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by 日蝕貧乏知恵者猫/福島 円 |
★人口25%増加の集落で |
辺りに集落はなく、山あいの街道の脇に1棟の建物があるだけで、焼けてしまったという、もう一軒の宿がどこにあったかも分からないような場所。 それでも、この町は氷河クルーズの人達がバルディーズからデナリへ行く時に通過する所ですから、夏期はかなりの人がやって来るようで、小さな宿とはいえ、郵便局やカウンター・バーとちょっとしたダンスフロア、そしてお土産物が並んだショーケースが入っている部屋もありました。 しかし冬季は全部閉鎖中で、チェックイン・カウンター兼バーの止まり木、20〜30名程入れるレストラン、そして宿泊する部屋とガソリンスタンドだけが営業中でした。 でも、我々には、暖かい部屋と食事があれば充分です。 これに晴天とオーロラと暗闇をプラスするとなると、かなりわがままでしょうけれど……。 ここは地域の集会場のような役割をしているようで、地元の人達がスノーモービル等でビールを呑みに来て(飲酒運転だ!)盛り上がっていましたし、夜中も街道を走るトラックも何台か立ち寄っていたようです。 後で調べて分かったのですが、パクソンは人口32名の町で、そこに8名行ったのですから、一挙に人口が25%アップしたことになります。 チェックインをして夕食を済ませると、コバルト・ブルーの闇が既に漆黒に変わっていました。 空には満天の星が輝いて、北の地平線にはうっすらとアーク状のオーロラがかかっていました。 ロケハンをする間がなかったので、取りあえずは宿の側で暗闇を捜すことにしました。 アラスカでは珍しいことではないのですが、ここの宿にもプライベート飛行場があって(冬季は積雪のために閉鎖されている)、ひとまずはそこで撮影してみて良ければそこで一晩中撮影を行なって、ダメだったら車で遠征も考えようということにしました。 結局は滑走路でも充分暗いためにそこで撮影となりました。 滑走路は東西に開けていて、南北方向には滑走路と平行に木立があります。 今まで行っていたチナと違うのは、山までの距離が若干離れているので、空の空間が広いという事でした。 それでも東側には有る程度高い山が迫っているために、地平線の彼方から登ってくるようなオーロラは望めないことと、山の形もマッキンリーのような尖った山ではなく、なだらかな丸い山だったのが、ちょっと残念でしたが……。 |
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