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使い捨ての心理

荻野誠人

 今では周知のことだが、使い捨ての生活はごみ捨て場の不足など深刻なごみ問題を引き起こしている。ごみの分別収集やごみ自体の減量など様々な対策がたてられて実行されているが、それでももう手遅れではないのかという感じがするほどである。
 しかし、使い捨てが引き起こしている問題はごみだけではない。それに劣らぬ問題が密かに起こっていると私は考えている。
 使い捨てというのは、物を大切にしないことである。無造作にポンポン捨てる。そこには物に対する愛情も作った人に対する感謝も微塵もない。愛着のある物などは回りを見回しても一つもない。物との関係が非常に希薄である。そういう生活は、人を大切にしない態度につながりはしないだろうか。物も人も自分が関わる対象だという点では同じである。物を大切にしない人が人だけは大切に出来るのであろうか。
 心理学などで、自分を大切にしない人は他人も大切にしないとよく言われる。科学的に立証されたわけではないのだろうが、十分正しい見解のように思える。ならば、こうも言えるだろう。
 物を大切にしない人は、人も大切にしない。
 これはごみ問題に匹敵する問題ではないだろうか。例えば、人ではないが、ペットブームとやらのかげで、飽きたペットや飼えなくなったペットを無責任にも捨ててしまう人があとを絶たない。まさに命を「物」扱いしているのである。こういう行為も使い捨ての発想から生じているような気がする。最近子供や老人などの弱者を虐待する悲惨なニュースがよく報道されるようになった。それは件数が増えているのか、単に表沙汰になるようになっただけなのかよく分からないが、これもペットを捨てる行為と同根なのではないかと思う。
 現代人は孤独だとよく言われるが、人と物とを切り離す使い捨ての生活が人を一層孤独にしているように思える。
 使い捨ては物が豊かになってこそ起こる。当然物のなかった頃の日本人は今よりもずっと物を大切にした。江戸時代などもそうなのだが、そんな大昔にまでさかのぼらなくても、中高年の人は何か思い出があるのではないか。例えば私は親や教師が食べ物を粗末にした子供に向かって、「一生懸命作ってくれた農家の人のことを考えなさい」と注意していたのを覚えている。
 昔の人々は現代とは逆に、物を生き物のように見なしてさえいた。針供養、筆供養、人形供養などがその好例だと思う。最も有名な針供養では、古くなったり折れたりした針の「あの世」での「冥福」を祈り、裁縫の上達を祈願する。そこには物に対する愛情と感謝がある。使い捨ての態度とは正反対の発想である。こういうことをする人が現代人よりも人を大切にしなかったとは考えにくい。
 針供養自体は今も続いているが、そういう営みを支えてきた日本人の心の基盤は、使い捨ての生活によって大きく堀り崩されてしまったのではないか。
 使い捨ての生活は、とうに見直しが始まってはいるものの、便利な生活を手放したくないという気持ちが強くて、それほど変わってはいないという見解も新聞などに見受けられる。おまけに皆が物を大切にすれば、物が売れなくなって景気が悪化するということもあって、これは一筋縄ではいかない問題のようだ。しかし、ことは環境破壊に加え、心の荒廃である。景気の方を優先していいはずがない。ゆっくりでもやむを得ないのかもしれないが、見直しは着実に進めていかなければならない。  

         2003・8・17


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