生徒の「素直な心がけ」に支えられた5年間
ー共に喜び共に泣いた教師らー

定年後に5年間、非常勤講師として勤務したが、最後の学校は過去11校の中で、教師として最も素晴らしい体験をすることができた。それは最近の新聞などで報道されているような、教師と生徒との間で危険なトラブルが起こらなかったことにある。

その理由として、教師の努力はもとより、父母の学校への理解から生徒が素直であったことだとも思う。今回は、学校への理解や協調性が、いかに教師にやりがいや生きがいを与え、教育効果を上げてくれるかについて、実例を上げて述べてみましょう。

今年も転任する教師のための離任式が行われた。6人の転任する教師の話した内容は次のような点で共通していた。

A 本校の生徒は、日頃から服装がだらしなく、言葉使いの悪い生徒が多いので、あまりいい印象をもたなかったが、だんだん慣れてくるに従い、いい面にも気が付くようになった。

B 時には反抗的な言葉を使う生徒もいたが、今流の「ムカツク」とか「キレル」というほどのものではなかった。

教師が声を震わせ一生懸命にそれらの話をすると、涙ぐんで聞いている生徒もいた。日頃きびしかったA先生の涙を見た生徒達は、自分のことを大事に思っていてくれたのだと、感謝の気持ちでいっぱいになったようだった。私はこの時「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」という、ある年長者の言葉を思い出し、これこそ「教師の愛」であり、「愛のある教師は、素直に喜び合い悲しみ合っている」と感じた。

別れの挨拶が終わった後、男女6人の生徒が、壇上に花束を持って上がってきた。その中にN君という3年の男子がいた。普段授業の邪魔ばかりしていたN君は泣きじゃくっていた。花束を渡された女教師は、日頃から手を焼いていてたこのN君の光景を見て驚いていたが、その様子を見ていた私も彼と握手をし、やはり胸がつまる思いがした。

N君は授業中の私語が多いのでそれを厳しく注意すると、「また俺ばかり怒るんだから」とか、「うちのクラスばかり怒るんだから」と、よくひねくれた言い方をした。 N君はスポーツが得意で、バスケット部員。私は野球部の対外試合によく応援に行ったが、バスケット部の試合には行かなかったので、彼は「先生は、野球部ばかり応援に行って、俺なんかの部には来てくれないんだから」と、いつも不満を言っていた。私はとても不愉快な気持ちになったが、「彼と同じように他の部員達も不満を感じているに違いない」と思い、その後バスケットの試合に行くと、彼らは大変喜んでくれた。

離任式が終わった後、「先生、この学校をやめても、また応援にきてよ。たのむよ」と言って涙ぐんだ。ある女生徒は、一人ひとりの転任の教師に、手紙を渡してくれた。私の手紙には、次のようなことが書かれていた。

「私達は今、悲しい気持ちでいっぱいです。だって先生が行ってしまうんだもの。なんで、どうして行っちゃうの? ずっとこの学校にいてほしいのに! 先生の授業は特に楽しかったし、だからこそ先生の科目が好きになれたんだと思う。職員室でもらって食べた先生んちのりんごや卵焼き、とってもおいしかった。私は1年の時先生に教えてもらうことができて、とってもとっても幸せでした。 2年になってから、先生の授業がなくてあまり話すこともなくなったけど、『先生元気かなあ?』と、いつも思っていました。でも、これで先生とお別れなんてすごくさみしい。先生のことずっと忘れないから私のことも忘れないでね。では、さようなら」 そしてもう1枚の便箋には、友達と撮ったプリクラの写真が3枚貼ってあった。

部活顧問のA先生の手紙には、「練習中、最初はすごく恐いと思ったけど、だんだん優しい先生だということがわかりました」と書いてあり、その他にも部員達からたくさんのプレゼントや花束などが贈られ、A先生は涙ぐんでいた。

指導上、教師もむきになりすぎると、失敗や間違いをおかすこともある。それを生徒達が自分のためだと思うのと思わないのとでは、教師のやる気や学校教育の効果に大差が生じる。

私はこの最後の学校で、「喜ぶ時に共に喜び、泣く時にも共に泣いた」という貴重な体験ができて幸運であったが、こういう教師冥利につきる思い出は全国の学校にもたくさんあると思う。学校というものは教師の力だけでなく、なによりも生徒の素直な心がけに支えられているのだ。

(平成10年6月)


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