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オーロラを楽しく安全に見るためのガイドブック
by 日蝕貧乏知恵者猫
ちょっと脱線・・・
 オーロラ・ウォッチングの防寒対策から話が逸れてしまうのですが・・・。

 私は近視で、日常生活を裸眼では送れません。
 (子供の頃の視力は良かったのに・・・例えば第二次成長と視力の悪化って、何か関連性があるのでしょうか?身長が伸びるのと一緒に、眼球が必要以上に伸びたとか?^_^;)
 現在は度数で言うと−3.50〜−4.50Dなので中程度の近視かも知れませんが、少し乱視があることもあって、裸眼では過ごせません。(最近は視力検査表で検眼しないのでどの程度か分かりませんが、最後に検査表で計った時には0.03以下でした。;_;)
 おまけに(無意識ですが)物を細かい所まで見たい性分のようで、眼科医に非常に目を酷使していると言われましたし、乱視との相乗効果で眼精疲労も激しい模様。(恐ろしいまでの肩凝り・首凝り持ち。;_;)

 近視の人の中には、矯正して物がカチッと見えるのは逆に疲れるとか、気持ち悪いとおっしゃる方もいて、メガネやコンタクトレンズはほとんど使わないという方もおられます。
(しかし、見え過ぎるのが煩わしいので特に矯正しないけれど、例えば掃除などの時にも「見ようとしない」ので、全く汚れに気づかないという人が身近に・・・。これは単に視力の問題だけではないようにも思いますけれども。*_*;)
 確かに物が溢れている都会だと、色々見え過ぎるのは情報が溢れて疲れるかも知れません(故に、近視は現代病とも言われている訳ですね)が、私は見えないほうが不安になってしまうようです。
 「見え過ぎて恐い」の逆で、「何があるのか分からないのが不便で恐い」ということだと思います。(結局のところ、小心者ってことかも。)その分、眼は酷使されて疲れているというのは、自分でも感じています。

 例えば私が裸眼のまま日常生活を送ると・・・。
 料理をするにも包丁の刃先はぼやけてしか見えません。鍋の中も輪郭がハッキリしないので、近づけるところまで顔を近づけて、あとはどんな状態なのかは音や匂いを頼りに。揚げ物は危険!!
 新聞や雑誌などは顔を近づければ読めますが、乱視があるせいで非常に疲れてイライラしてくるので、長時間読むのは無理です。
 筆記は何を書いているのかは見えなくてもある程度こなせると思うのですが、普通の姿勢のままではノートや書類の罫線、マス目は見えません。それに、もしかしたら判読不明の文字しか書けないかも、という不安がよぎってしまいます。やはり何をどう書いているのか(綺麗とは言えなくても)確認しながらしたためることは必要で、裸眼でそれが可能な姿勢ではメモくらいは書けても、手紙や仕事は無理です。頑張ってこなしたら、そうでなくても腰痛、肩凝り、首凝り持ちなのに、ますます悩まされてしまいます。
 パソコンのキーボードは見なくても打てるので大丈夫ですが、画面は20cmくらいまで近づかないと何が書いてあるのか全く分からないという有様。(文字の大きさをI.E.で最大、Netscapeで200%にしてみましたが、キーボードを打つ姿勢では裸眼で画面を読むことは出来ず。-.-; 老眼だからではありません、念のため。^_^;)
 よって、TVを見るにもメガネは必需品です。裸眼でTVを見ても、音声しか楽しめないのです。
 洗面所の鏡に写った自分の顔は、身を乗り出さなければパーツの詳細は分かりません。形態認識で顔だとわかりますが、「へのへのもへじ」とは言わないまでもモザイクがかかったようにしか見えていません。
 そんな状態ですから、外で友人・知人、ご近所の方とすれ違ってもご挨拶できない可能性大です。
 自宅の階段は毎日上り下りしているので感覚を頼りに動けますが、ひとたび外へ出たら、階段の端などは輪郭がぼんやりとしか見えないし、距離感が掴めません。
 駅や地下街の掲示も全く役に立たないので、初めてだったり不慣れな場所だと足元もおぼつかない状態に陥る可能性があります。

 ・・・とまぁ、あれこれしたためましたが、入浴や就寝時以外には裸眼で過ごせない身として案じているのは、
災害や事故発生時のことなのです。
 裸眼では上記のような状態で、もちろん自分の足元などおぼろげにしか見えていない訳で、裸眼では自力の非難は困難を極めます。
 そんな状況に身を置くことにならなければ良いと願っていますが、事故や災害の様子を見るにつけ、もしあの場に自分が居て、手元にメガネがなかったら・・・と考えると、もはや私にとってメガネは身体の一部と言って差し支えないでしょう。(結構切実なんです!)
 メガネではなく医療用の特殊なコンタクトレンズでしか視力矯正できない状況(?)もあるので一概には言えませんが、通常のコンタクトレンズはメンテナンスが必要だし、どんな状況でも使えるとは限らないので緊急事態には適しているとは言えないと思います。
 また、レーザーで角膜を切って視力を回復させる手術(レーシック)は、将来的にどのような問題が出てくるのかまだ判らない点が不安です。
 でも、矯正しなくても見える身に戻れたら・・・楽でしょうねぇ!

 それとも「見えない不便」というのを、私が平均よりも高く感じているのでしょうか?
 
災害救助・救援物資に「メガネ」(近視、遠視、乱視、老眼含む)が欲しいと思っているのですが、そういうニーズはあるのでしょうか?
 自身の身の安全を確保する上にも、「見えること」は必要かと思います。
 もしも家族とはぐれたりした場合には、彼らを見つけることすらできません。

 銀行や郵便局などの窓口に数種類の老眼鏡が備え付けている所があることからも、おそらく老眼鏡はそれほど度数のヴァリエーションはないものと思われます。
(ピント調節力の衰える速度が老眼の進行速度ということですが、多少の個人差はあるものの大きなファクターは年齢とのこと。よって、それほど多くの種類はなく、5種類くらいのようです。)
 この老眼鏡も、通常裸眼で過ごせる方が加齢によって近くが見づらくなった場合の物で、結局のところ、近視や遠視、乱視の人は普通の老眼鏡では役に立たない!!のです。
 さすがに近視や遠視用のメガネは度数が多岐に渡ってしまうので(矯正が必要な乱視を含めるともっと大変)、援助物資に各種取り揃えて・・・という訳にも行かないでしょうけれど、それでも「見えない」ことで日常生活が立ち行かない身としては、もし万が一の場合にはメガネが欲しい!と思うのでした。

 ・・・で、話が逸れたついでに、もし部分麻酔で(頭部以外の)手術をすることになったとしたら、メガネを賭けたままにして欲しい!とまで思っている始末。
 手術している部位を見たい(見せて下さるというのならば、見てもいいけれど。^^;;)というのではなくて、手術室の様子やオペ中の先生や看護師さん達の様子が見えないのはつまらないし不安だからです。
(見えることによって不安が増幅するようなシチュエーションにはなって欲しくないです!^_^;)
 でも、衛生的に許してもらえないのでしょうね。
 メガネを丸ごと消毒したら、許してもらえるのかなぁ?
 それとも、やはり不測の事態を考えて、怪我の恐れがないようにメガネは不許可なのかしらん?
 とんだ脱線になってしまって済みません。m(__)m

 「見えない不便」や「見えない不安」とか・・・晴眼者(私はこの言葉が好きではないのですが、他に適当な言葉が見つけられない。m(__)m)の側の言葉かも、と思いつつしたためています。
 例えば、弱視の方の中には矯正視力でも私の裸眼よりも視力が出ていない方もいらっしゃるし、視力そのものではなく視野狭窄の場合はメガネなどでは矯正できないし・・・、目が不自由(白杖を使っていらっしゃる方=全盲ということではない)ということ


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このページを新設(^^;;)(July,26,2003)