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人生、心の学びへの鉄槌

向井俊博

日本全国の拘置所を訪ね、大勢の死刑囚と無期囚を比較研究した心理学者がおられる。死刑囚と無期囚とは、その生き方がまるで違うのだそうだ。

両者ともその役から察すると大半が殺人犯であろうが、遺伝とか環境、教育などの差があるとは思えないのに、一人一人の個性および生き方がはつらつとしている点では、死刑囚の方が断然優位なのだ。

死刑囚は、難解な本をやつぎばやに読破するとか、書画を描きまくるとか、激励してくれる人に何百通と手紙を書きまくるとか、毎日が濃縮されている。さらに、感受性が異様なほど豊かで、ちょっとしたことにも泣き、笑う。

一方、無期囚は感動が乏しく、今日のめしは何かと、身近なものにしか関心がなく、いわゆる「刑務所ぼけ」になるのがおちなのだそうだ。

そういえば、無期囚で優れた作品を世に残した噂を聞かない。

この話は私に強い衝撃を与えた。自分は無期囚となんら変わらないのではないか。毎日の生活にあくせくし、浮世の波にただよい、さほどの感動もなく希薄な日々を繰り返している。何とも情けない姿ではないか。


もう一つどきっとしたことがある。世紀の巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチが手記の冒頭に、「かわいそうに、レオナルドよ、お前はなぜこんなに苦労をするのか」と書いているのである。あれほどの天才なのだから、ぴかりぴかりとひらめいて、自由無碍(むげ)に幅広い活動をし、あまたの芸術を産み出したものと思っていただけに、これもいたく私の心を打った。


死刑囚の話は、死ぬまでに当分時間があるとのんびりしていてはいけないという戒めにつながる。確実に訪れる死を意識するかしないかで、人は毎日の生き方の濃度を変えられるという事実に目を向けたい。死刑囚のような緊迫感は望むべくもないが、少なくとも余生が有限であることを強く認識して、自分のやるべきことをきちんとやっていくべきではなかろうか。

自分のやるべきこととは何であろうか。これは、人それぞれの人生の意義をどう考えているかで十人十色であろう。

人生の意義をどう捉えるか。まあまあと妥協するほどにちっぽけな人生になってしまうであろう。


辛くても強い意志をもって易きにつかぬことだ。天才ダ・ヴィンチですら、自らかわいそうと思うほど苦労したのだ。このことは、とても励みになる。


人生、心の学びに影響を与えたものは数々あるが、死刑囚の話とダ・ヴィンチの言葉、これだけは鉄槌のごとく私の心を打ち、人生の構え、心の学びにとって、かけがえのない礎となっていった。

(1989・10・7)


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