戻る目次ホームページヘ次へ  作者・テーマ別作者別

人生転機の時

小林直人

人は自分の人生を変えてしまうような大きな影響を及ぼす人と意外な所で出会うものだ。


今までの私という人間は「虚栄心による演技」によって形成されていたように思う。こういう自分を嫌悪しながらも、結局ついこの間まで妥協していたのは、自分本来の姿をさらけ出すことを恐れていたためであろう。

私は自分自身をさらけ出そうと努力したことはある。しかし、そのたびにつまらぬ見栄を張ったり、嘘をついたりで終わっていた。こういうことの繰り返しで自分が形成されてきた訳だが、こんな自分をますます塗り固めてしまう事件が起こったのだった。

私の人生でこれほど人々の気持ちを踏みにじって裏切ったことはなかった。また、これからもないだろう。今思えば、恋愛経験の少ない自分があまりにももろかったというだけのことなのだが・・・


当時、私は高校二年。夏休みのラグビー部の練習も前半が終わって帰宅途中、ちょうど夏祭りの最中であった。ちょっと寄ってみようとブラブラと歩いていると、知った顔がカブト虫を売っていた。声をかけると、そのうちの一人で昔私の仲間だった男が見慣れない娘と一緒にいる。美人だった。年は一つ下だったが、その色気で私はあっけなく落とされた。仲間だった男は彼女の恋人だった。だが、そんなことはどうでもよかった。私は自分がのめり込んでいくのを感じた。

その後、部の合宿が入って、幾分冷めるかと思ったが、合宿後にまた会ってしまい、完全に参ってしまった。いろんなことを聞くうちに「最近、彼がどこにも連れていってくれないから」と、映画に連れていってほしいと言う。私は早速チケットを二枚買い、部活をさぼって、横浜駅付近で日曜の十二時に待ち合わせた。ところが、彼女は十二時半になっても来ない。一時になっても来ない。一時半に電話すると「今日は彼が家にいて出れないの」との返事。この先、この返事をもう三回聞くことになる。

けれども驚いたのは五回目の約束のとき。また同じことの繰り返しで、二時に電話した。すると彼女は泣きじゃくってこう言う。「彼が手首を切ったの・・・。」受話器を握りしめて、私は青ざめた。受話器の向こうで泣く彼女を、落ち着くようにひたすら説得した。話を聞くと、私とつきあいがあることが彼にばれたらしい。その彼が入院しているとのことなので、彼女に直接会って詳細を聞くことにした。

私は罪の意識におそわれた。こうなるのはある程度仲間に忠告されていた。「あの女はやめとけ」とか「いつか痛い目をみるぞ」とか。しかし私は「分かっているから大丈夫だ」と真剣に取りあわなかった。

この事件を、忠告してくれた仲間に話した。すると、驚いたことに、彼女と電話で話した日の夜、入院していたはずの彼がバイクで飛ばしているのを見たという。「だまされた」と初めて悟った。みじめだった。


しかも、悪いことはさらに続く。彼女を待っていたのは日曜日。部活が朝から晩までできる日で、当然練習はきつい。それなのに、毎週毎週休まれたのでは、士気も落ちるし、部の仲間も腹が立つ。当然「何で休んだんだ」と問い詰められる。「実は伯母の葬式で・・・」などと嘘をつく。いつまでもそんな嘘が通る訳がない。そうなると私はだんまりを決めこんだ。

本当に強い人はここで真実を言うだろう。言えば、たとえ一度はいやな思いをしても、仲間にそれほどの迷惑はかけずに済んだだろう。しかし、私は言えなかった。ぶざまな自分をさらけ出したくなかったし、皆の非難もこわかった。

仲間に責められ、私は苦しくてしかたがなかった。そこで、部員ではない友人が「本当はどうしたんだ」と言ってくれとき、思わず事実を話してしまった。するとその友人は部の仲間にそのことを伝えてくれた。私の苦しい立場を理解して、私のためを思ってそうしたのだと思う。

ところが、突然五、六人の部員が教室になだれこんできた。「嘘つき」「やめてくれ」という非難の言葉が浴びせかけられる。中でも最も鋭く胸に突き刺さったのが「俺だけはお前を、お前の嘘を信じていたんだぞ!」という一言だった。部の中で唯一私を理解してくれていたかもしれない友人を私は裏切り、そして失ってしまった----。


部をやめたのちも、周りが私を「嘘つき」とさげすんでいるような気がした。学校では気が重く、臆病になってしまった。地元では、学校での自分を知られたくないので、虚勢を張った。ここでも私は演技を続けていたのだ。私はこんな自分がいやだった。

部をやめてブラブラしているのももったいないので、バイトを始めた。そこでは自分を必要としてくれた。そういうことがうれしかった。私は一生懸命働いた。徐々に心の傷もよくなっていった。そんなある日、クラスの友人の一人が「志望大学が○○なら、この塾に入んない?」と誘ってくれた。私は、転機にしようと思い、入塾した。

塾では明るくふるまった。体格ががっちりしているので、「何かやっていたの」と聞かれて、「ラグビー部でした」と答えた。しかし「何でやめたの」の問いには、言葉に詰まった。

高三になって、バイトをやめたが、受験勉強はまだろくに始めていなかった。だが、口ではいかにも猛勉強をしているかのように言いふらしていた。なぜ、そんな不必要な嘘をつくのか。努力家というイメージを周囲に与えたかったのだ。また、「努力していれば、最後には必ず勝つよ」と教師や友人が励ましてくれるのが何となくうれしかったのだ。私は夏休みが過ぎてもまだ演技を続けていたが、それが演技であることにさえ気づいていなかった。

十月に入って、四月から塾で一緒に学んでいる女性と食事をした。そして帰りに色々と話を聞いてもらった。私はなぜか彼女の雰囲気に気を許して、知らず知らずのうちに自分をさらけ出していた。彼女は話を一通り聞いて「自分を好きになれないで、本当に人を好きになることはできないと思う」と言った。自分のありのままを認めて、それを他人にありのままに見せて、それで相手が嫌うならしかたがないと言うのである。私は、それまでの虚栄心で塗り固められた自分が砕け散っていくのを感じた。

彼女は「小林君にもいいところがいっぱいあると思うよ」とも言ってくれた。今の今まで自分のいいところなんて考えたこともなかった。ほめられたことはあるが、それは演技の結果だった。悪いところがいっぱいあるのには気づいていたが、そんなことを言われたのは本当に初めてだった。何かうれしかった。


私は今まで卑屈に生きてきた。傷ついて、心の中で流し続ける血を見せまいと、嘘と演技でひた隠しにする。そんな自分が恥ずかしくなった。そうだ、今まで私はかっこつけようとしていただけなのだ。

前作「変わり者」で、私は「ありのままの自分をさらけ出すのがいいと思った」と書いた。しかし、これを書いた自分はきっと「人格者を演じている自分」であったと思う。私の書いたことは理想にすぎなかった。しかし、助言をしてくれた彼女は私の理想を実行していた。そういう事実に裏づけされた信念のようなものが私の本来の姿を気づかせてくれたのだ。前作を書いたとき、私には「自分はこんなにだらしのない人間です」とありのままをさらけ出すことができなかった。偉そうなことを書いている口先だけの人間だったのだ。

しかし、今ではこういう「演技をする自分」はいない。今いるのは、現実を見つめて努力することを知った自分である。今まで本気で努力せず、努力したふりをしてきた自分はもういないのだ。正直言って、まだ「努力する自分」に慣れていないところもある。しかし、「何かをしなきゃ」と思えるように変われたのには自分でも驚いている。あの時、彼女と話をしなければ、私はこの本来の自分の姿に気づくことなく、負い目を感じつつも、虚栄心による演技をいつまでも続けていったかもしれない。

私は、今まで自分を作ってきた「嘘」や「虚栄心」といったものと決別すべき時をむかえている。すぐには無理だろうが、必ず捨ててみせる。そうしなければ、自分の成長が望めないばかりか、本来の自分に気づかせてくれた人に申し訳ない。これらと決別できたら、私は口先だけでない、行動に裏づけされた「強い自分」になれるだろう。

私は今、こういう風に思える自分を気に入っている。生まれて初めて自分を見つめて、自分を好きになってきている。こういう自分に出会う機会を与えてくれてどうもありがとう。


戻る目次ホームページヘ次へ  作者・テーマ別作者別

ご感想をどうぞ:gb3820@i.bekkoame.ne.jp