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職業と人格

荻野誠人

 警官や教師の不祥事は今ではもう珍しくも何ともないが、それでもマスコミには大 きく取り上げられている。弁護士、裁判官、医師、銀行員、宗教家などの犯罪も同じである。これは警官や教師などは人間として立派であるはずだ、あるべきだ、という世間の常識があるからだろう。その常識を裏切ったから、衝撃が大きい、従ってニュースになるというわけだ。だが、私に言わせればこれは一種の偏見である。
 外国や昔のことはともかく、私の知っている限り、人格者がそろっている職業というのはない。いかなる職業にも、必ず良い人もいれば悪い人もいる。人からさげすまれるような職業にも立派な人はいるし、人から仰ぎ見られるような職業にもとんでもない人はいる。あらゆる職業の人格の「平均値」などが出せるとすれば、みな同じになると思っている。だから、ある職業の人が罪を犯したからといって、取り立てて騒 ぐことはないわけである。
 どうして「平均値」が同じなのかと言えば、採用する時に第一に重視されるのは人格ではなくて、能力だからであろう。どんなに人柄が良くても、仕事の出来ない人ばかり選べば、その仕事は立ち行かなくなってしまう。また人格は能力以上に見抜きにくいということもあるだろう。短時間の面接などで分かるわけがない。それに、そもそも採用する側に高い人格がなければ、高い人格の人は選べまい。いや、選ぼうとする気持ちもわかないだろう。
 そういう現状は、警官など高い人格が必要とされる職業に、それにふさわしい人が就いていない嘆かわしい状態なのだ、という意見が出るかもしれない。  だが、ある職業が他の職業よりも高い人格が必要だなどということがあるのだろう か。例えば医師は人の命を扱うのだから、最も高い人格が必要だと思われるかもしれないが、それなら他の職業に就く人は医師より低い人格でいいというのだろうか。そんな考えの職業人にぶつかったお客さんこそいい迷惑である。
 医師には非常に高い能力が求められ、他の職業の中にはそれほどでもないものもあろう。しかし、能力などは人格の高さとは関係ない。医師に要求される人格が高いのなら、他のすべての職業に要求される人格も高いはずである。
 ある職業が他の職業よりも人格など低くてもいいと思っている人が多ければ多いほ ど、全体の水準は下がってしまうのではないだろうか。
 こと人格に限れば、あらゆる職業の現実の水準も、理想の水準もすべて等しいのである。

                             2002・4・6


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