Home/index/prev/アラスカ オーロラ便り1994-16/next

アラスカ オーロラ便り1994
by 日蝕貧乏知恵者猫/福島 円
再びアラスカ山脈を越えて
アラスカ・ハイウェイの標識の写真
 フェアバンクスを後にして、次の宿はユーコン河支流のタナナ河に沿って走ること 100マイル余りのデルタ・ジャンクションの予定でした。

 デルタ・ジャンクションの地名の確かな由来は分かりませんが、リチャードソンハイウェイとアラスカハイウェイの起点であり、道の形状がY字を逆さにした場所(▽)にあたるからではないかと思われます。
 なおアラスカ・ハイウェイは、アラスカ州デルタ・ジャンクション〜カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州のドーソン・クリーク間の1,422マイルの道のりで、そこからシアトルまでは更に827マイルです。シアトルにはAurora Ave.という通りがあります。

 余談ながら、このハイウェイはゴールド・ラッシュの為に設営されましたが、第二次世界大戦の折にはアラスカが日本から一番近い米国なので、対日本戦に向けて戦車が通るために施設が向上したと聞いています。
 このように、アラスカの道路や鉄道の発達には必ず『金』(gold)や『戦争』の文字が付いて回るように思います。
 さて、フェアバンクスで聞いた話では、デルタ・ジャンクションはそれなりに大きな町なのでフラッと行っても泊まれるという事だったのですが、教えてもらった町外れのモーテルは、半ば雪の中に埋もれていてちょっと泊まる気になれない状態でしたし、端から端まで車で10分あるかないか(奥行きは不明)という町で、本当に泊まる所はあるのか?という感じでしたが、ハイウェイの分岐点近くに2番目の小綺麗なモーテルがあったので聞いてみることにしました。
 フロントの女主人は「これから軍隊の演習があって、その人達でこの町の宿は全部一杯になるのよ」(そのために空けておかなくてはいけないらしい)とおっしゃる。
 ここから先はパクソンまでめぼしい町はないし、パクソンには宿が1軒しかないと聞いていたので、「こりゃあ困ったゾ」という顔を露にしてしまいました。
 すると「パクソンの宿の番号は分かるの?聞いてあげるわ」と、嫌な顔一つせずに電話で確認してくれたのでした。
 快く手配をして下さったマダムに感謝!
デルタジャンクションのモーテルの看板の写真
デルタ・ジャンクションの
モーテルの看板
 デルタ・ジャンクションからパクソンまでの道のりは、更に約100マイル。
 距離はまだしも、途中でアラスカ山脈越えが待っています。
 天気予報を見ていなかったので、果たして山脈を越えたら晴れなのか雲っているのか、はたまた雪なのかさっぱり見当がつきませんが、もう行くしか手がありません。
 17時にデルタ・ジャンクションを出発し、ハイウェイ(とは言うものの、日本の3桁国道という程度の道)を走る間にも、山の稜線が斜めの太陽光に彩られてくっきりと見えて来ました。
 高緯度のため太陽はそろそろと平行移動をしながら徐々に沈んで行くので、夕焼けが何時間も続きます。
 車窓から見える様々な山の形を見ながら、K氏の『地球創世期の造山活動』の講義が始まって、地図で「あの山は火山かな?」と検証したり、山の古さの見分け方……など、車内では話に花が咲きました。

Home/index/prev/アラスカ オーロラ便り1994-16/next

Produced by Madoka Fukushima
Copyright MADOKA FUKUSHIMA 1999-2004
All Rights Reserved.