大 熊 亘 イ ン タ ビュ ー
このところ、ソウル・フラワーづいてる私。FMファン誌から先日モノノケ・サミットで中川さんのインタビューをさせてもらったと思ったら、今度はクラリネットの大熊さんの取材依頼が来た。例外もあるけど、どちらかというとインストは苦手の私、話をもらって一瞬どうしようかなと思ったが、大熊さんがプレイする姿はソウル・フラワーで見ていたし、彼がユニークなプレイヤーだというのはもう了解できていることだったので、お引き受けすることにした。
今回のインタビューのテーマは彼が率いるユニット、シカラムータの同名タイトルのファースト・アルバムについて。シカラムータのメンバーは彼の他、桜井芳樹(G)、坂本弘道(チェロ)、関島岳郎(テューバ)、植村昌弘(Dr)という、いずれも個性的な面々。そこにゲストで、ヴァイオリニストの太田惠資が加わった。
アルバムは面白かった。私の好きなチンドン・サウンドも入ってるし、クラリネットのリーダー・アルバムということ自体、興味深かった。で、今回FMファン誌の原稿に、文字数の都合上載せ切れなかった分のインタビューを、大熊氏とFMファン誌、双方の了解を得て、この「恵津子の部屋」で公開させてもらうことにした。
だが正直いってインタビューを始める前から、公開させてもらおうと思っていたわけではなかった。大熊さんとは初対面でどんなふうな話し方をする人かもわからなかったし、そのインタビューが中身の濃いものになるのかならないのか、全く未知数だったから。
そして始まったインタビュー、話を進めるうちにそれはクラリネットの音色の話になり、
「吹きたいものがあれば自然と指はついてくるから、まず音色を出せっていうこといわれたんですよね」
という話を彼がし始めた時に"あ、このインタビューはホームページで公開させてもらいたい"と思った。だって面白いというか深いなあというか、そんなふうに思いません?
素人にとっちゃ正直いって、だれが吹こうがそれほど音色が変わって聞こえるわけじゃない。だからクラリネットに関わらず、楽器を始めるならまず指が自由に動くことだと、誰もが考えると思う。でもそこが素人の限界、その楽器を自分の表現手段として使おうとまで思う人なら、指は知らず知らずのうちに動いているもんなんだろう。
余談になるが、最近ギターにはまってるEPOさん、普通ならまず教則本や知り合いの人を頼って、コードの指使いを覚えることから始めるのだが、彼女はともかくギターをいじくって、気持ちのいい音を手繰っていったという。だから指使いを覚えるよりまず音色だという話は、私にはとてもインパクトがあって興味深く、このぶんでいくと読み応えのあるインタビューになると思った。そして実際そうだった。やっぱユニークな活動している人は、その美学にもうなづくものがある。
今回このようなインタビューをさせてもらって、さらにライヴでの大熊さんの姿やその演奏に興味を持てそう。私の楽しみも、またひとつ増えた。ヨカッタ、ヨカッタ!
クラリネットは、音色がまず命
――まず、音楽歴から教えて下さい。
大熊 始めたのは高校出てからだから、音楽歴はもう20年に近づいてますね。
――それは、クラリネットを始めて20年ということですか。
大熊 全然違うんですよ(笑)。その時はちょうどクラッシュとかが出てきたパンク・ムーブメントの頃で、東京でも東京ロッカーズとか、ギター・パンクみたいなのがパーッと出てきて、見に行ったんだけどなんかつまんないなと思って、これは自分でやった方が面白いことできるんじゃないかって。全然楽器とか、やってなかったんですけどね。小さい時に、ピアノはやってたけど。まあ、きっかけとしては『ノー・ニューヨーク』っていうアルバムがあって、最初はうわあと思ってね。で、しまいに45回転でそれをかけて、「カッコいい!」とかいってて。でも彼らのやること待ってるより、自分でやりたくなっちゃったんですよね。ギター・パンクみたいなの見ても、なんかストーンズをちょっとヘタにしてるだけにしか見えないし、つまんないじゃんていうのがあって。まあ、そういう出だしだったんですよね。でバーッと5年くらい省略して(笑)、友達でじゃがたらとかやってた、サックスの篠田昌己っていうアンダーグラウンド仲間がいて、彼はサックスの道を歩いてて、アンダーグラウンドでもありつつ、ジャズにも接点があるし、ロックにももちろん接点はあって、またそれと並行してチンドンていうのをやってたんですね、チンドン屋に何年か入門してて。今は増えてきたけど、当時は若手でチンドン屋やってるって、東京だと彼が初めてだったんですね。で、まあ仲間がほしかったんだと思うんですけど、誘ってくれたんですよね。クラリネットやってるヤツいないから、やってみればって、すごい軽いノリで誘ってもらって。だから「いいの?」って感じで、いそいそとでかけて行ったんですけどね。フェリーニの映画だとかサーカス的なものが、もともと好きだったんで。だから篠田君は、恩人なんですけど。ただ、そんないきなり入門していいのかなと。何も知らなかったですからね。でもそんなわけでいきなりチンドンで吹くために、クラリネット始めたんですよね。
――じゃあ、まずチンドン屋さんに教わったんですか。
大熊 そうですね。まあ、あとは篠田君とかの見よう見真似ですね。
――篠田さんも、クラリネット吹けたんですか。
大熊 あの、サックスのおじさんみたいな楽器なんですよ、クラリネットは。だから彼もすごい古いの持ってて、貸してくれてね。
――じゃあ、大熊さんのクラリネット歴ということになると?
大熊 もう、12年ぐらいになっちゃいますね。
――最初からチンドンとかジンタとか、そういう世界でのクラリネットから入ったんですね。
大熊 うん。クラリネットは、チンドン仕込みなんですね。
――なるほど。でも10代の頃にロックに親しんでた人で、クラリネットにいくっていうのは珍しいですよね。
大熊 そうですね。多分世界初じゃないですか(笑)。ロック・クラリネットとかパンク・クラリネット的な人、いないですよね。
――ですよね。でも最初は軽い気持ちだったんですか。
大熊 いや、けっこうこれは大きい波に当たりつつあるんじゃないか、っていう予感はありましたね。始めた時も、すごい面白かったですよね。もう盛り上がり、テンションがすごかったですからね。
――クラリネットというと、普通クラシックかブラスバンドが浮かぶけど、そうじゃない分野でやっていくというのは、新たな道を切り開く的なとこもあったと思うんですけど、その辺はどんなふうにして、ここまでやってきたんですか。
大熊 まあねえ、茨の道でシクシクみたいな(笑)。ブラスバンドとかクラシックみたいに、いつも指導者がいて道があって標識があってとか、そういうことはなかったですけどね。いつも一人で練習したりとか、そういう時間多かったから。それでもやっぱり道標は自分なりにあって、たとえば篠田なんかもそうだし、ジャズでもクラシックでもいいものも悪いものもあるから、ジャンルは関係ないと思ってたし。ただなんかこう、気取ってる音楽とか偉そうにしてる音楽とか、そういうものは全然最初からやりたくなかったんですよね。そんなことするんだったら、堅気でリーサラやったって同じじゃん、みたいなのが……(笑)。だからそうじゃなくて、自分の好きな音を出してたいなと思ってね。それはギターでもシンセでもなんでもそういうことはあって、たまたまクラリネットに当たったっていう感じ。チンドンのおじいさんのクラリネットとか、すごいいい音色出すんですよね。たとえば彼に譜面渡して、ブラームスの何番やってくれとかいってもそれは絶対できないんだけど、誰も世界中でマネできないようなすごい音色を出しててね。管楽器っていったら音色がまず命っていうか、そこまでが……音色が出せたら、あとはもういいやみたいなとこあるんですね。指が動くとかそれもあった方がいいけど、それは副次的なことで。もうひとつ思い出すのは、篠田の先輩みたいな人で原田依幸さんっていうすごいフリージャズのピアニストがいて、昔梅津さんなんかと生活向上委員会っていう バンドをやってたりしたすごい過激なピアノ弾きで、でもすごいロマンチックな人で大好きなんですけど、その原田さんがもともとはクラリネットの人なんですよ、学生時代は。で、吹かせるとメチャうまいんですけど、なかなか吹いてくれなくてね。その人にもいっぺん教えてもらったんですけど、まあ早く曲もやりたいし、普通はすぐ指の練習したがるじゃないですか。でも吹きたいものがあれば自然と指はついてくるから、まず音色を出せっていうこといわれたんですよね。その時は吹けばそれなりの音出るから、多少は吹けるんじゃないかと思ってたけど、そんなの風が当たって音が出てるだけだっていわれて(笑)。だから音色の道のりの大変さみたいな、それが肝心だっていうのありましたね。自分が楽しいだけじゃなくて人も楽しくさせるには、音色っていうかバイブレーションが音になることが大切だっていうね。
――で、自分が納得できる音色が出るようになるまでに、どれくらいかかりました?
大熊 結局ね、10年ぐらいかかっちゃいましたよね。でもまあ、5〜6年前から人前で平気で吹くようになったけど、テープとか聴いてみてうーんとか思うのは、今でもありますよね。まあ、一生もんだと思いますけど、うん。
――だからその時はよしと思ってても、何年かたってキャリア積み重ねてから聴き返してみると、まだまだ未熟だったり?
大熊 うん。あと、いろいろな人と一緒にやってみると、あれっ? て自分のことが妙にわかった。
――今までやってきたものは、やはりインスト・バンドが多いですか。
大熊 うーん、そうですねえ、半々ですかね。まあ参加の度合いが高いのはやっぱり、インスト・バンドかな。でもソウル・フラワー・ユニオンとか、例外もありますよね。あの、管楽器って歌なんですよね。特にクラリネットはメロディー担当する管楽器の中でも、トップに近い主旋を取ることが多いですね。だからどこ行ってもメロディーのない音楽ってあんまりないから、僕はどこでもOKなんですけどね。
――そうですね。でも音楽の色合いみたいなところで、どこかにチンドンとかジンタとか、そういうエッセンスがある人達とやることがやはり多いですか。
大熊 まあそういう僕のバックボーンみたいなところでの要素と、音楽的な対話ができる人達が残ってきますよね。あの、クラリネットを改良しようとして間違ってもっと合理的な楽器ができちゃった、それがサックスなんですよ。時代的にはクラリネットは19世紀に近くて、サックスは明らかに20世紀なんですけどね。クラリネットはモーツアルトとかの時から、発展してますからね。だから世界にはチンドンとかあといろんな、民衆ブラスバンドみたいなのがありますけど、そういうとこでもだいたい20世紀前半に栄えた音楽っていうのは、クラリネットが活躍してるんですね。それはクレズマーでもなんでも、そうなんですけどね。で、僕が好きな音楽っていうのも、結局そういうとこになっちゃうんですけどね。
――で、その辺のことを共有できる人とやることが多いという?
大熊 まあ、そうですね。うん。アーリーモダンていうかね、僕らの時代って終わりそうでなかなか終わらない、ポスト・モダンとか10年ぐらい前流行りましたけど、全然まだポストじゃないですよね。だからなかなか終わんないアーリーモダンていうものの、最初の入り方ってどんなんだったんだろうっていう、それを音楽的に見つめ直すみたいな、僕のやってることはそういう見方もできるかなとは思うんですけど。
――で、今回のアルバムなんですけど、ソロ・アルバムっていうのはずっと作ってみたいなと思ってたんですか。
大熊 うーん、そうですねえ、なんのかんのいって、自分の曲をまず聴いてほしいっていうのもありますし、CDプロデュース的なことも今までいろいろやってきて、そういういい素材があってそれを料理してくっていうのももちろん僕は好きで、ちょっと変わった香料とかハーブとか入れてってアレンジする楽しさとか、もしかしたら得意かなと思うんですけど、たまにはやっぱり自分でやらないと話が始まんないなっていう。
――じゃあ作曲は以前からやってて、けっこう曲はたまってたりしたんですか。
大熊 このユニットのメンバーでもう3年ぐらいやってるんですけど、これでだいたい練れてって。それに、ちょびっと書き下ろしも入ってますけどね。あと、チンドンで覚えた曲もあるし。
――じゃあこのアルバムって、シカラムータのアルバムが出たといういい方と、大熊さんのソロ・アルバムが出たといういい方と、どっちに捕えたらいいですか。
大熊 両方、いいたいんですよね。
――じゃあ大熊さんのユニットである、シカラムータのアルバムが出たといういい方が、一番いいかな。
大熊 そうですね。まあ、責任は全部自分で負いますけど。でもすごく今バンドになってて、特にこの1年でもうバンドの音が練り込まれてて、たとえばこのチューバちょっとエレベに変えてみようとか、そういうことが全くできなくなっちゃった。だから、その感じも出したかったんですよね。
――じゃあ、今回はライヴでずっとやってきた曲が、多く入ってるんですか。
大熊 もちろんそうですね。ほとんどそうです。
――で、そのライヴの時のアレンジと、今回はそんなに変わってない?
大熊 んとね、大幅なチェンジはないですけどね。ただ、ライヴ空間とスタジオ空間と全然違いますからね。だからライヴ・ソースも何曲かあって、アドリブとか多いのはライヴから入れてます。
――どれがそうですか。
大熊 「吾妻八景」だとか「ターキッシュ・ダンス」「猫虫が入るから」「青髭の憂鬱」その辺は、ライヴですね。
――えと、バンド名のシカラムータって、どういう意味ですか。添田唖蝉坊の墓碑銘から、とったそうですけど。
大熊 唖蝉坊の唖蝉ていうのをイタリア語にしたもので、まずムータって英語のミュートなんですよね。で、シカラっていうのは英語でのシケイダで、蝉ですね。だからミュートした蝉っていう。墓碑銘にあるのは、歌を歌った唖の蝉と彼を愛した妻に、みたいな意味なんですけど、声のない蝉が歌を歌ったっていうのはなんかいいなあって。
――いわれてみれば唖蝉坊の唖蝉って、唖の蝉ですね。演歌師なのに唖って言葉を使うなんて、もうそこから彼的風刺、シニカルなものが含まれてるんでしょうね。
大熊 そうですね。もともとは俳句の号だったみたいですけどね。最初は唖蝉といってたのを、演歌師になってから唖蝉坊ってしたらしいですけど。まあ……ウィットというか皮肉というか、ね。
道草人生が好きみたい
――今回これ聴かせてもらって改めて思ったんですけど、なにもクラリネットってブラスバンドとかクラシックの分野でだけ使う楽器じゃないんですよね。たとえばクレズマーとかのトラッドでも、クラリネットの音色が重要な要素になってる。
大熊 ええ、けっこうね。だからクラリネットの入った音楽は、世界中にあるっていうかね。ニューオリンズのデキシー・ランド・ジャズとか、そういう戦前からあるジャズは、間奏になればクラリネットがメロディー取ったりするし、インドにもチンドン屋を巨大にしたような、結婚式ブラスバンドがあって、これはもうすごいですよ。CDにもなってますけどね。インド全部で50万人ぐらいそういうバンドの人がいて、もうすごいですよ。さすがインドで。行ったことはないんですけど写真見ると、なんか車みたいなワゴンにスピーカーがわーっといっぱいついてて、歌手もアコーディオンもいて、そいつらマイクでガーッてやりながら、もう何十人もで音楽やって練り歩くっていうね、そういうのが無数にある。で、やっぱりクラリネットのヤツが偉そうにしてて(笑)。
――主旋律取ることが、多いんですかね。
大熊 やっぱ、音の通りがいいんですね。あとやっぱり、トルコ、バルカンとか、これはディープですね。
――クレズマーも、だいたいその当たりから生まれてますもんね。
大熊 そうですね、ええ。
――いずれにしろ、土気のあるものにやはり興味は引かれますか。
大熊 そうですね。それはありますね。
――それと両輪みたいな感じで、オリジナルというのも大きい?
大熊 そうですね。オリジナルは必ずしも、土から生えてきたんじゃない部分ありますからね。
――ええ、オリジナルはそれだけじゃなくて、10代の頃に聴いてきたロックとかパンクとかとの融合というか。
大熊 ええまあ。で、今の都市の音でもあるという。そういうつもりはあります、自分なりの。まあ都市は矛盾とか快楽とか、いろんなものがすごい凝縮されてて、そういうとこに今生きてるっていうね。
――曲作る時にやっぱそういうものイメージして、それを音で表現しようと考えてやってるんですか。
大熊 いや、これは今だからいってるだけで、だいたいはハナウタで作ってますけど。ハナウタっていうか浮かんじゃうから、ああ、どうしよう、これちょっとメモしなきゃ消えちゃう、みたいな、それですね。
――でそれを主旋律にして、あとそれにどんな音色というか楽器というかを絡ませていくか、みたいにして曲ができていく?
大熊 ていうか、浮かんでくるのはメロディーだったり、リフみたいなものだったりとか、いろいろですけど。だからいっぱい、水子的な(笑)リフとかあるんですけどね。
――ハッハッ。で、そうやって曲ができてから、さっきおっしゃってた今の都市の音になってるなとか思うわけ?
大熊 それはありますよ。東京で今生活してる、大熊が出してる音だから。
――あの、イン・ストの場合のタイトルのつけ方って、曲の雰囲気からですか。
大熊 いやあそれはねえ、無理やりが多いですけどね(笑)。雰囲気っていうか、まあ、その時の気分ですね。ただ、それなりになんか理由はあったりするんですけどね。
――「往復ヂンタ」なんていうのは、シャレだし。
大熊 うん。それはギャグですね。
――そういえばさっき、あんまり気取った音楽とか、お洒落な音楽には興味ないというようなことおっしゃってましたよね。
大熊 そうですね。洒落っ気っていうのは大切だと思いますけどね。それなかったら、人生ダメだなっていうのはありますよね。
――まあ洒落てるというのとお洒落は、全然違いますもんね。
大熊 そうですね。僕がダメなのは、なんか偉そうにしようとしてるというかな、人より勝とうとするような、それってやっぱり戦争につながっちゃうんじゃないかな、みたいなね、ケンカ嫌いだし(笑)。
――なるほど。で、レコーディングは大変でした?
大熊 まあそうですねえ、あんまり日にちかけなかったんでね、すっごく僕普段はボーッとしてるのが好きなんですけど、メチャクチャてきぱきしながら(笑)やって、みんなにも罵られながらやりましたけどね(笑)。まあでも、みんなすごく楽しいレコーディングだっていってくれて、それがすごいうれしかったですけどね。
――みなさんいろんな活動してて忙しい人達だから、スケジュール取るの大変だったんじゃないですか。
大熊 そうですね。ライヴやるのも大変ですよね。スケジュール管理は大変ですよ。
――それでも、年に何回かライヴやってきてるんですね。
大熊 年に4〜5回かな。ただ去年は録音するつもりだったから、秋にはツアーとか入れて、結局5〜6回やりましたね。スタジオでリハするより、ライヴで固めたかったんですね。
――でもみなさんそれぞれ個性的なミュージシャンで、多彩な活動してる人ばかりですよね。
大熊 そうですね。たとえば植村君は、すごい変態的な数学的なドラムもできるし、片や仙波さんとこでお囃子とかやってますからね。で、雰囲気だけじゃなくて実際に音楽的なシステムというか、フォーメーションというか、そういうものもわかってますから。関島君とかはひと言でいっちゃうと、80年代からの篠田さん関係のつきあいですからね、彼もいろいろやってますよ。
――大熊さんは、今いくつバンドやってるんですか。
大熊 最近は、しぼれてきたんですよ。一時期はね、なんだかんだいっぱいやってたけど、今は自分のでしょ、それからユニオン関係、それを分けると増えてきますけどね。
――それだけで、ソウル・フラワー・ユニオン、ソウル・フラワー・モノノケ・サミット、ソウルシャリスト・エスケイプと3つになってしまいますもんね。
大熊 ええ。あとは梅津さんのクレズマーがあって、今はもうひとつは十時(ととき)さんという女性とトリオをやってて、それも録音したんでお聴かせしたいんですけどね。まだ出てないんですけど。それぐらいかな、今は。あとはインプロビゼーションでいろんな人と、ほとんど決め事しないで演奏するっていうのは、必ず年に何回かやってますけどね。
――いろいろやるのは、一個だけじゃつまんないからですか。
大熊 いや、そういう訳じゃないですけどね。あの、会ってて気持ちいい人といるってだけですね。中川君は気持ちいいっていうのとはまた、違いますけどね(笑)。盛り上がれる仲間っていうかね。
――中川さんとの出会いのきっかけって、なんだったんですか。
大熊 あれはね、シーサーズっていう面白いバンドがあって、それのシーサーズ・デラックスっていう、僕とか関島君がサポートするのがあって、それでユニオンのゲスト・バンドに呼んでもらったことがあって、年末のパワステ3デイズかな。それがまあ、3年ぐらい前ですね。で多分、ユニオンの発想と音楽的に近いとこあったんだと思うんですけど、すごい面白いっていってくれて。ちょうどそれが、モノノケのレコーディングする前の年だったんですよね。で、モノノケでライヴ・レコーディングするんだけど吹いてくれって、僕と関島君が誘われて。
――じゃあ唖蝉坊とかも中川さんと出会う前から、大熊さんは大熊さんで知ってて、興味持ってた?
大熊 そうですね。『ウチナー・ジンタ』って、それの前だったと思うんですね。
――ああ、大工哲弘さんの。あれでも、唖蝉坊取り上げてますもんね。じゃあかえって中川さんが、大工さんや大熊さんから触発された部分があるのかな?
大熊 まあ、中川君は勉強好きだから(笑)、モノノケやる時は……。だから僕と会う時はもう、東京チンドンも『ウチナー・ジンタ』も、あと篠田ユニットの『コンポステラ』やら、僕の入ってるの全部集めてて、でもそれは僕が入ってるから集めてたんじゃなくて、気になるのを彼なりに集めたら、全部おまえがおるやんけ、なんやおまえはという(笑)。だからもう、最初から「ええ」って感じのね。
――大熊さんは、関東の人ですよね。
大熊 僕は転々としてて、広島生まれ関西育ちで大きくなって東京。
――じゃあ、出身はどこって感じですか。
大熊 なんかね、根無し草だなあ。
――今後は、どんな活動していきたいですか。
大熊 そうですねえ、まあもっと自分の中でたまってる曲とかもやりたいし、もちろん新曲も作りたいし、管楽器だけでも遊びたいこといっぱいありますしね。それからよく昔はロック・バンドでヴォーカルもやってたことあるから、歌にもまた戻ってパンク・オヤジになって(笑)とか、そういうのもありますしね。あと演芸も好きなんですね。演芸係数高いことやりたいですね。
――演芸係数ね(笑)。たとえば?
大熊 たとえばね、照林さんのワタブーショーとかあるでしょ、ああいうのとか、コミカルだけどすごい音楽的にクオリティーの高い、そういうことはすごく好きですね。あと、あきれたぼういずとかね。あきれたぼういず以降、そういうのですごいの出てないと思いますからね。なんかそういう音楽で笑わせるとかいうのも、やってみたいですね。
――ここまでも、今まで誰もやってこなかった、クラリネットの今までのイメージをいい意味で壊して、独自の分野を切り開くというか、そういう道を歩いてきたという自負みたいなものはありませんか?
大熊 まあ、人がやってることはやらないよっていうのはあるけど、それを自分でいっちゃうとねえ、カッコよくないなあって。
――じゃあ、そういわれたい?
大熊 うーん、でもあんまり変な孤高の人みたいにもなりたくないですけど。なんか道草人生っていうか、道からそれていって道のないところを歩いたりとかね。そしたら違う道が見えてきたりとか、さっきまで歩いてた道の全体が見えてきたりとか、そういうことが好きみたいですけどね。
――今年は、今までの年よりシカラムータの活動は多くなりそうですか。
大熊 そうですねえ、CD売りたいからっていうのもあるし、今すごくいい状態なんで、この調子でちょっと何回かいろんな場所でやりたいですけどね。なんかいつもマンダラだけでやってますとかいうんじゃなくて、人が来にくいところ、なんか面白い場所でやってるつもりはあるんですよ。で、そこに来たい人が来てくれたらいいなと思うんです。まあレコード出したし、お客さんと場所と僕達と、3つの要素がガーッと混ざるといいなあって、思うんですけどね。そういう動きはしたいなと思ってます。
*
音色の話も興味深かったけど、"クラリネットを改良しようとして間違ってもっと合理的な楽器ができちゃったのがサックス"というのも初めて知ったことで、いやあ今回はお勉強にもなったインタビューだった。また大熊さんの人と成りもわかって、本当にいい機会をもらった。
彼の美学でいいなあと思ったのは、"人がやることはやらないという姿勢はあるけど、それを自分でいうのはカッコ悪い。だからって人にそういわれて祭り上げられ、孤高の人になるのも嫌"というコメント。人がやることはやらないと公言することが、必ずしもカッコ悪いとは思わないが、確かに時にそういうコメントを、嫌味というかダサイというか、そう感じる時もある。ならそんなこと口にせずに実践する方が、確かにカッコいい。でもって、だったら他人から"彼は人のやらないことをやって、独自の道を切り開いてきたすごい人だ"といわれて、畏れ多くてだれも近づけないというふうになるのも勘弁、というのもよくわかる。
でもインタビューの中で「じゃあ、人がやらないことをやってきた人だといわれたい?」と尋ねた時は、多分「そうですね、そういわれたらうれしいですね」という答えが返って来るだろうなと、半ば想像しながら尋ねていた。なので「でもあんまり孤高の人みたいにもなりたくないですけど」という答えが返ってきた時は一瞬戸惑ったけれど、一瞬の後に「なるほど、この人ならそう思うだろうな」と思った。そしてそういう考え方をする人の方が、素敵だなと思った。
さらにそれに続けて出た
「なんか道草人生っていうか、道からそれていって道のないところを歩いたりとかね。そしたら違う道が見えてきたりとか、さっきまで歩いてた道の全体が見えてきたりとか、そういうことが好きみたいですけどね」
というコメント。これもすごく大熊さんらしいなと思った。実際、彼のここまで歩いてきた道はこの通りだし。だからバンドもいろいろやるんだろうし、やりたいこともいろいろあるんだろう。また自ら"普段はぼーっとしてるのが好き"とインタビュー中でいっているのも、なんか目的を持たずに気ままに、その時の気分であっち行きこっち行きする、道草人生をよしとする人ならではのように思う。
またそのやりたいこといろいろの中で、"演芸係数が高いもの"という答えが返ってきたのは少し驚いた。だってソウル・フラワーのステージでの彼を見ていても、寡黙で黙々とクラリネットを吹くミュージシャンという感じだったので、まさかお笑い系に興味があるとは思わなかった。
でもそういわれて改めて検証(大げさな・笑)してみると、インタビューの中でも「洒落っ気」は大切といっているし、「往復ヂンタ」などとギャグで曲名をつけるのもその現われ。またこのインタビュー後の3月4日に、ソウルシャリスト・エスケイプのライヴを見たのだが、みんなごくごく普通のミユージシャンぽい格好をしているのに、彼一人和服を着込み、ヘンテコなメガネをかけて現われた。それを見た時に、充分"演芸係数"の高いことをやる資質ありと見た(笑)。だいたいその"演芸係数"といういい方も、多分"エンゲル係数"を文字ってるんだと思うし。
矛盾してるといわれそうだが、目的を定めてそこに向かってまっしぐらに突き進む人も好きだし、肩に力を入れず、気の向くままにふらりふらりと生きてる人も嫌いじゃない。ただそれはいい加減に生きてるという意味ではなくて、その時々で興味の矛先が変わって、ついつい寄り道してしまうという生き方のことではあるが。
今回インタビューができて話を聞けて、前以上に大熊亘というアーティストに興味が湧いた。なので今までに増して、その活動を見ていきたいと思う。みなさんもご一緒に、いかがでせうか。ちなみに4月11日には東京は吉祥寺、スター・パインズ・カフェというライヴハウスで、大工哲弘さんをゲストに迎えてシカラムータのライヴが行われる。関東近県の方は、ぜひ足をお運び下さいませ。もちろん、関東近県以外の方も大歓迎ですが。よろしく!!
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