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Title.13
一切衆生悉有仏性
 

 「一切衆生悉有仏性」
♪ 蛙の歌が聞こえてくるよ
 グワッ グワッ グワッ グワッ
 ゲロ ゲロ ゲロ ゲロ    
   グワッ グワッ グワッ  ♪
先日蛙の絵にテール オブ フロッグと書いてあるTシャツを見ました。
テール オブ フロッグは蛙のシッポという意味でしょう。
 「蛙にシッポはあったっけ?」
 「蛙のヘソというのもあるからネー」
 「あれー蛙にヘソはあったっけ?」
ますますわからなくなってしまいました。
 「弘元さん何をくだらないこと言ってるの。蛙は卵から生まれるの。ヘソがあるはずないでしょう」
人間は胎生です。だから母親に栄養を貰うために臍の緒、ヘソがある。
 そういえば四生の苦輪という言葉もあります。弘元住職は先日葬儀で諷誦文を読みました。
「胎卵湿化の生多しと雖も悉くこれ有為無常の棲なり」
 蛙は卵から生まれる卵生だから蛙にはヘソはない。
 なるほどヘソがない、納得です。
 それでは蛙のシッポのほうはどうでしょう、あるのでしょうか?
 辞書を引いて見ました。
蛙は両生類無尾目に属する。外形は頭胴の二部からなり、胴部には四肢を持ち、前足に四本後ろ足に五本の指を持つ、とあります。 そういえば筑波山のガマの油売りの口上は前足が四本、後ろ足が六本、四六のガマと言っていましたね。
両生類無尾目に属するとなると、やっぱりシッポは無さそうです。
辞書をさらに見ると「蛙の尾」の項目がありました。そこには、きわめて短いもののたとえと書いてあります。
蛙のシッポはやっぱりあるのかな?
またまた悩んでしまいました。
しかし、あらまほしきものは先達なり。
♪おたまじゃくしは 蛙の子  なまずの孫では ないわいな
  それが何より 証拠には やがて手が出る 足が出る♪
  「おたまじゃくしにはシッポがあるじゃーん」
  「そうね。おたまじゃくしにはシッポがあるね」
蛙にとっておたまじゃくしの時代は短い。だから蛙の尾はきわめて短い、言えるかも知れない。
ライフ イズ テイル オブ フロッグ。
  「人生は蛙の尾のように短い」
思わず蛙が自分の人生に重なってきます。
  「古池やかわず飛び込む水の音」
  「やせ蛙負けるな一茶ここにあり」
「悠然として山を見る蛙かな」
俳句も一味違ってきます。そして仙崖和尚の蛙の賛も味わい深く思えます。
  「座禅して人が仏になるのなら」
 人間が座禅をして悟りを開くことができるのなら、いつも座っている蛙の私は仏さまですよ。
清代の詩人袁枚には次の句があります。
  「青蛙仏心を抱く。踏み上る蓮華の座。」 蛙さんだって仏さま。ホラ見てごらん。蓮花の上にお座りになっていますよ。
  「一切衆生悉有佛性」
そうです。蛙さんだって仏さま。そして私達だれもが、素晴らしいものを持っている。
その素晴らしいものを大切にして生きていかねばならないと思います。
今日は「蛙のシッポ」の話でした。

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