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天使の力(天使の修業その7)

荻野誠人

 白髪と白いひげのおじいさんが日当たりのいい公園のベンチにゆったりと座っています。決して人には近づかないはずのスズメが二、三羽おじいさんの頭や肩に留まっています。おじいさんはいかにもくつろいだ様子で、時々横目で肩のスズメを見て、何か話しかけているかのようです。
 そこへ三人の小さな男の子がラケットを振り回しながら、やって来ました。なぜか一人の子は二本のラケットを持っています。それを見たおじいさんの目がうれしそうに光りました。

 ピコエルとテラエルは次のお寺を目指して歩いていました。今日は珍しく、町を通っていきます。
 両側にしゃれた家が建ち並ぶ並木道でした。突然目の前の一軒の家から高い生け垣を越えて、白い小鳥が飛びだしてきました。その家からかん高い叫び声が聞こえます。
 「あっ、ピーちゃん」
 「逃げたあ」
 ピコエルは一直線に飛んで行くその小鳥をぐっとにらみました。すると、小鳥は急に向きを変え、ピコエルの方に飛んできて、差し出した手に留まりました。文鳥です。くちばしを開け、胸をドキドキさせています。
 小鳥が逃げた家の門から女の子が二人駆け出してきました。二人とも顔が引きつっています。ピコエルは女の子と視線が合うとにっこりして「はい」と手を差し出しました。
 「わあー、よかったあ」
 小さい方の女の子が半分泣きそうな顔で叫びました。大きい方の女の子が文鳥を受け取ると両手でしっかりと包み込むようにしました。二人は何度もお礼を言って頭を下げて、家に入っていきました。ピコエルはしばらく笑顔で門を見ていました。
 「おみごと、ピコエル。すごい力じゃないか」と歩きだしたテラエルが張りのある声で言いました。
 「そりゃ、どうも。たいしたことないけどね。君に比べりゃ」
 「いやしの天使様のところで習ったのかい」
 「ああ。たまにけがをした動物を助けることがあるんでね。まずつかまえないと、話にならないからね」
 「なるほどねえ」と笑顔でうなずいています。
 ピコエルは横目でテラエルを見上げて、苦笑しました。こいつの方がはるかにすごい力を身につけているはずなのに、僕の力に本当に感心してるみたいだな。いい性格してるね。

 おじいさんが公園で三人の小さな子供を相手にバドミントンをしています。にこにこした優しそうなおじいさんは、まるで若者のように前後左右にす早く動いて、子供たちの打ちそこないの羽もとても上手に打ち返しています。おかげで羽はなかなか地面に落ちません。子供も自分の番で羽を落とすわけにはいかないとばかりに真剣にラケットを振っています。高く打ち上げられた羽を見ると、空の青さが目に染みます。
 ふと、おじいさんが「おや」というような表情を浮かべて、ある方向に目を向けました。ほお、候補生が来てるな。

 ピコエルとテラエルが歩いていると、ネコの鳴き声が聞こえてきました。並木の木の下で小さな女の子が困った顔をして、枝の上で盛んに鳴いている茶色いネコを見上げています。
 「どうしたの」とピコエル。
 「うちのネコです。イヌか何かに追いかけられたみたいなんです」
 「ふーん。登って逃げたのはいいけど、下りられなくなっちゃったのね」
 テラエルが跳び上がれば、手が届きそうでしたが、
 「まあまあ、驚かすといけないから。ここは僕に任せて。君は受け止めるのを頼むよ」
 「ああ、いいよ」
 ピコエルはネコを見つめました。すると、ネコは急に鳴くのをやめて、無造作に枝から飛び下りました。テラエルが大きな手でネコを受け止めて、女の子に渡しました。
 「え〜、どうして。どうもありがとう」
 女の子はうれしさと驚きと半分ずつといった顔でネコをぎゅっと抱きしめて頭を下げました。
 二人はまた歩きだしました。
 「また人助けじゃないか。いいことだね」
 ピコエルも笑みを浮かべましたが、それはやがて消えました。確かにあの子はよろこんでくれたけど、考えてみれば、たいしたことないね。・・・さっきは文鳥一羽だし、今度はネコ一匹。それも、飛び下りさせただけ。もうちょっと活躍したいもんだね。ピコエルは空を見上げて、自分が軽やかに飛んでいる様子を思い浮かべましたが、急に頭を左右に振りました。・・・いやいや、ネコ一匹だって尊い命じゃないか。お前は何の文句があるんだ。

 おじいさんも子供たちも、声を上げながら、夢中になってラケットを振っていました。そばを通りすぎる人たちも思わずほほえみを浮かべています。すると、四人目の子供が遅れて公園にやって来ました。息も乱れていないおじいさんはラケットをその子に返して、みんなに言いました。
 「どうもありがとう。おもしろかったよ。じゃあ、僕は用事ができたから、行くね」
 「おじいさん、また来てね」
 「ああ、また来るよ」
 おじいさんは子供に手を振ると、背筋を伸ばし、軽い足取りで公園を出て行きました。どんな顔をしているのか、楽しみだね。

 二人は少し広い舗装された道に出ました。時々自動車が通りすぎます。両側には店が並んでいます。歩道がないので、危ない感じがします。
 二人の20メートルくらい前をお母さんと男の子が歩いていました。すると突然、道の反対側から「タンくーん」と声がかかりました。男の子は、横を向いて友達を見つけると、お母さんの手をふりほどいて、うれしそうに道を横切ろうとしました。そこへ軽トラックが走って来ました。
 けたたましいブレーキの音。お母さんの悲鳴。「トマレ!」。ピコエルの心は、男の子に突進しました。

 ・・・男の子はぎりぎりのところで片足を前に出したまま立ち止まっています。軽トラックも止まっています。でも、男の子が止まらなければ、間違いなくはねられていました。お母さんは荷物を放り出すと男の子に飛びついて抱きしめ、「ごめんね、ごめんね」と叫びながら、泣きだしました。若い運転手があわてて飛び出してきました。男の子はきょとんとしています。
 「やったぞ、ピコエル。すごい、すごい、命を救ったんだぞ」
 テラエルはピコエルの肩をたたきました。ところが、ピコエルは少し前のめりに突っ立ったまま、何の反応もしません。
 「おい、どうした」
 テラエルは顔をのぞきこんで、ぎょっとしました。目は開いていますが、まるで魂を抜かれたみたいです。
 「おい、おい、だいじょうぶか」

 ピコエルの心は、道に飛び出した男の子に届く寸前、別の方角から来たすさまじい力に衝突し、遠くまではね飛ばされていたのです。

 「だいじょうぶか、君」
 テラエルの心に、耳では聞こえない声が届きました。声の方角を向くと、白髪と白いひげのおじいさんが小走りにやって来ます。
 おじいさんはいかにも心配そうな顔をしてピコエルに駆け寄ると、両肩に手を置き、心の中をのぞくように見つめました。するとピコエルははっと気付いて、頭を小さく何度も振りました。
 「いやあ、たいへん申し訳ない。とっさの場合だったので、つい本気で。君と僕が同時にあの子に到達したので、ぶつかってしまったんだ」
 おじいさんは深々と頭を下げました。ピコエルはまだ少し頭がぼんやりしていました。
 「だいじょうぶ。心に傷はついていないよ。さすが候補生だ。普通の人ならとっくに天国行きだ。しばらくすれば元に戻るよ。ちょうどまぶしい光を見て、一時的に目が見えなくなるようなもんだ。・・・それにしても、後輩をこんな目に合わせるなんて、お恥ずかしい。いつまでたっても未熟者で」
 おじいさんはまた頭を下げました。ピコエルは一瞬ぞっとしました。あれが天使の実力なのか。あれで悪魔と戦うのか。この人の力に比べたら、自分のなんてままごとだ。
 「では、あなた様は」とテラエル。
 「ああ、失礼。ユリエルと申します。一応君たちの先輩なんだ。たまたま近くにいたら、天界の力を感じたんで、どんな後輩が来たのか、知りたくなってね。いつもは遠くから顔を見るだけなんだけど、今回はこういうことになっちゃって」
 二人はユリエルに自己紹介をしました。おじいさんはようやく笑顔になって
 「ピコエル君、君、なかなかの力だよ。僕のと同じ力だ。とっさに子供を助けようとしたのも実にみごとだ。もっと慣れてくれば、もっと強く、速くなるぞ」
 ピコエルの目に一瞬、線路の上に人が倒れている光景が浮かびました。ピコエルが自分に幻滅した出来事でした。
 「ありがとうございます」
 そうか、そう言えば、何もできなかったあの時より、間違いなく進歩してるんだ。もう僕は少なくとも臆病者ではなくなったのかも。心の底から喜びがわきあがってきました。肩のあたりがすっと軽くなり、やたらに歩き回りたくなったり、誰彼かまわず話しかけたくなったりして、ユリエルが何かテラエルにしゃべっているのも余り耳に入ってきませんでした。

 その晩はいやしの天使が二人が泊まっているお寺に姿を現しました。昼間の出来事を聞いて、ピコエルの様子を見に来たのでした。
 「先生、この人、だいじょうぶですよ。見かけよりずっと強いんですから」
 テラエルは冗談のような口調で言いました。いやしの天使は男性なのに母親のような笑顔になって
 「はは、そのようですね。安心しました。ところで、ユリエルに会ったのですか。おまけに話をしたとは、珍しいですね」
 「どういう方なんですか。あの後、すぐに行ってしまわれたんで」とテラエル。
 「ちょっと変わっててね。候補生としての修行期間が終わっても、地上にとどまっているんですよ。まだとても天界で仕事をする資格はないと言ってね。相変わらず、自分で修行を続けてるんです、世界中を回ってね。もうずいぶんになりますよ」
 「へえー、そうなんですか。候補生はみんな一日も早く、天界で有名な人たちと一緒に働きたくてうずうずしてると思ってたんですけどね」
 ピコエルは何かチクリと刺されたような気がして、少しうつむきました。
 「天使としての資格は十分お持ちだと感じましたが」とテラエル。
 「そうですね。十分どころか、私たちとたいして変わりませんよ」
 「ええっ、そんなに偉いんですか」とピコエルは思わず顔を上げました。
 「ええ、でも、自分で納得がいかないんでしょうかね。・・・まあ、ユリエルの言葉にうそはないんでしょうが、あの人は子供や動物が好きでね。地上で直接子供や動物と触れ合うのが性に合っているということもあるのかもしれませんね」
 ピコエルの頬が少し赤くなっていました。
 「確かに親切で気さくな感じの方でした」とテラエル。
 「今日はどんな姿でしたか」
 「おじいさんでしたが」とピコエル。
 「そうですか。決まった姿はしてないんですが、お年寄りか子供かどちらかになっているようですね。・・・でも、ユリエルの力がどうしても必要な時には駆けつけてくれる約束はしてあるんです」

 いやしの天使が姿を消すと、テラエルはいつものようにすぐに寝てしまいました。
 「ネコ一匹じゃあ、物足りないとは・・・いつの間にか僕も偉くなったもんだね・・・」
 ピコエルは、昼間の自分の態度を振り返り、ユリエルと比べて、逃げ出したいような気持ちになっていました。先輩に力ではるかに及ばないだけでなく、心でも、か。当然、天使様には見抜かれているだろうな。
 でも、すぐにユリエルにほめられたことも思い出して、ほっとしました。そうそう、そうだな、今日は得たものがすごく多かったよ。昼間はほんのちょっとの差で遅れてしまったけど、僕の力でも人の命を救えることも分かったし。先輩、ありがとうございます。・・・ちょっと頭の中がごちゃごちゃでしばらく寝られそうもなかったので、ピコエルは散歩でもしてこようとお寺の庭に下りていきました。
 月が明るく照っていて、明かりなしでも歩き回れそうでした。 

2009・1・9

 

 


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