友を撃つ(天使の修業その9)
荻野誠人
山の木々は、ところどころ紅葉が始まっていましたが、何だか色あせた、疲れたような色合いです。ピコエルとテラエルは小川に沿った人通りのほとんどない山道を歩いています。小川が曲がった所に狭い河原がありました。そこで食事でもしていたらしい三人の若者が荷物をかついだりして、立ち去ろうとしています。それを見たピコエルはちょっと眉をひそめると、急いで河原へ下りて、若者に近づきました。
「すみませんけど、ゴミを持ち帰ってくれませんか」
すると赤い顔をしている若者の一人がビールの空き缶やペットボトルを見て笑みを浮かべると、
「いやあ、これは別の人が置いてったゴミなんだよ」
「そうそう、俺たちが来たときにゃ、もうあったんだよ」
と別の若者がおどけた顔をして言いました。ピコエルはむっとして
「わざわざゴミのそばに座って食事したんですか」
「そうだよ。悪いかい。そんなに言うなら、お前が拾ってけばいいじゃないか」
「そういうこと。ボランティア活動、がんばってね」
三人はピコエルを無視して、おぼつかない足取りで歩きだしました。
ピコエルも、そばに来ていたテラエルも何も言いませんでした。三人が道に上がると、テラエルはリュックを置いて、ビニール袋を出し、
「じゃ、ちょっとやりますか、『ボランティア活動』とやらを」
「そうだね」
とピコエルも笑顔になりました。
ものの十分もゴミを拾うと、大きなビニール袋がはちきれそうになっていました。いつの間にか雨雲が広がっていて、あたりは薄暗くなっていました。ピコエルは、そろそろやめようかと言おうとしました。
その時、せせらぎに混じってかすかに悲鳴のようなものが聞こえてきました。
二人は思わず顔を見合わせました。次の瞬間テラエルは袋を置き、悲鳴の聞こえた方へ猛然と駆けだしました。ピコエルも後を追いましたが、曲がりくねった道のせいであっと言う間にテラエルを見失ってしまいました。
クマか。
ピコエルは走りながら昨日すれ違った男性のことを思い出していました。
「こんにちはー」
「こんにちは」
山道ですれ違った中年の男性はラジオの外国語のニュースか何かを大きな音量で流していました。その人はラジオを切ると、
「君たち、最近このあたりにクマが出るそうだから、気をつけなさいよ」
「え、そうなんですか」とピコエル。
「何か音の出るものを持ってるといいよ。クマも人が怖いから、人がいるのが分かってれば、近づいてこないから」
「ありがとうございます。じゃ、僕もラジオでもつけておきますよ。でも、いつもこのあたりには出るんですか」
と言いながら、そんな話は聞いてないなあとピコエルは思っていました。
「いやー、そんなことはなかったんだけどね。原因はよく知らんけど、えさ不足とか、何とか。最近、天気もおかしいし、山も荒れてるみたいだし、・・・クマにも住みにくい世の中になっちまったんだろうな。・・・じゃ、気をつけて、お二人さん」
「はい、どうぞお気をつけて」
しばらく歩きましたが、二人ともラジオを取り出そうとはしません。二人は顔を見合わせてニヤリとしました。
「まあ、ピコエル先生がクマをあやつって、静かに帰らせて下さるから、心配ないけどね」
「おい、ちょっと。突然飛び出してきたら、精神集中ができなくて、だめかもしれないぞ。その時は、君がクマと取っ組み合いだ。ぜひ見てみたいね」
「・・・記憶違いかもしれないけど、僕がうんと小さい頃、小グマが飼われてたような記憶があるんだよね」テラエルは空を見上げて、懐かしそうに言いました。
「おいおい、どんな家だよ」
「いや、自分の家か、親戚か、近所か、それもはっきりしないけどね。でも親戚に猟師もいたし。・・・よく一緒に遊んだような・・・」
「そりゃ、大きな犬じゃないの・・・」
「はは。・・・だから、クマに用心っていう話、聞くとなあ・・・」
テラエルはちょっと困ったような顔になりました。
「人が山を荒らすから、クマが山から追い出されて人を襲う。襲うから、撃たれる。クマにとっては迷惑な話だ。・・・でも襲われる人も直接山を荒らしたわけではないしねえ」
雨雲の下を全速力で走るテラエルの両手が輝き始めました。二匹の金色のヘビが激しく身をくねらせながら、宙を行くかのようです。
角を曲がると、五十メートルくらい離れたところで、大きな黒っぽいものが倒れた人にまさにのしかかろうとするところでした。テラエルは立ち止まり、輝く右手の人指し指を立て、腕をまっすぐ伸ばして黒いものを狙って撃ちました。指先から放たれた金色に輝く光の矢が黒いものを貫くと、それはがっくりと前のめりに倒れました。テラエルは駆け寄りました。
大きなクマでした。やせているようです。頭を撃ち抜かれていました。仰向けになってクマの下敷きになっていたのは、先ほどの若者の一人です。恐怖で目を見開いたまま、動けませんでしたが、命に別状はないようです。あとの二人はどうしたのかと思って周りを見回すと、二人とも手近の木によじ登って身動き一つできませんでした。テラエルはクマと下敷きになっている若者の顔を見比べました。
「僕にこんな力があるばかりに・・・」
そして、しゃがむと大きなクマをどかそうと体の下に手を差し込んで、力を入れました。ところが、まるで張りぼてか何かのように手ごたえなくひっくり返ってしまいました。
テラエルは歯を食いしばって、なきがらを見つめていました。
空が涙を落とし始めました。
2008・11・25