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タウンウォッチングの心意気

----『心の風景』第二集に寄せて

向井俊博

見知らぬ土地を訪れると、印象が新鮮であるためか、何でもない光景に心を動かされることが 多い。タウンウォッチングの魅力がここにある。


タウンウォッチングを心がけて、初冬のある日、北九州の唐津と呼子(よぶこ)を訪ねた。東京の雑踏に慣れている目に、唐津の街のたたずまいはやさしく飛びこんできた。中心街をちょっと外れると人が少なくなり、その歩きっぷりもおだやかになる。海辺の唐津城からの眺めは、有名な虹の松原とゆったりと海に注ぎこむ河が一望に見下ろせ、まさに絶景であった。

城への散歩道にかかる横手に小さな石垣があり、腕白小僧の一団が大騒ぎをしている。どうやら忍者ごっこの真っ最中らしい。二手にわかれ、小さな木切れをもっての攻防戦は、思わず足をとめるほどの迫力であった。そのうち、年端のいかない子供が石垣の途中に張り付いたまま、どうにも身動きがとれなくなってしまった。手をかさないと駄目かなと見ているうちに、年長の男の子から「タイム」という大声がかかった。すかさず敵味方が集まり、総動員での救出だ。やれやれと思ったら、もう戦いの続行である。どちらも作戦みたいなものがあるらしく、目まぐるしい展開は見ていて飽きない。それにしても、野外で遊び慣れている子供達の目は輝いており、子供の世界なりに心が通い合っているようで、唐津城からの絶景にもまさる光景であった。

唐津からバスで二十分ほど行くと、呼子に着く。ここは、鋭く切りこんだ入り江を抱く漁港で、魚の匂いのする背い子を着けたお婆さんと一緒にバスを降りると、港町に来たのだなあという実感がひしと湧いてくる。岸壁に係留されている漁船は、いずれも中型であるがモダンな船が多く、よく見ると、波が静かなのにマストの先が揺れている。

岸壁のあちこちでは、お年寄りが出て、とれたての烏賊(いか)に串を一本縦ざしにし、これを水平に渡した紐に引っかけて干している。岸に面した家の窓にも干されているが、干し柿のつるしたものしか見たことのない目には、烏賊の白さがとても生々しく写る。

長く張り渡された紐に下げられた烏賊は、風が吹くたびに一斉に尻尾を振ってたなびき、これまた見飽きぬ風情であった。

烏賊干しは、ほとんどがお婆さんであるが、楽しげな会話の声が大きいのにびっくりした。風のうなる港町に住まわれているせいかなと想像してみた。一人のお婆さんが、お孫さんを背に、「ピーヒャラピーヒャラ」と今はやりの歌を口ずさんで寝かしつけている。カラオケのマイクでどなっている感じのすさまじい子守唄なのだが、子供の方は涼しい顔つきでまどろんでいる。

食堂が少なく、やっと探した店のおばさんとは話が弾んだ。鯛茶漬をぜひ食べてみてくれという。醤油をベースにした風味のあるたれに浸し、わさびと胡麻を添えた鯛のぶつ切りの生身を熱いご飯にのせ、その上にさらに熱いお茶を注いで食べるものであった。湯気に魚が香り、窓の外には飛び交うカモメとくると、タウンウォッチングの極みここにありという気分になってくる。

こういった見知らぬ風物から受けるささやかな感動は、単に思い出を積み重ねていくというだけではなく、感性が知らず知らずのうちに磨かれていくような気がしてならない。磨かれる程度も、風景にじっと目を凝らし、耳を傾ける度合に応じているようだ。

あくせくした毎日のなかで、何事にもタウンウォッチングの心意気でじっと目を凝らし、耳を傾けていくことを心がけたいものだ。


荻野君の編集する本誌が、見知らぬどうしの心の風景にじっと目を凝らし、耳を傾ける縁(よすが)となって、ますます発展していくことを願ってやまない。

(平成3年1月24日)


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