戻る目次ホームページヘ次へ  作者・テーマ別作者別

宗教指導者の地位とは

荻野誠人

 人がある目的のために集まると、効率的に活動するためには一つの組織となる必要がある。そこで、いわゆる指導者、責任者、世話役などといった、人の上に立つ地位が生まれてくる。その地位は企業なら、社長を始めとする管理職。宗教なら、教祖だの管長だのに始まり、町内の世話人などに至るのだろう。
 宗教団体は本来人々や社会の為に活動するのが第一の目的だと広く思われているようだし、私も同感である。利益追求や団体の存続は、無視していいとは言わないが、優先順位の低い事柄のはずである。従って、指導者となる人もその目的にふさわしく、他人のために活動しようとする気持ちや能力をもち、自己の利益や保身を後回しにする性格をもつことが望ましいだろう。当然、指導者の地位も、金銭、名誉、権力などを約束するものであってはならない。なぜなら、もしそういった役得を伴うのであれば、それを強く求める人たちが指導者の地位を狙うことになるからだ。そういう人物が指導者となったが最後、その宗教団体は本来の目的から大きく外れてしまう。
 歴史を眺めてみると、数多くの宗教団体が繁栄するにつれて堕落していったのが分かる。その大きな原因は、収入や信者も増え、有名になって、指導者の地位に金銭、名誉、権力が伴うようになることである。そうなると、宗教本来の使命を果たそうという真面目な人だけでなく、野心的な人間も指導者の地位を目指し、実際にその地位についてしまうのである。もちろん真面目な指導者が欲に目がくらんで堕落する場合もある。
 宗教指導者の地位には金銭、名誉、権力が伴うべきではないと述べた。具体的には、収入などは世間並みに抑えるべきだ。あるいは専従者などなくした方がいい。そういう形で運営されている宗教団体も実際あるらしい。宗教で生計を立てる人が多ければ多いほど、その宗教は保身に走るようになってしまうのだ。ましてや庶民を食いものにして暴利をむさぼる罰当たりの坊主など論外である。そして、巨大な建物、派手な服装、仰々しい儀式、わざとらしい賛辞などといった、指導者に空虚な権威を与えるものもできるだけなくすべきだ。
 指導者の地位が何の利益も約束しないとしたら、なり手がいなくなると言うかもしれない。なかなか布教が進まないと言うかもしれない。だが、それもやむをえないと思う。適当な人材がいなかったら、団体の規模を大きくする必要はない。場合によっては縮小しても構わないではないか。そうなると、救いが広がらないという反論が出るかもしれない。しかし、指導者の資格のない者をその地位につければ、勢力は拡大しても必ず堕落する。そうなったら救いどころではない。
 野心的な人物が宗教団体の幹部にいても、それを統制できるような人格識見ともに優れた別の指導者がいれば、何の問題もないではないか、様々な個性の持ち主が協力した方がむしろいいのではないかという反論もあるだろう。それはその通りである。しかし、常に人格識見ともに優れた人物がいるのだろうか。いたとしても、途中でいなくなることもあるのではないか。そうなれば野心的な指導者はその本性をむき出しにするだろう。そうなってからでは遅い。そうならないように、やはり指導者の地位は最初から野心家にとって退屈なものにしておいた方が安全である。
 指導者の地位が私の述べたようなものになってしまえば、一般の信者にとっては何の権威もありがたみもなくなり、もはや宗教ではなくなる、という反論もあるだろう。確かに信者は権威にすがったり、あがめたりするのが大好きである。それで安らかな毎日を送っている人も数多くいるだろう。そういう人たちの邪魔をするつもりはない。それはお節介というものだ。
 しかし、まだ権威にすがっていない人には次のような疑問を考えていただければありがたい。そういう態度は人間から自主性、自律性、創造性といった最も人間らしいものを奪ってしまうのではないだろうか。実際、いつもは頭の回転の速い大学の先生や一流企業のエリート社員に向かって、その人の宗教の教祖や教義を批判した途端、頭の回転が止まってしまうのを何度も目の当たりにしたものだ。間違いは分かっているはずなのに、「分からない」と言ってみたり、弁護のためにこじつけをしたりする。そのありさまを見て、最初ちょっといじめてやれぐらいに思っていた私は何だか痛々しい気持ちになったものである。
 もし指導者の地位から権威やありがたみが失われれば、宗教ではなくなるというのなら、そういう宗教はなくてもいいと私は思う。
 宗教指導者の地位は、生前のイエス・キリストのような、みじめなものが理想ではないだろうか。あの人の地位には余祿は一切まつわりついていなかった。仮に今のもろもろの宗教の信者が道で本物のイエス・キリストに出会ったとしても、ただその脇を通り過ぎるだけだろう。

(1995・1・4、5・4 改稿)


戻る目次ホームページヘ次へ  作者・テーマ別作者別

ご感想をどうぞ:gb3820@i.bekkoame.ne.jp