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絶対に言えないこと

荻野誠人

 日本の子供は危険から遠ざけられて世界で一番弱そうになってしまった、と椎名誠さんが書いていた(『読売新聞夕刊』2003年1月8日)。今では川や海や野原や公園にさえも危ないから行ってはいけないと教えている大人がいるそうである。それに対してよその国の子供達は誠にたくましくて「モンゴルの子は五、六歳で自由に馬を乗りこなし、マイナス三十度の中を羊の見回りにいく。チベットの五歳の少女は一人で一日二十キロ往復してマーモット狩りにいく。ミャンマーの六歳の子はドリアンを売る小店の店主であった。」日本の子供も同じことが出来る力があるはずなのに、それをさせずに「あまったれ文化」を作ってしまったのは大人の責任だという。こういう意見は色々な人が言っていて、私も同感である。
 ところで、それに関して論者達が思っていても公の場では絶対に言わないこと、言えないことが一つある。
 それは子供全体がたくましく育つためには多少の犠牲はやむを得ないということだ。
 椎名さんの主張通り子供を危険な環境に放り出せば、大人がどんなに注意を払ってやっても必ず犠牲者が出る。チベットの少女はマーモット(リスのような動物)にかみつかれるかもしれないし、ミャンマーの少女は強盗にあうかもしれないし、モンゴルの子は道に迷って凍死するかもしれない。日本でも子供が自然の中で自由に遊び回っていた時代には、誤って命を落とした子供が今よりもはるかに多かったに違いない。実は私の従兄弟も5、6歳の時池に落ちて死んでいる。だが、子供たち全体は今よりずっと強かったはずだ。亡くなった子供は、全体がたくましく育つための貴重な犠牲となってくれたのだ。
 しかし一人一人の人権が大いに尊重される現代の日本で「多少の犠牲はやむを得ない」などと言おうものなら袋叩きの目にあうのが落ちである。「犠牲者」が子供なので一層顰蹙を買う。何という残酷な人だ、というわけである。だから自然とそういうことは書かなくなってしまい、子供の強さを取り戻そうと呼びかける文章も今一つ説得力に欠けるようになってしまうのである。
 それは人々が神経質なほど自分の子を大切にして、たくましく育てようという発想を失っているからではないか。子供の能力を信頼していないからではないか。確かに一人一人を大切にするのは当然のことだが、それも程度ものであり、少しでも危ない目にあいそうなことは絶対させない、と日本中の親が思うと、子供達は世界一ひ弱になってしまうのである。そういう子供がどんな大人になるのか。余り明るい想像は出来ない。
 もう思い切って子供を少しくらい危ない所へも送り出そう。

                        2003・1・10


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