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●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.181〜P.185)

第二十七話(一九九二年十一月二十三日 京都大学)

 人間の寿命と心の働きには、大きな関係が存在します。例えば一般的に病理学的にいわれていることは、精神分裂病の人の寿命は大変短いと。これは、一つのわたしたちに示唆を与えます。それは、もともとわたしたちの有する寿命というものは本来は不死であり、そしてそこへ到達するための道が存在すること。このような話をいきなり皆さんにしたとしても、皆さんはなかなか納得できないかもしれません。というのは、現代医学の力を結集したとしても、例えばわたしたちの寿命というものは八十歳、あるいはせいぜいが百数十歳で止まってしまうからです。
 これに対して仏典では、一つのわたしたちに示唆を与えています。それはわたしたちがいろいろな心のけがれ、例えば生き物を殺すとか、盗みを働くとか、あるいは嘘をつくとかいったようなけがれによってわたしたちの寿命は短くなり、そしてそれらの行為・言葉・心の働きが停止したときに、わたしたちの寿命は逆転し、増大するんだという教えです。
 ところで、ここにいる皆さんはそういう意味においては大変幸せな存在であるということができるでしょう。なぜならば、二○○○年前後を境として、この逆転現象が起きると、これは仏典にもそうですし、あるいは聖書の予言、あるいはノストラダムスの予言にも説かれているからです。
 つまり、もし煩悩を有し、そしてその煩悩を満足させながら長く生きたいという人にとっては、これから先の未来は決して明るいものではないが、もし生き方をしっかりと改め、ここでいう改めるとは、自分の中でしっかり検討し、そして自分の納得できる生き方を行なおうとする者にとって、これからの未来というものは大変明るい時代であるということができるのです。
 その第一番目は、アメリカ帝国の崩壊というダイナミックな予言をここでまずしたいと思います。アメリカの力が弱るのが、一九九八年の前半から弱ると。そして今のプラエトル、つまり宗教性のない最高権威の座からずれ落ちると予言されています。これらの予言を信じるにしろ信じないにしろ、少なくとも今の日本の状況を見れば、わたしたちの周りが大変激しく変化し、そしてそれに注意を向けることこそ最も価値のあることであると考えている方々もこの中に多くおられるはずです。わたしもその中の一人です。
 わたしは一九八○年代にいくつかの予言を残し、それは一九九○年代にそのほとんどが成就しています。例えば東西ドイツの統合やロシアの崩壊、あるいは日米摩擦の、経済摩擦の激化、そして日本の自衛隊の、自衛隊から要するに軍国、つまり軍隊への移行、つまり出兵を行なうということ、それから選挙においては自民党の大勝大敗が繰り返されるといったような予言です。その予言のすべてをここでお話ししたとしても、あまり皆さんに意味がありませんので、ここではそういう前提をもとに、これからの話を聴いていたたきたいと思います。
 いかなる時代が到来しようとも、本質的にわたしたちのこの肉体には、あるいは感覚器官には、あるいはイメージには、あるいはわたしたちの経験の一つ一つをデータと残している、まあ仏教では「経験の構成」とよばれているものには、あるいは識別には、内なる喜び・内なる自由・内なる歓喜といったようなものが存在します。これは外的な世界と関係なく、内側において、つまり条件なしに成立する絶対の自由であり、絶対の幸福であり、絶対の歓喜です。
 例えば例を挙げるならば、わたしたちが性的な喜びを満足させる場合、その絶対の喜びに移行するはずのエネルギーの一部を漏らすかたちでその喜びを経験します。あるいは、例えばわたしたちが何らかの味覚を満足させる場合、同じようにその舌にある感覚器官を使って、その味覚の喜というものを経験し、それによってエネルギーを漏らします。
 しかし、もしこのエネルギーで内なる循環を行なうことができるならば、そのときは絶えず歓喜の状態、あるいは喜びの状態、あるいは至福の状態を経験することができます。 これに対して徹底的なアプローチを行なったのが中国のタオイズムであり、そしてヨーガにおけるクンダリニー・ヨーガです。しかし、今から約二千五百年以上前に登場したサキャ神賢、日本では仏陀とかあるいは釈加牟もとかいわれている偉大な聖者は、この状態をも常ではない、無常であると説きます。
 なぜならばわたしたちがその喜びに没入したとき、その没入した心の働きによってエネルギーの消滅が起きるからです。そして最終的には、その内なる喜びをも放棄した状態、この状態こそが不死であると、あるいはこの状態こそがニルヴァーナであると説くのです。
 確かに、これを放棄したときの状態は寂静、つまり大変静かというよりもスッキリした意識の状態が形成されます。そしてこの状態である限り、眠りもなく、あるいは疲労もなく、あるいは苦しみもない、いっさいが完全に解放された状態になることはわたしの経験からいっても疑いありません。
 しかし、これらの段階はあくまでも低い段階であるということができます。なぜならば例えばある聖者が、ただ一人この状態に到達したとしても、それはあまり利益にならないからです。
 つまり多くの人が存在し、その多くの人にまず内側に喜びがあることを伝え、そしてその喜びの期限、例えば何十万年とか、あるいは何十億年とかいう長きにわたる喜びを経験したとしてもそれはまた無常であることを伝え、そしてそれを放棄したときこそ本当の自由・幸福・歓喜があるんだという教えをもし伝えることができるならば、それは大変利益のある人生であるといわざるを得ません。そしてこれをボーディサットヴァ、日本では菩薩とよんでいます。
 これらの菩薩の企てにより、あるいは真理勝者方の企てにより、この人間の世界は形成されています。そしてこれを、例えばゾロアスター教的な表現を使うならば、善神であるアフラ・マズダと、悪神であるアフリマンの戦いと、あるいはアングリマインユの戦いと。
 で、このなぜ戦いが起きなきゃならないかについては言及されていないと。これに対して大乗仏典では、多くの示唆をわたしたちに与えます。この人間の世界が形成されたのは、偉大なボーディサットヴァ、あるいは真理勝者方の意向によってであると。そしてそれは、魂を成熟させるためであると。そして魂を成熟させることにより、先程述べた絶対的な自由・幸福・歓喜を与え、それをも放棄する最後のステージに一人でも多くの魂を導くためであると。
 そしてこれから起きる、二○○○年にわたって起きる大いなる現象から見るならば、破局、これもわたしたちに多くの利益を与えるはずです。使われる兵器の種類、それはまあ今開発されている原爆やあるいは中性子爆弾だけではなく、生物兵器あるいは化学兵器のすべてが使われることが予言されています。
 そして、かくいうわたしもそれを防御するために、まあ約一千億円ぐらいのプラントを今考えています。まあこれは水中都市だけどもね。まあ今の政府がそれを認めるか認めないかは別にして。というのは、この後に起きる世の中の実態というものは、仏典や聖書を読む限りにおいては要するに正しい生き方、そして心を清める生き方をする者だけが生き残ると予言されているからです。それによって、最終的には人間の寿命は約十万年になると。仏典では八万年となっていますが、聖書には十万年となっています。まあこの、二万歳の違いというものはあまり大きな問題ではないのでここでは取り上げませんが。
 そしてそのターニングポイントに、わたしたちが今生きていられることは、大変な喜びであるということができるでしょう。
 しかし、もしわたしたちが、そのような現象を無視できるような最終のステージへ到達したならばどうだろうかと。この場合、全く外的な変化というものは影響を与えることをしません。そして、その外的状況における変化があったとしても、その影響を受けないための瞑想法をね、今日は皆日さんにこの後伝授したいと考えています。もちろんこれには修習の時間が必要であり、皆さんが例えば一日一時間、あるいは二時間、三時間といった時間をそれに費やされ、そしてそれによって心を成熟させられることこそが、そのような状態に至るためのただ一つの方法であると考えられるからです。
 ところで、その瞑想法については別にして、皆さんがこのどちらかの道、つまり普通の生活をしながらもその生活の中で自分自身を改める、そしてそれによってより高い世界とのきずなかできる生き方をするか、あるいはそれらのきずなをも超越し、そして覚者、つまり完全なる解放の意識の状態を経験するか、この二つをこれから吟味なさることは、皆さんにとって最も大きな利益であるとわたしは考えます。
 前回この京大での講話は、少しレベルの高い形状界、それから四つの静慮、つまり瞑想の段階について説明しましたが、それについて今年いくつかの科学的実験における証明がなされましたので、少しお話をしたいと思います。
 まず成就者と非成就者の酸素消費における違いは、完全なる危険値に突入したとしても、成就者においては危険な状態にはならないと。例えば酸素濃度一二パーセントとかの状態に突入したとしても、危険な状態にはならないという一つの実験データがあります。
 それから脳波については、ステージが上がれば上がるほど平坦な脳波になり、要するにシータ波優位の脳波になるという実験データが出ています。
 それから外的刺激においても同じように、その外的刺激に対する心臓の反応、あるいは発汗の状態というものは、普通の人に比べるとほとんど反応しないというデータが出ています。
 これらのことは、わたしたちが窮地に追い込まれたとき、わたしたちの生命を維持する機能というものは要するに瞑想ステージが高ければ高いほどその生命維持機能は強いんだということを意味しています。



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