本音を言わせて
ー教師の本音と建前ー

最近は遅刻をしたり、服装や頭髪が異常にだらしない生徒が目立ってきました。私語で教師の授業を邪魔する生徒も多くなりました。授業妨害者などは廊下に立たせておき、教室に入れなければいいのです。それで悪いと反省したならば、「二度とやってはいけないよ、君にもいいところはたくさんあるんだから」と言ってやれば、本人も教師も、スカッとすると思うのです。

しかし、そんなことでも今は世論がうるさいのです。うるさいどころか、指導に真剣に取り組む教師に対して、生徒の人権を無視したなどと、非難の声を浴びせかけます。マスコミなどで報道されると大変面倒になります。マスコミの多くは、学校や教師の不祥事を興味本位で大げさに報道するからです。その視聴者の中には、純情な子供もいて、教師不信になってしまいます。何かと言うと、教師に対して八つ当たりする世相になってしまいました。教師は、名誉毀損でマスコミを訴えたいのが本音ですが、世間の教師への風当たりが強いのでできないのです。

今、問題になっているいじめも、真っ先に学校が槍玉にあげられます。いじめるような悪質な性癖は、家庭でもわかるはずですから、本来ならば指導するのは親の責任でしょう。教師は学校でいじめを発見しても、マスコミを気にして悪い生徒を厳しく叱ることができないのです。そのためについ加害者を黙認してしまうことになります。教師は、見て見ぬふりをすると言われますが、そうせざるを得ないこともあるのです。

本音を言えば、教師は、いじめが起きた場合、加害者を問題にしたいのです。建前では加害者の将来を思ってなどと、いつも容認してしまいますが、実はそのために悪の芽を育てる結果となっています。現在の学校教育の問題は、正邪善悪をあまりにも曖昧にしていることです。しかし、それも世論に影響されている面もあるのです。

学校は、真面目な生徒が不安なく過ごせるところであるべきです。学校へ行って、不良生にいじめられ、それが問題にされないのでは、被害者はどうしたらいいのでしょう。この被害者を救ってやるには、加害者を徹底的に退治することです。その方法は、加害者の行為の程度によって違いますが、何度も同じことをする生徒は、停学にし、反省して真面目に登校する意志がはっきりしてから受け入れるべきです。それが本人のためでもあります。学校の中で不良生を野放しにしておくことは無責任ですし、正しい生徒を育成していないことになります。

教育の現場では、教師がもっと本音を言いやすい雰囲気にするべきです。子供達にはマスコミ向けの建前論は役に立たないからです。建前論は一人一人の生徒に当てはまらず、いつも机上の空論に近いのです。不良生の人権ばかりを考え、被害者を無視し、事件を不快な目で見つめる生徒が登校に不安を抱くような学校はどう考えても異常です。親御さん達は教師と懇談されるとき、できるだけ本音を言いやすいように、教師に仕向けていただきたいのです。教師は世間に対して気兼ねせざるを得ない状態にあります。これが指導上のマイナスになっているのです。

(平成8年5月)



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