高校生の教育評に学ぶ

『これからの高校のあり方』についての教育フォーラムに参加して、高校生の新鮮な意見やその発表方法が実に立派で、大人達も彼らから学ぶべきことがたくさんあることを痛感しました。

『フォーラム』とは、広く一般からの意見や提案によって成り立つ公開討論会です。 最近、東京都をはじめ神奈川県でも『県立高校将来構想検討協議会』によって、県立高校の改善や、さらにこれからのあり方を検討していますが、神奈川県ではその中間報告をまとめ、それらを踏まえての討論会を5月から県下3カ所で実施しており、私は横浜の会場に参加してきました。 会場には、県内の教師やPTA関係の方をはじめ、高校生の男女など250名ほどが参加し、そのほとんどが現場の教師や高校教育への不満を述べていました。

ある父親は、「公立高校の生徒はだらしなく、私立高校の生徒はきちんとしている。公立の先生方にはもっとしっかりしてほしい」と強調されました。私立の生徒達は生活面や学力面で厳しい選考を受けてきており、入学後もそういった指導を受け続けていますが、公立は公教育の立場から、停学や退学といった措置をとるまでにはいかない場合が多く、そのために不良学生を増長させている面があります。一般の方は、生徒の生活態度が悪いのは、公立の教師が怠慢であるからと言わんばかりに短絡的に考えがちですが、教師だけではどうにもならない点があるのです

一方では、公立高校の長所を軽視される傾向もあったようです。公立高校には、低額な学費や共学による民主的かつ自由な雰囲気という良い面があることをもっと認識すべきだと思います。

このような大人達の意見に対して、高校生は実例を挙げ、わかりやすく意見を述べていました。たとえば、「私達の高校は100年の伝統を誇る県下有数の学校ですが、今では授業中の私語も多く、中には校外へ買い食いに出る生徒もいて先生も困っています。そういった勝手な行動を注意できない先生や、生徒に対して思いやりのない先生には、教職をやめてもらいたいと思うほどです」と訴えていました。

また、ある男子学生は、「クラスの3分の1は授業を抜け出していますが、それでも先生方はどうすることもできないでいます」と、自分達の高校の実態を報告しました。教師はこういったことを日頃痛感しながらも、どうにもならない問題であるため、普通は外部にもらさないでいます。

ある教師の「同じ高校の生徒でも学力に大差があり、技術面を得意とする生徒には、そういったコースへ最初から進ませるべきだ」という意見に対し、ある女子高校生は、「基本的な科目はしっかりと学ぶ必要があるので、早くからコース別に分けないで欲しい」と、有益な意見を述べました。普通高校が実業高校化することにもなりかねないことを考えると、彼女の意見は正論であると思います。

さらに、生徒の定数の多さについての意見もたくさんありました。確かに多くの生徒を扱うとなると指導は大変です。48人学級を30人や25人にすれば指導も行き届くでしょう。しかし、昭和35〜36年頃は中学校の生徒数は1クラス56〜57人で、私の体験によればかなり長い間この状態が続きました。しかし、生徒の質は今ほど悪くはなかったし、教師も父母や世間から不信を抱かれたりすることはなく、父母も学校教育に協力的だったように思います。最も大切なのは数ではないのです。

終戦直後は物資不足で、教師や生徒、父母達も生きることに夢中であり、学校への干渉もあまりありませんでした。「最近は子どもの数が減少しているために、学校教育への批判が多すぎるように感じます。母親の中には、家庭で躾けるべきことまで小学校の担任に頼りすぎています」と、ある女子高校生が言っていましたが、確かに我が子の躾けがうまくいかないと、担任や学校のあり方に責任を負わせるという事例が、最近の新聞でも報じられています。

これから教育問題の討論会や一般の話し合いの場では、現場の生徒達の新鮮な意見を充分に参考にすべきだと思います。

(平成10年8月)


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