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鳥のさえずる人生

向井俊博

 最近、パソコン上で熱帯魚やペットを飼う人が増えてきた。世話を間違えると死んでしまうが、しつけると反応し、可愛いのだそうだ。また仮想の街ができていて、歩き回って買い物もできる。支払いだけは銀行に足を運ばねばならぬが、電子決済が導入されればその必要もなくなるのであろう。手を伸ばして触(さわ)れるわけではないが、あたかも目の前にそれがあるようなバーチャル(仮想)・リアリティ(現実)という世界が急速に拡がりだした。

 仮想の街やペットで驚いていたら、ついにバーチャル人間が登場した。伊達杏子、芳紀十七才。抜群のスタイルで歌も踊りもパーフェクトにこなす。二十四時間出演、スキャンダルの心配は全くない。「バーチャル・アイドル」と呼ぶのだそうだが、このようなバーチャル人間が続々と誕生している。

 ところで「バーチャル」と珍しがってはみたが、よく考えてみると生身の我々も本質的にはバーチャルそのものではないのか。鳥の快い鳴き声や華麗な花も、耳や目で受けた刺激自体は単なる音であり、色や形であろう。だがそれがいったん脳と心に入ると、目の前の現実とは異なるバーチャルな世界像となる。そこではじめて鳥はさえずり、花は色づく。人に脳と心がある限り、いかにも現実と思いつつ、このバーチャルな世界に我々は生きていく。

 さらに思いめぐらせば、生まれてからこの方、我々は心の中にその人固有のバーチャルな世界を築いてきている。それがその人の世界観というべきものであろう。時の流れに映せばその人の人生でもあろう。まさにこの世は鳥がさえずり花の咲く十人十色、百人百色のバーチャル人生絵巻である。

 各人固有のバーチャル・リアリティは、暮らしの中の多様な刺激の中で、なかば無意識に、自分に共感しやすいものを、あるクセをもって現実として取り込んでいく。そしてそれがまた人格とか性格になってにじみ出ていく。だから悪いバーチャル世界を築いてしまうと、人格や性格から更ににじみ出る行動や考えとなって、なかなか修正できない羽目になるから大変だ。

 パソコン上のバーチャルな世界は誰かから供されるものである。だが一人一人のバーチャル人生は、我々自身がその創り手なのだ。毎日を生きながらどんなバーチャル人間を自ら創っていくか、これが人の生きる道であろうとふと思う。


【付記】

 荻野君の編集するこの『心の風景』誌は、人がどんな心の世界を持っているかを知り、心の糧とすべく共感を求める貴重な場となるようみんなで育てていきたいものだ。一層の拡がりを祈念してやまない。

(平成9・2・1)


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