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うまがあわない

荻野誠人

うまがあわない、という言いまわしがある。別にどちらが悪いというわけではないのだが、人間のタイプが違うのか、何となく仲良くやっていけない、というような意味である。

ある年長の人が、どうもあの人とはうまがあわない、と言ったとき、私はなぜそうなのかと聞いてみた。すると虫のいどころが悪かったらしく、

「うまのあわないのになぜもくそもないだろう。なんで君は何でもそう割り切ろうとするんだ。君は若いから、世の中そんなものじゃないということを知らないんだ」

と叱られてしまった。なるほど、確かになぜうまがあわないのかよく分かっているくらいなら、そのような言いまわしを使う必要はない。

だが、仏教でもよくいうが、原因のない結果はない。何の原因もないのに、うまがあわないということはありえない。うまがあわないと言う人はどれだけその原因を考えたのだろうか。ひょっとするとまったく考えないで、便利な言いまわしを使ってお茶を濁している場合もあるのではなかろうか。

相性というものは難しい問題だし、なぜうまがあわないのかといったことを考えるのは面倒だ。だが、それをあれこれと考えていくうちに、今まで見えていなかったものが次第にはっきりしてくることもあるのではないだろうか。自分や相手に対する理解も深まり、人間関係を改善する手がかりもつかめるかもしれない。ひょっとすると、自分の方に問題があったのだと気づくかもしれない。そういったことを面倒がって、「割り切れるものじゃない」と不快な人間関係をそのままにしておくのなら、その人は自分で人生を貧しくしているのではないだろうか。それでも、自分の人生だけが貧しくなるのならまだいい。だが、自分に非がある場合は、平気で回りに迷惑をかけ続けることにもなりかねないのである。

日常生活で、不愉快なことをそのままにしている人もかなりいるかもしれない。何も人間関係に限らない。体のことでもいい。もし何かあってそれが気になるのなら、一度腰をすえて、その原因を考えてみてはどうだろう。割り切れない、しかたがないなどと思っていたことの原因が意外にも発見できて、そのおかげで問題が解決することもあると思う。原因を考える習慣を身につける----それだけで、毎日が今よりも充実したものになるのではないだろうか。

(1986・7・16、1988・10・9 改稿)


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