トイレ変われば・・・辻 良樹 「4Aは 明・安・愛とアメニティー トイレ変われば 世界が変わる!」と、トイレの改善を呼びかけている。ちなみに4Aとは、「明るい」「安心・安全」「お年寄りや障害者にやさしい愛」「香り・音・消毒というアメニティー」のことである。 さらに、子供の頃の記憶をさぐると、回虫がお尻から出てきた体験が甦る。大概の人が一度は体験をしている筈である。アメリカ人から見ると何と不潔な国民と、徹底した指導のもと、苦く不味い“まくり”なるものを無理矢理飲ませたり、人糞肥料が野菜に付着し回虫がわく原因になっていると、化学肥料の使用を普及させたりして、回虫を退治し“清潔な日本人”に変えていったという。そのせいかどうか、純粋培養されたひ弱な子どもが育ち、「O−157やアトピーという形で被害を受けている。」と知人で細菌学の権威がこともなげに言っている。 昭和40年代に入って日本は高度成長期を迎え、遂には世界第二の経済大国となり世界から注目されるようになっていったが、トイレに対しての認識は余り進歩していなかった。 そんな矢先の、昭和45年の大阪で開催された千里万博時代にやっと、洋式トイレが採用されだした。たまたま、その年の3月に脱サラ(それまでは、証券会社でコンピューター関連の仕事で8年間勤め主任として活躍していたが、オンラインまで推進した機会に180度転換して“おそうじ”の仕事で脱サラ)し、万博広場のトイレ掃除をしていた時のこと、洋式トイレの便座部分がよく土で汚れていた。何故こんなところに土が付くのか分からなかったが、後で考えると洋式トイレの使い方を知らない人がほとんどであって(小生もそれまで知らなかった)、和式と同じように、便座が床では?と思ったのか、その上に乗って用を足していたらしい。それほどに日本のトイレに対しての認識は遅れていた。 トイレはその国の文化水準と比例していると言われているが、日本では改善のペースはなかなか経済発展と比例しなかった。それでも少しずつ汲み取りトイレから水洗トイレに移行していった。昭和50年代からはほとんどの所が水洗トイレとなっていったが、肝腎のトイレのあるべき姿はイメージ化されていなかったのではないだろうか。 だから、その後も長い間、暗い・汚い・臭い・怖い、いわゆる4Kトイレが後を絶たなかった。 バブルが弾け売上も上がらない時代に入って、百貨店に端を発して、“きれいなトイレ”創りの意識が芽生えていった。 百貨店を利用する客の大半が女性であったこと、その女性が今までの“4Kトイレ”に目をそむけ、百貨店を選ぶ基準も“きれいなトイレ(いわゆる4Aトイレ)”のあるところということになり、その結果きれいなトイレのある百貨店の売上は大きく伸びたのである。百貨店だけでなく飲食店・劇場・映画館・スポーツ施設・・・等々、マスコミの後押しもあったのか次第にトイレが見直されてきた。 売上競争に明け暮れていた男性陣もその現実を見聞きし、「売上アップになるのなら」と、トイレの改善に拍車がかかっているというのが現状である。 今やトイレは単に生理現象を処理するだけの場所から“やすらぎ空間”へとその存在価値が高まってきている。会社のトイレは勿論のこと、駅舎のトイレ、公衆トイレまでが時代の要請に応えている。 ところで、未開発国のトイレ事情はどうだろうか。平成9年2月に10日間、ボランティアをしているUNICEF(国際連合児童基金)の視察団の一員として訪れたインドネシアの僻地のトイレは、まさに戦後の日本のトイレと大差がなく、UNICEFが中心になって住民の健康を考え、「清潔なトイレ創り」を支援しているところである。 まだまだ世界の多くのトイレが不衛生であり、それが原因で病気が発生し、命を落としている人が多い。そこで、UNICEFは安全な水の確保とともに清潔なトイレ創りに重点をおいて支援している。 世界では、今も2秒に一人の幼い子どもたちの命が失われている、と言われる。この現状をしっかりと知り、“経済大国ニッポン”に生まれたという現実を心から感謝したいものである。 また、トイレといえば、平成7年1月17日午前5時46分に起きた阪神大震災の時、私が所属している「日本トイレ協会」のメンバーが中心になって、全国の主婦・学生・メーカー社員・メンテナンス関連会社社員・経営者・学者・公務員・・・等々で「トイレ調査隊」を編成した。そして毎週土日に延べ二百数十人がグループに分かれて、慣れない場所を地図を片手に自転車に分乗し、神戸市内各地の被災地のトイレの調査と清掃を実施した。 そのきっかけは、2月に入ってから、東京の本部から「トイレ調査に行きたいので、関西のメンバーの協力がほしい」という連絡が入ったことであった。だが、今さら「調査」などすると、しかも江戸っ子弁でキザにしゃべられたら、被災者の人々の神経を逆撫でしかねないと思い、どうせ来るなら掃除道具持参で、現状(掃除する人もなくてんこ盛り)を解決してあげることこそ大切と、手弁当・寝袋・テント覚悟で来るようにと釘をさしておいた。それでも全国から有志が集まった。 第一陣が阪神青木駅に集まり10グループに分散し、おのおのの担当避難場所へ行きトイレ調査と清掃を実施した。やはり、この種の調査にはなかなか応じてくれなかったが、汚れたトイレの掃除をさせて頂いているうちに徐々に調査項目にも答えてくれるようになった。 帰ってきた有志からも同様の報告があり、むしろ汚れたトイレと格闘したグループの人の方が喜々とした報告をしていたのが何故か印象的であった。
他にも、校庭や半壊し誰もいないマンションの廊下等やあらゆる“隠れた場所”をさがしては、ウンチをせざるを得なかったという話があちこちで聞かれた。お金がある人もない人も、地位のある人もない人も・・・恥をかなぐり捨てて、人間という動物を思い知らされたようである。 正常な状態では考えられないウンチの山・山・山・・・ライフラインをなくした現代社会のもろさを眼前にして、飽食時代の人々は多くのものを学ぶことになったのではないだろうか。 また、6000人近い犠牲者を出したこの阪神大震災、大自然は我々人間に何を教えようとしているのだろうか。21世紀を目前にして人間がより人間らしく心豊かに過ごし、美しい地球を次代の子どもたちにどのように残していけばいいのか、一人一人がもう一度地についた生き方をしなければ、尊い犠牲者の霊も浮かばれないことだろう。心したいものである。 さて、“学校のトイレに行けない症候群”というのをご存じだろうか。 トイレに行くと、友達に冷やかされたり、からかわれたり、いじめられるため行かないという。そこで、我々日本トイレ協会が『トイレを語ろう 出前教室』を企画し、全国の小中学校に出かけようと会員に呼び掛け実践している。これは「子どもたちともっと話し合おう」と、あらゆる角度から文部省が呼び掛け、各教育委員会が協力している活動の一環として企画したものである。 最近、学校や子どもたちの心が荒れているといわれている。滋賀県の栗東中学校もそのような所であったが、1億円の予算を組んでトイレ改修を実施した。床やブースや便器等の色をはじめ、全てを生徒たちに任せたという。それまでは単に学校にあるトイレという認識であったが、自分たちで考え、共に創ったトイレということで、これは自分たちのトイレだという意識が芽生え、汚さない、壊さない、掃除する等々、自然に美しいトイレが維持され、その結果それまで荒れていた学校も次第に正常化されていったという。 早速、我々メンバーで見学に行ったが、生徒達の挨拶も素晴らしく、トイレの掃除も行き届いていて、これがついこの間まで荒れた学校?と思うほどの変身ぶりであった。トイレ改修がキッカケとなり、他の面にもプラス効果が現れているという。参加者全員がその試みに心から感動した。勉強、勉強とよい成績をのこすことも大切だが、思春期の大事な時期に心豊かな環境を、行政を先頭に地域社会と学校がスクラムを組んで共に創ることで、子どもたちが安心して学べるようになるという成果を、全国にももっと広めてほしいものである。 その後6月24日に『トイレを語ろう 出前教室』を神戸市の某小学校で行った。小学4年生120人を対象に約90分間、「トイレについて」子どもたちと実習も交えて話し合い、成果は上々であり、子どもたちも積極的に手を挙げて応えてくれた。
また、小中学校二百数十校に教育委員会よりトイレに関するアンケートを出して頂き、8割程の回答を得た。その中から、さらに現場を追跡調査するため、7月17日に7校を選び訪問した。アンケートに基づく確認をしたり、子どもたちの熱心なトイレ掃除の実態も見させて頂いた結果、<挨拶がよい、応対がよい、トイレ掃除をよろこんでやっている、教師が熱心>という共通点が浮かび上がってきた。むしろ、無回答の2割の学校に何か問題があるのでは?と思うほどトイレに関心のあるそれらの学校には「荒れ」から遠いものを感じたのである。 話は変わるが、ある時、知人の医学博士のMさんから電話があり、「辻さん、最近人生って何かわかってきたワ」と言う。それは何ですか、と聞くと「食って、寝て、出す。後は余計なことやな」という答えが返ってきた。内科医から診療内科医に転身された体験からの実に重みのある言葉である。 まさに、人間として当たり前のことに心から感謝して生きることこそ人生だと教えられた。登山が大好きだった私の体験をもとにして言えば、アルプス登山経験者でもどんなに体力がある人でも、この三つのうちの一つでも思うようにいかなかったら、バテてしまって歩けなくなるのである。 何かというと、いい学校に入り、いい会社に入ることこそが素晴らしい人生と教えてきた戦後の教育にも大いなる陰りが見えだしてきた。 知識偏重の人間が、どんなに人として問題かが問われている。<心の教育>が言われ出して久しい。経済優先で金、金、金、その金こそが人生の全てと言わんばかりの現代で、バブルが弾け、絶対つぶれないと言われた大企業までが倒産する。リストラや肩たたきによる早期退職勧告など、将来が不安な状況が続いている。何もかも犠牲にして定年を迎え、果たして自分の人生は何だったのかと多くの人々が考えはじめている。こんな状況で一人一人が人間としての本質的な生き方を求められているのではないか。 「4Aは 明・安・愛とアメニティー トイレ変われば 世界が変わる!」 “排泄”という人間が生きていく上で避けて通れない、しかしながら最も避けたい汚れというか、陰の部分にスポットを当てることにより、現代人が忘れている“何か”を学べるのではないだろうか。最近、全国に『トイレ掃除に学ぶ会』というのが広まっている。小生も何度か参加させて頂いているが、理屈も何もない、ただひたすらに他人が汚したトイレを磨きあげるのだ。すると何故か心が熱く、嬉しくなるから不思議である。阪神大震災の時のトイレ調査隊の体験報告と同じような感想を参加者が異口同音に述べるのは一体何故か? 分からないが、事実ではある。 だから、上も下もない、成功も失敗もない、<トイレが変われば>あらゆる世界が変わるのではないだろうか、と信じている。 いい学校に入った、いい会社に勤められた、出世した、儲けた、というのも意味のあることだろうが、人間が人間らしく生かされた人生をイキイキ生きることこそ大切であると、トイレ掃除を通して学ばせて頂いている。
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