているにかかわらず「投資しよう」と投資すると。そして一気に株価が下がると。この段階で日本の経済からまた何十兆円というお金が消えるはずである。
 わたしの見るところ、日本経済を動かしている経済の総額は三千六百兆円ではないかと考えている。そしてその中の、まず第一段階で千二百兆円が抜かれたと。残り二千四百兆円であると。しかしこの二千四百兆円も、これから九三、九四と徐々に、先程言った投資のマジックによって、日本経済は悪化するはずである。
 しかし、もし本当に信のある信徒がここにいるとするならば、その信徒は恐るるに足りない。なぜならば、そのときにはそのときの法則を実践すればいいからである。つまり、どのような形になるかというと、この世の中は必ずやデフレ傾向になるであろう。デフレ傾向とは、現金の価値が上がるということである。例えば昨日、わたしはアッサージと少し話をする機会があって話をしたわけだか、今から一年半前、アルバイトは一万五千円ぐらいのアルバイトね、日給がザラにあったと。しかし今では、九千八百円の日給のアルバイトが最高であると言っていた。これは何を意味するのかというと、確かに稼ぐ方はカネの価値がなくなったが、もしカネを持っているとするならば、そのカネの価値はあるということである。
 ここまではマハーヤーナの内容である。
 しかし、先程述べたとおり、もし、日本が戦争に巻き込まれ、そして今のお金というものが全く価値がなくなったらどうしだらいいんだという問題が出てくる。しかしこれに対する対策はない。特にこの日本を見た場合、ある機械を作るにしろ、ある電気製品を作るにしろ、あるいは食物にしろ、すべて輸入である。第二次世界大戦前は、米、その他の物質は、食糧物資はね、ほとんど国内で賄われていると。しかし今はそうではない。ということは何かというと、もしこの日本から、三千六百兆円が例えば千二百兆円になった段階で、しかも物がなくなった段階で、いったいどのようにして生きていけるんだろうかという問題について考えなければならない。
 答えは簡単である。それは、まず、これからの経済をしっかりと見切り、そしてそれに対する準備をすればいいんだと。では何をどうすればいいのかと。それは完全なる生産ラインの確立であると。つまり、原料の輸入を確保するか、あるいは国内で原料が確保できる状態を第一につくると。
 実はわたしは、このために、今一つのプロジェクトを組んでいる。これは何かというと、この地上から、つまり大地からすべての元素を取り出すという機械である。しかしこれについては、まだいろいろと大きな問題があると。原理的にいうならば、プラズマトーチ、プラズマによって完全に一つ一つを原子化すると。そしてそれを質量分析器にかけると。そしてもしこの質量分析器が、キャパシティがね、そのプラズマによって得られた原子、これをしっかりと分類させることができるならば、この大地にはすべての元素が含んでいるわけだから、すべての元素を手に入れることができると。
 それからもう一つは−−これもマハーヤーナに属することだが−−まあこの信徒さんの中に、これからまた一力月後、ニカ月後には失業者が増えるだろうと。その場合に、生産工場をできるだけ多く設けて、そしてその生産ラインの中で物を作り、それをダイレクトに販売すると。当然これからの世の中は、いい物で安い物しか売れなくなる。高級品は全く売れなくなるだろう。したがって、いかにいい物を安く作るシステムを持てるかどうかがポイントとなると。
 では、そのような世の中がこれから何年続くのかと。わたしは、先程述べた九七年のハルマゲドン以降、かなり長く戦いは続くと考えている。そして、そこで生き残る魂は、この人口の多くて二分の一、少なければ四分の一であると。ではいったい、何ゆえにそれが起きるのかということについて、これから話をしなければならない。
 まず、君たちも知ってのとおり、八○年代は、物質的な両軸の対決、これが終焉を迎える時期であったということができる。物質的な両軸とは何かというと、一方は共産主義、一方は資本主義である。そして共産主義の負けという結論が出たと。ではこれらのことはなぜ起きたのかと。それは簡単である。つまり、物質的平等という、ある命題に対して、今の人類がどのような形でそれを理解し、そしてどのような形でそれが実行されるのかというテストケース、これがロシアであったということができる。
 では次の命題は何かと。次の命題は、フリーメーソンが掲げる自由・平等・博愛というこの三つの命題に対して、果たして人類は自由という選択をするのか、あるいは平等という選択をするのか、という問題である。
 なぜ自由であって平等であってはいけないんだという質問があるかもしれない。しかし、よくこの問題について考えてみよう。
 例えばある人が自由だとしよう。この人は例えば殺すこともできる、例えばこの人は盗むこともできるとしよう。この場合、一方の自由である「生命を維持したい」、あるいは「自分のものを保全したい」というその状況は当然破られることとなる。したがってこの自由と平等との間には、相矛盾する概念が存在するんだということをいわなきゃならない。
 しかし、本質的にこの自由と平等というものは両立できないわけではないと。それは君たちも知ってのとおり、もし意識が高い意識状態になり、魂の質が高まればどうなるかと。それは慈愛という思想のもとにこの自由と平等が保障されるということである。つまり、ある魂がそこに存在し、その自由が「相手を利する」というポイントに置かれたらどうなるだろうか。これは当然、お互いがお互いに対する慈愛というポイントによって、その状態は平等と自由が確保されるはずである。したがって、本来フリーメーソンが掲げた「自由・平等・博愛」というこの三つは、一番最初に博愛、つまり慈愛が来、その後に自由と平等が来るべきだったのである。
 しかし、彼らはこの人類においてそれをテストしたと。「まず自由を与えてみようと。どうなるだろうか」と。「次に平等を与えてみよう。どうなるだろうか」と。しかし当然、その結果は、瞑想からもわかるとおり、否であると。ね。
 −−ちょっと難しいだろう。だから、ヴァジラヤーナの話はあまりしたくない。……わかるかな、言っていることは?
 よって、もし、この慈愛というものが達成できるならば、フリーメーソンが掲げるキリストの世の中というものが登場するはずである。しかし彼らはこう考えた。「キリストの没後、千年経った。キリストは登場しなかったじゃないか」と。「千五百年経った。キリストは登場しなかったじやないか」と。「つまり、カルマの法則とは存在しないんだ」と。「そして、キリストとは存在しないんだ」ということだね。
 ここで、今君たちは、「うん?」と思うかもしれない。つまり「カルマの法則とは存在しないんだ」となぜいえるんだろうかと。もともと、カルマの法則がこの世の中に現象化するのは、偉大な聖者−−ここでいう「偉大な聖者」というのは、「個人の解脱・悟りを得た聖者」という意味ではない。ここでいう「偉大な聖者」とは、「衆生を済度する偉大な救世主」ということになる−−この偉大な救世主が現われて初めて、カルマの法則か現象化する。例えば、わたしたちがもし、蓮華座を組む機会に恵まれなければどうなるかと。当然わたしたちのアパーナ気の影響によって、その地獄の苦しみというものがこの肉体に内在しているんだということが理解できないはずである。それは厳しい蓮華座を組んで初めて、わたしたちの肉体には、苦しみというものがもともと存在しているんだということがわかるのである。そして例えばそれを殺生することにより増大し、あるいは布施をしたり奉仕をしたり持戒をなしたりすることにより軽減するということがわかるのである。
 つまりこれは何を言いたいか。そこに救世主があるからこそわかるのであると。
 しかし、彼らはこう考えた。「いや、救世主は存在しなかった。ということはカルマの法則はないんだ」と。「ということは、自由であればいい」と。そして彼らは、原始共産主義の形へ戻ろうとした。しかしこの、もともと原始共産主義の欠点とは何かというと、確かにそこには権力は存在しなかった。確かにそこには個人の独占というものは存在しなかったが、すべての魂が貧しかった、ということはいえる。それからそれと同時に動物との対決によって、非常に苦しい世の中であったことは間違いない。
 では今の人たちが、そういう原始共産主義的な生活へ戻ったとして、それは果たして可能なのだろうかと。それは否である。ではなぜ否なのか。原始共産主義の時代の魂は、もっと真面目であり働き者であったと。つまり生きるために全力で生きたと。しかし今の魂はどうだろうか。それはこのオウム真理教という真理の流れに入るような偉大な魂であったとしても、なかなか不放逸、つまり努力をし続けるという姿勢はわたしには見受けられない。ということは、今、もし原始共産主義になったら、そうだね、それはもちろん動物への敗北を意味する。
 これは別の言い方をすれば、人間は「火」という、動物が使いこなせなかった新しいエネルギーを使うことによって、動物から離脱したと。そして、君たちも知ってのとおり、この「火」よりもう一段階高い「風」のエネルギーである原爆を使うことによって、同じ人間の世界において、日本はアメリカに隷属していると。
 まあ君たちにこう言っても信じないかもしれないが、この日本がアメリカの属国であるということは間もなく証明されるであろう。そして先程述べた日本の自衛隊も、彼らのために犬死にをしなきゃならない。
 このような現象において神が関与するとユダヤの本質的な経典ではうたっているし、それから、ヒンドゥーの本質的な経典でもうたっていると。
 ヒンドゥーの経典においては、ここでカルキが登場すると。カルキとは何か。それはシヴァ大神の化身である、マハーカーラが登場することになっている。
 そしてユダヤでは、だれが登場するのかと。これは、天界の第四の御座の神の化身がこの世に現われるという表現となっている。ちょっと言葉は違うけどもね、ニュアンスとして受け取ってちょうだい。そしてその魂は、なんと、紫の衣を着ているそうだ。
 そしてそこで何を現わすのか。それは当然、この世の中に、というより、カルマの法則は存在するんだということを現わすこととなる。つまり、これは明らかに、神々対、そして無智である、疑念の塊であるものの対決ということができる。それは別の言い方をすれば、カルマの厳然たる法則が存在するのか、あるいは存在しないのかの対決となると。そして当然、この日本は、それよりも先に大きな変化を迎えることとなるだろう。
 ではこれからヒナヤーナに戻る。
 このような状態であったとしても、このような状態でなかったとしても、わたしたちは死ぬわけである。これはどうだ。したがって、ハルマゲドンが起きようが起きまいが死ぬんだ、と割り切ればいい。
 では何をどうするんだ。その死のために準備をすればいいんだと。
 じゃ、何を準備するんだと。それはまずしっかりとバルドを経験すること。そのためにはしっかりと瞑想修行を行なうこと。そして、これからいつ死んでもいいような心の準備をすること。
 じゃ、何をどうすればいいんだと。そのためには、この現世の執着を切ると。なぜならば、現世の執着かあろうとなかろうと死ぬんだということだね。これははっきりしていると。したがって、いいか、現世の執着がなくてもわたしのように生きていけるんだ。だとするならば、現世の執着がなくてもいいじゃないかと。逆に執着があればそこでエネルギーを漏らし、そしてそれによって、本当に自分がやらなければならない使命も見えなくなると。本当に自分が生きなければならない、その生き様も見えなくなると。
 したがって、現世の執着を切り、そして、できるだけ多くの徳を積み、ね、高い世界へ至る準備をすると。そして、瞑想修行をしっかり行ない、できたらバルドを自由に行き来できるようにすると。そしてそのバルドでの経験は、君たちが死後、経験する世界と同じだ。
 イエス・キリストは輪廻転生論者であったと。ではそれはなぜそういえるんだと。彼はこう言っている。「わたしは、神の御元から来たと。そして、人間界へ生まれたと。そしてわたしはまた神の御元へ帰る」と言っている。ということは彼の前生は神であり、彼の来世も神であると。ここに、一つのある魂がいたとして、それが神の世界から来、神の世界へ帰ることができるとするならば、もし同じ形状を持ち、心の働きだけが違う魂がいたとして、その心の働きが神と同じだったらどうなるだろうかと。当然神の世界へ帰ることができるんだと−−これが、イエスの説く法である。
 そしてイエスの説く法は、最もテーラヴァーダ仏教における基本的な、戒律と慈愛であると。そして、彼は聖書の中でこう説いている。「布施、それから慈愛、ね、戒律が守れるようになったらどうしたらいいでしょうか」と。「あなたの持っているものをすべて放棄し、出家しなさい」と。しかしだ。そこで出たその若者は、それを放棄することはできなかったと。そこでイエスはこう言っている。「これは、彼のカルマなんだよ」と。「もし彼がそれを達成することができたら、より偉大な経験をすることができる」と言っているね。
 だからといってわたしは、君たちに出家しなさいとは言わないよ。なぜならば心の準備ができていないのに、出家してもらっては困る。したがって、もう一度言うが、キリストも説いている、それからサキャ神賢も説いている、このカルマの法則というものはあるんだと。そしてそれはこれから二○○○年にかけて、必ずや証明されるであろう。偉大なるシヴァ大神と、すべての真理勝者の祝福によってね。



ヴァジラヤーナ教学TOPに戻る

TOPに戻る