子ども達に通学校への信頼感を与える

この春から横浜の山手にある公立中学に非常勤講師として勤務しているが、近隣の私立の有名校との交流があるので、いろいろと見学しては学ぶことが多い。

つい最近のこと、進学校で有名なS学院と私たちの学校と野球の親善試合をした。私は初めての訪問なので興味があり、応援に出かけた。駐車場の有無や道順を前もってS学院に電話したところ、日曜日なので、警備員の方が電話口に出られた。企業にせよ、学校にせよ、電話に出た方の最初の応対の良さは、全体的にもよい印象を受けるものである。

野球の試合があるため、お伺いしますのでよろしく、と言った後で道順を聞いたところ、たいへん丁寧に教えてくれた。さらに「わかりにくいですから気をつけてください」とも言われた。よい職員だと思った。
 S学院の正門を入ると、すぐに警備の方が出てこられた。「道順はわかりましたか、ごくろうさまです。」と言われた。試合が始まる直前だったので、簡単に挨拶をすませてすぐ野球場に行った。ベンチに座って改めて、グラウンドから校舎や周囲を見渡し、環境のよいのに驚いた。

よい学校とは、まず環境がよいことだと、つくづく感じた。駅から10分ほどの学校で、周囲は住宅がかなり密集しており、空き地がないほどであった。なんとなくうっとうしくも感じたが、なぜか学校にはよい環境だと思った。それは「静けさ」であった。よい環境の学校は「静けさの中にある」と思った。試合が終わった後で、相手校の生徒、数人に話しかけた。その応対ぶりは、これが中学生かと思われるほど立派であった。ちなみに、野球の練習は、週に4日だけであるとのことだった。

帰帰る前に校舎内部の設備をぜひ観察したいと思い、トイレを借りに校舎に入った。掃除の行き届いた校舎内にも驚いたが、さらにトイレに入ってみると、腰を下ろして足を洗える設備と、その隣にシャワーが2カ所あり、手洗いの水道のそばに、きれいなタオルが2本並んでいた。ホテルに行ったような感じがした。
 後でから、このS学院中学の野球選手で、東大に三人は入れそうですと、野球部の顧問の方から聞いた。

ここの学校の授業については、私はまったくといっていいほど知らないが、よい設備で小学校から選抜された優秀な生徒が勉強するので、進学率がよいのは当然だろうとも思った。

一方、私の場合は在職中は7校、定年後も非常勤講師として3校の公立校に勤務しているが、幸甚にも勤務しやすい、よい学校に赴任できたと思う。公立校のよい学校とは、私立のように学力が高いとか、設備がいいわけではない。むしろ、学力と設備に関しては、やや悪い学校でも、生徒が安心して通学できる学校がいい学校だと思う。安心とは真面目な生徒が気兼ねなく授業を受けられ、生活面でも楽しく友達と学校生活を送れることである。

現在は公立校について対して、テレビや新聞などマスコミでは、よくいじめがあったり、学力の低下が報じられる。そのため塾に通わざるをえないように、一般には思われているようである。一般的にテレビに登場する話題は、珍しい事件なので、特集として報道されるのだと思う。

学校についても、公立校がひどい教育をしているとばかりに印象づけられているが、多くの学校は一生懸命にやっている。公立校の教師は生徒の問題が発生すると、夜遅くまで処置や対策に追われて大変である。ただ、事件化されてしまうと、その学校はいつも悪い学校であり、その学校に勤務する教師は、悪い教師のように印象づけられる。

しかし、生徒の生活指導上の問題が起こるのは、教師の指導の悪さもあるが、家庭の親御さんの考え方に曲解があることも事実である。体育的な活動も、学校ではよいと思ってやっているが、個人の体力の弱さで、事故が起こったりすることがある。この場合でも学校の指導や管理が問題にされることがほとんどである。

公立校は、あまりにも世論から軽視されすぎている。一人の子が問題を起こすと、まず、学校や教師にその原因や責任を浴びせかける。あまりにも教師の人権を無視しすぎている。そのために立派な教師も、危険にあわないように、無理な活動は回避するようになった。

教師への人権無視は、教師を信頼しないことであり、教育愛などは生まれない。よい学校づくりは、その学校の教職員が一生懸命になり、生徒や父母も学校を信頼し、感謝することから生まれる。

学力至上主義の学校はそれなりに立派であるが、我が子が通学する学校に対しては、親御さん達がなんらかのよい面を見いだし、子ども達に信頼感を与えてやることが、大事だと思う。

(平成8年9月)



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