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アフリカ皆既日蝕体験談・旅行記

宍戸美由紀さんの報告

観測地:ザンビア・ルサカ国際空港
観測地

 ザンビア、ルサカ市、ルサカ国際空港
 南緯15°19′31.7″
 東経28°26′52.7″
 標高1,149m
期間

 2001年6月20日〜22日
同行者

  ヘルムット・グロル、ハンス・シュレムマー、マルコス・ブリュール、宍戸美由紀(ドイツ・メアス天文同好会のメンバー)
ツアー主催

  アストロノミー・トラベル社(オーストリア)
日食データ

 200年6月21日(現地時間 世界時間+2時間)
 第一コンタクト(部分食開始): 13時42分1秒
 第二コンタクト(皆既食開始): 15時10分4秒
 第三コンタクト(皆既食終了): 15時13分34秒
 第四コンタクト(部分食終了): 16時27分9秒
 皆既食継続時間: 3分30秒
 日食継続時間: 2時間45分8秒
日食観測・遠征報告記

 今回の皆既日食観望の為に、私は地元天文同会のメンバーと共にザンビア・ルサカ市へと飛びました。ツアーを主催しているアストロノミー・トラベル社は1990年から日食の度にチャーター機を手配し、ソフィー達にグループツアーをオファーしています。私は1999年の日食を悪天候の為皆既食開始30秒前までしか見ておらず、今回は意地でも見てやるぞ、と肝に銘じてツアーに参加致しました。ちなみにドイツ語圏では日食中毒にかかった人達をソフィーと呼びます。これはSonnenfinsternis(独語で日食、ソンネンフィンスタニス)をもじった呼び方です。

 6月20日。手配されたルサカ行きのチャーター機はオーストリアのウィーンから出発。接続便の関係で11時に地元デュッセルドルフを出発する飛行機に乗り込みました。空港では隣町の天文同好会のメンバー2人と未だ学校に通う天文少年1人と合流し、7人でウィーンへと向かいました。デュッセルドルフの空港では私とハンスがビザを所持していないの、写真を持っていないのとチェックインカウンターで大騒ぎをされ、しかもその前に私が機材の入ったアルミケースを忘れて又家に戻るというドジをしてしまい、私達はすっかりご機嫌斜め。ウィーン空港ではルサカ行きチャーター機の事は誰も知らず、何とかチェックイン出来るカウンターを探し出し、いざチェックインというところで、又してもコンピュータエラーを理由に私とハンスの目の前でカウンターを閉められるという始末。私達はすっかり笑いものになりました。
 1時間半待ち何とか搭乗券を手に入れて、機嫌を損ねた私達を乗せたオーストリア航空OS4011便は17時55分、ルサカへと飛び立ちました。飛行時間は約9時間。エアバスA340は267人とほぼ満席。どう周りを見渡しても、アジア系は私一人のようです。私の所属するもう一つの独流星研究会AKMのメンバー3人の姿も見えます。
 このツアーの主催且つパイロットのシュベンデンバイン氏の挨拶とツアーについての説明が終わった後は、機内ではアマ天とソフィー達の間で星の話題で持ちきりでした。飛行中はアストロノミー・トラベル社が1990年のフィンランド日食から撮り続けたビデオが次々とモニターに投映され、機内は既に日食気分で一層盛り上がっていきました。

 21日午前3時10分にルサカに到着。ザンビアではこの日を記念して急遽祝日とし、空港では青い民族衣装を来た女性が到着するソフィーに「Welcome to Zambia.」と挨拶を投げかけていきます。私を含めた乗客全員殆ど寝ておらず、せっかくの出迎えも眼中に入りません。
 ツアーと言っても、実際には飛行機への搭乗前と搭降後は全くの野放し状態で、何処に行ったら良いのかも分からず、その辺をうろうろ。重たい荷物を抱えたまま人の流れにのまれながら空港の駐車場に出て、早速南天の観望しました。空港の照明が余りにも眩しく、何も見えないのではないかと思いましたが、逆立ちしたさそり座、カシオペア座等が確認出来ました。今明るくなっているリニア彗星も双眼鏡で確認出来ました。さて、南十字星は何処?見慣れない南天と星座盤を照らし合わせながら、何とか星座と星を繋ごうとするのですが、これが以外に難しい。もう少し空港の照明を落としてくれたら良かったのですが。ここで私は次のアストロ休暇はナミビアだ、と心に誓ったのです。(ナミビアは欧州アマ天族の間では大変有名な観測地です。ドイツ人夫婦が建てた星の家も有ります。)
 東の空の星が薄明の中一つ二つと消えていくと、すでに5時過ぎ。どうやら今日は快晴になりそうだと分かると、どっと疲れが出て来ました。同僚3人と空港のレストランで紅茶を飲みながら、後12時間どうやって生き延びれるのだろう、という思いがふっと頭の中を横切ります。一息ついた後、空港が用意してくれた観望地まで行くのは良いのですが、芝生の上を重いスーツケースを引きずるのは並大抵の仕事では有りません。スーツケースが右へ転げ、左へ転げ。お陰様で眠気が吹っ飛びました。
未だ7時前だというのに観望地では既に土産物のテントが幾つか並び、飲み物とスナックを売る屋台が並び、なにやらVIPと書かれたテントまで有ります。私達の機材を置く場所はロープで囲ってあり、しっかりとTechnical Areaと看板迄立ててあります。皆既日食が始まってからは大変警備が厳しく、銃を持った警官が私達の周りをガードする警戒ぶりには感心しました。
さて機材のセッティングが終わり、日食まで後6時間。日向ぼっこの大好きなヨーロッパ人は、日陰の無い原っぱ(?)でもっぱら昼寝を決め込み、私は雨傘をさして日よけに専念します。どうでもいいが、6時間は長い!!

 午前10時位には英国航空がジャンボでソフィーを乗せて到着し、観望地に英語があちこちから聞こえてくるようになりました。多分日本人来るのかなぁと待っていたのですが、別に観望地が用意されていたのでしょう、一人も見掛けませんでした。

 お昼の12時をまわると、案の定お祭りが始まりました。アフリカ訛りの英語で「インターナショナルゲストの為の催し物です。」とアナウンスが入り、民族衣装を着たダンサーが砂を舞い上げて踊ります。しばらくすると、ザンビアの大統領がリムジンで到着。「Dr. Frederick Chiluba, The President of Sambia came to Lusaca Airport. Mr President joins us to watch the solar eclipse.」とアナウンスが流れると、辺りはお祭り気分200%。「こりゃあ、この先思いやられる」と同僚と顔を見合わせました。

 13時42分。日食が始まると、周りにたむろしていた住民が双眼鏡を覗かしてくれ、と柵の中に入ってくるのですが、直ぐに警備員に出されてしまいます。比較的柵の近くに機材を組み上げたハンスとヘルムットは、柵を乗り出して来る住民達の「接待」におおわらわです。部分食の最中は肉眼ではとても眩しくて見えないので、何とか欠けた太陽を一目見ようと寄ってきます。余ったマイラーフィルターも飛ぶように出て行きました。(私達はフィルターを売るようなことはしませんでしたが、タダで配ったはずの物が日食の後に空港で売られていたのには閉口しました。)
 肝心の私は何をやっていたのかと言いますと…。ビデオ撮影と広角レンズでの写真撮影を担当していたのですが、カメラのレリーズが言う事を聞かず、日食が始まっているというのに説明書を読んでいる有様。仕方なく手でシャッターを押していたのですが、圧力でズレてしまい失敗に終わりました。このリレーズ、皆既の後にフィルムを入れ替えたら動くようになりました。マーフィーの法則とはこの事なのでしょうか?帰国してから気が付いたのですが、ビデオもやたら妙なノイズが入り悔しい思いをしました。見るに耐えないとまではいかなかったのですが。出発前に一生懸命フィルター作ったのに…。
 しばらくするとチルバ大統領がお供と警備員を従えて、機材の並ぶTechnical Areaをホコリを舞い上げて練り歩きます。その時にお供の一人が私のカメラの三脚につまづいてくれました。

 15時9分。皆既日食直前となると現地人達が歓声を上げ、その一大イベントの瞬間を待ちます。フィルター無しでは未だ細くなった太陽の姿は確認出来ません。そして、15時10分。辺りが急に暗くなり、ダイアモンドリングが見え出しました。気温がぐっと下がり、風が乾いた砂を舞い上げます。もう、辺りは大歓声に包まれました。コロナが八方に尾を伸ばし、周りの惑星や星が顔を出すと、正にひっくり返らんばかりの大騒ぎです。アフリカ訛りのアナウンスも良く聞き取れなくなるほどです。どうやら「The Power of God ! !」と叫んでいるようですが。  シャドーバンドを撮影する為に地面に向けていたビデオカメラを太陽に向け直し、コロナを撮影します。片手間に相変わらず言う事を聞かないカメラのシャッターを切りながら、コロナを見つめて、「こんな綺麗な物がこの世にあるのか。」と一人で呟きました。お金のかかる趣味を持った事を後悔しなかった一時でした。
 再びダイアモンドリングが見え出すと歓声が上がります。たった3分30秒で幻想的な光景は過ぎ去っていきました。同僚の方をみると、一瞬気が抜けた、それでも満足した表情が伺えます。皆完全に日食中毒にかかってしまったようです。

 皆既食が終わり、部分食が始まると、再び何処からともなく太鼓と民謡が聞こえて来ます。既に機材を片付ける人もいますが、私は最後までがんばりました。
 16時30分。ビデオカメラの電池も日食が終わりを告げると同時に空っぽとなり、「最後まで私を見捨てなかったのはお前だけだ」、とそっと誉めてやりました。

 どっと疲れが出てきました。砂だらけになった機材を片付けます。再び重たいスーツケースを抱えて空港へ向かうと、既に日本人の山。英国航空で帰られるツアーの人達だと思います。同行した人からトンボ返りの人達と聞きましたが、私は確認していません。重たい荷物を押しながら長〜い行列の後ろについたものの、私達の意識は既にもうろうとしています。20時前に飛行機に乗り込んでからは、完全に眠り込んでしまい、飛び立ったのも覚えていません。

 出発から帰国まで48時間。本当に疲れたけれど、素晴らしい自然現象を観望出来ました。観望中はいい迷惑だと思って聞いていたあのアフリカ訛りの英語アナウンスも、帰国してからビデオを見直すと、このアナウンスが無かったら随分寂しい単調なビデオになっていたのでは、などと勝手な事を考えています。帰りの飛行機の搭乗券を自分で書かされたのも今となっては良い思い出です。
 次の日食では、又ソフィーの仲間に入れてもらおうと決心しました。


2001年6月25日
宍戸美由紀
ドイツ連邦共和国、ヴィリヒ市

http://www.sternwarte-moers.de
http://www.schremmer.onlinehome.de/html/sofi2001.htm

Copyright (C)宍戸美由紀さん

知恵者猫の一言(長いけど^^;;)

 上記リンクのハンス・シュレムマー氏のページ(下段)を是非ご覧になって下さい!
 全文ドイツ語ですが、意味は分からなくても美しい写真を楽しめます。(^^)
 1ページの中に、オーストリア・ウィーンを出発してザンビア・ルサカで観測、そしてまたウィーンへ戻ってくるまでの48時間が凝縮しています。
 日蝕当日のルサカ国際空港のフィールドの様子では、アフリカ=灼熱の大地というイメージからは少し遠い感じを受けるショットも。ルサカは高原。当日朝8時の写真では、厚いコートを着て観測機材を準備している姿が分かります。
 何よりも、皆さんがどんな機材を使い、どんな雰囲気の中で観測されたのか、バックの歓声までも聞こえてきそうです。

 そして、是非ともBilder des Finsternisverlaufes (2,4MB) というリンクをクリックして下さい!
 私のところでは表示に随分時間がかかったり、不具合が出ることもあるのですが、焦点距離1,000mmで撮影された、40枚以上のカットに日蝕の全行程が収められています。必見!!
(全ての画像が表示されるまで、スクロールしない方がいいみたいです。スクロールバーを動かすと、フリーズしてしまうことがありました。環境:ISDN64)

 フルサイズの画像を表示すると、その迫力に圧倒されます!
 画面右の大きなプロミネンスが印象的ですが、この画像からは他にもいくつかの大きなプロミネンスがあったことが分かります。
 そして、第二接触のダイヤモンドリングの元には、美しい彩層が続いていて、これは随分長い間見えていたように思われます。光の滴が太陽に飲み込まれてしまうと(実際には月に、ですね)、大きなプロミネンスの左横の内部コロナの中に、とても複雑で繊細なガスのベールの構造が続いているのが分かります。
 肉眼で見たら、どんな風だったのだろう??

 今回の日蝕は太陽活動活発期にあたり、全方位型のヒマワリの花のようなポンポン・コロナ。
 プラチナ色に輝く淡いベールが幾重にも重なり、四方八方に広がっていた様が・・・。
 プロミネンスも彩層も、そして淡いベールの立体的な構造など、全てに一度に見て取れるのは、肉眼が一番でしょうに! うっっ・・・こればっかりは、お留守番組は指をくわえて地団駄踏んでしまうのでありました。
(最近はコンポジットとかアンシャープマスキングの技法を駆使して、素晴らしい画像が得られるようになりましたが・・・。)

 そして、第三接触はきっと次々と光の滴が生まれていったのでしょう。行程が進むに連れて、画面下から左にプツプツと大中小と3つのダイヤモンドが出来て、最後に大きな光になったことが分かります。美しいっ!
 ダイヤモンドリングは場所によって見え方が違ってくるので、アンゴラ、ザンビア、マダガスカルではどんな風に見えたのかも比較できたら面白いですね。

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