TOPヴァジラヤーナコース教学システム>内容

●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.176〜P.180)

第二十六話 (一九九二年十一月二十二日 東京大学)

 今日の話の中心は、皆さんにとって大変利益のある、これから、つまり未来に起きること、そしてまずはその未来に起きることについての実証の証明と。そして、それに対してどのようなアプローチが最高のものであり、それはどのように科学的に証明されるのかについて、お話をしたいと思います。
 したがって、あまり未来を信じない人にとってはちょっとうさんくさい話になるかもしれません。しかしその背景にあるものが、絶対の真理、つまり仏教やキリスト教の内容における基本的、かつ最高の教えであることは、皆さんがこの話をお聞きになるうちに理解できるはずです。
 わたしは、ある意味で大変危険な立場を絶えず取り続けている宗教家であるということができます。それはどういうことかというと、例えば一九八五年の講話集、これは『イニシエーション』という形で出版されたわけですが、ここで、九○年に何が起きるか、九三年に何が起きるかという、大変近未来の予言をしました。また、一九八七年に執筆を始めた『滅亡の日』、『滅亡から虚空へ』では、これも同じように九○年代の前半、あるいは後半、二○○○年代の頭に何が起きるかの予言をしました。なぜ大変危険な立場を絶えず取り続けながら生きている宗教家であるといっているかというと、つまり予言が外れるということは、致命的なダメージを宗教家として受けるからです。
 もともと予言というものは、暖昧にかつ象徴的な表現をするならば、一般の人たちには納得させることができます。そして外れた場合それに対して適当な言い訳をなす、これをなすならば、まあ宗教家として生きていけないことはないでしょう。しかし今の日本に本当に必要なものは、正しい未来予測と、そしてそれに対してどのようになさなければならないのかということである、ということができるのです。
 一九八五年の『イニシエーション』の予言においては、まだ成就していないものが一つあります。それは、円が一ドル百円になるという予言です。この他の予言については、一応経済摩擦の激化や、あるいは自衛隊の軍隊化といったような予言についてもすべて的中しています。同じように、『滅亡の日』が書かれた段階では、またソビエト連邦の崩壊というものはだれも考えなかったことですが、これは実際ね、予言した年数より十年早く来たわけだけども、ソビエト連邦の崩壊、東西ドイツの統合といったようなダイナミックな予言がなされ、そのほとんどは的中しています。
 これらは、もともとある段階に瞑想ステージが達すると未来の情景を見ることができるということが一つあり、もう一つは、より高度な直観的なデータの読み取りにより、未来の現象というものを理解できるようになるからです。そしてわたしは、無謀にも、またこれから先何が起きるのかについて、皆さんにお話を今日もしたいと考えています。
 その前に、まずわたしたちか考えなければならないことがあります。それは、今まで世界の歴史を見る限りにおいて、科学的に研究されたもの、例えばそれは原爆にしろ、あるいは生物兵器にしろ、あるいは化学兵器つまりケミカルな兵器にしろ、すべて使用されてきたということです。そしてこれらを使う背景は、必ず民族間のトラブルであったということをわたしたちは見逃すわけにはいきません。
 この民族間のトラブルとはどういうことかというと、例えば東西ドイツが統合された今、あるいはロシアがロシア一国になった今、つまり戦争を行なうための能力および国民的な資質、これらが一つ一つ確定されていっている今、次に何をこの世界を動かしていっている人たちが考えているのかと考えた場合、それは当然、第二次世界大戦から第三次世界大戦が起きるまでの間に開発されたあらゆる化学兵器の実験および行使が行なわれると見るべきである、ということです。
 それはなぜかというと、例えば第二次世界大戦においても、公称だけでもロシアで約二千万人の人が戦死していますし、日本においても数百万の人が戦死しています。世界を合わせるならば、相当の人口が減ったということができるでしょう。
 しかし人間の、つまり男と女の交わりによってできる子供の数と、それから死んでいく数を計算した場合、今増大傾向にあると。これらの増大した人口は、一回の実験的戦争によって減るんだと。そしてそれはまた再生を続けることにより、それと同等のあるいはそれ以上の人口を形成することができるという過去の歴史を見るならば、この世界を動かしている一部の人たちにとっての思考から考えると、戦争というものは大したものではない、ということがいえると思います。
 しかし、その大したことのない死のパートに属するのが自分であるか、あるいは自分の友人や知人あるいは親族であるのかどうかを考えた場合、もしその実験的な戦争のために死ななければならない立場に自分自身が身を置くとするならば、それはちょっと考えなければならないことでしょう。
 わたしは、戦争賛成論者でもなければ、戦争反対論者でもありません。それはカルマの流れというものがあり、つまり多くの人たちの意思の力によって動かされる現象に対しては、それをいくら反対したとしても、それは何の力にもならないということをよく知っているからです。
 そうではなく、そのような現象が起きたときどのようにして生きることが最も賢いのか、そして最も自分自身の被害が少なく、あるいは自分と縁の深い者が被害が少なく生きることができるのかということの方に興味があります。この興味の対象は、わたしにより深い多くの教えの理解、そして実践を今まで促してきました。
 例えばキリスト教的な教え、あるいは仏教的な教え、あるいはヒンドゥー教的な教えと、あるいは中国のタオイズムと。これらの教えは共通して一つのことを指しています。それはこの世、つまり人生は無常であると。
 そしてこの無常である人生から解放され、瞑想修行に没頭することにより、多くの超越的な状態を経験できるんだと。そしてそれは、これから未来において起きるであろういろいろな現象においても、多くのわたしたちにメリットを与えてくれるということをわたし自身経験し、そしてこれは科学的にもデータとしてはっきり出ていることです。
 例えば一つの例を挙げましょう。瞑想を達成する場合、四つの一般的には経験をし、その後に心の静止、つまり寂静の状態を経験します。
 その一つは、肉体的なエネルギーの上昇の経験。第二は光そのものを絶えず見続け、発するという状態。第三は自分の身体と違う別の身体に意識を移し変えることのできる状態。第四は意識が連続している状態、の四つです。
 特にこの「意識の連続」については、わたしたちにとって大変有効な効果を与えてくれます。それは何かというと、この意識の連続はわたしたちが死後ショックにおいてもそれに対して影響を受けることなく、そして意識の連続により「中間状態」と呼ばれるバルドーを通過し、そしてその次の転生をこの現世の意識を持ち続けながら経験し続けることができるというメリットです。そしてこの状態を、仏典においては「死の軍勢を撃ち破った」と表現し、あるいはキリスト教においては永遠の生命を得たと表現しています。
 これらは、科学的に次のような結果を示します。まず、意識のある状態での呼吸停止の実験、これが達成できる。次に脳波においては、感情の乱れのあるガンマ波、あるいは通常人のベータ波、あるいは潜在意識と表層意識の中間状態にあるアルファ波ではなく、それよりもう一つ深い意識状態であるシータ波が、根本的というか通常の脳波の状態である、この状態を経験し続けることができると。
 次に例えば外的刺激についても、多くの外的刺激に対して、それに伴う心拍数の増大やあるいは発汗の増大といったような生理的機能が遮断される、つまり外的感覚が遮断されるといったような状態が形成されます。
 また温度その他についても大変強くなり、だいたい五○度前後のお湯の中に十五分くらい浸かったとしても、それに対して平気でいられるような、つまりやけどをしないような肉体が形成されてくると。
 もちろん、これらの実験を続けるならば、これらの実験を観察するならば、わたしたちは次の点について回答を得ることができます。それは、多くのこれから起きるであろう問題に対して、例えば生理的に、あるいは機能的に変化の起きないような自分自身を形成することができるのだということができるのだということです。
 では、これから未来に対してどのような現象が起きるかについて、ミカエル・ノストラダムスの詩を引用しながら、そしてわたし自身の瞑想経験から出てくる経験をもとに、皆さんに少しお話をしたいと思います。
 まず、この九三年、九四年、九五年、つまり来年から日本はよりいっそう軍事体制が強化されるであろうと。そして天皇は、今の象微的な天皇から「元首」としてはっきりとした形で表わされるはずであると。これについては、九月に「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」、つまりロシアから放送されているオウム真理教放送の中で、わたしはその内容をお話ししたわけですが、それに対して実際問題として十月、NHKが、中国に天皇が行ったときに、それに対して「元首」という言葉を使い、それを『朝日新聞』が叩いているという実態があります。つまり、元首化されていっていると。
 では経済はどうかというと、今の不況より、よりいっそう不景気になる。そして軍需産業を増大させない限リ、経済の再興は不可能な状態を各国が形成します。そしてそれによって大戦、大きな戦いが起きるのです。
 しかし、その前に日本は大きないくつかの洗礼を受けなければなりません。それは皆さんにとっても精神的、あるいは肉体的に大変苦痛なものになるに違いありません。これらを経験した後、一九九八年の前半から一九九九年にかけて世界的な戦いが生じる。
 そしてその後は、その戦いの結果として平和な世界が形成されるというのが予言詩の内容です。しかしここで生き残る人たちが果たしてどれほどいるか。わたしは、文明国については人口の約十分の一くらいかなと考えています。
 皆さんが、今日のわたしのね、話を聞き、それによって人生の指針を少しでも変えることができるならば幸いです。



ヴァジラヤーナ教学TOPに戻る

TOPに戻る