目次ホームページヘ  作者別作者別


わが胸中、朱夏にて候 − 「椰子の実」とともに

鬼島三男

実をとりて、胸にあつれば、
新たなり流離の憂い
海の日の沈むを見れば、
たぎりおつ異郷の涙
思いやる八重の潮々、
いずれの日にか国に帰らむ

 藤村先生、六十周忌の八月がやってきました。そのような時に先生へのお礼状を差し上げる機会に恵まれ、光栄に存じます。
 子供の頃、私には音楽好きな兄がいました。いろいろな名曲をハーモニカで吹いていましたが、「椰子の実」を特に好んでいました。兄はやがて病死しましたが、私は形見のハーモニカでこの曲が吹けるようになり、尚一層好きになりました。
 「子供の頃好きで夢中になると、それが才能化する」と聞きましたが、私はいつのまにか音楽が好きになり、音楽教師になることを切望するようになりました。社会科教師として教鞭をとってから、かなりかかりましたが、念願の音楽教師になることができました。
 この曲は昭和十一年に国民歌謡として歌われたそうですが、私は昭和十八年の夏にラジオでよく聞きました。それは先生が亡くなられた年の八月でした。命日の八月二十日以後、不帰の人となられた先生を惜しみ、ラジオで毎日放送さていたと思います。
 それは太平洋戦争の行く末が不安になってきた頃でした。ミッドウエイ海戦で海軍の精鋭艦隊が大敗し、戦艦陸奥も原因不明で爆沈しました。ギターが好きだった叔父は、陸奥に乗艦しており犠牲となりました。その後、戦況が悪化し、南の島々には戦死者が多くなりました。
 それだけに、たゆとう波にゆられて、日本の岸辺にたどりつく椰子の実を思いやり、愛唱されたのが「椰子の実」でした。この曲は不帰の人たちの分身とも思われたのです。国民に対して、故郷や国土への思いやりのある生き方を示唆した曲にもなったのでしょう。
 私は曲の旋律から「静かに進む者は賢く、賢い者は遠くまで達する」という、西哲の名言を思い出しました。いつのまにか、この曲を座右の銘としてきたように思います。
 「椰子の実」は、四十年間の授業でずっと愛唱してきました。
 音楽の授業ではこの名歌を教えるとき、作詞者藤村についてのエピソードを話し、歌詞を黒板に書いて丁寧に説明し、生徒にも写させました。この名詩を読むだけでなく、語句のすばらしさをしっかり感じとってもらいたいと思っていたからです。
 そして黒板に水平線を引き、左端には椰子の木が一本生えた小さな島を描きました。臨場感を少しでも醸し出したかったからです。生徒たちはそれを見ながら、喜んで愛唱してくれました。
 授業を終えた後では曲のよさを感想に残してくれました。そのたびに教師冥利を感じました。例えばある男子からは「ぼくはこういういい曲を聞いて恥ずかしくなりました」という感想もあり、生活指導などで辛い思いをしていたときでしたので、大いに励みになりました。「家に帰ってからもおばあちゃんと歌いました。『流離の憂いとはねー、昔はみんな遠く故郷を離れて淋しい思いをしたんでね』」という報告もありました。私がこの曲を口ずさむ時も、つい口をついて出てくるのが、強烈な愁傷の思いを表した「実をとりて、胸にあつれば、新たなり流離の憂い」の一節なのでした。
 最近ある教え子の結婚式で「先生、『椰子の実』がお好きでしたねえ、ほんとうに」と懐かしく思い出されました。それは私が歌詞を丁寧に説明したから、とのことでした。
 その頃の生徒はもう五十代半ばになりましが、同窓会では校歌とともにこの「椰子の実」が懐かしくよく歌われました。自分の子にも歌わせているという人もいました。私はそのとき「お孫さんができたら、さらに歌い継いでほしいですね」とお願いしました。きっと受け継がれると思います。
 最近はインターネットで「椰子の実」を検索できるようになりましたが、沢山の項目がある中で、次のようなファンの感想がありました。
 「私はトラックの運転をしながら、ふと中学時代に習ったこの曲を思い出すんです。ゆらゆらと何とも言えないですねえ、ほっとするんです。有り難いですねえ、こういう曲ってー」とのことでした。
 早速その方にメールで私の感想を送信したところ、次の朝返信がありました。「ご丁寧に有難うございました」とのことでした。私には、名前だけですが、素晴らしい知人ができました。
 一方では、IT時代に入って人心が機械に翻弄されるように言われています。しかし、私は文明の利器であるインターネットで古きよき文学や詩などをたずねるようにして、「温故知新」を心がけています。
 私は現在元教師だった同僚と高齢者施設でボランティア活動をしています。高齢者の方々は長い間苦労を重ね、日本の歴史を憂慮しつつ、大事に生きて来た方々です。これからは、私達が大事にすべきだと思います。
 私達二人は昔の唱歌を歌い、曲にまつわるエピソードも話しています。私達はこの「トークとコンサート」の方法で生きがいを感じています。もう高齢者の仲間入りした私達ですが、今が「旬」であり「朱夏」でありたいと思います。
 ボランティア活動では「椰子の実」をよく歌いますが、美しい詩と旋律をいつまでも大事にしたいと思います。
 私たちがこの名歌を口ずさむとき、それは藤村先生への賛歌であり、レクイエムでもあるのです。


目次ホームページヘ  作者別作者別

ご感想をどうぞ:gb3820@i.bekkoame.ne.jp