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善意と善意(天使の修業その2)

荻野誠人

 水の入った大きな桶を小さな子が二人がかりで運んでいます。おでこには汗が浮かんでいます。時々水をこぼしながら林の中の小さな茅葺きの家の前まで来ると、
  「おばあちゃん、持ってきたよ」
 と薄暗い家の中へ元気よく声をかけました。
 「まあまあ、どうもありがとう」
 と声がして、おばあさんが足を引きずりながら出てきました。子供たちは桶を土間に運び込むと、おばあさんの前に並んで立ちました。おばあさんは「いつもありがとう」と言いながら、二人の大きなほっぺたをちょっと引っ張りました。二人はにこにこしていました。
 「じゃ、明日は、ピナちゃんとマトちゃんだからね。」
 と言うと、おばあさんに手を振りながら駆け出しました。

 桶を運んでいた子供たちがテラエルとピコエルを追い抜いて走っていきました。天使になるための修行中の二人は、神様に命じられて、遠くの大きなお寺にお参りに行く旅人の姿で道を歩いていたのです。昔からその道に面した村々では、お参りに行く旅人をもてなす習慣がありました。二人がやって来た村の人たちも喜んで宿を貸してくれました。そこは出稼ぎや戦争で働き盛りの人がほとんどいない荒れた貧しい村でしたが、何人もの人が集まって精一杯のごちそうをしてくれました。
 二人は心のこもったもてなしに感激して、ぜひともお返しをしなければ、と張り切りました。神様が今回この旅をお命じになった理由も分かったような気がしました。ピコエルは街道沿いの村々出身の天使たちが何人かいるという天界のうわさを思い出しました。
 二人は早速お礼の人助けをしに村を別々に回り始めました。人助けは一人でするのが決まりで、話し合ったりしてはいけないのでした。それでも、すれ違ったり、村人の話を小耳にはさんだりして、お互いのやっていることは分かっていました。
 テラエルは熊のように大きくて、ものすごい力持ちでした。手先も器用で、一人で片っ端から家や農具や用水路を修理して回りました。その余りの速さに村人たちは目を丸くして、この大きな少年は一体何者なのだろう、と顔を見合わて首をかしげるのでした。仏様が貧しい人を助けるため旅人に姿を変えて道を歩いているという言い伝えもあったのです。
 ピコエルはやせて色白で自分が病人みたいなのですが、病気の村人の家を回って体をもんであげたり、薬をのませたり、家族や好奇心旺盛な子供たちを野山に連れ出しては薬草の見分け方や薬の作り方などを教えたりしました。貧しい村人でも薬草なら手に入れやすいと思ったのです。けれども、自分の出来ることが余りにもわずかだと感じて、少し憂鬱になりました。「自分の無力さを知れ、とでも神様はおっしゃるのかな」とつぶやきました。「でも、そんなことなら、とっくに分かってるつもりなんだけど・・・」
 ピコエルはふるさとの村にいた頃、病気の家族や親戚の面倒を見させられていたのですが、天使候補になって多くの病気の人に出会うようになってからは、自分から治療について勉強していたのでした。そのおかげか、ピコエルが面倒をみるとよく治ると言われるようになっていました。

 大工道具の入った大きな袋をかついだテラエルは最後に村はずれのおばあさんの家にやって来ました。声をかけると、中からおばあさんが土間へ入るようにと返事をしました。テラエルは頭をぶつけないように首をすくめて土間に入って、挨拶をすませ、桶を見つけると、
 「足が悪いそうですが、この水はどうやって運んできたんですか。」
 「ああ、ああ、ちょっと上の方に泉がわいてましてね。子供たちがね、毎日交代で水をくんできてくれるんですよ。別に頼んだわけでもないのにね。自分の家にだって色々用事があるでしょうに、ほんとうにありがたいことです。でも、重くて気の毒でねえ。何のお礼も出来ないし。足さえ悪くなければねえ」
 おばあさんは淋しそうに微笑みました。
 テラエルはうなずくと、早速泉まで行ってみました。そして近くに竹林を見つけると、竹を何本も切り出しました。その竹を縦半分に割って樋を作り、残りの竹を組み合わせて樋を乗せる台を作りました。そして樋を泉からおばあさんの家の庭にまでつなげました。すると樋の先からは少しずつきれいな水が流れ落ちてきたのです。それを見たおばあさんは大変驚き、喜びました。
 そこへ数人の子供たちがピコエルを案内してやって来ました。ピコエルが色々と役に立つことを教えてくれるので、自然とおともをするようになっていたのです。ピコエルは子供たちが毎日おばあさんを助けていることをもう知っていました。
 子供たちは樋を目ざとく見つけて、物珍しそうにわっと駆け寄りました。樋にさわったり、落ちてくる水を飲んだりしましたが、やがてはしゃぐのにも飽きてしまいました。そこでおばあさんが話しかけました。
 「どう、すごいでしょう。この人が作ってくれたんだよ。これでもう明日から一人でも大丈夫だからね」
 すると、一番年上の賢そうな女の子が振り向くと、一言一言確かめるように、そうだね、すごいね、よかったね、これでだいじょうぶだねと言いましたが、テラエルをちらと見て、それ以上は何も言いませんでした。その表情を見て、他の子供も静かになってしまいました。テラエルの唇が少しぽかんと開きました。目が見開かれ、子供たちの顔と自分の心の中を見つめました。ピコエルはテラエルのそんな表情を見たことがありませんでした。何か変だと感じたおばあさんは口を開こうとしましたが言葉が見つかりませんでした。
 テラエルはピコエルの方に顔を向けました。ピコエルはニヤリと笑ってから子供たちをいたずらっぽく横目で見ました。するとテラエルもうなずいて笑い返しました。テラエルはいつもの穏やかな表情に戻って子供たちに言いました。
 「ええとね、君たち、この樋はしばらくしたらだめになっちゃうと思うんだよ。その時は君たちが作り直してね。今から作り方を教えるから。それから、これはほかの場所に作ってもいいんだよ。そうそう、竹で筏なんかも作れるんだよ。それも教えるよ。」
 「僕たちは明日の朝、行ってしまうから、教えてもらったら。」
 とピコエルが助け船を出しました。
 子供達は喜んでテラエルの後についていきました。ピコエルはそれを見送りながら、人助けって、単純じゃないな、と思いました。テラエルの肩によじ登った二人の子供を見て、ひょっとすると、あの中から僕たちの後輩が出るかもしれないな、とも思いました。そして、おばあさんの方に向き直ると、笑顔で話しかけました。
 「おばあさん、足が悪いんですってね。」

2008・4・26


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